音のない夢 4



   □


 昼飯が終わると一気に睡魔が襲ってくる。ここで一眠りするとそのまま午後を棒に振りかねないということはわかっていたので、こらえた。片づけをすませて、家の戸締りをして、出かける。
 目指す先は港だった。昼になって出かけていっても、港に行けば何かしら仕事はある。でかい港だから船はひっきりなしに出たり入ったりする。大きいのから小さいのまで様々だ。そこから砂漠へ入るものや、別の船に荷を積み替えるものや、そういうのを相手に荷物を運ぶ仕事ならいくらだってあった。
 この町に腰を落ち着けてもう三週間が過ぎている。あてに出来ない賞金のことなど、考えても仕方がなかった。
 港は相変わらず人でごった返している。丁度南方からの商船が入港したところだった。紹介所に向かうと、逆に俺の姿を見つけた係の男が声をかけてきた。
「おうゾロ!いい仕事があるぜ。荷運びだ」
 ここの連中とは何度も足を運ぶうちにすっかり顔見知りになっている。常駐が三人いて、船が着くたびに押し寄せる人波をあっちこっちへうまい具合にさばいている。何人もの人の話を一度に聞いているみたいで実に鮮やかだ。
「荷運びに良いも悪いもあるかよ。つうかそれしかねえだろうが」
 どれだ、と俺はカウンターに手をついて身を乗り出し、そいつの手元にある募集案内を覗き込んだ。
「今来た船だ。港に下ろした荷を振り分ける手伝いが欲しいそうだ」
 男が斜め正面を指差しながらそう言った。
「承知した」
 俺はその紙を机から取り上げると、繋留された船に向かった。
 仕事は簡単だった。言われたように荷を運び、下ろすだけの単純な作業。一時間ばかりで全部終え、サインを貰いに行くと、早いと喜ばれ、チップを貰った。サインを持って紹介所に戻り、それを渡すと賃金に引き換えてもらえる。チップは賃金と同額だった。船頭は随分はずんでくれたようだ。俺は金をポケットに入れて、町に向かった。
 町には船員達が羽を伸ばすための安い酒場がたくさんあった。土地柄、昼間から酒を飲ませる店も多く、飲んでいても誰も何も言わない。その点が俺にとってはすこぶる良い町といえた。
 酒を覚えたのは旅に出てすぐだった。例えば幾日も野宿しなければならない時、山を越えなければならない時、水代わりに飲むうちに、自然と平気になった。体質だろうが、サンジはだめだ。量を超えると体中真っ赤にして眠ってしまう。あいつは悔しがるが、俺はそのほうがいいと思っている。
 大通り沿いの何度か入ったことのある店を覗くと、予想通り入港した船員達で賑わっていた。まだ夕方と言うにも少し早い時間だというのに、大声で笑いながら酒を煽る連中がたむろしていた。その顔を見れば久々の陸なのだろうと想像がつく。
 俺はカウンターの端の席に腰を落ちつけて、エールと、つまみをいくつか頼んだ。
 サンジがレストランでの仕事を終えて戻ってくれば夜十時を過ぎる。それから俺の晩飯の用意をする。一度、外で適当に済ませるからと言ってみたが、不経済だのひとことで、俺の提案は泡と消えた。旅費をためないといつここを発てるかわからねえだろ、と続いた言葉に、ああ俺たちはまだ旅の途中なのだと、変に感心したりもした。
 だから俺も、少ない稼ぎではあるが、少しは旅費の足しにしなければならないので、こうして酒場で飲むのもほどほどですませている(と言ってもお前のどこがほどほどなんだと、サンジはいつも言う)。
「よう兄ちゃん、ひとりかい?」
 日と酒で焼けた赤い鼻を突き出して、男が隣に座ってきた。酒が入って相当ごきげんだ。笑いがこみあげたが、ヘンに反応して興味をもたれても面倒なので、ああ、と軽い相槌で応じた。
「いい若いもんが昼間っからそりゃいけねえよ。おい、お前ら、そこらへんでいい女引っ掛けて来い。この男前の兄ちゃんにサービスだ」
