レモンイエロー ストレンジャー 2
間近でじっくりと眺めてみても人が住んでいる家にはとても見えない。そう思っていたところに昨日越してきたばかりだと聞かされて、ゾロはようやく納得した。
夜間、この家の前を通ると、ここだけぽっかり闇が落ちていて薄気味悪いとナミが言っていたのを思い出した。作りが立派なだけに、無人というのが余計に不気味に感じられるのだ。この中に自分が足を踏み入れる日がこようとは、まったくわからないものだ。ゾロは微妙な面持で、はいれよ、という男に続いた。
男は、サンジと名のった。
「やっと荷物を運び入れたとこなんだ。設備その他には全部手を入れたから問題なく住めるようにはなっているけど」
エアコンのスイッチを入れて、サンジはキッチンに入る。一階はキッチンとリビングのみのスペースだった。玄関ドアを入ってすぐ正面がリビングだ。ざっと見て、広さは二十畳ほど。右手壁にはガラスの入った大きな扉があって、外のテラスに繋がっている。
まだ荷物はとかれておらず、リビングにはビニールをかぶったソファと、運び込まれたままのテーブルが無造作に置かれ、その隙間を他の家具やダンボール箱が埋めていて、足の踏み場がない。ゾロはあいている隙間を縫うようにして室内に入った。
玄関ドアの左手には二階に上がる階段が伸び、その向うに見えるのは対面式のカウンターキッチンだ。テーブルは広めに取られている。サンジがそこに立って、コーヒーを入れようとしている。そこだけは掃除がすんでいるようだった。
家の中でも靴を履いたまま、というのがゾロには違和感があるのだが、こういった作りならば仕方がない。しずくの足は軽く雑巾で拭ってやった。
「しずく、メシはいいの?」
「ああ、出る時食わせたから」
「あ、そ。とりあえず場所作ってやらねえとな」
サンジはどうやら犬好きとみえて、なんだかんだとしずくを気にしている。
サンジの背後、キッチンの壁には作り付けの戸棚があったが、まだ食器は収められておらず、からっぽだ。見れば足下にはそれらしきものの入ったダンボールが置きっぱなしだ。その左端に、木製のドアがあった。大きな錠前で施錠されている。裏口だろうか。
「向うはどうなってんだ?」
サンジは顔をあげてゾロの視線の先をみとめると、背後をふりむいた。
「あー、このドアな。今開かねえから気にすんな。向うは使ってねえんだ」
「ふうん」
サンジは白いプラスチックのトレイを出して床に置いた。
「これ、しずくのメシ用な。皿とか、使ってたのあんだろ?ここに置けよ」
ゾロは言われたとおり、ボストンバッグから先ほどのボウルをとり出すとそこに据えた。しずくは部屋の隅から隅へと匂いを嗅いでまわっていたのだが、それを見てえさが貰えると思ったのか、尻尾を振りながらゾロのもとに駆けてきた。
「ばあか、違ぇよ。さっき食ったばっかだろうが。うわ、馬鹿やめろ」
顔を近づけて笑ってやると、小さな舌でぺろぺろと舐めてくる。ゾロはくすぐったくて笑った。
「こっち」
上から声をかけられて、ゾロは顔をあげる。サンジはリビング中央のテーブルに向かい、上の荷物をどかし、埃をさっと払って、そこにカップをふたつ置いた。
「とりあえずここから住めるようにしねえとなあ…お前手伝えよな」
そう言って雑然としたままのリビングを見渡す。住めるように手を入れた、と言っていたが、おそらく水回りと空調程度のことなのだろう。
「二階にふた部屋あるから、お前、片方使えな。ちょうどこの真上の部屋だ」
言いながら天井を指差す。
「反対側の端に俺の部屋があって、真ん中にバストイレ洗面所。みたとこ、バッグ以外荷物がないみたいだけどどうする?ベッドだけはあるから、まあ、とりあえずそれ使えばいいし…それから…」
自分のペースで勝手に決めていくサンジに対し、何度か「ちょっと待て」と口を挟もうとしたのだが、どうもタイミングが掴めない。少し苛立って、ゾロは口を開く。
