音のない夢 7
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最初のオアシスを後にして丸二日が過ぎ、俺達は次のオアシスに辿り着いた。
キャンプの火を囲みながら荷を解き、ラクダに座りつづけて固まった筋肉を解すように伸びをする。大所帯なので逆にあまり喋る必要もなく、話し掛けられるたびに二言、三言答えて、あとは黙って黙々と飯を食べた。塩漬け肉を煮て、小麦を加工した粉にかけて食べる。腹は膨れるが、あまり美味くはない。サンジなら、と思う。あいつは砂漠でも美味く料理をしていたんだなと、俺はこんな事でもなければ生まれないだろう感慨に耽った。
夜中にたてば明日の夕方には町に着く。徒歩とはえらい違いだ。
「この分ならおめえの出番は無くてすみそうだな」
「それならそれで良かったじゃねえか」
「まあそうだ」
頭領はずず、とスープを啜りながらまだ薄く明るみの残る西の空を見つめている。
何もないならそれでいいが、役割は最後まできっちり果たしたい。俺は食事を済ませるとすぐに松明を持って哨戒に立った。すぐにキャラバンの中のひとりが俺のあとにくっついてきた。
今いる場所から南の位置。ここからだと三日はかかる場所だ。いるなら近くまで来ているだろう。気付いていないはずはない。
(帰り狙いかも知れねえな…わからないが)
サンジがいたら、と思って、俺はあわてて頭を振って思考を四散させた。
こういう考えを話すのにあいつほどの適役はいない。俺の見ていない事をあいつは良く見ているし、その逆もある。旅を続ける中で補い合いながら培ってきたものが、俺達の間には確実に存在する。
サンジは朝になって俺のいないのに気付いて、どうしただろう。何を思っただろうか。俺は何も言葉を残してこなかった。どうしてか、しないほうが良いような気がしたからだ。
二人で旅を始めてからこんなに何日も離れた事はない。離れてみればそれはそれでやっていけるもんだとも思ったが、それはおそらく、サンジがあの港町で、あのレストランでコックをやっている事を知っているからだ。あの薄暗い涼しい石の家で、あいつはひとりでもちゃんとメシを作って食っているんだろうか。勝手に消えた事を怒っているだろうか。それとも、鬱陶しい奴がいなくなったとせいせいしているかもしれない。俺もある部分では、自由とも呼べるこのさっぱりとした開放感を歓迎し、浸っている。サンジのことを気にかけなくてもよい、誰の言葉に耳を傾けなくとも良い、そういう空気の中にいて、初めて味わえた感覚だった。
この方がいいんだろうか。
ひとりで旅をする。賞金稼ぎをしながら。時にはこうやって護衛の真似事でもいい。剣で食っていけるなら、それで。
そしてそこにサンジはいない。サンジにはそんな暮らしは似合わない。あいつはどこかに根を下ろして、コックをやればいい。あいつの料理を食いたがる奴はたくさんいるだろう。俺ひとりがそれを堪能出来るなんて、もったいない事だ。
賞金稼ぎ。結局俺はそれを生業にする事になるんだろうか。日の落ちきった西の空を眺めながら左胸に手を当てた。胸の大傷。ここから始まって右腰へと流れる、引き攣れた醜い傷痕。俺の幼さへの決別の証。この傷をつけた黒い刀の男は、今も何処かの国で、静かに暇を持て余しているに違いない。
周囲をひととおり回って、俺は火のところへ戻った。まだ起きて酒を飲んでいる者も中にはいたが、ほとんどがすでに眠りについていた。俺について回っていた男も同時に戻り、テントを枕代わりに、すぐにマントをかぶって眠ってしまった。
