レモンイエロー ストレンジャー 4
門には常に鍵がかかっていない。だが、この家の異様と庭の荒れ方を見て、入ってくるような勇者もいなかった。近所の子供がたまにおそるおそる中を覗き込んでいる、とサンジは笑っていた。
ドアの方にはだいたい鍵がかかっているので、ゾロはいつものようになかば無意識にポケットをまさぐる。薄っぺらい金属の感触に触れたと同時に、ばたん、と中からドアが開いた。
「おっかえりー。遅かったじゃねえの」
門の開閉で気づいたのだろうか。満面の笑みで迎える相手に、ゾロはぎこちなく笑い返す。
「……ただいま」
生活はいまやすっかりサンジのペースだ。サンジの足元ではしずくもぱたぱたと尻尾を振ってゾロを出迎えている。笑みがこぼれた。
「いいこにしてたか?」
抱き上げて撫でてやっていると、隣でサンジが「おれには?」などとふざけて見せる。
「撫でて欲しいのかよ」
「馬鹿言え、気色悪ィ」
冗談に決まってんだろ、と、すまし顔でそう言いながら、サンジはゾロにくるりと背中を向けてキッチンに向かう。食欲をそそるいい匂いがリビングにまで漂ってくる。
「ちょっと遅かったな。どっか寄ってたのか?」
「…ああ、友達に会って」
「へえ。女?男?」
「どっちだっていいだろ」
「あ、女だな。可愛い?つれて来いよ」
返答するのも面倒で、無視して二階に向かった。
階段を上がって正面のドアがサンジの部屋で、その向かい側にゾロの部屋がある。間には洗面所とトイレのドア。階段の壁側には、一階中程から天井付近まで縦に長い窓が設えてあり、庭から上空までを一度に見渡せた。二階の手摺にもたれると庭を眺めるのに丁度良いのだ。全体的にゆったりとした造りの家だった。
ゾロは部屋に入ってバッグを置き、そのまま中央の洗面所に向かった。手を洗い、口をゆすぐ。
鏡が綺麗に磨かれている。ゾロは洗面台を洗った事がないので、おそらくサンジが掃除をしているのだ。
「ふん…」
ゾロは左側の風呂場のドアを開けた。
この風呂はとても気に入っている。水色と白のタイルで統一された中に充分脚を伸ばせるバスタブが置いてあって、ちゃんと洗い場もある。大きな厚めのガラス窓が天井の中程から壁に沿ってなだれるように開けていて、夜に入って灯りを消すと、星空がきれいに見えるのが特に好きだった。いつか酒を飲みながら湯に浸かって、とっくり眺めてみたいと、ゾロはひそかに思っている。枝の大きな常緑樹がちょうど目隠しのように植えられているので、ブラインドを下ろさないで入っていてもあまり気にならない。
ゾロはスポンジに洗剤をつけ、浴槽をごしごしと擦り始めた。タイルの目地の間も丁寧に洗い、ひととおり綺麗にしたところでシャワーのコックを捻る。
と、水音に混じって足元でカシャカシャと爪の鳴る音が聞こえてきた。続いて小さな息遣い。はっとして足元を見下ろすと、黒い影がちょこちょこと動いていた。
「しずく、お前、二階に来たらダメだって言ってるだろう。もうひとりで昇れるようになっちまったのかよ」
しずくは無邪気にゾロを仰ぎ見て嬉しそうにしている。目を離している間に階段の方に行ってしまったら危ないので、とにかく下におろしてしまおうと、ゾロはしずくを抱き上げてドアに向き直った。そして、うかつにもまだ泡を流しきれていない部分に踏み出て、足を取られてしまった。
「うわ」
ガタンと大きな音を立てながらもう片方の足で踏ん張り、 あわててバスタブにすがったのでかろうじて転倒は免れたが、咄嗟の事でしずくを放り出してしまった。見れば小さな体はつるりとタイルを滑って、すっかり泡にまみれている。
「あー…」
しずくは濡れたのが気持ち悪いのか、しきりに身震いしているが、泡は纏わりついてなかなか離れない。
「…ったく。お前、今日は絶対洗ってやるからな。覚悟しとけよ」
タオルを取ってわしわしと拭いながらゾロが威嚇するように呟くと、しずくはくうん、と鼻を鳴らしてしおらしい様子を見せる。こんなに小さくても人の感情がわかるのだ。不思議なものだと思う。
片手で風呂場全体をざっと流し、ゾロも足を拭いた。その間しずくはずっと、ゾロの腕から逃れようとして手足をバタつかせてもがいていた。
「うわ!馬鹿。もう怒ってねえよ!こら!」
