レモンイエロー ストレンジャー 3

 道を行き交う色とりどりの傘の花をガラス越しに眺めているうちに、瞼はだんだんと重くなる。ゾロはぱちぱちと瞬いて無理やりに開かせ、またぼうっと傘の流れを追う。汗をかいたグラスに、まだアイスコーヒーは半分ほど残っている。
「おかしいわ」
 ナミがぽつりと言った。落ちかかる髪を耳にかけてストローを銜え、唇をす、とすぼめる。優雅な仕草だ。ゾロはともすればぼやけてしまう視界の中で、それを見つめる。
 捨て犬を拾った事を聞いて多少心配していたナミがゾロの携帯に電話を入れたのは、サンジの家に暮らすようになって二日後の事だった。
 何かあれば真っ先に言って来ると思っていたのに、何も言って来なかったゾロに対し、ナミは腹を立てていた。
 ナミに居場所を問われたゾロは、ばつの悪さと面倒くささから曖昧に濁していたのだったが、今日はとうとうバイト帰りにつかまってしまった。私には聞く権利があると思うわ、と物騒な空気を纏わりつかせて笑ったナミを前に、ゾロは結局サンジと同居するに至った過程を話して聞かせるはめに陥ったのだった。
 ナミは高校の頃からの友人だ。それも、おそらくゾロにとっては今現在一番近しい。もともと、お互いに人付き合いに際して性別を意識する質ではなかったが、二人の親密さを見て、いわゆる男女の仲ではないとひと目で見抜ける者は少ない。
 悋気を見せる女に面倒くさそうに弁解する男。
 回りにどう見えるのかと考えてそんな言葉を思い浮かべ、ゾロはうんざりと顔を顰めた。
 こくん、とナミの細い喉が小さく動く。ひと呼吸置いて、よく動く口が再び開いた。
「家に手をいれてたなんて…私、ここ一ヶ月の間に何度かあの家の前を通ったけど、今までとなにも変わらなかったわよ?」
「そんなこといったって、実際に住んでるもんは疑いようもねえだろ」
「そうだけど…だいたい、その、サンジとかいう奴もちょっと変じゃない?あんたとたいして年はかわらないんでしょう?それでそんな家にひとりで住んで、何してる人なわけ?」 
 そんなふうにまくし立てるようにして訊かれても、ゾロは何一つ答えられないので、口を噤むしかない。背もたれに体重を預けるようにしてナミから距離を取ってもたかが知れている。そんな顔したってだめなんだから、と、ナミが怒ったように言った。
「悪かったな、こんな顔で」
「低次元ね。ほんとにうかつなんだから!」
そこまで言われてはゾロも自らを弁護するために言葉を尽くさねばならない。
「しょうがねえだろうが。犬がいたし、いまさら見捨てるわけにもいかなかったんだよ」
「たとえば、その人に犬だけ預けるとか、考えなかったの?」 
 まったく考えなかった。どころか、今ナミにいわれて始めて気付いたほどだ。うかつと言われればたしかにそうかも知れない。
「ほうら、やっぱり気付いてなかった」
 勝ち誇ったように言うナミに、ゾロはうまく反撃する自信もなく、悔し紛れに氷の溶けたアイスコーヒーに手を伸ばして、ごくごくと呷った。
 サンジと件の洋館に住み始めて、一週間が過ぎていた。ごちゃついていたリビングはきれいに片付き、ゆったりとした寛ぎの空間へと鮮やかな変貌を遂げ、食器棚にはきれいに陶器やガラスの器が納められた。
 ゾロの部屋にはベッドと作り付けのクローゼット以外何もなかったが、サンジが余った寝具を提供してくれたので、今のところ何一つ不自由がない。
 つまり、快適なのね?とナミがにっこりと企みを含んだ笑顔で言うのにも、不本意だが甘んじるしかない。本当に今のところ、ゾロには何一つ不満がなかったのだ。
「ところで、犬は元気なの?しずくちゃん」
「ああ」
 階段が危ないと言って、サンジがリビングの隅にしずくの寝床を準備した。なんだかんだと世話を焼くのが好きな奴なのだ。それくらいは、一週間も見ていればゾロにだってわかる。奴にとっては俺を拾うのも犬を拾うのも似たようなものなのかと思うと、腹立たしい気持ちになる。素直に感謝する事が出来ないのは、そのせいもあるかもしれない。
 庭掃除はまだ終わっていない。雨が続くので、なかなか作業がはかどらないせいだ。おかげで草花はますます勢いを増して繁茂している。
「家ん中も庭も広いからな。駆けまわって楽しそうにしてるぜ。サンジにもずいぶん懐いちまって」
 ナミは眉を引き上げてしかたがない、といったふうにため息をついた。
「ま、あんたがそれでいいんなら私はべつにかまわないけど。ちゃんと暮らしているみたいだし。ただ、あそこの家、ちょっと気になる話を聞いたことがあったのを思い出して…」
 ゾロは軽く目を見張る。そんな話は初耳だった。
「ウソップがね、前にちらっと。でもあいつのことだから面白おかしくでまかせを言っただけかもしれないし。ただ、なんだか話がうますぎると思って、それで気になるのよね」
「はっきり言え。なんなんだ?」
「良くある話よ。お化け屋敷ネタ。あの家には出るんだとか、言ってたのよ、前に」
 そう言って窓の外に視線を向けながらグラスを持ち、ストローを口に含んだ。
「気にはなるけどまあ、科学的じゃないわよね、やっぱりウソップの嘘だわ。気にしないで」
 と、それで話を切り上げるつもりらしい。
 幽霊?
「あいつが?」
「だから。そんな話があったというだけで、サンジってやつがそうだと言ってるわけじゃないわ」
 でもなんだか釈然としないのよ。ストローを指先につまんで残った氷をつつきながら、ナミは口を尖らせる。
 その気持ちはゾロにもわかった。出会って一週間、サンジが何をして過ごしているのか、ゾロにはその影すら見えてこない。
 ゾロは大学生だ。仕送りだけではかつかつで、週にほぼ五日、カラオケボックスでアルバイトをしている。他に週二日ほどコンビニで深夜のアルバイトに入っているのだが、必要経費が減ったおかげで、そちらはそろそろやめる予定だ。人が決まるまで、と言われ、まだ当分は通うことになりそうではあるのだが。
 そんな風にして外で忙しく過ごしたゾロが帰ると、サンジはかならず家にいる。おかえり、と笑って、晩飯できてるぜ、と言って、当たり前のようにスープを温めなおす。
一度、適当でいい、と言ったら、くどくどと文句を言われた。食に対して、適当という言葉は奴の辞書にはないらしい。面倒なので、以降はおとなしく、出されたものは素直に食べるようにしている。実際文句のつけようもない程、どれも美味いのだ。信じがたいほどに。
 悪い奴ではない。それはこの一週間でわかった。しかし相変わらず正体は不明だ。ナミの話を鵜呑みにする気はないが、強く否定できるだけの材料が全くない。
「でもまあ、その話とサンジは別物だ。そもそも、幽霊なんてもん、俺は信じねえよ」
「まあ気になるのは幽霊話だけじゃないんだけど。…あんた本当に暢気ね」
 呆れ顔で、まあそのうち招待してよね、と付け加え、ナミはアイスティーを飲み干した。  
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