砂漠に入ってから俺は大分寝不足気味だったが、町に着くまでは仕方がない。町に着けば帰りまでの三日あまり、存分に寝て過ごせるだろう。火に薪をくべ、マントを肩にかける。
暗くなってひとりで起きていると、どうしてもサンジのことを考える。
俺はいったいどうするつもりでいるのか。それはまだ掴めていなかった。この短い旅で何が変わるとも思えない。
戻るのか、戻らないのか、それすらもはっきりとわからない。自分の事だってのに何てまったくなんてザマだろう。
旅の始まりからずっと、同じことばかり考えてきた気がする。
□
道で会ったのは偶然だった。城に向かうのぼりの坂道はいくつもの枝道を飲み込む大通りだ。逃げ惑う人々でごった返していて、目当ての人間を見つけるなど不可能だったはずだし、一度はぐれたら二度と会えないような有様だった。
俺達が会えたのは偶然だったのだが、実際はそうとも言い切れない。城からの親父の使いが、俺にサンジの家に行くようにと伝えたのだ。だから俺は訳がわからなくなりながらも、サンジと一緒に避難すればいいのだと思って、刀を三本持っただけの姿で人波とは逆の方向へ、大通りを走っていた。
会った時、サンジは今にも泣きだしそうな顔をしていた。養父であるコックのゼフと一緒に城の方角を目指して、必死に手足を動かしていた。だが、サンジが実際に目指していた場所は城じゃあなかった。
「なんでだ!なんで俺達だけ逃げなきゃならねえ!」
榛の丘に向かう急坂で、積もったばかりの雪に足をとられながら、俺は何度もサンジに悪態をついた。丘を登り始めた時点でそうする以外無いんだと理解してはいたが、言わずにいられなかった。サンジは黙って俺の背を押した。俺達は時折振り返り、炎に飲み込まれてゆく城下の町並みを、黙って見つめた。
俺はあの丘に井戸があるなんてそれまで全然知らなかった。サンジと何度も登っていた丘だ。だがサンジはほんのガキの頃からそれについて一言も漏らした事は無かった。ましてやゼフが海賊だったなど、当然初耳だった。
海賊時代に得た宝の半分くらいは、城下での暮らしを整えるのに使ったらしい。だが残りを、ゼフはここに隠していた。もし何か事が起きても身ひとつでいつでも消えられると海賊時代を思わせる悪い顔で笑っていたそうだ。
「実際使うことになるなんてあのジジイは思ってなかっただろうと思うぜ」
俺もそう思った。杭に引っ掛けたロープを二人で手繰りよせ、引っ張りあげる。そうして、いずれサンジに残すつもりだったに違いない。掌が擦れて痛かった。宝を包んだ皮袋は水を含んで重くなっている。たまには様子を見に来てたのか、と問うと、だいたい春に、ジジイとな、と答えが返ってきた。春、雪が解けた頃。俺はなるほどと思った。春なら山菜を取りがてら二人で山を登っても全然不思議じゃない。秋になれば実を拾いに来る者がそこそこいるが、春はそうでもなかった。
中身を見ても、その価値は俺にはよくわからなかった。袋に入った金貨や宝石。持ち出しやすいように、ゼフはそういったものに宝を全て替えていた。
山を越えると次の山が聳える。だが山越えは困難な割に安易すぎる。サンジはゼフが示唆したルートについて考えているようだった。山を下りたあと適当な農家に金をつかませて馬車を手に入れ、御者を雇い、川沿いに南下するという方法だ。隣国の兵はおそらく城を落として以降、進軍をとめるだろうという判断からだった。
子供の二人連れに徒歩は目立つし、馬で長距離を行くのは困難だ。名も金も惜しむな、命を惜しめ。ゼフはサンジにそう言った。それが正しいのだと植え付けた。だがサンジはそれを、「俺の命を惜しむ」という事にいつの間にか変換していたように思う。その頃の俺には、そこまでは気づく事は出来なかったが。