「どうしたゾロ?」
サンジが上で騒ぐゾロの様子を訝しく思って、下から声をかける。
「ばか!行くな!」
ゾロの腕を飛び出したしずくは勢いよく駆け出し、右手の階段に向かう。
「こら!」
「しずくか?」
サンジが階段を下から見上げだのと、しずくが段上から飛び出したのは、ほぼ同時だった。
「ああっ!」
どすん、という音が階下で響いた。ゆっくりと階段に回り込んで見下ろすと、一段目に両足をひっかけて、大の字に倒れたサンジの姿があった。しずくはそのサンジの額のあたりをぺろぺろと舐めている。
「あーくそ…こいつ、ダイブしやがった」
しずくが顔に落ちたのか、サンジは鼻のあたりをしきりに擦っている。ゾロは小走りでぱたぱたと階段を下りた。
「受け止めたのか?」
「んなヒマねえ。いきなり上から降ってきて避けられなかっただけだ。あーどんくせえ」
サンジはゾロから目をそらしながらそう言った。
「悪い」
「いい。俺も目、離してたし。昼間、二、三段上っては飛び降りたりしてたから、用心して見てたんだけどな」
打ちつけた後頭部を擦りながら体を起こすサンジを見つめつつ、ゾロはついさっき交わしたナミとの会話を思い出していた。
――――― 何してる人なわけ?
昼間、ずっとしずくを見ているんだとしたら、サンジは何もしていない事になる。少なくとも、職場や学校といった外出先を持たない種類の人間なのだ。
ゾロのことを詮索しないと言った。ゾロ自信は訊かれて困る事など何もなかったので、それはサンジのほうが暗に「お前も俺の事を訊くんじゃない」と言っているのだと理解していた。そう思うと正面から訊く気にもなれない。
「ゾロ?」
食卓を整えたサンジが目の前に立っている。ゾロは慌てて焦点を合わせた。
「あったかいうちに食っちまってくれよ」
「ああ、悪い」
ふーっと、大きく煙を吐き出しながら、サンジは肩をすくめた。
「もういいけどさ、いちいち悪いとか言うな。俺が好きでやってんだし、食費は貰ってんだからよ」
やっぱりサンジの考えている事は理解できそうにない。ゾロはわずかに疲労を自覚しながら大人しく席につき、スープを一口啜った。かぼちゃのスープは甘くて、とろけそうに美味かった。
ドアの方にはだいたい鍵がかかっているので、ゾロはいつものようになかば無意識にポケットをまさぐる。薄っぺらい金属の感触に触れたと同時に、ばたん、と中からドアが開いた。
「おっかえりー。遅かったじゃねえの」
門の開閉で気づいたのだろうか。満面の笑みで迎える相手に、ゾロはぎこちなく笑い返す。
「……ただいま」
生活はいまやすっかりサンジのペースだ。サンジの足元ではしずくもぱたぱたと尻尾を振ってゾロを出迎えている。笑みがこぼれた。
「いいこにしてたか?」
抱き上げて撫でてやっていると、隣でサンジが「おれには?」などとふざけて見せる。
「撫でて欲しいのかよ」
「馬鹿言え、気色悪ィ」
冗談に決まってんだろ、と、すまし顔でそう言いながら、サンジはゾロにくるりと背中を向けてキッチンに向かう。食欲をそそるいい匂いがリビングにまで漂ってくる。
「ちょっと遅かったな。どっか寄ってたのか?」
「…ああ、友達に会って」
「へえ。女?男?」
「どっちだっていいだろ」
「あ、女だな。可愛い?つれて来いよ」
返答するのも面倒で、無視して二階に向かった。
階段を上がって正面のドアがサンジの部屋で、その向かい側にゾロの部屋がある。間には洗面所とトイレのドア。階段の壁側には、一階中程から天井付近まで縦に長い窓が設えてあり、庭から上空までを一度に見渡せた。二階の手摺にもたれると庭を眺めるのに丁度良いのだ。全体的にゆったりとした造りの家だった。
ゾロは部屋に入ってバッグを置き、そのまま中央の洗面所に向かった。手を洗い、口をゆすぐ。
鏡が綺麗に磨かれている。ゾロは洗面台を洗った事がないので、おそらくサンジが掃除をしているのだ。
「ふん…」
ゾロは左側の風呂場のドアを開けた。
