音のない夢 8



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 先に剣を抜いたのは俺のほうだった。周囲の誰もが止めるのを無視して、俺はあの男の前に立った。
 真正面からあの目を見ただけで射殺されるような気がした。人をなめきった威圧的な口調と態度。背丈を越える長さの長剣がさらに大きさを増して見える。
 男は剣を抜かなかった。胸に下げていたナイフだけで、俺の剣を全て止めた。そして、俺の出した大技の隙をついて、そのナイフを俺の胸に突き立てた。ナイフの刃は柔らかく肉を裂き、柄のでっぱった部分で少し止まった。男がもう少し力をこめれば、そのまま心臓に届いていただろう。
 一歩も引かない、背中を向けないと、くず折れそうな膝を必死で立たせていた俺を見て、鷹の目はにやりと笑った。
「見事」
 そうして、ようやく抜いた黒刀を俺の胸に振り下ろした。
 そのあとどうなったのかは、今もってよくわからない。
 裏町で顔が売れ始めた俺は、いつの間にかあまり喧嘩を売られなくなった。そうなれば当然稼ぎが減る。それはそれでかまわなかったが、腕を試す機会が減るのは問題だった。そんな頃、その店の存在を噂で知った。
 俺はすぐに店に馴染んだ。わかりやすい空気に、癖のある連中。陽気に笑い合っていたかと思うと次の瞬間には剣を抜いている、いかれた悪人ども。
 そいつらの誰もが、「あいつを見かけても絶対に喧嘩を吹っかけちゃならねえ」と口を揃える。それが鷹の目という男だった。世界一やばい奴だと誰もが言った。
 興味がわいた。どんな男なのかと端から聞いてまわった。手合わせしたという奴は当然居なかったが、中にひとり、剣をふるうのを見た事があるという男がいた。
 そいつは、「あんなやさしい剣は見た事がない」と言った。水も、空気さえも斬っちまうような手つきだったと。
 どうしても見たかった。養父と別れて以来、俺は誰かの剣に教えを請うたことはない。だがその剣を見れば何かつかめるかもしれない。世界一の座に近づくために、出来る事なら剣を交えてみたいと思っていた。
 だから、そのチャンスが来た時、迷ったりはしなかった。
「お前は俺をひとりにするつもりだったのか」
 真っ赤に泣き腫らした目をして、サンジが言った。三日も休んだからもうクビだ、どうしてくれるんだてめえ、責任とりやがれ。目が覚めた途端にまくし立てられ、俺は混乱した。
 生きていた。絶対に死んだと思ったから、その事にまず驚いた。そう言うとサンジはさらに怒って泣き出した。声をあげて。ベッドに顔を伏せて。そんなサンジを見るのは子供の頃以来だった。俺はどうしていいかわからず、ただ困った。
「俺をひとりにするつもりだったのかよ」
 ひとしきり泣いたあと、サンジは再びそう言った。お前には雑貨屋の彼女がいるだろう、ひとりになるわけがない。そう言うと、お前は本当にわかってねえ、と顔を顰めて固いものを飲み込んだようななんともいえない顔つきをして、そっぽを向いた。
「まあいい。とにかく早く治せ。…そろそろこの街も飽きた。お前もそうだろ?」
 結局気紛れかと思いながら、彼女の事はどうするんだと問おうとしたが、俺の体はまだ実際瀕死状態だった。故になんとか発した言葉は気の抜けた炭酸みたいな覚束ないものに成り下がって、サンジの耳には届かなかったようだ。





 宿へ戻る道は案の定さっぱりわからなくなっていた。広場に出られさえすればわかると、俺は大通りに向かってとにかく歩き出した。方向も位置もまるでわからなかったから、向かっているつもりでも実際はどうだか知らない。おまけに相変わらずの人ごみだ。なんだってこんなに人が多いんだろう。俺は手近な男を捕まえて道を聞いた。逆方向だと教えられて、また方向を変える。逆ってのはどっちだ。どっちが前でどっちが後ろなんだ。
