ノクターン 6
その夜、仕事を終えて帰る家政婦と入れ違いに、ロビンが訪ねてきた。相変わらず事前の連絡もなく、唐突にやってくる。
サンジは大喜びでキッチンに立った。家政婦はサンジが来てから、一度も食事を作っていない。最初の頃こそ恐縮していたが、サンジが作ったものをタッパーに詰めて持たせてやると何も言わなくなった。やがてレシピを教えてくれと言ってきて、サンジは大喜びであれこれと教えてやっていた。ゾロはそんな光景を眺めつつ、美味いものが食べられさえすれば何でもいいのだ、と思っていた。
「嬉しいわ。この国でコックさんのお料理が食べられるなんて。剣士さんのおかげね」
微笑みかけられてゾロは憮然としている。
「おいおいおいてめえ、ロビンちゃんに向かってその態度は何だよ」
「まあ、すっかり仲良しね」
にこやかに言うロビンに、ゾロとサンジはお互いを横目で睨みつけるように目配せしあう。
「そんなわけねえだろう」
「そうだよロビンちゃん。俺とこいつのどこが」
「あらそう?」
ロビンは取り合わず、サンジの入れた紅茶に手を伸ばす。
「なあ」
キッチンへ戻っていくサンジの後姿を見て、ゾロは低い声で問いかける。
「何かしら」
「なんで連れてきたんだ、あいつ」
「来たがったからよ」
「そもそも、どういう知り合いだよ」
「一昨年だったわね」
ロビンはそこで言葉を切って、紅茶を口に含む。
「美味しいわ」
「おい」
「相変わらずせっかちね。私がコックさんの国に留学していて、たまたま彼のお店に入って、そこで出会ったの。話していたら、彼、あなたの事を知っていて」
「何で俺の話になるんだ」
「私にどこから来たのかを聞いて、開口一番『ロロノア・ゾロを知らない?』と言われたわ。きっと日本から来た人には満遍なくそう聞いてたんじゃないかしら。知ってるわと言ったらとても喜んで…。食事代はいらないから言葉を教えてくれと言われたの。その時点でも基本はほとんど出来ていたけれど」
帰国するまで教えたのよ、とロビンはすまして言い、もう一口紅茶をすすった。
「じゃああいつ、本当に俺を知っていてここへきたのか」
「ここにホームステイをしたらいいと言ったのは私よ。彼は最初からそんなつもりでいたわけじゃないわ」
それはわかる、とゾロは思う。昔から、ゾロ自身ではなく、ゾロの身のまわりにあるごてごてしたものを目当てに近づいてくる人間を何人も見てきたが、サンジにはそういう気配は全く感じない。態度はでかいが、厚かましい感じがしないのだ。遠慮がちに小さくなっていられるよりはずっと良い。こちらも遠慮がいらず、肩のこらない相手であることは確かだ。
あなたがうまくやれるんですもの、それを仲良しといわずして何と言うの。ロビンはゾロの表情の微妙な変化を読み取りながら、声には出さず、胸の中でこっそりとそう呟いた。
「おまたせ!」
オーブンから取り出したばかりの鳥はじゅうじゅうと音を立てながら食欲をそそる香りを放つ。続けざまに様々な料理を並べるサンジを横目に見、ゾロはワインをあけた。
「まあ、悪い子ね」
「お前がいまさら言うのかよ」
ゾロに酒を教えた張本人だ。ロビンは聖女のような顔でおっとりと笑った。サンジがぽやんと頬を染めながら眦を下げ、ゾロがそこへ軽く拳で突っ込む。和やかな晩餐だ。三人そろって顔をあわせるのは今夜が二回目だというのに、そんな気がしない。
もうずっとこうやっていたみたいだ。サンジはそう思って、ゾロの様子を伺う。ゾロは笑っている。楽しそうだ。ほっとして胸をなでおろす。
最初の夜の、無言でご飯をひたすらかきこんでいたゾロの姿が頭の隅に浮かぶ。そのゾロの姿が、だんだんと小さくなって、子供のゾロに重なった。
ロビンはゾロを心配していた。言葉に出してそう言ったわけでは無いけれど、国にいた頃、ゾロの話になると、いつも美しい眉根をわずかに寄せて、さびしそうに笑った。
「自分が淋しいということを知らなければ幸せでいられるものかしらね」
そう問われてサンジは、
「淋しいのは不幸なことかい?」
と答えた。
サンジは自分が淋しい人間だと知っていた。けれど、不幸だと思ったことはなかった。自分の孤独とゾロの抱えるそれとはきっと何かが違うのだ。
ゾロは望めばたいていの物は手に入れることが出来る。希少な宝石だろうと、高級な自動車だろうと、どんな物でもだ。でもそれを望まない。ではゾロは一体、何を望んでいるというのだろう?