「…おい」
「メシは各自、と言いたいところだけど、俺が作ってやってもいい。その場合、食費だけは入れろよ?家賃はいらねえからさ。あとはそうだな」
「おい」
「なに?」
サンジはへらりと笑って振りむいた。
「そういう話の前に、もっと大事なことがあるんじゃねえか?」
間借りとはいえ一緒に住むことになるのなら――― まず、そういう話になるまでにもう少し思案があっても良さそうなものだが ―――、例えば身元の確認や社会的身分や、そういったことは普通重要なのではないだろうか。なのに、サンジは一向に気にしている様子がない。というより、ゾロがどういう人間であってもまったくかまわないようだ。
前に屈んで膝にかけた腕をだらりと下げ、サンジは目線を上げると、正面のゾロに向かって口許だけ歪めて笑った。
「行くとこねえんだろうが。細けえこと気にすんなよ」
ゾロは返答に詰まり、額に手を当てて目を伏せた。
「別にこの家には盗まれて困るようなものも無えし、お前だってそんな事を気にして出ていくよりここにいるほうがいいわけだろ。はっきり言っといた方がいいなら、俺は別にこれ以上詮索する気はねえ。部屋は余らしといたって、こっちは全然かまわないし、おんなじように、誰かいたってかまわねえわけよ」
ひとつ欠伸をして、瞼を擦る。左目は長い前髪に覆われていて見えない。
「眠い。昨日あんまり寝てねえんだ。ここに着いたのが朝がたでさ…」
サンジは二人分のカップを流しに置いて戻ると、再びソファに座ってうとうととし始める。
「ビニール外せば?」
小さく問うと、サンジは息だけで笑って答えた。
「これは一番最後。まずは、掃除しなけりゃ…」
瞼は今にも落ちそうだ。ゾロはため息をつき、傍らで丸くなっているしずくを胸に抱き上げると、ボストンバッグを担ぎなおして、二階に続く階段を昇った。振りかえって見たサンジの頭は、ソファの背もたれの向こうにずるずると消えていこうとしていた。
夜間、この家の前を通ると、ここだけぽっかり闇が落ちていて薄気味悪いとナミが言っていたのを思い出した。作りが立派なだけに、無人というのが余計に不気味に感じられるのだ。この中に自分が足を踏み入れる日がこようとは、まったくわからないものだ。ゾロは微妙な面持で、はいれよ、という男に続いた。
男は、サンジと名のった。
「やっと荷物を運び入れたとこなんだ。設備その他には全部手を入れたから問題なく住めるようにはなっているけど」
エアコンのスイッチを入れて、サンジはキッチンに入る。一階はキッチンとリビングのみのスペースだった。玄関ドアを入ってすぐ正面がリビングだ。ざっと見て、広さは二十畳ほど。右手壁にはガラスの入った大きな扉があって、外のテラスに繋がっている。
まだ荷物はとかれておらず、リビングにはビニールをかぶったソファと、運び込まれたままのテーブルが無造作に置かれ、その隙間を他の家具やダンボール箱が埋めていて、足の踏み場がない。ゾロはあいている隙間を縫うようにして室内に入った。
玄関ドアの左手には二階に上がる階段が伸び、その向うに見えるのは対面式のカウンターキッチンだ。テーブルは広めに取られている。サンジがそこに立って、コーヒーを入れようとしている。そこだけは掃除がすんでいるようだった。
家の中でも靴を履いたまま、というのがゾロには違和感があるのだが、こういった作りならば仕方がない。しずくの足は軽く雑巾で拭ってやった。
「しずく、メシはいいの?」
「ああ、出る時食わせたから」
「あ、そ。とりあえず場所作ってやらねえとな」
サンジはどうやら犬好きとみえて、なんだかんだとしずくを気にしている。