この風呂はとても気に入っている。水色と白のタイルで統一された中に充分脚を伸ばせるバスタブが置いてあって、ちゃんと洗い場もある。大きな厚めのガラス窓が天井の中程から壁に沿ってなだれるように開けていて、夜に入って灯りを消すと、星空がきれいに見えるのが特に好きだった。いつか酒を飲みながら湯に浸かって、とっくり眺めてみたいと、ゾロはひそかに思っている。枝の大きな常緑樹がちょうど目隠しのように植えられているので、ブラインドを下ろさないで入っていてもあまり気にならない。
ゾロはスポンジに洗剤をつけ、浴槽をごしごしと擦り始めた。タイルの目地の間も丁寧に洗い、ひととおり綺麗にしたところでシャワーのコックを捻る。
と、水音に混じって足元でカシャカシャと爪の鳴る音が聞こえてきた。続いて小さな息遣い。はっとして足元を見下ろすと、黒い影がちょこちょこと動いていた。
「しずく、お前、二階に来たらダメだって言ってるだろう。もうひとりで昇れるようになっちまったのかよ」
しずくは無邪気にゾロを仰ぎ見て嬉しそうにしている。目を離している間に階段の方に行ってしまったら危ないので、とにかく下におろしてしまおうと、ゾロはしずくを抱き上げてドアに向き直った。そして、うかつにもまだ泡を流しきれていない部分に踏み出て、足を取られてしまった。
「うわ」
ガタンと大きな音を立てながらもう片方の足で踏ん張り、 あわててバスタブにすがったのでかろうじて転倒は免れたが、咄嗟の事でしずくを放り出してしまった。見れば小さな体はつるりとタイルを滑って、すっかり泡にまみれている。
「あー…」
しずくは濡れたのが気持ち悪いのか、しきりに身震いしているが、泡は纏わりついてなかなか離れない。
「…ったく。お前、今日は絶対洗ってやるからな。覚悟しとけよ」
タオルを取ってわしわしと拭いながらゾロが威嚇するように呟くと、しずくはくうん、と鼻を鳴らしてしおらしい様子を見せる。こんなに小さくても人の感情がわかるのだ。不思議なものだと思う。
片手で風呂場全体をざっと流し、ゾロも足を拭いた。その間しずくはずっと、ゾロの腕から逃れようとして手足をバタつかせてもがいていた。
「うわ!馬鹿。もう怒ってねえよ!こら!」
「どうしたゾロ?」
サンジが上で騒ぐゾロの様子を訝しく思って、下から声をかける。
「ばか!行くな!」
ゾロの腕を飛び出したしずくは勢いよく駆け出し、右手の階段に向かう。
「こら!」
「しずくか?」
サンジが階段を下から見上げだのと、しずくが段上から飛び出したのは、ほぼ同時だった。
「ああっ!」
どすん、という音が階下で響いた。ゆっくりと階段に回り込んで見下ろすと、一段目に両足をひっかけて、大の字に倒れたサンジの姿があった。しずくはそのサンジの額のあたりをぺろぺろと舐めている。
「あーくそ…こいつ、ダイブしやがった」
しずくが顔に落ちたのか、サンジは鼻のあたりをしきりに擦っている。ゾロは小走りでぱたぱたと階段を下りた。
「受け止めたのか?」
「んなヒマねえ。いきなり上から降ってきて避けられなかっただけだ。あーどんくせえ」
サンジはゾロから目をそらしながらそう言った。
「悪い」
「いい。俺も目、離してたし。昼間、二、三段上っては飛び降りたりしてたから、用心して見てたんだけどな」
打ちつけた後頭部を擦りながら体を起こすサンジを見つめつつ、ゾロはついさっき交わしたナミとの会話を思い出していた。
――――― 何してる人なわけ?
昼間、ずっとしずくを見ているんだとしたら、サンジは何もしていない事になる。少なくとも、職場や学校といった外出先を持たない種類の人間なのだ。
ゾロのことを詮索しないと言った。ゾロ自信は訊かれて困る事など何もなかったので、それはサンジのほうが暗に「お前も俺の事を訊くんじゃない」と言っているのだと理解していた。そう思うと正面から訊く気にもなれない。
「ゾロ?」
食卓を整えたサンジが目の前に立っている。ゾロは慌てて焦点を合わせた。
「あったかいうちに食っちまってくれよ」
「ああ、悪い」
ふーっと、大きく煙を吐き出しながら、サンジは肩をすくめた。
「もういいけどさ、いちいち悪いとか言うな。俺が好きでやってんだし、食費は貰ってんだからよ」
やっぱりサンジの考えている事は理解できそうにない。ゾロはわずかに疲労を自覚しながら大人しく席につき、スープを一口啜った。かぼちゃのスープは甘くて、とろけそうに美味かった。