2006/10/1 (1)

今日はロンシャン競馬場に行って凱旋門賞を見る日。今回の旅行のメインはなんといってもこれなのだ。

凱旋門賞…というと、その名前を知っている人なら「あーヨーロッパの競馬のでっかいレースね」くらいは想像できると思う。私もそれと大差ない認識しかない。もうちょっとちゃんと表現してみても、ロンシャン競馬場で秋に行われる欧州古馬戦線における最重要レースのひとつ、といった程度。なぜ重要と思うかといえば、種牡馬の判断材料のひとつとして、英ダービー馬とか凱旋門賞馬とかいうのを見ると、「おー」と思うから、というこれまたどうにも頼りない根拠だ。
ダビスタをやっていれば、「2000M以上のGⅠを何回か勝って天皇賞と宝塚記念勝ったらいけるんだよね」とか思ったりするかもしれない。今回ディープがこのローテだったのでちょっと面白いなーとか思ってしまった。(私はPSのダビスタまでしかやっておらずちょっとウロ覚え…)
というわけで、ちょっとちゃんと調べてみた。

JRAのサイトから軽く拾ってきたところによると、ロンシャン競馬場というのは、凱旋門賞のほか数多くのGIレースを行うフランス最重要の競馬場で、パリ市内のブローニュの森の中に位置している。緑が多くとても美しい。設立は、1789年のフランス革命後閉鎖されていたアベイドロンシャン(ロンシャン大修道院)があったこの場所に、パリ市長、モルニー公(皇帝の異母弟だそう)に対して皇帝ナポレオン3世が、競馬場を新設するように促したことによるらしい。そして凱旋門賞は、1920年、第一次大戦の勝利を祝して、さらに今後の競馬の発展を祈念して創設されたそうだ。

ついでにに日本の競馬のことも簡単に調べてみる。
東京競馬場が今の場所に出来たのは1933年。その前は目黒にあって、出来たのは1907年だそう。横浜に根岸競馬場が出来たのは1866年だけれど、日本に競馬会の組織が出来るのは1906年。その前年1905年に初めて帝室御章典というレースが行われて、これが今のところ一応日本においては古馬最高峰っぽい位置づけ(人によっては色々あるかもしれない)の天皇賞(春と秋にコースと距離を違えて行われる)というレースの前身…。

…このサイトにはこういうのははっきりいって不要なのでこのへんにしておいて、とにかくこの日、私は凱旋門賞を見に行くのだった。いやー…すごいなー…。
これもまあ色々だとは思うのだが、日本のいち競馬ファンにとって、凱旋門賞を生で見るというのは、ひとつの夢の実現だ。私のようなたんなる競馬好きの貧乏人にとっては、なんらかの必然や勢いを必要とするある種の暴挙だ。
だから私は、そのきっかけを与えてくれたディープや遠征を行った関係者の方々には一方ならず(勝手に)感謝しているのだった。ほんとうに、とっても。

この日のこともとりあえず(無駄に)つぶさに振り返ってみよう。

前日と同じく、携帯のアラームで起床。まだ暗い。しかし凱旋門賞当日だ。ぱっと起きて支度を開始する。
着替えて化粧をして、あらかた準備を終えたところで時間を確認して、びっくり。
「まだ5時半なんだけど…」
7時半に起きたつもりだったのに!どうやら珍子馬さんのアラームが前日のままだったことが発覚。鳩子さんは9時半くらいにホテルに来る予定で、10時には出発しましょうと打ち合わせてある。食事の時間を考えても2時間は早い。
はあ~、とベッドに仰向けになっていたらいつの間にか眠ってしまっていた。珍子馬さんも寝ていた様子。
そして目覚めるとちょうど8時くらい。前日は食べ損ねた朝食をとりに下におりる。

