カテゴリー : 2006年

2006/10/1 (4)

道なりに進んでいくとパドックがあった。メインスタンドではずっとレースが行われている。
この日ロンシャン競馬場で行われるのは全部で8レース。メインである凱旋門賞は7レース目だ。1レース発送が14:05だから、日本の競馬と比べると大分のんびり。私たちがそこにたどり着いたのは、1レースと2レースの中間くらいだった。
パドックに入って上から見渡してみる。日本人は、少ないながらもわりといた。パドックから馬道に入るカーブの最前に、女子のグループがいて、日本語のボードを持っている。金子服を着ている人もいる。
落ち着いたところで、私と鳩子さんは、おなかを満たすためにスタンドへ食料を買いに行った。外にも小さな屋台みたいなものがいくつかあったけれど、屋内のちょっとしたスペースにスタンドが集まっているスペースがあったので、そこで買おうということになったのだった。
さすがフランスなだけあって、スタンドではシャンパンがグラスで飲めたりする。そこが日本とは違うなと思ったけれど、基本的にはやっぱりあんまり変わらない。私はハンバーガーとコーラを買って、鳩子さんはたぶん、ハンバーガーとビール。戻って腰を下ろしてむしゃむしゃ食べた。
パドックはそれほど混んでおらず、日本人も少なめ。日本のオッズ掲示板のようなものはないのだが、ずっとレースの模様が流れている大型のモニターがあって、パドックにいても臨場感たっぷりにレースを楽しむことはできる。私たちは無理にスタンドへ行かずともここでもいいんじゃないか、という結論に達し、パドックからメインスタンドへ抜ける馬道をちょうど真下に見下ろせるあたりに腰を落ち着けた。レースは見れなくても、ディープの姿をゆっくり目にすることはできる。
競馬の見方はいろいろだけれど、私は本当に日本の競馬場でもずっとパドックに張り付いている。パドックを見て、馬券を買って、レースは見ずにまたパドックに 戻る、というのを繰り返す。だいたい次の馬が歩きはじめたころにレースの実況が流れるので、それを聞いて、馬券が取れたかどうかは確認する。メインは見たりもするが、日本のGⅠだと、ぎゅうぎゅうのゴール前を歩くだけでも大変だし、なかなか……。早起きしてスタンドに席を確保するほどの気合がないのもあるけれど。
なのでこの日パドックで見ることは私には自然なことだった。
見ていると、馬たちは馬場に出て行ったあと、再びここへ戻ってきて、表彰式もここで行われていることが分かった。
まわりにはいろんな人がいた。フランス人だろうなという人が圧倒的で、私たちの後ろに日本人らしき男性がひとりだけいたけれど、日本語は自分たちの言葉以外全然聞こえてこない。
私の前にはふくよかな黒人女性が立っていた。オレンジのカットソーにぴったりした白のパンツが似合っている。同行者らしい男性数名と言葉を交わしながら楽しんでいる様子。場内にはずっとクラシック調のとてもかっこいい音楽が流れているんだけど(日本の競馬場との大きな違い!)、それに合わせてリズミカルに体を揺らしているのはなんというか、さすが。後ろには40歳後半~50歳半ばくらいと思しき女性の二人連れが座っている。
とりあえず最低限必要な馬券は買ったし、口頭で買うのはやっぱりちょっと敷居が高いし、自動券売機は離れたところにしかないし、というので、今日の馬券はもう終了。のんびり馬を眺める。
馬が入ってきて、出て行って、レースを終えて戻ってきて表彰式があって、というのを繰り返し見ていて思ったのは、この日のロンシャン競馬場で行われているのは、文字通り世界大会なのだということだ。日本だけじゃなく、いろいろな国の人が見に来ていて、自国の馬が勝つと大喜びしていて、さらに表彰式での歓喜をたたえた表情などを見ているとここで勝つのは夢であり、本当に名誉なことなんだなというのが伝わってくる。そういう人の顔を見ながら、心からおめでとうという気持ちで拍手を送った。とくにマンデシャが勝った後のパドックなんて、本当に素敵だった。
それから、ヨーロッパって地続きなんだなあ、ということも感じた。国境というのが、私の考えるものとはきっと全然違うんだろうな、とぼんやりと。隣国がとても身近で、文化的にも近くあり、そういった中のひとつに競馬もあるんだということ。各国でその年強かった馬が、ヨーロッパのチャンピオンを競っているんだということ。アメリカ競馬とも日本の競馬とも全然違う、ヨーロッパというひとくくりのなかで行われていることと、もしかしたら違うのかもしれないけど、その親密さみたいなものを、ちょっとうらやましく思ったりもしたのだった。
というわけでマンデシャ。マンデシャが走ったのは4レースのオペラ賞。3歳も古馬も交えての、牝馬のGⅠです。日本で言うと、エリザベス女王杯みたいな感じなのかな。マンデシャはその年のヴェルメイユ賞を勝った3歳牝馬で、凱旋門賞出走の噂もあったけれど、こちらへ出走することになっていた。こういう馬を見るっていうのは、JCにでも来てくれない限り日本のいち競馬ファンにはまったく不可能なわけで、一度くらいは馬場でレースを見ようと思った私は、ひとりで本馬場方面に移動した。
ゴール前あたりはさすがに人垣がすごかったけれど、するすると人の間を縫いながら気づけば柵の近くに立っていた。まわりにはスーツを着た男性が多い。日本と違ってファンファーレや手拍子なんかもないので、スタートの合図はたぶんアナウンスくらい。当然聞き取れないので、よくわからないまま、長身の人々の間から首を伸ばして様子を知ろうと頑張った。
ゴール直前、マンデシャが差してきて、アナウンスがマンデシャの名前を叫んだ。その途端、なぜか周囲では大爆笑が起きていた。みんな楽しげにあっはっはと笑っていた。ゆかいでたまらん!的な笑いだと思った。あまりの強さに笑いしか出ない、という感じ。怒号と、自分の馬の名前やジョッキーの名前、いけとかさせとかそのままとか、そういう叫び声が圧倒的な日本とは何かが全く違う。当てた人も多かったんだろうけれど、とにかくうれしくってサイコー!というように、人々はずっとみんな喜んでいた。
レースを堪能して戻ると、珍子馬さんが、パドックを周回する馬を見ながらスケッチを始めていて、それをフランス人夫妻が覗き込んで、なんだかんだと口を挟んでいた。

