taboo 11

 ティムは焦っていた。明日の期日までに約束のものを渡さないと大金の半分以上は手に入らない。タスカニーが新作の香水をリリースすると発表すると、後を追いかけるようにライバル会社が同じように新作を仄めかした。まだ早い、と思ったが彼の気持ちなど向こうは頓着しない。
 どこにレシピがあるのか。ここ数ヶ月、サンジの動向を気にかけていたし、データを探しもした。どこにもない。PCの前に座り、不正なパスワードを入れてデータを読み込むが新作に関係するものはどれも内部の人間ならば知っていることばかりだ。
 あの男の部屋にあるスタンドアローンのPCの中にあるのかもしれない。以前彼のアパートメントを訪れた時に部屋を見渡したがパソコンは置いてなかった。ならば会社にあるはずだ。コピーしておいたサンジのカードキーを差込み、だだっ広い部屋の中へ忍び込む。
 暗がりの中、モニタから青い光りが机の周りを照らす。どのフォルダにもアクセスできる。無用心だな、だが好都合だ。そう思いながら次々とファイルを開く。意に反してどれも発表済みの商品ばかりで、売上に関するデータしか入っていない。
 どこにある。知らずと額に汗が浮かぶ。時間はない。今までどの香水を作る時もあの男はレシピをどこかに保存していたはずだ。
 画面上をマウスは忙しく動き回る。閉じることを忘れたウィンドウがモニタ上を埋め尽くしている。上がる心拍数を感じ、鼓動の音がうるさい。
 ただ一つ、パスワードのかかっているフォルダに行き着いた。「やったぞ!」お宝を探り当て自然と口から飛び出した瞬間、部屋が明るくなった。
「残念。そのファイルにはアンタの欲しい情報はないよ」
 入り口にサンジとナミが立っていた。
「悪いけど、調べさせてもらったわ。随分と借金があるようね、あなた。性質の悪い男に捕まったものだわ。一緒に暮らしてる男、でしょ。借金して、金を渡して、それで薬を買う。全く意味の無い行為ね」
 呆れたようにナミは肩をすくめた。
「ど、どうして…」
 ティムは呆然と立ち尽くし、力なく言った。
「どうしてだって? 最近のアンタからはわずかながらにラム酒の匂いがしてる。調香師であるアンタは酒も煙草もやらないはずだ。嗅覚が鈍るのを避けるために。だったら側にいる者がアルコール中毒か、かだ。どちらにしても良い結果は生まない」
「あなたの私生活には興味ないわ。だけど仕事が出来ない人間はいらないの」
「…お前に人事権はないはずだ」
 今にもナミに殴りかかりそうな勢いだった。サンジはナミの前に立つ。
「俺にはあんたの人事権がある。今日限り解雇だ、ティム…」
「僕はあんたの有能な助手だろ? 今いなくなったら困るんじゃないのか」
「…そう、君は有能だったよ。こんなことで失うのは残念だ」
 その声のどこを探っても、惜しいという感情は感じられない冷たい声だった。本気で必要ないのだ、と通告されている。思いあがっていたのは自分だけだったらしく、そのことが可笑しくもあった。
「取引をしようじゃないか。完全なレシピでなくてもいい。それを渡してくれれば、金を半分やろう。見逃してくれ…」
 サンジは力なく首を振る。
「その取引にメリットはないよ。分かってるだろう? 本来なら訴訟沙汰だ。君が一生かかっても払えない賠償金が課せられるだろう。このまま見逃す、これが俺からの退職金だと思ってくれ。二度と俺の目の前に現れるな」
 サンジの眼はティムを見下している。彼はそう感じた。だがその尊大な態度ですら、憬れていたものだ。サンジは今まで彼の中で君臨していた王にも近い存在で、彼の手にしたかった才能を持っていた。さしたる努力もなしに『鼻(ネ)』の称号をその手にし、強く焦がれると同時に嫉妬もしていた。
二人の横を静に通り過ぎようとした時、ティムはサンジに問いかけた。
「レシピはどこにあったんだ? 最後に教えて欲しい…」
「ここに」
 サンジは自分の頭を指した。
「俺は今まで完成されたレシピをファイルに保存したことはない。不完全な試作品ならあるけどね」
 ならば今まで見たことのあるファイルは試作品のものだったのか、とティムは呆れた。そのことに気がつかなかった自分に。そのうちサンジを超えることが出きるのではないか、という思いは完全に崩れた。圧倒的な才能の差を見せられ、腹の底にどす黒い感情が沸き起こる。それをこの場ではなんとか収め、部屋から去った。
「彼の今後も一応追いかける?」
 ナミはサンジに問うた。サンジは首を振り「いや、いい…」とだけ答えた。だがナミはあの男の不穏な様子から、素直にその言葉に従うつもりはなかった。
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