なんとか馬車を確保し、俺達が国境を越えたのは丘に登ってから三日目の夜のことだった。がらがらと安定の悪い馬車に揺られながら最後に見た国の景色を、俺は忘れた事は無い。樅の木の頭上に浮かんだ丸い月は全てを等しく照らしていた。富めるものも貧しいものも、逃げるものも追うものも。
□
夜中に全員が起きて荷をまとめ、キャラバンはオアシスを出発した。そうして町についたのは翌日の夕方近くになっていた。
「ごくろうさん。出発まではゆっくり休んでくれ」
そう言って、頭領は約束の金の半分を渡してくれた。
サンジと離れて町で過ごすというのも当然初めてだ。砂漠の向こうの港町ほど大きくは無いが、ここも港町を繋ぐ陸路の中継地として栄えている。俺は繁華街の一角に適当な宿を見つけて部屋を取ると、すぐにベッドに倒れこんだ。
目覚めると翌日の昼もとうに過ぎた時間だった。カーテンも閉めないままだったので窓から入る直射日光をまともに受けて暑さで目覚めたのだったが、それがなければおそらく夜まで寝ていただろう。
腹がへっていたので、シャワーを浴びて、適当な店を探して街に出た。
一度訪れているからどことなく見覚えがあるような気がする。そう言えばサンジはきっと嘘をつくなと声を荒げるだろう。にやりと笑いつつ、一抹の寂しさを覚える。
空を仰ぐ。石畳の町に降り注ぐ真っ白な太陽の光。通りに落ちる建物の影はくっきりと黒い。午後の日差しにゆらめく路面から上がってくる熱で胸や顎のあたりに汗が浮いてくる。
真っ直ぐ進むと広場に突き当たった。高めの建物に囲まれていて、中央には滾々と水をたたえる噴水がある。ここはさすがに見覚えがあった。俺は右手に周り、青い看板を見つけてそこのドアをくぐった。ここの羊料理をサンジが褒めていたのを思い出したのだった。
店はそこそこ混み合っていた。テーブルについて料理と酒を頼む。食事はこれといって特筆するほどの味ではないような気がした。
店を出て、通り沿いの市場を冷やかしてみたものの、たいして興味を引くものも無い。酒屋を見つけたので入って、適当に二本選び、それをぶら下げながら宿に戻った。広場から一本道の宿を選んだのは正解だったと思う。
部屋に入り、ベッドに転がる。鍛錬をしなければと頭では思っていたが体は泥のように重く、買って来た酒を寝転がって飲みながら、その夜もいつの間にか眠ってしまった。
翌日も同じように過ごした。眠っているとメシを食う回数が減るので、起きた時はいつもすきっ腹をかかえて動く羽目になる。
今日は帰りにパンとチーズを買って帰ろうと思いながら、昨日の店に再び向かった。
広場に出たところで、キャラバンで知り合った船員二人と偶然鉢合わせた。
「お、ゾロ。今から飯か」
「ああ」
一緒にどうだ、というので頷いた。ひとりで過ごすのに飽きてきていたので丁度良かった。
「盗賊の話、あちこちで聞くぜ」
「ああ、今月に入って隊商が三つもやられてるらしい。どれも、この町から戻る途中だ。つまり…」
「復路の方があぶねえってことか」
それは俺も考えていた事だった。なんとなく胸の芯がピリッとする。ちょっとぼんやりしている自覚があったので、気が引き締まった。
羊のシチューを食べながら、商用はどんな様子かと尋ねてみる。頭領はいきいきとして、商談を次から次へ精力的にこなしているらしい。
「帰りはまた荷が増えるぜ。運び屋を雇わなきゃいけないかも知れねえよ」
仕事がうまくいっていることが嬉しいらしく、二人とも良く食べ、笑った。