男性の方が、珍子馬さんが描いた馬の横に、自分も描いてくれとか言い出す。珍子馬さんは絵描きというかさすがにマンガ描きなの で、彼をその馬に乗せて、やったーと手を上げている絵をかいてあげた。
どこで配っていたのかわからなかったけれど、出走馬各国の小さな国旗なんかがあって、夫妻はフランスの旗を珍子馬さんに渡し、「これを持ったらあなたもプロテスタントになるのよ」とかなんとか言っていた(全員がだいたいしかわからないので不明)。
フランスの人たちはきっと慣れているんだろうと思うんだけど、そういうふうに絵をかいてるのを覗き込んでなんだかんだ言うのに躊躇がない。夫妻以外にもいろいろ人が集まってきて、珍子馬さんはにわかに人気者になっていた。
そんな空気のせいか、私の前に立っていた前述の女性も「何を買ったの?」とか、新聞を見ながら、「どれがいいと思う?」と話しかけてきた。なんとなくそんな感じで、周囲の人とコミュニケーションを取り始める。女性の知り合いらしい男性が「あれは何て読むんだ?」と、真下の角に立っている日本人女性グループが手にしていたボードを指さしたので、珍子馬さんが「あー……ドラマチック凱旋門」と教えてあげると、「おー、どらまっちっくがいせんもん」と完璧な発音で返されてびっくりしたり。まあフランス語のできる人がいないのでなんとなくではあったけれど、なかなか楽しかった。
そうこうしているうちにディープの出る凱旋門賞が近づいてきた。パドックに合田さんの姿を発見し、「あー放送始まったのかな」などと思う。
後から知ったことだけれど、私たちの立っていた斜め後ろにたしかにあったテレビカメラは、どうやらNHKの放送のものだったらしく、私と鳩子さんは恥ずかしげもなく、右後方からしっかりカメラに収まっていたのだった。あとから放送を見て、さあパドックに切り替えます、と言って切り替わったとたんに暢気に映っていた自分には、なんというか、本当に呆れた。
ユタカがいます。そしていよいよディープがやってきます。相変わらず小っちゃくてかわいい。先頭にたって進むお姉さんの騎乗馬が大きくとても美しく、その後ろをぽこぽことついていく感じが本当にかわいい。