サンジの望みはこれまでゾロにもう一度会うことだった。それは叶い、今サンジは自分の幸運を信じている。もしもゾロが今、幸せでないのだとしたら、それは果たして、一体何が原因なのだろうか。
あの頃、あんなに幸せに満ちていたあの緑色の子供が、なぜ?
□
「ゾロ」
呼ばれて、緑の髪の子供はぱっと後ろを振り返った。サンジも伸び上がって声のした方を確かめる。
髪の長い綺麗な女の人が笑っている。黒くて膝よりすこし長い丈のドレスの裾をひらひらさせながらこちらへ向かって歩いてくる。右手は飛ばないようにつばが大きく広がった白い帽子の上を押さえて、左手を大きく伸ばして振った。
「早速お友達が出来たの。良かったわね」
「おかあさん!」
ゾロは立ち上がって女の人の方へ駆け出した。サンジも膝を伸ばして、ゾロの背中を追うようにそちらへ目を向けた。
『土地の子かしら?こんにちは』
女の人はサンジに分かる言葉で話しかけてきた。
『こんにちは。家はここじゃないよ。昨日おかあさんと一緒に来たんだ』
『まあ、じゃああなたも避暑に来たのね』
美しく柔和な顔で笑いかけられてサンジは返答に窮した。避暑に来たわけじゃないと思う。おかあさんはいつもどおり、新しい仕事を求めてこの町にやって来たのだから。しかし何故かそのとき、女の人に向かってそう答える気にはなれなかった。
『そうだよ』
『私達は日本から来たの。ゾロは言葉が分からないけれど、よかったら仲良くしてあげてね』
にっこりと微笑まれ、サンジは頬に血が上るのが分かった。緑色の髪の子供はゾロというのだ。おかあさんのスカートにしがみついて、ニコニコと笑っている。うふふふ、とサンジに向かって笑う声がした。
『うん!俺、サンジ』
『ゾロよ』
女の人は笑って、はにかむゾロの背中を押した。
太陽を背にした美しい人と向かい合い、サンジは眩しくて目を瞑った。たたた、と進み出たゾロが目を瞑ったままのサンジの手をそっと取る。
「あっちにいこう」
薄目を開けると、笑いながらビーチを指差していた。
「あんまり遠くへ行かないのよ」
母親の声に頷きながら、サンジの手をぐいぐいと引く。
「行こうよ、サンジ」
名前を呼ばれて、サンジは頭の先がぴん、と引っ張られるみたいに感じた。ゾロが少し前を駆けていく。その小さな背中にむけて大きな声を出した。
「待てよゾロ!」
岩場に造られた石造りの階段を一歩づつはねながら駆け下りる。子供たちの危なっかしい足許を風が踊り、洋服の裾を膨らませる。
柔らかな砂の地面に裸足で降り立った。前から物売りのおばさんが大きな体を揺すりながら歩いてくる。頭にのせたフルーツは太陽と同じ色だ。青と緑とオレンジがかわるがわる目の前で混ざり合って、サンジはめまいがしそうだった。心臓がこんなに強く打つのは初めてだった。友達と駆け回って笑うのも、冷たい水を浴びて転がって、砂まみれになるのも。
ゾロ。
サンジは宝物のようにその名前をかみ締め、心の中で呟いた。生まれて初めて出来た友達の名前だ。その友達が自分の名前を呼んだ。
ずっと忘れないと思った。
サンジは大喜びでキッチンに立った。家政婦はサンジが来てから、一度も食事を作っていない。最初の頃こそ恐縮していたが、サンジが作ったものをタッパーに詰めて持たせてやると何も言わなくなった。やがてレシピを教えてくれと言ってきて、サンジは大喜びであれこれと教えてやっていた。ゾロはそんな光景を眺めつつ、美味いものが食べられさえすれば何でもいいのだ、と思っていた。
「嬉しいわ。この国でコックさんのお料理が食べられるなんて。剣士さんのおかげね」
微笑みかけられてゾロは憮然としている。