パンとチーズとヨーグルトとコーヒーの朝食。シリアルに、ジュースやミルクもあったかな。ここで初めて他の宿泊客に会う。日本人(たぶん)とそうでない人が半々くらい。うち一組、日本人男性2人連れは同じ目的の方々らしかった。
レセプションではチェックアウトの手続きをしている日本人の方もいて、なかなか日本人の利用が多いホテルらしい。

朝食を終えて、ちょっとだけ広くなっているスペースのソファでしばしぼうっと過ごしてから、今日のパリチュルフを買いに北駅へ。ホテルに戻って昨日の結果をチェックする。ディープインパクトの帯同馬としてフランスにやってきているピカレスクコートが30日、ダニエルウィルデンシュタイン賞というG2レースに出走していたのでチェック。ピカレスクコートは2着に頑張っていた。良い結果が出てよかった、と喜ぶ。
ふたたびぼうっとソファで過ごしつつ鳩子さんを待つ。一応ロビーと呼ぶのかな、というスペースにはソファがL字に配置されていて、なんとか5、6人は座れるか、といった感じで狭い。ドリンクの自動販売機と電話、それにテレビが置いてあって、レセプションのスタッフの男性がときどきやってきてはFⅠの北京グランプリを楽しんでいた。シューマッハファンのようだった。 9時45分くらいになって、まだかなーと思い始めた頃、ようやく鳩子さんがホテルの前を通る姿が見えた。おはよう。鳩子さんは短期決戦なのでホテルは空港近くにとっているので、北駅まで電車でやってきたのだった。
夜用の荷物を部屋において、Anvers駅に向かう。

ロンシャン競馬場への交通機関として、ガイドブックやwebにおいては、Porte Maillotからバス、又はPorte d’ Auteuilから競馬場行きのシャトルバス利用というのが紹介されていたが、ここから1本でいける地下鉄2号線のPorte Dauphineという駅もブローニュの森への入口ということなので、歩いても2時間はかからないだろう、という勝手な憶測の元、そこから競馬場まで歩いてみるつもりの私達。
鳩子さんは朝食をとっていなかったので、駅前のお店でピタサンドを買う。このあたりはこういう食べ物のお店が多い。ふらふら歩いていてもケバブのお店をやたらと見かけたし(もともとパリには多いのかな?)、アラビアのお菓子を売っている店もあった。パリというよりアジア、アフリカ系の香りがそこはかとなく、する。

考えてみれば地下鉄に乗るのはこれが初めてだった。AnversからPorte Dauphineまでは12、3分くらい。電車をおりて駅から出ると、緑が薄くなりはじめた木々の林が前方に広がっている。通り沿いには大きな建物があり、周辺の道路は交通量が多いようだ。振り返ると、凱旋門が小さく見えた。

2006/9/30 (2)

城を出たところで時間を見て、この時点でシュノンソー城は諦めましょうという事になり、わりと近くにあるシュヴェルニー城へ向かう。

ここのお城はとっても趣味の良い館、という印象。庭もこぢんまりと品が良く、かわいらしい。ずどーん、どかーん、という感じだったシャンボール城とは全然趣が違う。


シャンボール城とセットでまわる人が多いのだろう、小さくて、多分城としては地味なほうだろうに、観光客は多い。
ここでも写真を撮るという発想の全くなかった私はやはり一枚も中の写真を撮っていない…。レポを書く気があったのだから少しくらい気にかけておくべきだった。
家族で暮らす家、という感じで、お部屋もかわいらしくって、それぞれとても居心地が良さそう。

パンフレットを見ていた鳩子さんから、「9月15日までだったら面白い犬の食事が見れたらしいよ」というような発言があり、その“面白い”はどこにかかるのかイマイチよくわからないね、と言っていたら、あとになってその食事の風景を見ることが出来た。

