レモンイエロー ストレンジャー 5

 深夜にふと目が覚めた。まだ梅雨の明けきらないこの季節は寝苦しさで覚醒するような事もなく、睡眠はいたって快適だ。だが、ゾロにとっては暑かろうが寒かろうが、睡眠に関しては同じ事なのであまり関係はない。大抵は一度眠れば朝まで起きず、朝どころか昼まで眠る事も珍しくないゾロが途中で目覚めるなどむしろ珍しい事といって良い。目が開いてあたりが暗いのに驚き、時間も場所も失うような慣れない感覚を味わった。寸前まで何か夢を見ていたような気がすると思いながら、ぼんやりと宙を見上げる。室内は青い色彩を纏ってしんとしている。
手を伸ばし、昨日ようやく買ってきたカーテンをそっと捲って外の様子を見ると、雨はやんで星が出ていた。月も明るい。明日は晴れそうだ。
 明日(正確には今日だが)の日曜は、バイトもなく、久々に丸々一日の休みだ。これなら庭掃除に精が出せそうだと思った。
現時点では、この家に関していえばゾロは無為徒食の身だ。食費としてとりあえずの額は渡してあったが、どうもそれ以上に食わせてもらっている気がして、ゾロは謂われ無い後ろめたさを感じている。こんなふうにして借りばかりが増えてゆくのは、あまり気分のいいものではなかった。たとえ大家がそうは思っていないとしても。
カーテンを離してベッドに倒れこむ。ベッドはセミダブルで広々としているし、このマットだってすこぶる上等だ。ゾロが自分で用意していたら、こんなマットに寝る事など有りはしなかった。ただ与えられる事への気詰まりはずっと感じている。
気にするなといわれて安穏としていられるほど安くはないが、怒ってみせるわけにもいかない。
それで寝苦しいのか。これがストレスというものなのだろうか。
おさまりの良い位置を探し寝返りをうちながらそんなことを思っていたら、なぜだかどうしようもなくサンジのことが気にかかりだした。
ゾロが眠ると言ってリビングを後にしてから、どれくらいたってサンジが自室に入ったのか、ゾロは知らない。この一週間あまり、その様子は一度も目にしていなかった。
(ナミの奴が変な事言いやがるせいで)
 サンジは普通の人間の男だ。幽霊なんかではありえない。わかっているのに、どうしても気にかかる。
(部屋をのぞくだけだ)
 ベッドから脚を下ろし、裸足のまま立ち上がった。
(寝てるかどうか、見るだけだ)
 そっとドアを開けて周囲をうかがう。左手の大窓から差し込む星あかりがぼんやりと室内の木目を照らし出している。前方のドアはぴったりと閉じられ、中の様子はちらともわからない。
 ゾロは部屋から進み出て、ドアを後ろ手にそっと閉めた。歩き出すと、ぎい、と床が鳴る。立ち止まり、しばらくその場でサンジの部屋のドアを見つめた。
(アホだ…)
 そう思って、ぽりぽりと後頭部を掻いた。何をのせられているんだ。ウソップのでまかせもナミの讒言もいつもの事だろう。
ゾロは窓からそっと外の様子を伺い、肩を緩めて溜息をついた。妙に張り詰めていた事を自覚した。
少し緩めると途端に眠気がぶり返してき、ふわあ、とひとつ欠伸をした。部屋に戻ろうと思ったのだが、喉の渇きを覚えたので、水でも飲んでから休もうと階段に向かった。
 かさ、と階下で物音がした。しずくがゾロの気配に気付いて立ちあがった音だ。下まで降りたところで、足下に擦り寄ってくる。そっと抱き上げ、灯りはつけないままで冷蔵庫を開け、ミネラルウォーターのペットボトルを取り出し、ソファに腰をおろした。
 窓は、ブラインドの向こうにロールカーテンが下りていて、星あかりも入らない。天井を見上げながら、ゾロはよくわからない違和感を覚え、そわ、と背後をうかがった。
(なんだ?)