「おいおいおいてめえ、ロビンちゃんに向かってその態度は何だよ」
「まあ、すっかり仲良しね」
にこやかに言うロビンに、ゾロとサンジはお互いを横目で睨みつけるように目配せしあう。
「そんなわけねえだろう」
「そうだよロビンちゃん。俺とこいつのどこが」
「あらそう?」
ロビンは取り合わず、サンジの入れた紅茶に手を伸ばす。
「なあ」
キッチンへ戻っていくサンジの後姿を見て、ゾロは低い声で問いかける。
「何かしら」
「なんで連れてきたんだ、あいつ」
「来たがったからよ」
「そもそも、どういう知り合いだよ」
「一昨年だったわね」
ロビンはそこで言葉を切って、紅茶を口に含む。
「美味しいわ」
「おい」
「相変わらずせっかちね。私がコックさんの国に留学していて、たまたま彼のお店に入って、そこで出会ったの。話していたら、彼、あなたの事を知っていて」
「何で俺の話になるんだ」
「私にどこから来たのかを聞いて、開口一番『ロロノア・ゾロを知らない?』と言われたわ。きっと日本から来た人には満遍なくそう聞いてたんじゃないかしら。知ってるわと言ったらとても喜んで…。食事代はいらないから言葉を教えてくれと言われたの。その時点でも基本はほとんど出来ていたけれど」
帰国するまで教えたのよ、とロビンはすまして言い、もう一口紅茶をすすった。
「じゃああいつ、本当に俺を知っていてここへきたのか」
「ここにホームステイをしたらいいと言ったのは私よ。彼は最初からそんなつもりでいたわけじゃないわ」
それはわかる、とゾロは思う。昔から、ゾロ自身ではなく、ゾロの身のまわりにあるごてごてしたものを目当てに近づいてくる人間を何人も見てきたが、サンジにはそういう気配は全く感じない。態度はでかいが、厚かましい感じがしないのだ。遠慮がちに小さくなっていられるよりはずっと良い。こちらも遠慮がいらず、肩のこらない相手であることは確かだ。
あなたがうまくやれるんですもの、それを仲良しといわずして何と言うの。ロビンはゾロの表情の微妙な変化を読み取りながら、声には出さず、胸の中でこっそりとそう呟いた。
「おまたせ!」
オーブンから取り出したばかりの鳥はじゅうじゅうと音を立てながら食欲をそそる香りを放つ。続けざまに様々な料理を並べるサンジを横目に見、ゾロはワインをあけた。
「まあ、悪い子ね」
「お前がいまさら言うのかよ」
ゾロに酒を教えた張本人だ。ロビンは聖女のような顔でおっとりと笑った。サンジがぽやんと頬を染めながら眦を下げ、ゾロがそこへ軽く拳で突っ込む。和やかな晩餐だ。三人そろって顔をあわせるのは今夜が二回目だというのに、そんな気がしない。
もうずっとこうやっていたみたいだ。サンジはそう思って、ゾロの様子を伺う。ゾロは笑っている。楽しそうだ。ほっとして胸をなでおろす。
最初の夜の、無言でご飯をひたすらかきこんでいたゾロの姿が頭の隅に浮かぶ。そのゾロの姿が、だんだんと小さくなって、子供のゾロに重なった。
ロビンはゾロを心配していた。言葉に出してそう言ったわけでは無いけれど、国にいた頃、ゾロの話になると、いつも美しい眉根をわずかに寄せて、さびしそうに笑った。
「自分が淋しいということを知らなければ幸せでいられるものかしらね」
そう問われてサンジは、
「淋しいのは不幸なことかい?」
と答えた。
サンジは自分が淋しい人間だと知っていた。けれど、不幸だと思ったことはなかった。自分の孤独とゾロの抱えるそれとはきっと何かが違うのだ。
ゾロは望めばたいていの物は手に入れることが出来る。希少な宝石だろうと、高級な自動車だろうと、どんな物でもだ。でもそれを望まない。ではゾロは一体、何を望んでいるというのだろう?