最初、広場の中央に餌がばらっと山に置かれ(皮を剥いただけの鳥や、ドッグフードらしかった)、その匂いに、右手の建物の中から犬達の悲痛な叫び声。「出せーここから出せー扉開けろー」と吼えまくる。いつ扉が開くのかなーと待っていたら、なぜか左手の塀の向こう側からどどどど、と犬の群れがやってきて、とたんに餌に群がった。30匹位いただろうか?
犬達はそれぞれの頭や身体をかきわけながらひたすら餌に突入していく。要領のいいこは大きいのを咥えると早々にはじっこにいってむしゃむしゃ食べていたりする。右側の建物の犬達はまだお預け状態。
そのうちにそちらの扉も開いて、犬の数は倍になり、さらに混沌とした状況に。


面白い、は食事風景にかかっていたんだね、と納得。ようやくお食事が終わった頃、雷がごろごろ、と鳴って、犬達がいっせいにびくっとなって吠え出したのがおかしかった。かわいい。
…などとのんきにいっている場合でもなく、すぐに大粒の雨が降ってきた。ちなみにカオルコはこの日も「今日は車だしいらないわね」と傘を置いてきていた。本当に使えない。

車に戻り、さて帰りましょうか、と出発。雨はすぐに上がり、日も差して来ている。時間は17時くらい。帰りは高速をつかうのでがんばって早く着いて、パリに出てご飯を食べようと話していたのだったが、なかなかそううまくはいかないわけで。

もう記憶はかなり曖昧だが、途中で道を外れたり町の中に入ってぐるぐるしたり反対方向に走ったりしながら、空港についたのは20時から21時の間くらいだっただろうか。暗くなって地図は読めなくなるし、鳩子さんもお疲れで、よたよたとどうにかついたものの、なかなか大変だった。結局ご飯はあきらめ、到着後解散。
このあと私と珍子馬さんは再びRERに乗って北駅に向かったのだが、途中で20分くらい電車が止まったりして、北駅についたらもう10時近く、私はご飯を食べる気力もなくてお風呂に入って日記を書いているあたりで本気の限界がきて、今こうして読み返すとその疲れっぷりが良くわかる。字を書いている途中で何度も寝てしまっている有様。

明日はいよいよメインイベントなので、ちゃんと寝ておかなくては。

2006/9/30 (1)

早朝5時半。携帯のアラームで目覚める。まだ窓の外は暗い。もそもそと起き出し、とりあえず着替えて準備。朝着の便で到着する鳩子さんとは空港で7時半に合流予定なので、余裕を見て、ホテルを6時半には出たい。
今日はレンタカーでロワール地方に行き、お城を見る予定。鳩子さんが運転してくれると言うので、お言葉に甘えることにしたのだった。

ホテルを出る頃には空が明るくなってきていた。北駅まで歩く。
切符売り場に到着するも、カオルコ、また小銭がない。クレジットカードで買ってみよかとやってみたが、なんだかうまくいかない。どうせ今日買わなければいけないんだし、と「パリチュルフ」という競馬専門誌を買って小銭を作ることにする。
近くにあったキオスクに行くとそこには置かれておらず、レジの女性に訊ねると上の階の店でしか売っていないと教えてくれた。めるしー、と言って、上に戻る。
北駅に入ってすぐのあたりはTGVの発着ホームで、小さなカフェやショップがたくさんある。本や新聞をたくさん置いている店で目当ての新聞を見つけた。10ユーロ紙幣を出し、おつりをコインでお願い、と言うと、レジのお嬢さんは、「まったくもう!」という雰囲気も顕わに、最初に出した5ユーロ紙幣をしまって、小銭に替えてくれた。ご面倒をおかけして申し訳ない。再び下りエスカレーターに向かう。

前日の教訓を忘れず改札をちゃんとくぐらねば、と思っていたら、自動改札の機械が新しく設置されていた。回転バーのものではなく、開閉式のもの。だがまだ上半分がシートで覆われていて稼動していない。気にせずそのまま素通りする。
ホームに下りると、凱旋門賞のかっこいいポスターが貼られていてなんだかわくわくする。自分のカメラで写真を撮るのを失念していた。失敗。
最初に来た電車は行き先が違っていたので、2本目に乗車。待ち合わせには十分間に合う時間。

