レモンイエロー ストレンジャー 6

 少し考えればわかる事だった。こちら側が駅前通りに面しているという事は。ゾロが知らなかっただけで、ナミやウソップは知っていたのに違いない。ゾロは裏道の方からしかこの家を見たことがなかったのだ。
 取っ手に手をかけると、ドアは静かに外に開いた。ゾロはそっと中を覗きこむ。
 そこは外から見ると、白く覆がかけられている平屋の部分にあたる。正面から見ても上半分は同じように覆われている。おそらくここだけでも一般の住宅一軒分くらいの広さはあるだろう。
中はほぼがらんどうだ。隅のほうに家具らしきかたまりがごちゃごちゃしているが、暗いので細部までは見て取れない。床はリビングと同じ材質のようだが、ところどころ腐っているのか、落ちたところから下の漆喰らしきものが見えている。天井にはくもの巣がはり、全体的に埃ですすけていた。この建物が放置されていた年月を物語っている。今暮らしている部分は本当にきっちりと手を入れたのだなと、ゾロはこんなところで実感する。
 左手の隅には古ぼけたテーブルと椅子が重ねて置かれている。整理して置いてあるので無く、ただ押しやっただけのようだ。その横には壊れかけた戸棚に、汚れたガラス。ゾロはゆっくりと進みながらあたりを見まわす。右手奥に縫い目の裂けた布張りのソファがあり、その上に、黒い影が動いている。ソファの周囲には食べ散らかしたようなゴミのあとがてんてんと、黒いしみのように広がっている。
 よく見ると影は毛布だか座布団だかの襤褸切れの山だ。がくがくと揺れている。震えているのだろうか。
「おい」
 引っ掛けてきたビーチサンダルが埃まみれの床をざりざりと鳴らす。埃が舞って、ぼんやりと灯る白色電球の下できらきらと漂う。黒い影はもぞもぞと動いてさらに縮こまった。
「そこまでにしとけ」
 手をかけようと歩み出たところをその声に阻まれ、ゾロは動きを止める。サンジが起き抜けのしょぼくれた目をしばたたかせて、キッチン側のドアから姿をあらわした。視線が交わる。
「でけえ音たてっから起きちまったぜ」
サンジはその視線を外して俯き、煙草を挟み持ち、くわえて火をつける。それらの仕草がゾロに目には残像が浮かんでは消えるスローモーションのように映った。
「おい、いいぞ。出てこいよ」
 煙を吐き出しながら、サンジは襤褸切れの山に向けて声をかけた。するとそれはのそりと動き、端の方から頭部が現れた。ゾロは思っていたのと反対側から覗いた頭に一瞬面食らう。
「なんなんだ?こいつ。お前のか?」
 指差しながら訊ねる。
「なんで俺のなんだ。知らねえよ、最初っからいたんだ」
 それは老人だった。見た目ほど年ではないかもしれないが、お世辞にも若いとは言えない。ざんばらの白髪まじりの頭髪、伸ばしっ放しの髭。目を逸らすほどではないが、やはり清潔とは言いがたい。ゾロの視線に射すくめられてすっかり萎縮している。
「そのまま置いとくか?普通」
「だってずっと住んでたらしいんだよ。表の、そのドアだよ、鍵が壊れてたみたいでよ。急に追い出すのもなんだろ?」
「だからってなあ…」
 ゾロは本気で驚いていた。よく見れば食事を出した痕跡まである。ゾロに会うよりも先にサンジはこの老人に会っていて、あの時点ではすでになにやら取り決めを交わしていたのだ。
 まったく力が抜ける。ゾロはもう一度老人に向き直った。確かに随分長く暮らしていたようだ。周囲に置かれた生活のための道具などには慣れた配置や規則性が見て取れた。昨日今日といった感じではない。
「でもずっとじゃないぜ?ここももうすぐ工事が入るから、そうしたら出て行ってもらわないといけねんだよ。それまでになんとかしろなっつったんだけど…どうなった?」
 言葉尻では問い掛けるように、老人の方に首を伸ばした。老人は俯いて黙ったまま動かない。行くあてなど無いのだろう。ゾロはつい一週間前の自分を思い出してため息をつく。一歩間違えれば、自分だってこうなっていたはずだ。
 それでも学生でまだ若いゾロと、この老人を同じように考える事など出来ない。ゾロは腕を組んで俯き、目を閉じる。サンジが呆れた様に間延びした声で言った。
「お前が悩んでどうするんだ」
 言いながら、サンジは歩み出て老人の傍らからトレイを持ち上げた。深皿と、小さな器がふたつ。かぼちゃのスープ、パンにサラダ。呆れているのはこっちの方だ。
 老人は礼を言ってサンジを見上げ、か細い声で明日には出て行くから、と言った。明日は晴れだ。なんとかなる。
 ではその次は?この先梅雨が明けるまで、老人はどこで眠るのだろう?そう思ったら、考える前に言葉が出てしまった。
「いや、その必要はねえぞ、じいさん」
 サンジが目を丸くしてゾロを振り返った。
「何言ってんだお前?」
「あっちの建物の上にひと部屋空いてるからよ、じいさんはそっちを使えばいい。こいつはどうやらそういうボランティアが趣味らしいからな。最初からそうしてればいいんだ」
 ゾロはキッチンに繋がるドアを指差して言う。老人は口をぽっかりとあけてゾロの顔を見上げている。前歯が三本しかない。サンジはあっさりとそんな事を言い放つゾロを呆気に取られた面持ちで見つめ、慌てて老人に向き直る。
「空いてねえよ、何言ってんだ。じいさん本気にすんなよ?俺はそこまで面倒はみきれねえぞ。そんなお人よしじゃねえ!」
「じゃあお前はじいさんを、大雨が降ってるような中に追い出すっていうのか?だったら中途半端にかまわねえで最初からそうしてりゃあ良かっただろうが!」
「それとこれとは別だろうが!」
「違わねえよ。そもそも、このじいさんと俺の、いったいどこが違うんだ!」
 サンジは黙ってゾロの顔を凝視した。唇を引き結んで、トレイを持たない左手は白くなるほど強く握っている。
「拾われたって意味なら俺だってそうだろ。お前の趣味かしらねえけど、あんまりいい趣味じゃねえな」
「てめえ」
「しずくだけは頼みてえ」
 言い切らぬ間に、サンジの脚が飛んだ。
 
 こいつについてわからねえことなんかまだまだクサるほどあるが、ともかく幽霊話にケリがついた事だけは確かだ。

 今度会ったらウソップに教えてやらねえと。
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