 

2006/10/1 (3)

とにかくロンシャン競馬場を目指して、ひたすら一本道を歩く。ちなみに、せっかく取りに戻っておきながら、この道のりで写真を撮るということをまったく思いつかなかった私はやっぱりダメだと思う。ひたすら歩いた。以上。と書くことしか出来ない…。このあと、一時間くらいは歩いただろうか?
前述どおり、私たちの選んだルートは、競馬を見に行くのだけを目的とするなら、まったくのムダだ。でものんびり歩きながら出ないと見られない景色というのはあるし、多少疲れたけれど森をゆっくり見られたし、なんといっても、遠くにロンシャンのスタンドが見えたときの、湧き立つ様なあの感覚。「わーーきたーーーー!」みたいな気分。今振り返ればやっぱり歩いてよかったなーと思う。
入り口のあたりは駐車場に向かう車の列でごった返している。お肉を焼く屋台なんかも出ていてあたりはいい匂い。お昼時なのでものすごくそそられる。

いよいよ中に入る。入り口では場内の簡単な案内図や、レースの出走馬や枠順の載ったものを配っている。入場料は8ユーロだったかな。すでにうろ覚え…(自業自得)。受け取りつつ、でもたしか、もっとちゃんとしたレープロみたいなのがあったはずと思い、どこで配っているのかなーと、きょろきょろしながら、まずは馬場の方へ。

広い!キレイ!緑が!太陽が!ああ!でもやっぱり競馬場だ!感動!写真を撮りながらテレテレと歩く。スタンドにはすでに日本人がわらわらいる。でもそれ以上にやっぱり、地元の人が多い。あたりまえだ。それでも人でひしめいている、という感じはしなくて、スペースにも余裕がある雰囲気。スタンドをのんびりと見ながら、ああやっぱり東京競馬場と似た雰囲気があるなあ、と思う。形っていうのがあるんだなあ、と。


まっすぐ行って、馬場側から広場のほうへ抜ける道へ。そこでインフォメーションを発見して、近づいてみるとレープロが配られていることがわかった。「もらわんと!」とさっそく並ぶも(5人くらい並んでいた)、私達のひとり前で終わってしまい、手に入れられなかった…。私がカメラを忘れたせいだ。私の馬鹿…。でも日本に帰ってきていろんな映像を見てがっくりした。なんだよほんとに、日本人め。

