夕立つ八月 8
足が竦むというのはこういう状態を言うのだと、ゾロは初めて知った。
駅に向かって歩く女を見送って、それから足が動かなくなって立ち尽くした。行こうとも戻ろうとも違う、なにか違う意味の言葉が頭の中でわんわん響いていた。太陽は相変わらずゾロの背を焼いている。ゆるゆるとその場にしゃがみこむと、アスファルトからたちのぼる熱が首筋にはりついた。重みにまかせて頭を前に垂れる。
「俺が何したって言うんだくそったれ」
呟いたら情けなさがこみ上げてきた。これではまるで傷ついているみたいだ。相手の言葉も聞かず勝手に解釈して勝手に落ち込んでいる独り善がりな女のようだ。こんな感情を抱かせるサンジを憎く思う。
このままサンジの家に行かずに戻れば、おそらくそれきりだ。終わりだ。ゾロ自身に、その気が起きるとは思えないからだ。
ゾロはしばらくその姿勢のままうずくまっていた。どうすればいいのかわからない。ただじっと、その道の先にあるサンジの家のことを思った。
足が痺れてきた。苦痛を感じて立ちあがる。
一瞬、方向を変えかけた。背中を斜めにして、首だけ捩ってサンジの家の方角を見た。一歩が出ない。ゾロはまたしゃがみ込みそうになりながら、痛む胸に眉根を寄せながら、もう一度向き直り、歩き始めた。
チャイムを鳴らしてしばらく待った。サンジは寝ぼけた声で返事をして「忘れもんか〜?」などと呟きながらドアを開けた。足元からゆっくりと視線を上げてゆき、顔を見て固まった。
「ゾロ……?」
足元に蟠る濃い影の先端がすこし、ドアの中に進入しているのが不快で、ゾロは僅かに目元を歪めた。頭の後ろでは蝉が煩いほど鳴いていた。風のない午後は、淀んだ空気が滞留して厚みを増し、視界が曇る。ゾロは無言でサンジの胸を押した。
「……ごめん」
「何が」
「昨日、なんか、変な態度取っちまって」
サンジは顔を俯け、長い前髪をたらして表情を見せない。声はぶっきらぼうに固く、ゾロは首の後ろを掴んで無理やりにでも顔をあげてやりたく思ったが、一方でそうすることに徒労感を覚えた。
「もうやめてえんじゃねえのかよ」
いかにも投げやりな口調で、ゾロはそう応える。
たった五ヶ月、短い命だったな。まあ、所詮不毛な関係だしムリに修復を試みるよりもここらで一度きれいさっぱり忘れる方が良いんじゃねえの?まわりには綺麗な女もいっぱいいるし。合わねえのをムリに合わすことねえだろ。
そう言おうと思っていたのに、いざとなると言葉が出ない。ゾロは唇を噛み、二度三度と左右に捩った。サンジはぴくりとも動かず、足もとの一点を見つめてゆっくりと口を開く。
「お前、考えねえの?」
「何を」
「あれくらいでもういいのか、お前。ちょっとこじれたら別れて終わりで、それでいいのかよ。そんな程度かよ俺ら」
「お前がそうなんだろうが!」
つい声を荒げた。突然沸騰した感情に、ゾロ自身困惑するが、止まらない。キッチンと居室の間のドアを空けたままそこに立ち尽くすサンジに、気持ちは向かうのに、近づけない。ゾロは俯いて、ベッドに腰を下した。唇が震える。
「わからねえよ、わからねえ。俺にはお前のことなんてちっともわかりゃしねえよ。だから合わねえっていってんじゃねえか」
「そんな合わない男と、たった五ヶ月だって一緒にいられるのかよ、お前が」
サンジの声は訥々として一切の感情が見えない。思えばこういう喋り方をこの男はよくした。やけっぱちなのかと思うくらい、何かを真っ先に諦めているような、そんな。
「全然楽しくなかったかよ、俺といて」
ゾロは顔をあげてサンジを見た。サンジは寂しく笑っていた。そんな顔を、今まで何度見てきただろう。
ゾロは苦しかった。何か言わなければと思うのに、何を言えばいいのかわからない。片手で顔を覆って、するりと撫ぜた。目の前の、小さなテーブルに置かれた灰皿の中に転がる吸殻の数をかぞえ、口を噤んだ。思考は簡単にゾロの手を離れゆき、意識はそれに集中していく。