サンジの望みはこれまでゾロにもう一度会うことだった。それは叶い、今サンジは自分の幸運を信じている。もしもゾロが今、幸せでないのだとしたら、それは果たして、一体何が原因なのだろうか。
あの頃、あんなに幸せに満ちていたあの緑色の子供が、なぜ?
□
「ゾロ」
呼ばれて、緑の髪の子供はぱっと後ろを振り返った。サンジも伸び上がって声のした方を確かめる。
髪の長い綺麗な女の人が笑っている。黒くて膝よりすこし長い丈のドレスの裾をひらひらさせながらこちらへ向かって歩いてくる。右手は飛ばないようにつばが大きく広がった白い帽子の上を押さえて、左手を大きく伸ばして振った。
「早速お友達が出来たの。良かったわね」
「おかあさん!」
ゾロは立ち上がって女の人の方へ駆け出した。サンジも膝を伸ばして、ゾロの背中を追うようにそちらへ目を向けた。
『土地の子かしら?こんにちは』
女の人はサンジに分かる言葉で話しかけてきた。
『こんにちは。家はここじゃないよ。昨日おかあさんと一緒に来たんだ』
『まあ、じゃああなたも避暑に来たのね』
美しく柔和な顔で笑いかけられてサンジは返答に窮した。避暑に来たわけじゃないと思う。おかあさんはいつもどおり、新しい仕事を求めてこの町にやって来たのだから。しかし何故かそのとき、女の人に向かってそう答える気にはなれなかった。
『そうだよ』
『私達は日本から来たの。ゾロは言葉が分からないけれど、よかったら仲良くしてあげてね』
にっこりと微笑まれ、サンジは頬に血が上るのが分かった。緑色の髪の子供はゾロというのだ。おかあさんのスカートにしがみついて、ニコニコと笑っている。うふふふ、とサンジに向かって笑う声がした。
『うん!俺、サンジ』
『ゾロよ』
女の人は笑って、はにかむゾロの背中を押した。
太陽を背にした美しい人と向かい合い、サンジは眩しくて目を瞑った。たたた、と進み出たゾロが目を瞑ったままのサンジの手をそっと取る。
「あっちにいこう」
薄目を開けると、笑いながらビーチを指差していた。
「あんまり遠くへ行かないのよ」
母親の声に頷きながら、サンジの手をぐいぐいと引く。
「行こうよ、サンジ」
名前を呼ばれて、サンジは頭の先がぴん、と引っ張られるみたいに感じた。ゾロが少し前を駆けていく。その小さな背中にむけて大きな声を出した。
「待てよゾロ!」
岩場に造られた石造りの階段を一歩づつはねながら駆け下りる。子供たちの危なっかしい足許を風が踊り、洋服の裾を膨らませる。
柔らかな砂の地面に裸足で降り立った。前から物売りのおばさんが大きな体を揺すりながら歩いてくる。頭にのせたフルーツは太陽と同じ色だ。青と緑とオレンジがかわるがわる目の前で混ざり合って、サンジはめまいがしそうだった。心臓がこんなに強く打つのは初めてだった。友達と駆け回って笑うのも、冷たい水を浴びて転がって、砂まみれになるのも。
ゾロ。
サンジは宝物のようにその名前をかみ締め、心の中で呟いた。生まれて初めて出来た友達の名前だ。その友達が自分の名前を呼んだ。
ずっと忘れないと思った。