まあでも、手に入れられなかったものはしょうがない。別にそれほど落ち込んだわけでもない。
腹が減ったのでなんか食べたいね、と周辺を見ているうちに、自動の発券機を見つける。マークシートを使うようだが、マークシートが全然無い。散らばっているのでたくさん持っていった人がいたのかもしれない。でもマークシートなしで、直接画面にタッチするのでも買えるようだ。私たちがどうやるのかなあと見ていると、「馬券ですか?」と日本人の男の人が声をかけてきた。「ディープインパクトとハリケーンランの馬券なら1番と2番でこうして、」と簡単に説明してくれる。その人はずっとそこにいて、ほかの日本人の女の人たちにも教えていた。ひとりだったのかも…。
とりあえずお礼を言ってチャレンジ。機械や画面に書いてある文字はさっぱり読めないが、なんだか結構わかりやすい。所詮馬券だからか。
一度お金を入れておくと、その金額分、券種や買う値段もまちまちで何種も買えるというすぐれもの。これのおかげでディープの単勝を会社の人たち分買うことが出来た。
とりあえず最低限は買えたね、というところでなぜか問題発生。三人で話しているうちに、私達の買った馬券は果たしてディープインパクトの単勝なのか!?という疑問が生ずる。一番大事なところだ。
あちらの表示方法に馴染みがないせいでわかりにくかったのだが、名前の左にある数字と右にある数字の意味がはっきりしない。私達は左の大きい数字(ゴシック体で太字)で見ていたのだが、ディープは左の数字だと1で、右だと2だ。枠番なのか馬番なのか。私達は1番の単勝をたくさん買っているのだけれど、それはもしかしてハリケーンランをいっぱい買っているということになりはしないか?!それ以外にも、シロッコやプライドや、と絡めている全部の数字が違ってきてしまう。
ちょっと不安になってきたので、思い切って「ディープインパクトは1番なの?2番なの?」的なことを、近くにいたフランス人馬券オヤジに聞いてみた。するとオヤジは親指を立てながら「ディープインパクト、アン。ハリケーンラン、アン」と言う。ますますわからない。とりあえずオヤジ、酒臭い。酒にやけた真っ赤な顔をしている。
私達は「ディープだったら何番を買えばいいの?」と聞きたかったのだが、何度聞きなおしてもそれに対する正確な答えが、イマイチ返ってこない。カタコトどうしだから仕方が無いのだが。そのうち、オヤジの周りにいた別なオヤジたちもよってきてなんだかんだ言ってくる。私たちがお金を入れた発券機に「ガニャン~~、ガニャン~~」と馬券の種類を言いながら押すべきボタンを示してくれたりする。ところが、肝心のレース番号が現在発売中の一番近いレースのものだったりして、すると違う男の人が横から「こうだよ」と直してくれたりして、まあ馬券オヤジがなんだかんだ女の子(?)にはけっこうやさしいというのは万国共通のものなのか、と思った。
私たちが周りの皆さんにご迷惑をおかけしながらモタモタとようやく買い終えたところで、後ろでその様子を見ながらしゃべっていた別の親父が「もういい?」みたいなそぶりで笑っていた。いやーお待たせして申し訳ない、とこちらも笑いつつ、その場を去る。
結局、オヤジが両方1といったのは両方1枠ということだったんだろう、という結論。よくわからない。


このあと中央の方へ行くと日本人用のインフォメーションが出来ていて、日本人向けの馬券はそこで売っていた。ものすごい長蛇の列だった。あるという情報は得ていたのだが、あてにしていなくて良かったと思った。とても並ぶ気にはなれなかった。券売機がガラ空きで何回も並びなおして買えるような状況だったので、余計に。
どこかでご飯を食べたいね、と言いながらうろうろしつつ、見物する。こんなのも見た。おもちゃの兵隊みたいだねーと言いながら。

2006/10/1 (2)

日曜日の森は家族連れで賑っている印象。車でやって来てジョギングをはじめるような人も多数見受けられる。そんな中、歩いている日本人は私たちぐらいだった。競馬場に近づくにつれて同じ目的で歩いている日本人はちらほらいたが、同じ駅から歩いてきた人は、いたとしてもごく僅かなはず。
森の中は静かというほどでもなく、大きな道沿いに歩いていると「これ、森?」と思う。でも空気が気持いいし、明るくていいお天気で、これからロンシャン競馬場に向かうのだと思うだけで楽しい気分。

