taboo 14

 サンジとゾロはグリニッジビレッジにある看板の前に立っている。外を歩く人の姿は真冬のそれだが、そろそろ空気が幾分柔らかくなってきた。撮影から二週間。グリニッジビレッジだけでなく、タイムズスクエアにはビビの姿はなくゾロが上から街行く人々を眺めていた。
「はぁ…。何もこんなにどでかい看板でなくてもいいだろうに…」
 自分の顔を見上げながら、ゾロは溜息を吐いた。
「半年前にナミさんが言ったとおりだな。お前は今じゃあグラスと帽子なしでは外をあるけない」
 喉の奥でくっくと笑った。ゾロは目深に被ったキャップをさらに深く被りなおす。
 看板が掲げられたその日、日課であるジムに行き人々の好奇の視線を痛いほど感じた。道を歩くだけで振り向かれる。店に入ればサインをねだられる。確かに人生は変わり、大金を手にしたがそれに比例して煩わしさも増えた。
 白いシャツをはだけて、大胆に胸をそらし腕を上にあげている。まるで挑発しているかのような視線に態度。その胸には斜めに傷がある。白いシャツには血が薄く滲んでいる。ゾロの胸にかかる大きな文字は「TABOO」。の名だ。
 そのモデルのせいか、ポスターのせいか、香水は大好評で店では品薄状態が続いている。男性向けであったにもかかわらず、ユニセックスな香りとして女性にも愛用されているためだ。
 ゾロの作品は二枚にしか過ぎないが、それ故彼もまたサンジとは別の意味で伝説となる。だがまだ少し先のことである。

 看板を前に男二人が立ち話をしているだけでも人の目を引くが、前に立っているのが本人であるとすれば尚更だ。だがまさか、という思いが彼らに声をかけるのを躊躇わせていた。ただ振り向いていくだけだ。
「大成功だ。お前のおかげだな。街中お前の匂いが溢れている。この状況を望んだのは俺だが、いささか後悔しているよ…。すれ違う人がお前じゃないかと振り向いちまう」
 サンジは忌々しそうに吸っていた煙草を靴の底で潰した。
「…荷物、明日にはまとめるよ」
「何で?」
 心の底から不思議そうにサンジは言った。
「出て行くことはないさ」
「…そうかな」
「そうさ」
 だがこの関係の先はない。契約は終わりだ。きっとサンジはゾロが部屋を出て行っても、別れるとは思っていないのだろう。体に傷があり、もうモデルの出来なくなった自分にどれだけの商業的価値があるのか。いや、そんなものはもうないのだ。ならばサンジの部屋にいる理由がない。どう伝えていいのか分からず、ゾロは結局何も言わなかった。
 サンジはゾロが部屋を出ることを諦めて一緒に住むのだと思い、彼も何も言わなかった。
「今日の夜、プラザホテルでパーティーがあるの知ってるだろ。お前も出るんだぜ、ちゃんとな。ブラック・タイの正装だ、遅れんなよ」
「お前、出るの?」
「一応ね、主役なもんで。お前も主役の一人だよ、他人事みたいに言うなよ」
 オフィスでの用事を済ませ、そこから直接パーティーに行くと言い残しサンジは歩いていく。その後姿を見つめる。ナミは彼のことを「悪い男」だと言った。確かに何もかもゾロの人生を変えた男ではあった。落ち着いた大人の男を思わせる不遜さと時に子供のような無邪気さを持ち合わせた男。
「サンジ!」
 ゾロはその名を初めて口にした。
 呼ばれた男は振り返り、少し不思議そうな顔をして次の言葉を待っている。
「…何でもねえ」
 用があって呼び止めたわけではない。名前を呼んでみたかった。
 サンジは最初に見せたどこかくたびれたような、それでいて優しい顔で微笑んだ。
「…後でな!」
 ゾロに向かって手をあげ、そのまま背中を見せて歩き去った。

 ゾロは半年前にサンジの元へ来た時と同じ鞄一つを手に取った。部屋の中をぐるりと見渡す。また戻ってこれるのか、ゾロには分からない。
 ナミに頼んで取ってもらった日本行きのチケットを胸ポケットから取り出し眺める。祖父にそのことを伝えると喜んでいた。日本に行くことを迷っていないといえば嘘になる。だからといってこのままここに住み着くのも何かが違う。自分が何を欲しがっているのか、薄々気がついている。手を伸ばせばそれはきっとそこにある。敢えてそれに触れずに立ち去ることに何か意味があるのか。ゾロには分からない。
 仕方ない、といった風に溜息を一つ吐き出し部屋を出る。
 今まで尻のポケットに入れていた手を出した。今までそこにあったものが突然なくなるのはどこか不安になる。サンジのこともそんな風に感じるのだろうか。そうなればいいと、心のどこかで願いながらゾロはアパートの前を離れた。
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