ちょっと懲りたので、空港に到着すると昨日利用した両替機に早速向かった。おかげでこれ以降小銭には困らなかった。

鳩子さんとの待ち合わせはターミナル2の真ん中あたり。なのに、私達はぼんやりとあまり確かめずターミナル1に向かってしまった。ここらへんから、「どうもなぜか常に逆を選択してしまうようだ」と二人で認識しあう。おかげでせっかく余裕を持って到着したのに、5分ほどお待たせしてしまった。
まあでも、無事に会えてよかった。鳩子さんは金曜夜終業後、エールフランスの直行便でやってきたのだった。とてもハードなスケジュールだ。大変だなー、と暢気に思っていたのだが、本当に大変だった…。

同じフロアにあったショップで地図やお菓子、飲み物を購入し、私と珍子馬さんはすぐ横にあったカフェで朝ごはん。ホテルでの朝食はツアー料金に含まれていたのだが、朝早すぎて食べられなかったので。

準備を済ませて、さっそく車に乗り込む。一応助手席には私が座っていて、地図も私が開いていたのだが、見るのも聞くのもはじめての土地で、あちらの言葉で書かれた初めて見る地図でできることなど数字を追うことくらいなので、ひたすらフォンテーヌブローを経由してオルレアンに向かう道路で一番よさそうな物を探すことに専念。
今思えば、もうちょっと事前に地図を見る時間があったらよかった…。せめて自分でその地方の地図を眺めるくらいはしておくべきだった、と反省。

えっちらおっちら、という感じで(笑)、まずはフォンテーヌブロー方面へ。軌道に乗るまでに多少時間を要したものの、なんとか目的地へ向けて走り始める。

街を離れるととたんに田舎の景色が広がっている。畑、空、一本道。ゆるく上下するカーブを、色の違う緑が覆っている。
あちらにもこっとした森が見えたと思うと、こちらに建物が固まっている村がぽこっと現れるといった具合。山はほとんど無く、彼方から此方まで、雲の流れ行く道筋がはっきりと見える大きな空。

ときどき目にする道路脇に植えられた並木は、何という樹だったのかな。まあとにかく、何を見ても雰囲気があって、「あーこりゃ絵に描きたくもなるだろう」と乱暴に思ったりもする。題材には事欠かない気がする。

フォンテーヌブローの森を抜け、小さい村を幾つも走り抜けて、オルレアンを目指す。初めて経験するぐるぐる回る交差点はとても便利だとは思うが、体へのダメージが大きい気がする。とくに酔いやすい人には。
鳩子さんはまったく休憩をとらずノンストップだ。このあたり、珍子馬さんはダウンしていた。私も地図を見続けていたせいで珍しく少々車酔い。生あくびを連発。しかし、お昼までに目的地に到着したいという野望が、私達にはあった。


今回見ようと思っていた城は、シャンボール城、シュヴェルニー城、シュノンソー城の3つ。正直に言おう。私は今回の旅行を計画するまで、これらの城のことを、「名前を聞いたことがあったような気もするけどなんだっけ?」くらいのレベルでしか認識していなかった。ダメすぎる。世界遺産だというのに。

途中、街の中で迷ったり偶然に助けられたりしながら予定より1時間遅れでシャンボール城に到着。
木々の隙間に遠く見える城の塔、白い石壁、青い屋根。まさにTHE・城。東洋人がイメージする西洋の城ってこんなんだよね、とか適当なことを思う。


駐車場から城までの道筋にはいくつかのレストランやカフェ、それからホテルもあった。私達は最初に通りがかったレストランの外の席につき、ランチにありつく。お肉を食べた記憶。値段は覚えていない。
のんびり食べていたらにわか雨が降ってきたのでテーブルを動かしてパラソルの下に避難。雨は突然降って、突然やむ。