 どんどん歩くうち、人の波が途切れてぽっかりと空いた場所が見えた。大きな二階建ての建物があって、そこはその前庭らしかった。俺はそこへ入り、木の下のベンチに腰を下ろした。
 緑がさやさやと揺れ、黒い影が足元で揺れた。甲高い笑い声とともに、建物の中から子供が駆足で出てくるのが見えて、ああ学校なのかと思った。俺はその子供らの足が奇跡のように軽やかに跳ねるのを眺めた。のどかだった。オアシスの盗賊も、黒い刀の男も、別世界の事みたいだ。俺は背もたれに体を預け、上向いて目を閉じた。
 サンジのことが気にかかった。俺がいなくて、あいつは今ひとりだ。泣いてやしないだろうか。それとももうあの頃とは違うと笑うだろうか。どっちも想像できるだけに、いつもその手前で俺の足は竦む。サンジがどう言えば、俺はこの考えにけりをつける事が出来るっていうんだろう。
 結局俺は、いつかあいつが俺を必要としなくなるのを恐れているだけなのかもしれない。サンジがもう、お前とは行かない、ここで暮らすと、そう言いだすのを。それを聞きたくないがために、先に置いて行こうとしているのかもしれない。それを認めてしまうのは正直、きつい。
 明るい瞼の向こうで影がちらついている。こんなに強い日差しの下で、俺の心は冷たくかたまっている。
 不意に気配を感じて目を開けると、子供が数人、俺の顔を覗きこむように立っていた。
「あ、しんでない!」
「日に当たりすぎるとしぬんだよ!だめだよねたら」
 死ぬだと?瞬くと明暗がくっきりしすぎて目が眩む。そんな俺の顔を見て子供達がまた笑った。うふふふ、と複数の笑い声がする。やっと目が慣れてきたので周囲を見回した。子供達はきゃーと高く叫んで、方々へ散っていく。
「なんだってんだ…お」
 ひとり残っている子供がいる。男の子供だ。年は十歳になるかならないかというところか。
「丁度いい。お前、大通りにはどうやって出るのか教えてくれ」
 子供はじっと俺の刀を見つめている。興味があるんだろうか。
「剣が好きか?」
 訊ねると、こくんと頷いた。この年頃ならそうだろう。俺が親父から和道を貰ったのは九つの時だった。
 俺は腰からはずして鞘ごと握らせてやった。子供の手にはずっしり重いはずだ。目を丸くして口許だけでかすかに笑っている。
「さっきも剣を持ってる人がいたよ」
「あ?」
「大きな剣を背中に掛けてた。学校の前を歩いていったんだ。触ってみたかったけど、怖くて近くに行けなかった」
 俺は子供から刀を受け取ると、その指差した方角に向かって走り出した。
 すぐにまた人通りが多くなる。俺はきょろきょろとあたりに目を配りながら走った。
 それは本当に同じ場所に立っている姿だったんだろうか。黒い羽のついた帽子に黒い襟、背中の十字の黒刀。まったく異質だった。周囲の人垣など全く意に解さない様子で、流れるように隙間をぬって進んでいく。俺は必死でその背中を追ったが、距離は一向に縮まらない。幻がすり抜けていくみたいだ。
「ミホーク!」
 ついには名前を呼んでみたが反応はない。だがあの剣は本物だ。この俺が見間違うはずはない。周りの景色が色をなくして、ミホークの纏う黒だけがくっきりと浮かび上がってくる。俺と奴の間には、真っ直ぐ走ればおそらく十数秒の距離しかなかった。だがその距離が異様に遠かった。それはそのまま、俺とあの黒刀の男との距離なのだと思った。声も届かないほど。あれから三年がたったのに、俺はまだ何も変わっていない。
 足が止まった。真昼の太陽に影が縫い付けられたように、俺はその場から動けなくなった。流れる汗が薄いシャツを濡らした。
 俺はついに、ひとつの決心を己に強いた。たちのぼる陽炎に揺らめく石畳の上。太陽はまだ真上にあった。
 夜、俺は宿屋に向かい、その考えを頭領に話した。
「何いってやがる小僧、無茶言うんじゃねえ。そんな話に頷けるわけがないだろうが」
 予想通りの反応だ。俺はひるまず、冷静に言葉を続けた。