 後ろに立っている何人かの若い連中を男はそうけしかけた。人をだしに使ってんじゃねえ。俺は無視して、店の親父が出してきた薄く切って焼いたパンと豆、ソーセージをフォークでつつく。
「砂漠に入ったら酒も女もまたお預けだ。今のうちだぜ」
 男はがははと腹を揺すった。
 砂漠へ入る…。その言葉に、俺はもやもやとした感覚を覚える。なんだろう。エールを口に含んで飲み込みながら、じっとテーブルを見つめる。
「砂漠…」
「おう。荷を積んでラクダでな。ここの市の仲買よりももっと良い品を手に入れるルートがあってよ、何人か引っ張って出かける予定だ。明日の朝一番に出る」
「へえ」
「おめえ、どうやら見たとこ、使えるだろ」
 そう言って、ぺろんと唇をなめ、右手をあげて振り下ろすような真似をした。口の周りに生えたごわついた髭がかさりと音を立てた。何でわかるんだ。刀は家に置いてきた。手を見たのか。それでわかるものなのか。
「わからねえって顔してるな。おりゃあな、世界中の海を旅してきたからな。腕の程はともかく、使えるか使えないかくらいはまあ、わかる」
 赤黒く皺の刻まれた顔から年令は想像しにくい。だが、もしかしたら持っている雰囲気のそれよりは年がいっているのかもしれない。疑問が顔に出たのか、男はにっと笑い、おめえくらいの孫がいたって不思議じゃない年だ、と言った。たいしたもんだと俺は思った。
 この様子なら南のオアシスにいる盗賊の事も知っているのだろう。知った上で行く気だ。盗賊が現れてから、向こう側の町の荷はこの町の市場じゃあ相当値が上がっているらしい。内容は知らないが、サンジがそう言っていたから、おそらく食材関係なのだろう。
 俺は黙って男を見返した。男はおもしろいものを見るように目を丸くして、言った。
「おめえ、護衛でついて来ないか。金ならはずむ。往復で十日ちょい。長くても二週間てとこだ。港で仕事をするよりゃ稼げるぜ」
 断るはずがないと確信を抱いている顔だった。俺は黙っていたが、即答を避けただけで、ほぼ腹は決まっていた。
 そのまま男のおごりで酒を飲んで家に帰ると、サンジがすでに帰ってきていた。思ったよりのんびりしていたのに今更気付く。
「おかえり。どこ行ってた」
「ああ。町で飲んでた」
「んな金あったか」
 何があったのか、テーブルの上で手を組んで座っているサンジの姿は、いつもよりどんよりと暗い感じだ。俺は嫌な予感がしたので、それには答えず、バスルームに向かった。
「ゾロ」
 ドアのところに立って、サンジが中を覗いている。俺は手と顔を洗って、しぶしぶサンジを振り返った。
「酒場で会ったおっさんに酒とメシ、奢ってもらった」
「……へえ…」
 そういえばこの町に来て、こいつの帰りを見届けなかったのは初めてのことだ。俺はサンジを押しのけてリビングに戻った。さっきは気付かなかったが、魚のだしのいい匂いがしている。俺はキッチンに駆け寄って、火の消えたストーブにかかったままの鍋の蓋を開けた。ひとり分残した魚と野菜の料理。名前はわからないが、パスタにかけたりパンに浸したりして食べると美味い故郷の料理で、俺の好物だ。
「…悪い」
「いい」
 食い物を粗末にする事をサンジは一番嫌う。それがわかっているから俺は謝った。サンジに謝ったのではなく、無駄になった食い物に対してだ。
 サンジの気分に付き合う気はなかった。
 面倒くさい、と思った。なぜかはわからない。今までこんなふうに思った事はなかった。
 サンジは何も言わず魚を皿にあけて冷蔵庫にしまった。すぐに食べないと味が落ちるから本来は嫌う行為だ。あれはきっと明日の朝に自分で食べるつもりだろう。腹の底がじわりと熱くなった。俺はそのまま振り返らず、バスルームにこもった。サンジが階段をのぼっていく足音が聞こえた。