ご飯を食べたあと、お城の中をのんびりと見学した。素敵な寝室があった気がするんだけどなんでか中の写真が螺旋階段しかない。
もう今の時点ではだいぶ記憶があいまいだけど、広くて暗くて寒そうだった。長い年月をかけて建てられたお城なのだということは、中の展示でわかりました。

2006/9/29 (4)

サンジェルマン…。そこがどういうところか私たちイマイチ良くわかっているわけではないみたい。
「とりあえずお買い物できるんじゃないの?」程度。
国立美術学校の角を折れてとりあえず真っ直ぐ進んでみる。よくわからんなーと思いつつ適当に曲がったりして行ってみるとやがてサンジェルマン大通りにぶつかった。よさそうなお店はあるかしら~ときょろきょろしつつぶらぶら。
探してみるも、イマイチ、系統が違う。一応ガイドブックを持っていたので見てみるものの、やっぱりどうやら違う感じ。バッグが欲しいといっても街歩き用だから、かんたんな、安いのを探していたのだった。すいません、本当によくわかっていなくて。
教会を遠めに確認しつつ、移動した方が良さそうね、と再び川の方向を目指す。細い道に入っていってみると、なんだか楽しげなお店が賑やかに建ち並んでいる界隈に出た。食材店やお惣菜屋さん、小物を扱うようなお店もちらほら。ゆっくり眺めながら、のんびりと一応シテ島を目指して歩く。
そして、この頃だったかな。空模様が怪しくなり始めたのは。
カオルコ、ちゃんと折り畳み傘を日本から持ってきていたのに、そしてパリのお天気は油断がならないということは承知していたのに、傘はわざわざホテルに置いてきていた。使えない。

そのうち、通りがかりのアクセサリーや布製品を扱っているお店でお手ごろのショルダーバッグを見つけて、珍子馬さんご購入。見つかってよかった。

空が暗くなってきたと思ったら、ぽつぽつ雨が降り始めた。大降りにはならないので、気にせず歩くことにする。
美味しそうなお店がたくさんあって、なんとなくお腹もすいてきている。今思えばここでなんかご飯を食べておけばよかったのよ。なんでそうしなかったんだろ?

セーヌ川が再び見える頃には本格的に降り始めて、信号待ちの間書店の軒下で雨宿りしたりする羽目に。
しかしこれは本当にただの夕立だったらしく、一度ぱあっと降ってしまうと、じきに小止みになって、空が白っぽく明るみ始めた。
気温もやや下がって、ニットを着ているのでちょうどいい感じ。
目の前に架かる大きな橋を渡るとそこはシテ島。すぐ右側にノートルダム大聖堂が見えた。ちょうど鐘が鳴っていて、時計を見たら19時だった。

そろそろ薄く闇が下りてきて、視界も悪くなってきた。帰る算段をつけなきゃいけないかなーとぼんやり考えつつ、真っ直ぐ進み、橋を渡ってサンルイ島へ。
ここで、そういえば鳩子さんがあそこでアイスを食べて!と力強く語っていた事を思い出すも、お店の名前も場所もお互いうろ覚え。とりあえず橋を渡って一番最初に見えたアイス屋さんでアイスクリームを買った。うまい。十分うまいよ。
ちなみにそのアイスクリームのお店はベルティヨンだったと思うんだけど、当然ここはそのお店ではない。
アイスを舐めながらてくてく歩くと、前方の建物の壁が薄赤く染まっているのが見えた。珍子馬さんが「あれ!夕焼けじゃないですか!?」と言うので、ふたりで慌てて川を目指す。
建物にはさまれた細い路地を抜けて川沿いの道に出ると、右側が真っ赤に染まっていた。

橋の上、右側に夕焼け。 そして左側には虹が。

パリではそんなに珍しくないのかな。私は珍しくて嬉しかったのではしゃいでしまった。
夕日をバックに写真を撮っていると、刻一刻と日が落ちて闇が濃くなっていくのがわかる。このあとあっという間に夜になってしまった。だいたい20時くらい。

 

 

 

 