「好きだよ」
サンジが言った。ゾロはまだ、吸殻を数える。いったい何本吸っているんだこいつは。
「好きなんだよ、なんだって、もうどうでもいいくらい」
「やめろ」
「好きだ」
「やめろって言ってんのがわからねえか。そうやってお前がいつも、うやむやにしちまう。それで俺は考えるのをやめて、どうでも良くなっちまうんだ」
「いいじゃねえか、どうだって」
ゾロは細く長く息を吐き出し、両手で顔を覆って体を前に折った。
「どうでもよくねえだろう。なんなんだよ、あの女は」
自分でも驚くほど情けない声が出た。サンジが息を飲むのがわかった。気持ちはどんどん沈んでいく。言いたくなかったのに、言わずにいられなかった。ゾロはこんなに胸の中に悲しみが広がったことなど今までに経験がなく、たった一言放ったことで、気持ちの中の今まで見えなかった部分が、急に形をあらわし始めたことを自覚した。
「で、電車がないって言うから泊めたんだよ。しょうがねえじゃねえか」
タイミングが悪かった。もう少し早く帰せば良かった。朝早く帰すはずが起きたら昼で、なんだかんだと女は帰ろうとせずそうこうしているうちにあっさり時間はたってしまったのだが、そんなことを今思ってみても後の祭りだ。サンジは怯みそうになりながらも弱々しく言葉を紡ぐ。
「お前が何思ってるか知らねえけど、なんも無えよ。あるわけないだろ、俺は…」
「そんなことはいい。他に好きな女ができたんなら、いつだってそう言ってくれてかまわないんだ」
そこだけは明瞭に言った。この部屋に向かう道すがら、思っていた事のひとつだ。言葉を発すると反対に消え入りそうになる感情が、ゾロを内側から苛む。押し寄せる空気の波に気付いて顔を上げると、サンジの、怒りの感情を露わにした顔が目の前にあった。
「てめえこそ、だろ、それは」
「あ?」
「ビビちゃん送っていって、今帰ってきたんだろう?俺はそれでもいいって言ってるのに、お前はそんな事を言うのかよ」
ゾロは呆れて、サンジを見上げたまま固まった。やはり何かが根本的にすれ違ってしまっている。何をきっかけに、どんなふうにして、ここまで拗れてしまったのかは、もうお互いにわからない。真ん中に横たわっている流木が渦に巻き込まれて翻弄され、反転しながらそこに留まり、二人の間の水流を幾度となく変えるせいで姿がそこにあるのに一向に近づけない、そんな感じだ。
手を伸ばす事に、これほどの勇気が必要だとは。
その流木をつかんだなら、きっと、どちらかの重みに耐えかね、それはあっけなく沈むだろう。
それくらいは、お互いにわかっていた。だから、無駄に足掻いて修復を試みてはみるものの、結局方法が掴みきれず最終的に放置する。いままでずっと、その繰り返しだ。だが、何もしないよりはましだと、サンジは再び口を開く。
「別に疑うとかそういうんじゃなくて、もっと、信じあうとか、そういうことを、俺は」
「本音を言えよ。女の方がいいと思ったこと、ねえか?あるはずだ」
「そんなに、俺と別れたいの?」
「そうじゃねえよ、女の方がいいだろうって言ってんだ。何聞いてやがる」
「そういうあんたはどうなんだ」
サンジの声が刺を含み始めた。それは表情にもあらわれ、ベッドに座るゾロを見下ろす目は怒りを隠そうともしない。
サンジは言いたかった。「寂しい」と、言えたらいいと思った。けれど、この男にそれを言ってみても、まったく伝わらないということもわかっていた。なのに好きだという気持ちだけがどうしようもなく走り、腕の中に抱きこんでも手に入らないものに焦れつづける辛さは、依然膨らみつづけるばかりだ。
「俺の事、なんだと思ってんの?なんでそんなことが言えるんだよ。好きだって言ってるのに、どうして」