15分くらい歩いた所で、左手前方に湖が見えてきた。アンフェリウールという湖。風が強めで、日が陰るとちょっとひんやりするけれど、綺麗な景色だ。人も大勢いる。
湖のほとりには等間隔でベンチが並んでいたので、休憩がてら、鳩子さんがここで朝ご飯を食べることに。ベンチに座ってひと息つきつつ、じゃあここらで写真を…とバッグをさぐってみたけど、なんか、手に、あれ?触らない…ものすごく嫌な予感…。

昨日。ホテルに戻った後、電池が切れかけていたので、私はカメラの充電をしていた。以前そうやっていて電池をカメラに入れないまま競馬にでかけてしまったという苦い記憶があったので(呆れますね…)、「そうそうこれを忘れたら大変」とカメラに電池をしまったまでは確実に記憶にあったのだが、そのあとカバンに入れたと思ったのに…どうやら、入って、いない。
何のために田舎の両親が旅行に使おうとしていたカメラを無理やり奪って送らせたのか…(鬼)。すべてロンシャン競馬場を撮影するためだったというのに!自分の愚かさに嫌気が差したが、すぐ気を取り直して、策を講じることにする。といってもこの場合、ひとつしかない。
「ちょっとホテルに戻って、カメラ取ってくる」
時計を見ると11時。1時間、では難しいかもしれないけど1時間半あればなんとか戻ってこられるはず。二人には足止めさせて申し訳ないけれども、今日ばかりはカメラ無しってのはちょっとありえない。
12時半にこの場所で、と二人に告げて、私は一人で来た道を戻る羽目に。つくづく、ダメだ。基本的にはた迷惑。

今になって考えてみたらまるっきりひとりで行動したのはこの時だけなのだった。
来た道を戻り、再び地下鉄駅にやって来た。地下鉄は実はちょっと緊張する。どこの情報を拾ってもスリが多いと書かれているし。窓側の席に腰を落ち着けるとカバンを壁側にくっつける。そうやってまわりを気にしてみていると、前に座っていたカップルのコソコソ話だって変な風に気にかかって、妄想で勝手にアテレコを始めるしまつ。
「なあなあこの日本人ぼうっとしててちょっといいカモじゃねえ?」
「馬鹿なこと言わないで」
「絶対うまくいくと思うけど」
「やめときなさいって」
(ありがとうお嬢さん、彼を止めてくれて)←わたし。
だってホントにそんな感じだったのだ。
べつに私もビクビクしてたわけじゃないけど、なんかいいながらこちらを見ていたのもお嬢さんが彼を窘めている風に見えたのも事実。

などとくらだない妄想を繰り広げているうちにAnvers駅に着いた。さすが日曜らしく、サクレクール寺院に向かうらしい観光客の数がすごいことになっていた。出発した頃はそれほどでもなかったのに、やはりお昼時だからか。
駅を出てまっすぐホテルに向かう。早足で歩けば5分もかからない。
着いたらすぐに部屋へ。階段口から見ると、私達の部屋の手前にはふたつドアがあって、一番手前の部屋ではお部屋係の女性がお掃除中だ。
部屋に入る。すでに掃除は済んでいて、ぱっと見渡した瞬間にベッドの枕のしたあたりに転がされているカメラを発見。バッグに入れたつもりが扱いが荒いせいでこぼれて床に落ちていたらしい…と見た瞬間に理解する。ということはさっきのお掃除の女性が拾ってくれたんだろうか。良い人でよかった。

目的は果たしたので急いで部屋を出ると、先ほどの女性が私の顔を見て何か話しかけてきた。フランス語なのでさっぱりわからないが、「サヴァ?」というのだけなんかわかったので同じように返しておいた。一応ありがとうございますの気持ちを込めつつ…。私がどの部屋の人間かわかったのだったら、もしかしたらチップのお礼だったのかも?と思う。デスクの上に2ユーロ置いて、珍子馬さんが毎日、私達二人の顔のイラストとmercy!の文字を書いていたので。でもなんとなくカメラあった?と聞かれたのかなあと思った。が、結局のところはさっぱりわからないのだった。すみません。

