夏が終わる前にぼくらにできるいくつかのこと 5

(巻ちゃんの部屋……)
 東堂は椅子を窓際まで引っ張っていって腰を下ろすと、そこから部屋全体を眺めた。
 物が少ないわけではないが、よく整頓されている。が、ところどころ適当にひとまとめにしているような一角もあって、そこがなんとなく巻島らしいように思える。
 棚におさめられた書籍や雑誌、ボックスに詰め込まれている映像ソフトらしきもの。自転車のものが主だろうが、映画なんかもあるんだろうか。どんなタイトルが並んでいるんだろう。
(AV……は、こんなわかりやすいところにはないだろうしな)
 きょろきょろと見回し、そのほか目に付くものについてひとつひとつ考えていく。
 オーディオ、机、パソコン、パーツ類。それぞれに巻島が触れている様子を思い描いてみると、なんだか胸の中がもぞもぞして、わーっと叫びたいような気持ちになった。
(巻ちゃんの家に、まさかこんなふうに来る事になるとはな……)
 遊びに来いと言ったことはあるし、巻島に言われたこともある。だがお互い一度も実行しようとしなかったのは、冷静に考えて、それくらいの距離感をお互い必要としていたからなのかもしれない。東堂はそう結論づけていた。
 なぜなのだろう。
 単純な友達になるのがそんなに難しいとは思わない。巻島と山や自転車以外の話をすることは少ないが、皆無というわけでもない。そして自転車乗りに物理的な距離はあまり意味がない。そうなると結局、相性の問題だろうかというところまでいってしまう。しかしそこは力いっぱい否定したい東堂だった。
 相性は絶対に悪くない。むしろいいはずだ。東堂は巻島という男がとても好きだったし、巻島が自分を嫌いだなどとは到底考えにくかった。
 巻島には少し神経質なところがあるし、興味のない対象へ冷たく当たることにあまり躊躇がなさそうだと思わせるフシがある。取り繕うのが苦手だから隠せないうえ、それをたいして損だとも思っていない。けれど、好きなものや興味深いものに対しては、むしろ積極的なのじゃないだろうか。
 巻島が自分を嫌いであれば、あれほどともに山を登ってきた意味がわからない。
 だがもし、山に登らない自分であったなら?
 山が引き合わせた相手に対してこれを考えるのは愚かなことだとわかってはいたが、自転車を離れたとき、巻島と自分の間に何が残るのかという問題は、このことを考え始めるととても大きなものに思えてくる。そしてそんなことを思い煩うこと自体が、新開の言うところの「らしくない東堂」ということになるのであり、東堂自身それについては強く自覚していた。
(とにかくこのグルグルから抜け出さんことにはどうにもならんということだ!)
 一刻も早く、というその気持ちが、始発電車で千葉を目指すなどという行動に東堂を駆り立てたのだ。
 たったひとこと聞けば済む話だ。巻島に、自分をどう思っているのかと、それさえ聞けばいい。だがどうもそのひとことが出ない。本当は顔を見た瞬間に言おうと思っていたのだが、思いも寄らない場所で早々に顔を合わせたせいで、すっかりタイミングを逸していた。
 東堂はもっと時間をかけて、この家を訪れるつもりでいた。
 巻島の住む街を様々な場所から眺め、巻島の通う学校を見、そこでおそらく部活に出ているであろう小野田を捕まえて巻島の家の場所をたずね、午後になってからゆっくり来ようと思っていたのだ。
 電話もメールも、相変わらず出来ないままだった。連絡をしてもしも来るなと言われてしまったらと思うと、 ―― そう考えることこそどうかしているのだという自覚ももちろんあるのだが ―― どうしても出来なかった。巻島にこのことをつつかれたときは咄嗟に声が出なかったし、実際どう答えたのだったか思い出せない。
(どうも、緊張しているようだ、オレは)
 東堂は元来、緊張とは縁のない男だった。どれほどの大レースの前だろうと、どんな相手を前にしていようと、不思議と平常心を貫ける豪胆さを持ち合わせていた。チームメイト達からは単に空気が読めないだけだと言われがちだが、東堂自身はそれを長所と思っている。
(やっぱり巻ちゃんは特別なのだな……)
 窓辺に後頭部を預けて天井を見上げる。カーテン越しに差し込むやわらかな光が、天井をほのかに明るく染めていた。その柔らかな光が東堂の中にある巻島のある部分のイメージに、不思議と重なる。
 視線は吸い寄せられるように右手のドアに移動した。入るなといわれた寝室のドアだ。固く閉じられたそこは、今の東堂には巻島そのもののようにも感じられた。巻島の見えない内部のひとかけらがそこにあるのだという、確信に根差した欲求が腹の底からじわじわと熱を持って噴き出してきた。
 東堂はふらふらと立ち上がり、ドアの前に立つと、ドアノブをそっと握った。
(すまん巻ちゃん)
 ぐいと捻って引くと、ぎい、と小さく軋みながら、ドアは開いた。

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