そこまで言うと、サンジは背を向けてしゃがみ込んだ。ゾロはその背中をじっと眺める。
「ああもう…なんか、疲れてきたよ、俺ァ」
「……ああ、同感だ」
「お前、俺の事好きじゃねえんだ」
「そうは言ってねえ」
「だって、俺が女の子好きになっても、止めたりしねえんだろ?」
「それが普通だろ」
「違うよバカ。俺は嫌だ」
サンジは前方のテーブルに手を伸ばして煙草を手にし、一本取り出すと火をつけた。ふうっと息とともに煙を吐き出し、やにわに立ちあがると振り向きざま、ゾロの肩を押しながら口づけた。
「んん…っ」
勢いのまま倒れ込んで、ゾロはサンジの胸元を握った。サンジは右手で煙草を持ったままこめかみあたりを弄り、左手でゾロの頭を抱え込むようにして、なおさら深く探る。抑えつけられて苦しくなって、ゾロが顔を背ける様にして離れると、サンジはゾロの首筋に額を押しあて、背を丸めて、絞る様に小さく叫んだ。
「…気付いてよ、気付いてくれ。つらいよ」
そう言われても、「何を」と思ってしまうゾロは、本当にもうだめだと思った。サンジの言っていることがわからない。言葉が通じない。
そう思ったら眼のあたりがじわりと痺れた。歯を食いしばって迸りそうな感情の爆発を飲み込みながら、ゾロはサンジの胸を押し返した。サンジは不意打ちにバランスを崩し、ベッド下に転がった。
呆然と見上げるサンジの目が辛くて、見られない。そのまま振りはらって、ゾロは玄関に向かって走った。サンジの指が足に触れたが、気にせず走り去った。
「ゾロ!」
そうして背中に声を置き去りにして、ゾロは部屋を飛び出したのだ。
裏切ったのか、裏切られたのか。そのどちらでもないのか。お互いに自らの非ばかりをみとめ、そのような行動しか取れなかった自分を責めることによって現状を把握する以外、手立てがなかった。
夕暮れの雨のカーテンは、探る手を伸ばす道を容易く遮り、同時に気持ちまでも奪うようだった。
駅に向かって歩く女を見送って、それから足が動かなくなって立ち尽くした。行こうとも戻ろうとも違う、なにか違う意味の言葉が頭の中でわんわん響いていた。太陽は相変わらずゾロの背を焼いている。ゆるゆるとその場にしゃがみこむと、アスファルトからたちのぼる熱が首筋にはりついた。重みにまかせて頭を前に垂れる。
「俺が何したって言うんだくそったれ」
呟いたら情けなさがこみ上げてきた。これではまるで傷ついているみたいだ。相手の言葉も聞かず勝手に解釈して勝手に落ち込んでいる独り善がりな女のようだ。こんな感情を抱かせるサンジを憎く思う。
このままサンジの家に行かずに戻れば、おそらくそれきりだ。終わりだ。ゾロ自身に、その気が起きるとは思えないからだ。
ゾロはしばらくその姿勢のままうずくまっていた。どうすればいいのかわからない。ただじっと、その道の先にあるサンジの家のことを思った。
足が痺れてきた。苦痛を感じて立ちあがる。
一瞬、方向を変えかけた。背中を斜めにして、首だけ捩ってサンジの家の方角を見た。一歩が出ない。ゾロはまたしゃがみ込みそうになりながら、痛む胸に眉根を寄せながら、もう一度向き直り、歩き始めた。
チャイムを鳴らしてしばらく待った。サンジは寝ぼけた声で返事をして「忘れもんか〜?」などと呟きながらドアを開けた。足元からゆっくりと視線を上げてゆき、顔を見て固まった。
「ゾロ……?」
足元に蟠る濃い影の先端がすこし、ドアの中に進入しているのが不快で、ゾロは僅かに目元を歪めた。頭の後ろでは蝉が煩いほど鳴いていた。風のない午後は、淀んだ空気が滞留して厚みを増し、視界が曇る。ゾロは無言でサンジの胸を押した。
「……ごめん」
「何が」
「昨日、なんか、変な態度取っちまって」