   □


 あのでかい街は、俺達が初めて部屋を借りて住んだ街だった。あんまりでかい街だったから、俺たちの入り込むところくらい、どこにだってあるような気がした。
 それまで俺達は、世界中に居場所がないと思っていた。行くあても帰る家もなく、ただ二人で存在している事実があるばかり。
 俺には「大剣豪になる」というガキの頃からの野望があった。全てをなくしたが、それだけはまだ、自分のものだった。サンジは、「オールブルー」という伝説の海を見たいと言っていた。俺達に行くあてがあるとしたら、その夢の行き着く場所だけだった。
 結局あの晩、サンジにどんな事があったのか、正確なところを俺は知らない。ただその日を境にあいつは変わった。妙に明るく、大人に対して以前に増して如才なく振る舞うようになり、それがどんどんうまい方に転がって、サンジは初めてレストランで職を得たのだった。でかい街だったこともあるが、それはサンジの実力だったろう。
 俺は嬉しかった。あいつが本当に喜んでいる事がわかったし、ずっと旅をしていたから、地に足をつけた生活への憧れがどこかにあったからだと思う。
 だが俺は、サンジが本当に望んでるものがなんだったのか、その時はまったく気付いていなかった。
 部屋には仕切りがなく、ドアを開けたらすぐにキッチンとテーブル、そして衝立の向こうにベッドがあるだけの、狭くて古いアパートだった。二人で暮らすには窮屈だったはずだが、そんなことは全く気にならなかった。
 サンジが仕事に出ている間に、俺はいい遊びを見つけた。都会ならではの遊びだ。今ならガキが馬鹿なことをと思うが、当時それをわかっていたとしても多分、俺は同じ事をするだろう。問題ない。
 刀を三本とも下げて街をうろつくだけでよかった。勝手に獲物がかかってくる。軽く腕鳴らしのつもりで相手になった。ほとんどたいした事のない使い手だった。俺は、もっと強い相手とやりたかった。剣で戦いたかった。
 サンジはどんどん仕事に馴染んでいった。夜は帰りが遅くなり、その頃のサンジはあまりうるさく咎めなかったので、俺は自然と、晩飯は外の酒場で済ますようになった。金はなぜか常にあった。戦った相手が置いて行くのだ。まるでそれが暗黙のルールみたいだった。飲み代に不自由しないということがわかって、俺のそれはどんどんエスカレートした。見てくれはまだほんのガキだったと思うが、特に咎められた覚えもない。
 そんなふうにして次第にサンジと過ごす時間が減っていった。それは自然な事だった。俺はそうやって得た金の半分はサンジに渡していたが、サンジは、少しこらえるように唇をきつく結んで、しかしどうやって得た金かと問う事はしなかった。
 アパートに暮らし始めて一ヶ月が過ぎた頃、初めて休みがもらえたと、サンジが珍しく嬉しそうな顔をして鼻歌交じりに帰ってきた。俺はベッドに転がって雨の窓を眺めていた。夜、真っ暗な外側で、音だけがしている。サンジは靴を引っ掛けたままどたどたとバスルームに向かった。俺は寝転びながらその姿を目で追った。
「店のやつにさ、面白いっていう芝居小屋教えてもらったんだ。行ってみねえ?」
 俺は頷いた。サンジと過ごすのが久々だと思うと楽しいような気がした。毎日顔を見ていて、それで改めてそんなふうに思うのが不思議だったが、本心だった。
 次の日は早めに起きた。雨はやんでいたが空はどんよりと曇っていた。芝居を見ながら食べようと、サンジが弁当を作った。サンドイッチとチキン。包みをバッグにしまって、ふたりで出かけた。
「俺さー、実はさー今さー」
 芝居小屋を出て、大通りに並ぶ商店を冷やかしながら歩いている時、サンジがふいに話し始めた。
「いいなーと思ってる子がいてさ。店の前にある雑貨屋で働いてる子なんだ。黒髪がきれいで、黒くて丸い目もかわいい。ちょっと前歯が大きくて、笑うとそれもかわいいんだよなー」