今こうして記憶を呼び起こしながら地図と照らし合わせていくと、あー、あそこにアレがあったのか、とか、ここに行けばこれがあったのに、とか、思うことがたくさんある。でも、そう思えるのがそもそもあのでたらめなお散歩のおかげなんだよね。ちなみにベルティヨンはこのとき夕焼けを見た橋から真っ直ぐサンルイ島に戻って一番最初の角にあったもよう。そんなもんだよ。

さて、暗くなってしまったのでもういい加減帰らないといけない。たしかシテ島から真っ直ぐホテル近くまで帰れるバスがあったはず、と、カオルコのうろ覚えの記憶を便りにバス停を探す。

85番のバス停はうまいぐあいに見つかった。本数はそれほど多くないのかな。よくわからない。しばらく待っていたらやってきたので、乗り込む。
後ろの方の席につくと、お若い男女の集団がいて、けたたましい声で喋りつづけている。アナウンスなんか全然聞こえない。乗客はバス停ごとに次々乗り込んできて、時間帯もあってか、なかなか混んでいる。
下りるバス停の名前も当然うろ覚え。たぶんこれだったと思うんだけど~、と思いながら外を眺める。サクレクール寺院が斜め横に見えたあたりで「たぶんこのへん」と下りてみる。
…うろ覚えすぎた。

結論からいうと、カオルコの覚えていたバス停の名前は下りたいバス停から2つ先のもので、頭の中の停留所付近の地図と現在地が全くかみ合わなかったので、ホテルにたどり着くまでに全然違う所をぐるぐるめぐる羽目になった。
疲れ果てているうえ、お腹もすいてるし、頭が働かない。時計を見るともう21時を回っている。クリニャンクールとかバルベスとかそういう地名が見えて、これが見えたらいかんのじゃないかなーということだけ辛うじてわかったのだけど、なんにせよもう暗いし、初めて通る道だし。ようやくこのあたりで私の頭に、あんまり治安の良くない場所だという事実がちらちら浮かんでくる。
通りの名前を確認しながら、うろうろしつつ、下りたバス停まで戻ったところで、カオルコようやく頭の中の地図と地形にピンときた。「とりあえず坂は下るべきだ…」と気付く。なんとかホテルに帰る道程が判明した。くたくた。一応事前に調べていたのだけど、肝心のメモはホテルの鞄の中なのだった。どうしようもない。

明るい大通りまで戻ったところで、適当なお店に入ってようやくご飯。カオルコもう眠くてへろへろ。
入ったはいいけど案の定メニューがさっぱりわからない。珍子馬さんとこうじゃない?ああじゃない?といいながら考えるも、もうなんだかなんでもいい気分になっている私。
そんなこんなで、珍子馬さんがお隣の席に座っていたカップルの男性がいない時に、女性に聞いてみたところ、彼女達はイタリアからきている旅行者だった事が判明。女性は伊仏か仏伊かわかんないけど豆辞書みたいなのを出して、「これよこれ」みたいな仕草をしてみせた。
とりあえず簡単なコースのセットがあって、それを頼むと良いよと教わる。それがあたりだったか外れだったかも教えてくれた。彼氏も気のいい感じの人でとってもお似合い。メルシーはグラッツェでありがとう、という話をすると、リガトーニ!パスタ!とありがとうにウケるイタリア人カップル。私と珍子馬さんは「アリガトーニ」っていうパスタがあるのかーとそのときは思ってた。
珍子馬さんは前菜にエスカルゴを頼む。なぜなら隣のカップルにすすめられたから。私もひとつ貰って食べた。初めて食べた。珍子馬さん、メインはなんだったっけ?
私はお魚を食べた。クリームソースのサーモンだったかな。お味は、まあまあ。こんなもんかな、と。

このあたりは記憶も不鮮明で申し訳ないのだが、アコーディオン弾きのおじさんがテーブルに弾きに来た。アコーディオンだったと思うんだけど…。わー。もう本気で忘れかけている。