サンジは顔を俯け、長い前髪をたらして表情を見せない。声はぶっきらぼうに固く、ゾロは首の後ろを掴んで無理やりにでも顔をあげてやりたく思ったが、一方でそうすることに徒労感を覚えた。
「もうやめてえんじゃねえのかよ」
いかにも投げやりな口調で、ゾロはそう応える。
たった五ヶ月、短い命だったな。まあ、所詮不毛な関係だしムリに修復を試みるよりもここらで一度きれいさっぱり忘れる方が良いんじゃねえの?まわりには綺麗な女もいっぱいいるし。合わねえのをムリに合わすことねえだろ。
そう言おうと思っていたのに、いざとなると言葉が出ない。ゾロは唇を噛み、二度三度と左右に捩った。サンジはぴくりとも動かず、足もとの一点を見つめてゆっくりと口を開く。
「お前、考えねえの?」
「何を」
「あれくらいでもういいのか、お前。ちょっとこじれたら別れて終わりで、それでいいのかよ。そんな程度かよ俺ら」
「お前がそうなんだろうが!」
つい声を荒げた。突然沸騰した感情に、ゾロ自身困惑するが、止まらない。キッチンと居室の間のドアを空けたままそこに立ち尽くすサンジに、気持ちは向かうのに、近づけない。ゾロは俯いて、ベッドに腰を下した。唇が震える。
「わからねえよ、わからねえ。俺にはお前のことなんてちっともわかりゃしねえよ。だから合わねえっていってんじゃねえか」
「そんな合わない男と、たった五ヶ月だって一緒にいられるのかよ、お前が」
サンジの声は訥々として一切の感情が見えない。思えばこういう喋り方をこの男はよくした。やけっぱちなのかと思うくらい、何かを真っ先に諦めているような、そんな。
「全然楽しくなかったかよ、俺といて」
ゾロは顔をあげてサンジを見た。サンジは寂しく笑っていた。そんな顔を、今まで何度見てきただろう。
ゾロは苦しかった。何か言わなければと思うのに、何を言えばいいのかわからない。片手で顔を覆って、するりと撫ぜた。目の前の、小さなテーブルに置かれた灰皿の中に転がる吸殻の数をかぞえ、口を噤んだ。思考は簡単にゾロの手を離れゆき、意識はそれに集中していく。
「好きだよ」
サンジが言った。ゾロはまだ、吸殻を数える。いったい何本吸っているんだこいつは。
「好きなんだよ、なんだって、もうどうでもいいくらい」
「やめろ」
「好きだ」
「やめろって言ってんのがわからねえか。そうやってお前がいつも、うやむやにしちまう。それで俺は考えるのをやめて、どうでも良くなっちまうんだ」
「いいじゃねえか、どうだって」
ゾロは細く長く息を吐き出し、両手で顔を覆って体を前に折った。
「どうでもよくねえだろう。なんなんだよ、あの女は」
自分でも驚くほど情けない声が出た。サンジが息を飲むのがわかった。気持ちはどんどん沈んでいく。言いたくなかったのに、言わずにいられなかった。ゾロはこんなに胸の中に悲しみが広がったことなど今までに経験がなく、たった一言放ったことで、気持ちの中の今まで見えなかった部分が、急に形をあらわし始めたことを自覚した。
「で、電車がないって言うから泊めたんだよ。しょうがねえじゃねえか」
タイミングが悪かった。もう少し早く帰せば良かった。朝早く帰すはずが起きたら昼で、なんだかんだと女は帰ろうとせずそうこうしているうちにあっさり時間はたってしまったのだが、そんなことを今思ってみても後の祭りだ。サンジは怯みそうになりながらも弱々しく言葉を紡ぐ。
「お前が何思ってるか知らねえけど、なんも無えよ。あるわけないだろ、俺は…」
「そんなことはいい。他に好きな女ができたんなら、いつだってそう言ってくれてかまわないんだ」
そこだけは明瞭に言った。この部屋に向かう道すがら、思っていた事のひとつだ。言葉を発すると反対に消え入りそうになる感情が、ゾロを内側から苛む。押し寄せる空気の波に気付いて顔を上げると、サンジの、怒りの感情を露わにした顔が目の前にあった。
「てめえこそ、だろ、それは」
「あ?」
