ノクターン 2

 食事はメインホールで取る。キッチンから続いている、リビングとは異なる空間で、父や母がごくまれに戻ってきたときにパーティーなどを開く場所だ。ゾロが一人のときは、テラスへの出入り口の脇に小ぶりなテーブルが置かれているだけで、がらんとしている。
 しかしゾロはここを気に入っていた。日差しが良く入るこの場所は、庭を眺めるのにも適している。朝遅く起き、食事を終えた後そのまま庭で昼寝をするのが一番気に入っている休日の過ごし方だ。
サンジはホールに入ってすぐに驚いたように声を上げた。ぶつぶつ言いながら飾られた絵画や彫刻に見入っている。わかるのかどうか怪しいものだと思いながら、ゾロはそれを眺めていた。値の張るものには違いないが、興味のないゾロには価値などなきに等しい。
 サンジは食卓につくとまた目を丸くして見入った。ご飯、味噌汁、刺身、焼き魚、煮物、漬物。他にもいろいろと、いくつかの小鉢に分けられて美しく盛り付けられている。
「ビューティフル…」
 その声に中年の家政婦はにっこりと微笑んだ。ゾロがひとりで暮らし始めてからずっと通ってくれている家政婦だ。
 家政婦は全部で三人いて、午前午後と、交代で通ってくる。午前は朝七時から午後十二時半までで、朝食と昼食、洗濯、掃除をし、午後十二時半から午後六時まで、掃除と、夕食の支度をする。家政婦同士で話し合いながらいろいろまわしているようだが、ゾロには細かい事は良く分からない。土日は基本的に休みだが、どういうわけか交代で、三人のうちの誰かひとりが土曜の午前だけやってきて、休みの間に不足の無いように冷蔵庫の中身を整えてくれる。
「メシは家政婦によってメニューが分かれてんだ。あいにく今日は和食だから、食いにくかったら言え。他のもんにしてやるよ。…なんかあるんだろ?」
 家政婦に向かって問いかけると、一応用意してございます、と答える。
「これでいい。いただきます」
 ゾロが食べ始めるのと同時にサンジも箸を持ち上げたが、そこで不思議そうに家政婦を見つめた。帰り支度をして部屋を出ようとしていた家政婦ははっとしたように顔の前で手を振って苦笑いだ。
「これであがりなんだよ。仕事は晩飯の仕度までだ。明日の朝また別の家政婦が来る。交代だ」
 家政婦が出て行ったドアがパタンと閉じられる。
「他には誰もいないの?」
「いねえよ、俺一人だ」
「ゾロ、一人で住んでるのか?」
「ああ、親はずっと海外だからな。俺にはよくわからねえが毎日忙しくしてるらしいぜ?」
 箸を休め、器から目を離して正面を見ると、サンジは眉根を寄せて考え込むような表情をしている。ゾロは面倒くさいと思い、ため息をついた。
「まあとりあえず食えよ。メシが終わったら説明してやる」
「せつめい?」
「いいから黙って食え」
「食べながらでも出来る」
 サンジが言うのに、ゾロははっとして顔を上げた。サンジは軽く首をかしげ、ゾロの言葉を待っているようだ。
 ゾロの両親は双方仕事を持っていて、各々拠点にしている国も違っている。年に数回戻ってくるが予定を合わせている事は稀で、同時に顔を合わせられる事はまず無い。海の向こうでお互いには行き来があるらしいが、そこにゾロが交わることも無い。十一になってすぐの頃からずっとそれが当たり前になっていて、いまさら疑問も感じない。むしろ、親が家にいて毎日顔を合わせる生活など考えられないと思う。
 愛情が薄いとか、手をかけられていないとか、そういう当人達に向けた悪意のある発言等いくらでもあったが、ゾロの両親はともにそういった事を受け流して笑っているタイプだった。そして、それを理由にギクシャクするような親子関係でもなかった。会う機会は少ないが、特に問題は無いとゾロは思っている。
 とにかく、自分のペースを崩さずに過ごすのに最適な今の生活はそれなりに気に入っている。困るのは、それを乱されることだ。たとえばこうやって目の前で赤の他人が飯を食べている姿などがそうだ。
「だらだら喋りながら食うなんて面倒だろ」
「なんで?」
「とにかく、いいからさっさと食え!」
 サンジはまだ何か言いたそうにしていたが、ゾロが茶碗を持ってご飯をかきこむと、それを真似て同じようにかきこんだ。ゾロは何故かむきになり、味わう間もなく小鉢を次々とあけていく。いつの間にか、どちらが先にすべて空っぽにして席を立つかを競っているような感覚に追いまくられながら、ゾロは必死に箸を動かした。サンジはうまく箸を使いながら、調子にはよどみが無い。和食になんの違和感も感じていないようなのが少し不思議だった。
「はー、ごちそうさま。うまかった」
 サンジが満足げにつぶやくのと同時に、ゾロは箸をおいた。いつもよりついたくさん食べてしまった気がする。見れば小鉢も皿も綺麗に片付いている。こんなに総て空っぽになった状態を見たのは久しぶりのような気がした。
 家政婦がいつもの流れで用意していったお茶を湯呑に注ぐ。サンジはその動作をずっと目で追っている。
「お前もいるか?」
 家政婦は当然心得ていて、湯飲みはサンジの分も用意されていた。サンジは嬉しそうに頷くと、急須の口に湯呑を差し出す。
「お茶なんか入れるんだな。何にも出来ねえお坊ちゃんかと思ってたぜ」
「あ?」
 サンジは唇の両端を吊り上げてゆがんだ笑いを浮かべた。急に様子が変わったのに、ゾロは一瞬戸惑った。口調も、先ほどまでのゆったりしたものとは違って、やや乱暴だが、もう少し流暢な感じだ。訝しく思いながらも、言葉の使い方がおかしいだけだと流そうとした。
「まだ思い出さねえか。それとも覚えてねえのかなあ」
「…は?」
 首をひねりながらひとりでぼそぼそと呟いている。何のことか分からず、ゾロは長い前髪の間から片側だけ見えるサンジの瞳を見返した。深くて青い、海の色だ。
 ゾロが答えずにいると、サンジはうんざりとした様子で額に手をあてて上向き、オーマイゴッド、とか、ジーザス、とか、そういう類の言葉をぶつぶつと並べた。それから顔を隠すように俯いた。
「どうも変だなあと思ってたけど、やっぱ覚えてねえのかよ…。馬鹿なんだな、お前」
「ああ!?」
 いきりたったゾロに、サンジはぱっと顔を上げて目を丸くし、すぐに晴れやかに笑って見せた。ゾロは真正面から飛び込んできたその表情に、額を撃ち抜かれたみたいに体を硬くした。目の奥で弾けた細かい光の粒がきらきらと反射を繰り返し、目の前の景色を塗り替えていく。真っ青な空と海、太陽と砂浜、風と緑。それらが合わさって生み出される、異国の鮮やかな色彩。
そして、金色と瞳の青…。
 それははるかな記憶の片隅に、たしかにあった。
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