そんなふうにして何とか食事を終え、よろよろと戻ってから書いた日記を参考にこれを書いているわけだが、最後の方はもういろいろ限界で記述があっさりでいろいろ足りていない。
なにせ、料理が出てくるのにものすごく時間がかかって、眠気と戦いながらの食事だったので!
お店を出たら日付が変わっていた。
ホテルに戻り、シャワーを浴びて、寝たのは多分1時半くらい。
翌日もとても早起きの予定。

2006/9/29 (3)

人通りはあまりないが、お昼の時間帯なので、通り沿いのカフェには人がたくさんいる。
お洒落げな日本料理のお店が途中にあって、満席に近い雰囲気だった。テラス席で食べている人もいて、チラッと見たら松花堂弁当みたいな感じでなかなか…。高そうだったけど。
それにしても皆さん普通にお昼からお酒を召し上がっておられるようだ。すごいなー。平日なのになー。

やがて、前方がやや開けて橋が見える。
高いビルが少なくて全体的に見通しがよく、目当ての建物なんかが遠くの方に容易に確認できるのであまり感じないが、ここまででも結構な距離を歩いているはず。だがこのお散歩はまだまだこんなものではおさまらないのだった。

アルマ橋付近まで行くとエッフェル塔が見えた。夜が綺麗だと聞いていたのだが、今回は残念ながら見ることは叶わず。

右前方はるか遠くにオルセー美術館が見える。このお散歩は「オルセーに行こう」という目的のもとに始まっているので、まあ、あそこまで行くんだね、と思う。


オルセーまでどう行くかという手段について珍子馬さんと話し合った記憶はないのだが、「セーヌ側沿いに歩いてみようよ」という話はした記憶があるので、この段階ではこれを実行している状況。

川沿いの、舗装されていない道に入る。入ったとたんとっても犬臭い。とくに何もないのでさくさく進む。左手に大きな建物がいくつか見えているので、あれは何かね、とか、あの橋はどれかね、とか地図を見ながら進んでいく。
アンヴァリッド橋を通り過ぎ、アレクサンドル3世橋を見ながら、「あれを渡ってあっちの建物見てみよう」ということに。


それにしても普通に歩いているだけで観光名所的なものがあちらからやってくるような錯覚。パリって本当に、見るものがたくさんあるんだなー、と思う。観光にはそれほど興味がなかったのに、気付けば「あれはなんだ?」ときょろきょろしてしまっている私。
心構えがなっておらずあまりに不勉強すぎて、グラン・パレとプチ・パレとわかってもそれがなんなのかさっぱり(今はわかってますけども)。

橋のこちら側にも立派な建物があって、それがアンヴァリッドだった。ということも、それがなんなのかということも、帰国後に確認している有様。まったくのダメ旅行者。パリに申し訳ない…。(凱旋門賞のことで頭がいっぱいだったのでゆるしてください)

左岸には戻らず、そのまま右岸をルーブル方向にてくてく歩く。風が多少強かったけれども心地よく、なんともいえずいいお散歩コースだった。お天気なのが第一条件だとは思うけれども。
周囲の木々はうっすらと染まり始め、日差しは強いけれどどこか秋の面持ち。残暑と初秋を行ったり来たりといったところだろうか。
私は日本から着てきたそのままの服装だったので、半そでに薄手のニットカーディガン、ジーンズにブーツという出で立ちだったのだが、日中はちょっと暑いな、と感じたが、空気がからっとしているのでとても過ごしやすい。日本でこれだけの日差しの中を歩いたら(すでに相当な距離を歩いている)、きっと汗みずくになっていることだろう。