来た道を戻る。12時少し前で、だいたい読みどおり。やっぱり1時間じゃムリだったなあと思いながら、地下鉄に乗り込む。結果として、このときの時間のロスがのちに少々響くのだが。
電車を下りて、階段を登って、道を渡って、渡って、一度通った道を再びてくてく歩く。12時20分くらいに到着。出た時と同じベンチに二人は座っていた。私がいない間にちょこちょこと森の中を散策していたらしい。ちょっと羨ましい。

ようやくロンシャン競馬場へ出発。レースが始まるのは1時とか1時半とか、それくらいだと思うので、気分的にはわりと余裕。
道路ぞいに歩いていると、左手を自動車が列をなして走っている。ワゴンタイプの車に乗った正装の人々がグラスを合わせていたりしてなにやら華やかでハイクラスっぽい雰囲気が漂ってくる。お帽子とかドレスとかスーツとかがいちいちキラキラしていて、凱旋門賞はやっぱりお祭りなんだわ~と思う。

出発前、何かにつけて「あちらでは競馬場は社交場です。正装(盛装?)で行きましょう」みたいな注意書きを、あちらこちらで(著名人のコラムからそこら辺の掲示板まで)見かけたのだが、実際のところを経験して知ったうえでそういう指摘をしている人ってどれくらいいるもんなのかしら、とちょっと皮肉っぽく見ていたりもした(性格悪い)。もちろんそういう側面は多分にあるのだが、まったく社交に関係ない人間が場違いにめかしこんでるのも恥ずかしいんじゃないだろうか、と思えたので、自分の服装に関しては、ヘンに気合を入れない程度でそこそこ小奇麗に、というのを心がけた。端的にいうと、ジーンズと長袖Tシャツとかそういうのはやめとこう、といった程度。正解だったと思っている。

2006/10/1 (1)

今日はロンシャン競馬場に行って凱旋門賞を見る日。今回の旅行のメインはなんといってもこれなのだ。

凱旋門賞…というと、その名前を知っている人なら「あーヨーロッパの競馬のでっかいレースね」くらいは想像できると思う。私もそれと大差ない認識しかない。もうちょっとちゃんと表現してみても、ロンシャン競馬場で秋に行われる欧州古馬戦線における最重要レースのひとつ、といった程度。なぜ重要と思うかといえば、種牡馬の判断材料のひとつとして、英ダービー馬とか凱旋門賞馬とかいうのを見ると、「おー」と思うから、というこれまたどうにも頼りない根拠だ。
ダビスタをやっていれば、「2000M以上のGⅠを何回か勝って天皇賞と宝塚記念勝ったらいけるんだよね」とか思ったりするかもしれない。今回ディープがこのローテだったのでちょっと面白いなーとか思ってしまった。(私はPSのダビスタまでしかやっておらずちょっとウロ覚え…)
というわけで、ちょっとちゃんと調べてみた。

JRAのサイトから軽く拾ってきたところによると、ロンシャン競馬場というのは、凱旋門賞のほか数多くのGIレースを行うフランス最重要の競馬場で、パリ市内のブローニュの森の中に位置している。緑が多くとても美しい。設立は、1789年のフランス革命後閉鎖されていたアベイドロンシャン(ロンシャン大修道院)があったこの場所に、パリ市長、モルニー公(皇帝の異母弟だそう)に対して皇帝ナポレオン3世が、競馬場を新設するように促したことによるらしい。そして凱旋門賞は、1920年、第一次大戦の勝利を祝して、さらに今後の競馬の発展を祈念して創設されたそうだ。

ついでにに日本の競馬のことも簡単に調べてみる。
東京競馬場が今の場所に出来たのは1933年。その前は目黒にあって、出来たのは1907年だそう。横浜に根岸競馬場が出来たのは1866年だけれど、日本に競馬会の組織が出来るのは1906年。その前年1905年に初めて帝室御章典というレースが行われて、これが今のところ一応日本においては古馬最高峰っぽい位置づけ(人によっては色々あるかもしれない)の天皇賞(春と秋にコースと距離を違えて行われる)というレースの前身…。