二人とは店の前で別れた。帰りがけに再び市場に寄って、パンとチーズと、皮のまま食べられる果物を買った。そのまま商店をいくつか冷やかす。土産物屋、ガラスや銀食器を扱う店、古着、革製品、カラフルな軒先を次々見ていくうちに、俺はどの店でもあるものに目が行く事を自覚せざるを得なかった。そして、迷いながらそれを買った。どうするかはあとで考えればいい。宿に戻り、それを荷の中に収めた。そして酒を飲み、その晩も早めに休んだ。
翌日は少し早めに起き、買っておいたパンとチーズと果物の朝飯を食べ、鍛錬をした。宿の狭い部屋で出来る事などタカが知れているが、久々に汗をかいてスッキリした。
シャワーを浴び、宿を出た。昼飯の時間だ。ひとりになって急に気付くのだが、飯のことを考えるってのは案外面倒なもんだ。あいつはこんな事を四六時中考えているのか。よくわからねえ。せっかくだから違う店に行こうと、広場とは反対の方向に進み、細い路地をいくつか曲がったら、もうどこにいるのかよくわからなくなった。いつもの事だし気にはならない。眠るまでに宿に戻れれば問題は無いので、俺は良さそうな店を探してそのまま歩きつづけた。
路地は入り組んでいて迷路のようだ。時折現れる階段がさらに迷宮度を深めている。そして道は人で溢れている。肩をぶつけたりぶつけられたりしながら、俺はさらに奥へと進む。あちこちから漂ってくる匂いに気を引かれ、やがて一軒の店の前に立った。
店は割に広かったが、入る隙も無いほど混んでいた。ドア正面に一直線にカウンターがあり、手前にテーブル席が十ほどもあるだろうか。俺はカウンターの右寄りあたりに空いているところを見つけ、そこに座った。右隣には白髪のじいさん、左には太った大男がそれぞれ飯をかきこんでいた。
注文を済ませて料理を待つ間、店の中をなんとなく眺めていると、隣のじいさんが声をかけてきた。
「剣士か」
刀への視線を確認して頷いた。
「刀使いか。珍しいの」
「詳しいのか」
「それほどでもないが。剣が好きなんじゃよ。ありゃあいい」
「このじいさん、町じゃ剣のコレクターでけっこう有名なんだ、気をつけろよ兄ちゃん」
カウンターの中から店主が声をかけてくる。丁度酒が運ばれてきたので、俺は礼を言って受け取りながら、「へえ」と返した。
「剣が好きなのか」
「おお。お前さんのその刀の銘もわかる」
そう言って、じいさんは俺の白い刀を指差した。俺が親父から貰った刀だ。もともとは親父が若い頃に、王の母君から戴いたと聞いていた。
「和道一文字のことか」
「さよう。本物だな。たいしたもんだ」
じいさんは手元の酒をずず、と口に含む。
「先だって見た、あれも素晴らしかったがの」
「あれ?」
聞き返すと、じいさんは嬉しそうににまりと笑った。まんまと乗せられてしまったらしい。店主が手を伸ばして俺の前に料理を盛った皿を置いた。苦笑交じりだ。俺も同じような顔で笑い返す。
「あれと言ったら世界最強の剣だよ。十字の黒刀といったらお前さんも聞いた事くらいはあるだろう。この町に来たのをわしは見た」
生い先短そうなじいさんにとっては、それはおそらく一世一代の華やかな光景だった事だろう。世界一といわれるものを目にする興奮。それは俺にも理解できた。なぜなら、一度は同じ興奮を味わっている。
「鷹の目か」
「さすがだな。そうだよ。あの男だ。一度消えたんだが、また二日ほど前に見かけた。今もまだこの町におるかもしれんな」
その言葉には正直、頭蓋を打ち砕かれたみたいな衝撃を覚えた。
「なんだと?」
俺の声の調子が変わったのに気付いたのか、じいさんはわずかに怯むようなそぶりを見せた。店主が慌てたように俺に言う。すまんな、このじいさんいつもこうなんだよ、適当に流してやって。俺は目をそらさずに、じいさんの返事を待った。