「ビビちゃん送っていって、今帰ってきたんだろう?俺はそれでもいいって言ってるのに、お前はそんな事を言うのかよ」
ゾロは呆れて、サンジを見上げたまま固まった。やはり何かが根本的にすれ違ってしまっている。何をきっかけに、どんなふうにして、ここまで拗れてしまったのかは、もうお互いにわからない。真ん中に横たわっている流木が渦に巻き込まれて翻弄され、反転しながらそこに留まり、二人の間の水流を幾度となく変えるせいで姿がそこにあるのに一向に近づけない、そんな感じだ。
手を伸ばす事に、これほどの勇気が必要だとは。
その流木をつかんだなら、きっと、どちらかの重みに耐えかね、それはあっけなく沈むだろう。
それくらいは、お互いにわかっていた。だから、無駄に足掻いて修復を試みてはみるものの、結局方法が掴みきれず最終的に放置する。いままでずっと、その繰り返しだ。だが、何もしないよりはましだと、サンジは再び口を開く。
「別に疑うとかそういうんじゃなくて、もっと、信じあうとか、そういうことを、俺は」
「本音を言えよ。女の方がいいと思ったこと、ねえか?あるはずだ」
「そんなに、俺と別れたいの?」
「そうじゃねえよ、女の方がいいだろうって言ってんだ。何聞いてやがる」
「そういうあんたはどうなんだ」
サンジの声が刺を含み始めた。それは表情にもあらわれ、ベッドに座るゾロを見下ろす目は怒りを隠そうともしない。
サンジは言いたかった。「寂しい」と、言えたらいいと思った。けれど、この男にそれを言ってみても、まったく伝わらないということもわかっていた。なのに好きだという気持ちだけがどうしようもなく走り、腕の中に抱きこんでも手に入らないものに焦れつづける辛さは、依然膨らみつづけるばかりだ。
「俺の事、なんだと思ってんの?なんでそんなことが言えるんだよ。好きだって言ってるのに、どうして」
そこまで言うと、サンジは背を向けてしゃがみ込んだ。ゾロはその背中をじっと眺める。
「ああもう…なんか、疲れてきたよ、俺ァ」
「……ああ、同感だ」
「お前、俺の事好きじゃねえんだ」
「そうは言ってねえ」
「だって、俺が女の子好きになっても、止めたりしねえんだろ?」
「それが普通だろ」
「違うよバカ。俺は嫌だ」
サンジは前方のテーブルに手を伸ばして煙草を手にし、一本取り出すと火をつけた。ふうっと息とともに煙を吐き出し、やにわに立ちあがると振り向きざま、ゾロの肩を押しながら口づけた。
「んん…っ」
勢いのまま倒れ込んで、ゾロはサンジの胸元を握った。サンジは右手で煙草を持ったままこめかみあたりを弄り、左手でゾロの頭を抱え込むようにして、なおさら深く探る。抑えつけられて苦しくなって、ゾロが顔を背ける様にして離れると、サンジはゾロの首筋に額を押しあて、背を丸めて、絞る様に小さく叫んだ。
「…気付いてよ、気付いてくれ。つらいよ」
そう言われても、「何を」と思ってしまうゾロは、本当にもうだめだと思った。サンジの言っていることがわからない。言葉が通じない。
そう思ったら眼のあたりがじわりと痺れた。歯を食いしばって迸りそうな感情の爆発を飲み込みながら、ゾロはサンジの胸を押し返した。サンジは不意打ちにバランスを崩し、ベッド下に転がった。
呆然と見上げるサンジの目が辛くて、見られない。そのまま振りはらって、ゾロは玄関に向かって走った。サンジの指が足に触れたが、気にせず走り去った。
「ゾロ!」
そうして背中に声を置き去りにして、ゾロは部屋を飛び出したのだ。
裏切ったのか、裏切られたのか。そのどちらでもないのか。お互いに自らの非ばかりをみとめ、そのような行動しか取れなかった自分を責めることによって現状を把握する以外、手立てがなかった。
夕暮れの雨のカーテンは、探る手を伸ばす道を容易く遮り、同時に気持ちまでも奪うようだった。