「残りの金はいい。ただラクダと、水と食糧を貰いたい。そうすれば面倒はないだろう?折角商売がうまくいったんだ。あとはこの提案に頷くだけでいい。それであんたの仕事はほとんど終りだ」
 頭領は顎に手を当てて思案顔だ。損得勘定の顔になっている。そうだ。それでいい。俺は賭けに勝ったことを確信した。
「わかった。だが金は払うぞ。それじゃあ俺の男が廃る」
 渡された残り半分の額の金を受け取り、それまでの礼を言うと、頭領はまるで今生の別れとでもいうように、俺の手をぎゅっと握ってきた。大袈裟だ。だが、そこがこの頭領のいいところだ。親分肌で人がいい。そして周りの連中も良いやつらばかりだった。とてもいいキャラバンだった。俺はサンジ以外の人間と数日旅をするなんて事は当然初めてのことだったんだ。あんた達に混ぜてもらえてラッキーだった。これは本当にそう思ったので、思ったまま口にすると、頭領は目頭を熱くしている様子だった。有難うともう一度告げて、俺は宿屋を後にした。
 あとは水と食糧。そしてラクダだ。砂漠の入り口で待っていると、指定された時間にきっちり、キャラバンで最初にラクダを渡してくれた男が現れた。
「聞いたよ。よくそんな事を言ったもんだね」
「その方が面倒がなくていいからな」
「奴らが何人いるかわかってんのかい?無茶だ」
 男は不服そうにそう言いながら手を動かしていた。俺はラクダに荷をくくりつけ、綱を受け取る。前方に広がる砂漠には遮るものなど何ひとつない。
「……雑魚が何人いたって同じだ」
 自然と低くなった自分の声を聞いて、腹と背がぶるりと震えるのを感じた。思い切り刀を振るう事への渇望。痛いくらいに胸に刺さる。
「気をつけて」
 ラクダにまたがった背中にひとつ声を受けて、俺は片手を上げてそれに答えた。
 ひとりで砂漠を行けるのか考えたが、どうにかするしかない。星の方角に町がある。それだけはわかっていた。あとはラクダ次第だ。砂漠の中で数キロ先の水の匂いをかぎ分けるラクダ。お前が頼りだ。その背をぽんぽんと叩く。
 最初のオアシスは星よりも少し右を一日。次は星を斜め右に見ながら二日。ラクダを用意した男がやや不安げな顔で教えてくれた。失礼なやつだ。南のオアシスは遠くから見ただけだが、おそらくそこに行く前に結果が出るはずだ。俺はある可能性について考えていた。
 キャラバンの出発は念のために三日遅らせてくれと頼んである。それまでなら最初の予定内だと頭領が頷いてくれた。三日では本来なら短い。だが、おそらく連中はキャラバンの帰りの日を逆算して、二つ目のオアシスを過ぎて、最初のオアシス近くまで来ているはずだ。そこが俺の狙いだった。
 砂漠の中にひとりでいると妙に頭の中が透明になってすっきりしてくる。月がでかい。砂漠には俺とラクダの影以外動くものがない。時々風が流れて、枯れ枝のような低い樹木に砂を絡ませる音がする。
 結局、何も変わらないのかもしれない。そう思ったら妙に晴れやかな気持ちになった。とにかく今は早く暴れたい。
 そういえば連中はあの、どこぞの小さい村のおかみの旦那を酷え目に合わせたんだった。こいつも、倍以上にして返してやる必要がある。
 昼過ぎには一つ目のオアシスに着いた。他のキャラバンの姿はない。すぐにでも出発したかったが、ラクダを休ませなければならない。半日仮眠を取り、夜になって出発した。月が照らすから、周囲は明るくよく見えた。
 前方に大きな砂丘が現れる。その手前は全くの暗闇だ。この山は越えずに緩やかな場所を探して回り込むべきだろう。俺は慎重にあたりの気配を探った。
 案外早かった。
 唇をなめて湿らせ、首に巻いた布で口を覆い、結びなおした。余った布は服の中にたくし込む。
 月に雲がかかり、視界が一瞬黒く染まる。砂が動く音がした。
 俺はゆっくりと刀に手を掛けた――――
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