 またか、と俺は思った。サンジが訪れた町でそういう事を言い出すのは初めてじゃない。いつもの事だと思い、へえ良かったな、と答えた。サンジは黙っている。
「うまくいきそうなのか」
「んー。まあたぶん。彼女、俺の顔見るとちょっと赤くなんだぜ?」
 そう言って自信ありげににやりと笑った。俺は、夜中にひとりで宿に戻ってきた、あの日のサンジのことを思い出していた。
「いいんじゃねえの」
「……うん。だよな。そうだよな」
 そう言って俯き、溜息をつくと、煙草を取り出して火をつけた。
「お前は?」
「あ?」
「お前はさ、何してんだよ、最近」
 いっつも、帰り遅くてもなんも言ってくれねえし、とサンジは言葉を濁らせながら、不満そうに俺を振り返る。気にしてはいたのか、一応。なんとなく新鮮な気持ちで、とりあえず、おう、と言った。
「おうじゃなくて」
「…ああ」
「だから!」
 その目に溢れた苛立ちに驚きながら、俺はここ一ヶ月自分がしていた事をかいつまんで話した。
「すげえ」
「べつにすげくねえ」
「んなことねえよ。俺もやってみてえな、そういうの」
 だめだ、と思った。だから俺はそれには答えなかった。サンジには一生をかける仕事がある。それは血なまぐさい世界とはかかわりのない、清く神聖な、職人の技の世界だ。だから思った通りに伝えた。サンジは当然怒って、その夜は久々に喧嘩をした。楽しかった。
 だがその日以降、滅多に取れない休みを二人で過ごす事はなかった。そして、仕事から帰って来たサンジからは、甘い花のような匂いが漂うようになっていった。
 サンジはここでまっとうに働いて暮らし、いつか本当の大人になる日が来るのかもしれない。俺がそんなふうに考えるようになるのに、長い時間はかからなかった。


   □


 夜明け前の道を港へ向かう。海側の空は、薄い雲の紫がかすかに光を透かし、濃い藍色の中に滲み始めている。朝を待つ、この時間帯が俺はけっこう好きだ。朝日が昇り始めるのをジリジリと待つ空気の漂う、薄明のころ。砂をかぶった石畳を踏む、自分の足音だけが聞こえる。風が海から陸へと流れていく。
 荷物は鞄ひとつに最低限。砂漠を越えてきたときとほとんど同じだけ。それから腰に刀三本。これがなければ意味がない。
「おう、来ると思ってたぜ」
 頭領がキャラバンの先頭にいる。俺に話を持ちかけた赤い顔の男だ。明るくなり始めた空とともに見上げ、軽く右手を上げた。近づいて行くと、脇から同年代らしき男がラクダの綱を引っ張ってきて、これに乗れ、と言った。俺はラクダにまたがり、座りごこちを確認して、男に礼を言った。
「よし。南のオアシスは避けて、次のオアシスへ向かう。いいな」
 男が周囲を囲む男達の顔をひとつひとつ確認するように見渡して、言った。同意の声がパラパラとあがった。
 キャラバンの総勢は十二、三人といったところか。全員が頭領の船の船員や、港で雇い入れた者だった。護衛代わりといっていたが、そういう役割でここに加わっているのは俺だけのようだ。
 俺はラクダを最後尾につけた。先頭を行くのは砂漠の案内人。頭領はゆっくり下がってきて俺の隣にラクダをつけた。
「よく来た」
「ああ」
「ここにいる連中はそれぞれひととおり使えるが、剣士じゃあない。そこは踏まえといてくれ」
「あんまりアテにされても困る」
「払うもんは払うぞ。俺はケチじゃない」
 その言葉に俺は笑った。こういう方がわかり易いし、性にあっている。サンジの思うような剣士はもうどこにも存在しない。
 ならば、この道で極めればいい。
 背後を振り返ると、すでに緑は遠くなっていた。海から昇った太陽が前方に長い影を作って俺達に進む道を教えていた。
[TOP/NEXT]