サンジの背後、キッチンの壁には作り付けの戸棚があったが、まだ食器は収められておらず、からっぽだ。見れば足下にはそれらしきものの入ったダンボールが置きっぱなしだ。その左端に、木製のドアがあった。大きな錠前で施錠されている。裏口だろうか。
「向うはどうなってんだ?」
サンジは顔をあげてゾロの視線の先をみとめると、背後をふりむいた。
「あー、このドアな。今開かねえから気にすんな。向うは使ってねえんだ」
「ふうん」
サンジは白いプラスチックのトレイを出して床に置いた。
「これ、しずくのメシ用な。皿とか、使ってたのあんだろ?ここに置けよ」
ゾロは言われたとおり、ボストンバッグから先ほどのボウルをとり出すとそこに据えた。しずくは部屋の隅から隅へと匂いを嗅いでまわっていたのだが、それを見てえさが貰えると思ったのか、尻尾を振りながらゾロのもとに駆けてきた。
「ばあか、違ぇよ。さっき食ったばっかだろうが。うわ、馬鹿やめろ」
顔を近づけて笑ってやると、小さな舌でぺろぺろと舐めてくる。ゾロはくすぐったくて笑った。
「こっち」
上から声をかけられて、ゾロは顔をあげる。サンジはリビング中央のテーブルに向かい、上の荷物をどかし、埃をさっと払って、そこにカップをふたつ置いた。
「とりあえずここから住めるようにしねえとなあ…お前手伝えよな」
そう言って雑然としたままのリビングを見渡す。住めるように手を入れた、と言っていたが、おそらく水回りと空調程度のことなのだろう。
「二階にふた部屋あるから、お前、片方使えな。ちょうどこの真上の部屋だ」
言いながら天井を指差す。
「反対側の端に俺の部屋があって、真ん中にバストイレ洗面所。みたとこ、バッグ以外荷物がないみたいだけどどうする?ベッドだけはあるから、まあ、とりあえずそれ使えばいいし…それから…」
自分のペースで勝手に決めていくサンジに対し、何度か「ちょっと待て」と口を挟もうとしたのだが、どうもタイミングが掴めない。少し苛立って、ゾロは口を開く。
「…おい」
「メシは各自、と言いたいところだけど、俺が作ってやってもいい。その場合、食費だけは入れろよ?家賃はいらねえからさ。あとはそうだな」
「おい」
「なに?」
サンジはへらりと笑って振りむいた。
「そういう話の前に、もっと大事なことがあるんじゃねえか?」
間借りとはいえ一緒に住むことになるのなら――― まず、そういう話になるまでにもう少し思案があっても良さそうなものだが ―――、例えば身元の確認や社会的身分や、そういったことは普通重要なのではないだろうか。なのに、サンジは一向に気にしている様子がない。というより、ゾロがどういう人間であってもまったくかまわないようだ。
前に屈んで膝にかけた腕をだらりと下げ、サンジは目線を上げると、正面のゾロに向かって口許だけ歪めて笑った。
「行くとこねえんだろうが。細けえこと気にすんなよ」
ゾロは返答に詰まり、額に手を当てて目を伏せた。
「別にこの家には盗まれて困るようなものも無えし、お前だってそんな事を気にして出ていくよりここにいるほうがいいわけだろ。はっきり言っといた方がいいなら、俺は別にこれ以上詮索する気はねえ。部屋は余らしといたって、こっちは全然かまわないし、おんなじように、誰かいたってかまわねえわけよ」
ひとつ欠伸をして、瞼を擦る。左目は長い前髪に覆われていて見えない。
「眠い。昨日あんまり寝てねえんだ。ここに着いたのが朝がたでさ…」
サンジは二人分のカップを流しに置いて戻ると、再びソファに座ってうとうととし始める。
「ビニール外せば?」
小さく問うと、サンジは息だけで笑って答えた。
「これは一番最後。まずは、掃除しなけりゃ…」
瞼は今にも落ちそうだ。ゾロはため息をつき、傍らで丸くなっているしずくを胸に抱き上げると、ボストンバッグを担ぎなおして、二階に続く階段を昇った。振りかえって見たサンジの頭は、ソファの背もたれの向こうにずるずると消えていこうとしていた。