…このサイトにはこういうのははっきりいって不要なのでこのへんにしておいて、とにかくこの日、私は凱旋門賞を見に行くのだった。いやー…すごいなー…。
これもまあ色々だとは思うのだが、日本のいち競馬ファンにとって、凱旋門賞を生で見るというのは、ひとつの夢の実現だ。私のようなたんなる競馬好きの貧乏人にとっては、なんらかの必然や勢いを必要とするある種の暴挙だ。
だから私は、そのきっかけを与えてくれたディープや遠征を行った関係者の方々には一方ならず(勝手に)感謝しているのだった。ほんとうに、とっても。

この日のこともとりあえず(無駄に)つぶさに振り返ってみよう。

前日と同じく、携帯のアラームで起床。まだ暗い。しかし凱旋門賞当日だ。ぱっと起きて支度を開始する。
着替えて化粧をして、あらかた準備を終えたところで時間を確認して、びっくり。
「まだ5時半なんだけど…」
7時半に起きたつもりだったのに!どうやら珍子馬さんのアラームが前日のままだったことが発覚。鳩子さんは9時半くらいにホテルに来る予定で、10時には出発しましょうと打ち合わせてある。食事の時間を考えても2時間は早い。
はあ~、とベッドに仰向けになっていたらいつの間にか眠ってしまっていた。珍子馬さんも寝ていた様子。
そして目覚めるとちょうど8時くらい。前日は食べ損ねた朝食をとりに下におりる。

パンとチーズとヨーグルトとコーヒーの朝食。シリアルに、ジュースやミルクもあったかな。ここで初めて他の宿泊客に会う。日本人(たぶん)とそうでない人が半々くらい。うち一組、日本人男性2人連れは同じ目的の方々らしかった。
レセプションではチェックアウトの手続きをしている日本人の方もいて、なかなか日本人の利用が多いホテルらしい。

朝食を終えて、ちょっとだけ広くなっているスペースのソファでしばしぼうっと過ごしてから、今日のパリチュルフを買いに北駅へ。ホテルに戻って昨日の結果をチェックする。ディープインパクトの帯同馬としてフランスにやってきているピカレスクコートが30日、ダニエルウィルデンシュタイン賞というG2レースに出走していたのでチェック。ピカレスクコートは2着に頑張っていた。良い結果が出てよかった、と喜ぶ。
ふたたびぼうっとソファで過ごしつつ鳩子さんを待つ。一応ロビーと呼ぶのかな、というスペースにはソファがL字に配置されていて、なんとか5、6人は座れるか、といった感じで狭い。ドリンクの自動販売機と電話、それにテレビが置いてあって、レセプションのスタッフの男性がときどきやってきてはFⅠの北京グランプリを楽しんでいた。シューマッハファンのようだった。 9時45分くらいになって、まだかなーと思い始めた頃、ようやく鳩子さんがホテルの前を通る姿が見えた。おはよう。鳩子さんは短期決戦なのでホテルは空港近くにとっているので、北駅まで電車でやってきたのだった。
夜用の荷物を部屋において、Anvers駅に向かう。

ロンシャン競馬場への交通機関として、ガイドブックやwebにおいては、Porte Maillotからバス、又はPorte d’ Auteuilから競馬場行きのシャトルバス利用というのが紹介されていたが、ここから1本でいける地下鉄2号線のPorte Dauphineという駅もブローニュの森への入口ということなので、歩いても2時間はかからないだろう、という勝手な憶測の元、そこから競馬場まで歩いてみるつもりの私達。
鳩子さんは朝食をとっていなかったので、駅前のお店でピタサンドを買う。このあたりはこういう食べ物のお店が多い。ふらふら歩いていてもケバブのお店をやたらと見かけたし(もともとパリには多いのかな?)、アラビアのお菓子を売っている店もあった。パリというよりアジア、アフリカ系の香りがそこはかとなく、する。