 あたりに注意深く目を配る。知らず眉間には力が入り、しずくを抱く腕は固く強さを増した。
 それは右手のカウンターキッチンの奥から感じた。ゾロは眦を引き締め、その一点をじっと見つめた。
 ゾロの座っているソファの位置からだと、ちょうど対角線上にあるそのドアは、いつも大きな錠前が下りていて、開いたところは一度も見たことがなかった。その下の隙間から、わずかだが照明の明かりらしきものが漏れ出している。
 そこにじっと目を据えたまま、ゾロは静かに立ちあがり、しずくをそっと寝床に戻した。音を立てないようにゆっくりと足を運び、ドアに近づいていく。
 壁に肩を預けて、じっと耳を澄ます。隙間はほとんどなく、中の様子を見ることはできない。じっと様子をうかがっていると、かたんかたんと奥のほうで物音が聞こえた。
 もしも今、二階が無人であるなら、ここで何事かを行っているのはサンジに違いない。
 ドアから体を離し、そっと後ずさる。中で何が起きているのかは気になったが、今この場に踏み込んで問いただそうという気持ちにはなれない。ゾロは大きく息を吸って、肺が空っぽになるまで吐き出す。
何かはわからないが、今はいい。本人が知らないところで盗み見るような真似はしたくない。そう思うと、胸の中に落ち着きが戻ってきた。
 音を立てないように、慎重に階段を昇った。サンジの部屋の前に立ち、ゆっくりとドアノブを廻す。心臓はどくどくと不器用に脈打っている。怯えているのからしくねえ。ゾロは自らを叱咤する。
 サンジがいない事だけ確認して、朝になったらそれとなく訊いてみればいい。ただ反応を見るだけでいいのだ。たとえサンジが何も言わなくても、それはそれでかまわない。ゾロの方にも、必要以上に詮索する気など元からありはしないのだ。
 きい、と軋みながら、ドアは内側に開いた。初めて見るサンジの部屋だ。
 正面に大きな窓が見えるのはゾロの部屋と同じだった。そこに、一階にある物と同じブラインドが下がっている。
 ベッドは部屋の右隅、窓の方を頭にして左側を壁に寄せる格好で、縦に配置されていた。壁には縦長の小窓がひとつついている。ゾロの部屋にも同じ窓があるが、位置が反対だ。ゾロの部屋の小窓からは庭が見渡せるが、こちらは塀側に面している。
 ゾロは息を飲んだ。
(……いるじゃねえか)
 サンジはベッドの中で眠っていた。軽そうな羽毛の布団は胸の上までおりていて、窓から薄く入り込む星の明かりが、その髪の金色をほのかに浮かびあがらせている。
(てことは、下のあれは…)
 ゾロはドアをそっと離し、もう一度階段を駆け下りた。今度は足音など気にかけてはいられない。
 あれがサンジでないならいったいなんだ!
 幽霊なんてのは有り得ない。そんなことがあるはずはない。だったらあれは。
「ち……!」
 手摺を軸にしてスピードを落とさずにキッチンの方に回り込む。踵が板を擦れる音が、キュッと暗闇で大きく鳴った。しずくがぴん、と体を起こすのが見えた。
「おい!」
 声を出すとと同時に勢い良くドアを押した。けれども、鍵は頑丈でドアはびくともしない。逆に跳ね返されて肩をひどく打った。
 ゾロは迷わず玄関から飛び出した。月光の降り注ぐ庭はしんと静まり返っている。草叢の中にたまった雫が頬のあたりにはねた。ぬかるんだ地面がゾロの足元を汚した。ざかざかと草の擦れる音が闇に響く。肩や背中にも水が降りかかった。
 ゾロは塀側から回りこんで、反対側に突き抜けた。おそらくこちら側にも入り口があるのだとは思っていたが、これまで見たことはなかった。そして正面から眺めて、ゾロは初めてこちらの方が正門なのだと知った。
 観音開きの大きなドア。木の扉のついた窓はぴったりと閉ざされ、明かりの漏れる隙間はない。ドアから道路に出るまでに小さな小道があり、その脇にも花壇の跡らしきものがある。薔薇は枯れ、雑草が茂っていた。 
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