途中でコンコルド広場をやや遠目に見て、オベリスクを確認。見ただけ。反対側にはブルボン宮。これも見ただけ。
川沿いの風景はとても美しく、木々の向うの自動車の流れすらなんだかいい雰囲気。その向うに見える建物も、なんだかわからないけどかっこいい。あの時は何にもわかっていなかったけれど、多分道の向こうにはオランジュリー美術館があったと思われる。カオルコにフランスはもったいなすぎだと思う瞬間。
ルーブルが近くに迫ってきたあたりで、いったん川の近くにおりて、対岸のオルセーを眺める。
下側から登って芸術橋を渡る。橋の上にはベンチもあって、人がたくさんいて、公園で過ごすみたいにのんびりしている。欄干の下に座り込んでいる人も多数。そういう場所なんだね。

というわけでようやくオルセー美術館に到着。時間はだいたい14時くらいだったかな。お昼を食べ終わってから延々歩き続けてこの時間です。
オルセーに行きたいと言ってたのは珍子馬さんで、以前来たときに見たニジンスキーのなんか(すません、よくわかんなくって)が一応お目当てだったのだけど、結局それは無かった模様。
入場料は7.5ユーロ。チケットを買って入口に向かうと、ドアの係と思しき黒人男性が「日本人?こんばんは」と声をかけてきたので、「こんにちはー」と二人で声を合わせて答える。だって2時だからね。男性はこんばんはとこんにちはの区別が不確かだったようで、「ボンジュール、こんばんは?」と聞いてきたので「ボンジュール、こんにちは。ボンソワ、こんばんは」と言うと、おー、と言って復唱していた。ついでに「メルシー、ありがとう」を復唱しあいつつ、入場。

私は絵のことは全くといっていいほどわからないので、眺めて「ほー、」と思うだけなのだが、それでも十分楽しいし、なんといっても美術館は広くて静かなのがいいな。そこで人の作ったものをただ眺めるというその行為自体はとても好きだ、と思う。たらたらと絵を見物する。名画と私、的な記念撮影をしている人が時々いる。見た記念なんだろうね。でもちょっと証拠写真ぽいなーと意地悪く思ってしまった。
学校の美術の時間に習ったような絵もちらほらあって、まあすごいわねえ、と思いながらぐるぐる回る。ドガの「踊り子」を見て、あー、これ初めて知ったの悪魔の花嫁でだったなあ、とか思う(浅すぎる)。そんな感じで、時々座って眺めたりしながらほぼひととおりは見て回ったかな、という頃、上階の屋外テラスに出てみる。遠くに見える町並みを眺めながらしばし休憩。
壁沿いにあるベンチの端っこに腰掛けてぼうっとする。風がとても気持いい。珍子馬さんは離れた所で煙草休憩中。ひとりでぼーっとしていると眠くなってくる。さすがにちょっと疲れている自覚あり。
すると、隣に座っていたご婦人が私に向かって、自分の手首あたりを差す仕種をして見せたので、「あー、時間ね」と思って、時計を見せて、直後、とんでもなく無意味なことに気付く。
「あー、ごめんなさい…えー、じゃ、じゃぱにーずたいむ…」と恥じ入りながら告げるとご婦人は笑って、逆側の隣の人に時間を尋ねていた。すみません、常にアホで。ずっとマイナス7時間ならぬプラス5時間で現在時間を確認していたのだが、こんなこともあるのか、と、後になってから時計を直した。この時点で15時半くらいだっただろうか。下のカフェでお茶でも飲みましょう、と珍子馬さんと移動。
私は冷たいカフェオレを頼み、珍子馬さんはアイスコーヒーを頼んだ。カフェオレは牛乳のおかげか多少冷たかったが、アイスコーヒーはあんまりだった様子。冷たい飲み物に氷を入れるという概念はないんだろうかと二人で疑問に思う。疲れてたので喉がカラカラだったのだ。でもこちらではアイスオレとか、もともとは存在しないらしい?よく知らないが。

下りながら彫刻を見たり(ロダン怖いとひたすら言っていた記憶あり)しつつ、オルセーを出たのは多分もう17時近かったんじゃなかろうか。
珍子馬さんの街歩き用のバッグを探そう、ということになり、なんとなくサンジェルマン・デプレ方面を目指す。