考えてみれば地下鉄に乗るのはこれが初めてだった。AnversからPorte Dauphineまでは12、3分くらい。電車をおりて駅から出ると、緑が薄くなりはじめた木々の林が前方に広がっている。通り沿いには大きな建物があり、周辺の道路は交通量が多いようだ。振り返ると、凱旋門が小さく見えた。

2006/9/30 (2)

城を出たところで時間を見て、この時点でシュノンソー城は諦めましょうという事になり、わりと近くにあるシュヴェルニー城へ向かう。

ここのお城はとっても趣味の良い館、という印象。庭もこぢんまりと品が良く、かわいらしい。ずどーん、どかーん、という感じだったシャンボール城とは全然趣が違う。


シャンボール城とセットでまわる人が多いのだろう、小さくて、多分城としては地味なほうだろうに、観光客は多い。
ここでも写真を撮るという発想の全くなかった私はやはり一枚も中の写真を撮っていない…。レポを書く気があったのだから少しくらい気にかけておくべきだった。
家族で暮らす家、という感じで、お部屋もかわいらしくって、それぞれとても居心地が良さそう。

パンフレットを見ていた鳩子さんから、「9月15日までだったら面白い犬の食事が見れたらしいよ」というような発言があり、その“面白い”はどこにかかるのかイマイチよくわからないね、と言っていたら、あとになってその食事の風景を見ることが出来た。

最初、広場の中央に餌がばらっと山に置かれ(皮を剥いただけの鳥や、ドッグフードらしかった)、その匂いに、右手の建物の中から犬達の悲痛な叫び声。「出せーここから出せー扉開けろー」と吼えまくる。いつ扉が開くのかなーと待っていたら、なぜか左手の塀の向こう側からどどどど、と犬の群れがやってきて、とたんに餌に群がった。30匹位いただろうか?
犬達はそれぞれの頭や身体をかきわけながらひたすら餌に突入していく。要領のいいこは大きいのを咥えると早々にはじっこにいってむしゃむしゃ食べていたりする。右側の建物の犬達はまだお預け状態。
そのうちにそちらの扉も開いて、犬の数は倍になり、さらに混沌とした状況に。


面白い、は食事風景にかかっていたんだね、と納得。ようやくお食事が終わった頃、雷がごろごろ、と鳴って、犬達がいっせいにびくっとなって吠え出したのがおかしかった。かわいい。
…などとのんきにいっている場合でもなく、すぐに大粒の雨が降ってきた。ちなみにカオルコはこの日も「今日は車だしいらないわね」と傘を置いてきていた。本当に使えない。

車に戻り、さて帰りましょうか、と出発。雨はすぐに上がり、日も差して来ている。時間は17時くらい。帰りは高速をつかうのでがんばって早く着いて、パリに出てご飯を食べようと話していたのだったが、なかなかそううまくはいかないわけで。

もう記憶はかなり曖昧だが、途中で道を外れたり町の中に入ってぐるぐるしたり反対方向に走ったりしながら、空港についたのは20時から21時の間くらいだっただろうか。暗くなって地図は読めなくなるし、鳩子さんもお疲れで、よたよたとどうにかついたものの、なかなか大変だった。結局ご飯はあきらめ、到着後解散。
このあと私と珍子馬さんは再びRERに乗って北駅に向かったのだが、途中で20分くらい電車が止まったりして、北駅についたらもう10時近く、私はご飯を食べる気力もなくてお風呂に入って日記を書いているあたりで本気の限界がきて、今こうして読み返すとその疲れっぷりが良くわかる。字を書いている途中で何度も寝てしまっている有様。

明日はいよいよメインイベントなので、ちゃんと寝ておかなくては。