夏が終わる前にぼくらにできるいくつかのこと 12

 巻島は、自分がある部分では流されやすい事を知っていた。
 そして、自分を取り巻く境界の内側にいる何人かの人間に対しては、とことん甘いところがあることも。
 そんな巻島は、東堂が涙を流しながら自分に対して思いがけない台詞を吐いたときも、どう返したらいいのかわからないがどうやら興奮しているようだからとりあえず落ち着かせよう、と思っただけだった。多少の理解しがたい言動ならば東堂にはよくあることだったし、二年のうちにすっかり免疫が出来上がっていた。
 その結果が、これだった。
 ここで宥めるためだけの否定的な言葉のひとつも吐けば、東堂は諦めるのだろうか。そう思ったとき、心が急に頼りないものになった。水面をふわふわと漂う落ち葉のような、そんな心境に至って、巻島は咄嗟に自ら火に油を注ぐような言葉を口にしてしまっていた。
(無理だと思ったら、て、なんだヨ!?)
 余裕などもうどこにもなかった。東堂の舌や指先がもたらす感覚に翻弄されるばかりで、逃れる方法はなにひとつ思いつかない。
 そもそも、本当に逃れたいと思っているのかどうか、巻島にもわかっていなかった。
 息がかかるほどの距離に東堂がいることを嫌だとはまったく思わなかったし、一時の混乱が落ち着いてくると、柔らかく触れられるのは気持ちがよかった。流されてしまっていることはあきらかだったが、頭の中が熱く、蜂蜜が溶けたみたいにとろりと重い。
(も、いいショ……頭が働かなねぇ、ショ)
 体から力を抜いて、背後の塀にガックリともたれかかった。腰は地面に落としていて湿った土が冷たかったが、それどころではなかった。首筋にあたる東堂の息が熱い。
 巻島は顎を上げて喘ぐように息を吸った。伸ばして晒した首筋を東堂にきつく吸われ、鳩尾に力をこめて息を止めた。
 衣服の擦れる音と、つっぱった足が地面を滑る音、二人の荒い呼吸が、葉擦れの音の中に不自然に響いていた。
 巻島は歯を食いしばって東堂の右肩に手を置いてポロシャツを掴み、そこへ額を擦りつけた。左手を首の後ろに回して引き寄せる。東堂の肩が小刻みに揺れるのを感じ、こいつ笑ってやがると腹立たしい思いがわく。
 東堂の右手が、ズボンの上からそこに触れた。キスで煽られ続け、やわく揉まれ、擦られて、巻島のものはすでに硬く勃ちあがっていた。
「う、あ…っ、とうど……っ」
 腰を引いて手を避けようとしたが、後ろは壁だ。さらに東堂の手が背中を強く捕まえていて、離れられない。
「ならんよ巻ちゃん、今更……止まれんよ」
 耳の下に、顎に、唇を触れさせながら東堂が囁く。
「あ、……っ」
 体が緊張して、ぎゅうっとしがみつくような、引き寄せるような形になった。ボタンを外し、隙間から差し込んで直接触れられると、元からほとんどなかった余裕が、一気にすべて消し飛んでしまった。
「あう、う」
 歯を食いしばって、目もぎゅっとつむって、下腹に力を入れる。そこからじわじわと這い上ってくる快感に体中が熱くなり、こめかみから汗が滴った。
「巻ちゃん」
 声がして、目を開けると、東堂が必死の顔で見ていた。顔が赤い。辛そうに眉根をよせると、首を下げて肩に額を押しあててきた。巻ちゃん。東堂は掠れ声で、もう一度巻島を呼んだ。
 巻島は東堂の肩を掴んでいた右手を離し、二人の間の、重なって影になったところに、無理やり差し込んだ。向かい合って座って脚を交差させたその中心に、恐る恐る指先で触れる。東堂が額を、さらに強く押しつけ、擦りつけてくる。巻島は宥めるように左手で髪をかき混ぜてやり、右手でズボンの入り口を緩めてそのまま中へもぐらせた。手のひらで半分掴むようにして撫で上げると、東堂の背中が波立つようにぶるぶるっと震えた。
 巻島も東堂の肩に顔を押し当て、ポロシャツの襟に鼻先を差し入れる。息を吸いこむ。東堂の肌の匂いが強くする。東堂が肩のところで、熱く湿った息を吐き出す。
 顔を上げ、真正面からお互いの目を覗き込む。にやりと笑うのに歪んだ笑顔をひとつ返し、巻島は目を閉じて、自分から東堂の唇にキスをした。舌を入れて舐ると、東堂も同じように動いた。
 はあはあと息を荒げながら唾液をすすりあう。どこを触っても、触られても気持ちがいい。唇はぬるぬるして、溢れた唾液が顎をつたう。舌を絡めて痺れるほど強く吸いあった。
 木々の緑の隙間に翳り始めた空が広がり、少し弱まった夕暮れ前の日差しが柔らかく葉脈を透かしていた。巻島は薄目を開けてそれらを見やり、再び目を閉じた。全部忘れようと思った。どうでもよかった。今はこの肌に感じる熱と吐息を手放したくなかった。
 頭の中にはもうただひとつの事しかなく、巻島は東堂のものを握りこんだ手の動きを速めた。先端を指先で摘むようにこすり、立てた長い指を下までおろし、何度も扱く。巻島も切迫していた。東堂が促す手の動きに合わせて、腰が自然と動いた。
「あ、あ、あ、」
「ふ、…うっ、巻、ちゃん」
 いく、と小さく聞こえた瞬間、それは巻島の手を濡らした。ほぼ同時に巻島も達していた。息を乱しながら、互いにびくびくと余韻に体を震わせた。
 東堂がぎゅっと抱きついてきたので、同じように抱き返した。キスをした。押し付け、ちゅうっと吸いあうのを何度も繰り返し、離れた。
「すきだ」
 東堂が胸の前をぎゅっと握り、苦しげに眉をひそめて、ため息まじりに言った。
 胸がいっぱいで苦しかった。巻島はハアッと大きく息を吐き出し、肺を空にして脱力すると、おれもショ、と答えた。好きだとか、本当はよくわからない。よくわからなかったけれど、これがそうなのだと言われたら、そうかと納得するだけだった。
 少し落ち着いて、やれやれ、と自分の状態を見下ろした。中途半端な下半身の露出が相当に情けない有様で、そしてそれは東堂も同様で、少し前の差し迫った空気を思い出すと、その落差がどうにも滑稽で、笑いが込み上げてくる。
「クハハ」
「な、なんだ巻ちゃん。せっかく今、」
「いや、なんだこりゃ。おかしいっショ」
 クハハハ、と笑いが止まらない。東堂は頬を赤くして不本意そうに膨らませていたが、笑い続ける巻島につられてか、情けなく相好を崩し、しょうがないなあ巻ちゃんは、と笑って見せた。
 しょうがないのはどっちだ。口にしないまでも、巻島としてはそう思わずにはいられなかった。
 夕暮れが、もうそこまで迫っていた。
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