夕立つ八月 3

 二階に新しく入ったアルバイトの女性はビビといった。ゾロと同じ大学で、つまり、この店の学生バイトの大半と同じということだ。バイトの男連中は皆さりげなく彼女をチェックしているようだったが、二階の貴金属売り場には女性しか配置されないので、休憩室でいっしょになるか、あとは飲み会くらいでしか声をかけるきっかけは無い。
 そんな中、ゾロは一足先にビビとは顔見知りになっていた。年下の彼女をナミがかわいがっていて、昨日、一緒に食事に行くからと、ゾロを誘ったからだ。サンジは休みだった。ゾロが「二階の新人」を知っていたのはそういう理由だ。かわいいからとか、そういった観点で人を見ることを、ゾロはあまりしない。ナミに紹介された時に初めて彼女の存在に気付いたほどだ。
 食事に行った、と、仕事帰りにたちよった居酒屋でサンジに告げた。案の定、サンジは機嫌を損ねた。
「なんで俺を呼ばないの?」
「休みだったろ」
「その時間はもう家にいたんだぜ?電話しようかなとか思うだろ、普通」
「…普通じゃねえし」
 ゾロは大根のサラダをこんもりと取り皿に盛り付けながら言う。
「なに、それ。俺らがってことか?」
「………」
「男同士で惚れた腫れた言って、ナニしてるってのがか?」
 俯いたゾロがゆっくりと視線を逸らす。
「言うな、バカ」
「……ふん…そうかよ」
 サンジもサラダを手元に引き寄せて自分の取り皿に盛った。
「そんなの、最初っから承知の上のことじゃねえかよ。俺はやめねえからな」
「やめるなんて言ってねえよ。勝手に先走るな」
 ゾロはほっけを箸の先で綺麗にほぐしてゆく。箸使いは美しく丁寧だ。反対から、サンジも手を伸ばす。
「けど、他にいたら別に俺じゃなくてもいいんだ、てめえは」
「……あ?」
 売り言葉に買い言葉で、さすがにサンジもこれ以上はヤバイとは思う。けれど、ゾロの言葉にたきつけられた衝動はブレーキを失ってどんどんスピードを増すばかりだ。
「どういう意味だ。俺が冗談でてめえの相手をしているとでも言うのか?」
「……っ…」
 サンジは唇を噛んだ。もう遅い。怒らせた。ゾロは無言で箸を動かし、サンジを見ようとはしない。
「ご…ごめん」
「あやまられてもな。メシがまずくなるから喋るなてめえは」
 さすがにカチンときた。だいたい、ゾロはサンジという存在に対してとことん配慮がないのだ。だから結果、サンジはいつも自信が持てない。つまりそれは、ゾロが、自分を好きなのだという確信のことだ。
 時々は、ゾロもそれをくれる。そういう時の気持ちといったら格別のもので、最上級のチョコレートよりも甘く、幸せ過ぎて、酸欠で具合が悪くなりそうなほどだ。そしてやっかいなのは、ゾロがそういう感情を表してくれるときは、いつの場合においても、まったく無意識だということなのだ。
 だいたいの場合サンジは、ゾロの言動をストレートに受け取らないようにはしている。でなければ常に自分達は喧嘩状態にあるに決まっているし、あからさまにすねて見せたりしている時などは、甘えられているのだと思えもするからだ。
 黙っていたら、そういったことが頭の中を駆け巡って仕方がない。
(俺だって報われたい)
 与えることはまったく自然なことなので苦にはならない。けれど、もう少し返してくれたっていいだろう、仮にも好きあっているのなら。
 辛い。
 これまで幾度も噛み殺してきた感情が、ふいに意識の表面にわきあがってくる。ゾロはそ知らぬ顔で箸を口に運んでいる。サンジはギリ、と歯を強く噛んだ。
 本当に黙ってしまったサンジを、ゾロは訝って見上げる。サンジは表情をなくしたままビールのジョッキを持ってテーブルを見下ろしていた。
 これくらいで本当に黙るなんて、今まであっただろうか。ゾロは急にそんなサンジの様子が気になり始め、やや前屈みの姿勢でサンジを見上げる。
「サンジ?」
 声に反応して、サンジは軽く目を見開く。
「あ、ああ。何?」
「食わねえのか?」
「あ、いや。食うよ」
 そう言って力なく笑顔を見せるサンジに不審を抱きながら、いつものことだとゾロは気にせずそのまま放置した。
 確実に、何か変化が起きようとしていたというのに。



**



 「それで?その日はどうしたの?」
 ナミの家近くにある、三人がよく利用する居酒屋に、ナミとゾロはいた。激しい夕立の後で、店内は妙に活気づいている。雨宿りに入ってそのまま出来あがっているような人々でいっぱいだ。ナミは見渡してふわりと笑う。
 ゾロはこの店の揚げ出しが好きで、来た時には必ず食べる。「これだけはサンジの作るのよりうまい」と、のろけとも気付かずに平然という姿に、ナミは苦笑を禁じえなかったものだ。サンジは傍らで顔を真っ赤にして嬉しがっていた。じきにそれも、サンジの作るものの方が美味いということになったのだが(そこがあの男のすごくてウザいところだとナミは思う)。
 そんな光景は、すぐに瞼の裏に浮かぶ。ところが目の前のゾロにはそれは、もはや遠い過去の出来事ですらあるのかもしれない。
「どうも。メシ食って、別れて、普通に家に帰った」
「そう、おかしいと思ったのに?」
「別に。あいつはもともとおかしいし」
 溜息が出る。サンジはよくもまあ、こんな朴念仁相手に恋愛をしようなどという気になったものだと思ったが、それは違うな、とナミは思いなおした。
(しようと思ってするもんじゃないか…)
 それに、自分だってサンジを笑えたものじゃない。
 実際、ゾロを好きになったサンジを、ナミは呆れながら、一方で評価してもいた。このゾロの、こんなにもいとしく得難い内面の機微をよく見ぬいたものだと感心する。
「おかしいっていうけど、具体的にどこがよ?」
「そりゃ…」
 そこまで言って、ゾロは俯いて口を真一文字に結ぶ。こころなしか頬が赤い。
「なあに?言ってごらんなさいよ」
 ナミが意地悪くかさねて聞いた。「ちゃんとどこがおかしいって思って、そう言うんでしょう?」
「……俺を好きだとか言うところだ。最初からおかしいじゃねえか」
 嫌々、という表情を作って、ゾロははき捨てるように言う。
 好きといわれて嬉しかった自分の事をゾロはあまり考えない。そんな風に全部を預けられているサンジを少し気の毒だとナミは思う。同い年で、それほど中身が大きく違うわけでも無かろうに。
「じゃあ、あのあたり、あんた達がおかしかったのは、気のせいじゃなかったのか」
「おかしかったか?」
「だって、サンジくんが全然あんたにちょっかい出さなかったし。歓迎会のときも一緒にいてもなんだか不自然で、喧嘩でもしたのかと思ってたんだけど、喧嘩じゃなかったなら余計やっかいだわね」
 どうしたもんだか、と、溜息をつきながら頬杖をつくナミを見て、ゾロは苦々しく表情を歪めた。
「待て、別にお前にどうこうしてもらう気はねえ」
「もちろん、余計な事言ったりしたりする気はないわよ、あんた達の問題だものね。で?今こうやって私のところにやってきた直接の原因はなんなのかしら?」
「……」
 ゾロは横を向き、斜めに視線を逸らす。ナミはやんわりと小首を傾げて、待った。
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