眠れぬ夜にぼくらが選ぶいくつかのやり方 6
5.(話す)
少しばかりの無念と安堵を胸に、東堂はひとり風呂に浸かりながら、夕方の薄暗いリビングで見た巻島の肌の色を思い出していた。
舌を這わせると不思議に甘く、浮き上がった骨をなぞるように動かすと喉をひくつかせて声を飲み込み、ぎゅっと抱きしめると小刻みに体を震わせる。そらせた首筋や、宙に惑う視線や、赤く染まった頬、や。
片方だけ薄く開いて、されていることを確認するような、茫洋とした目つき、とか。
(あーーー、く、っそ…足りん!全然足りんぞ!)
がしがしがしと頭をかき回し、そのままぶくぶくと口許まで沈んだ。もうもうとたちこめる湯気の向こうに、オレンジの濃い明かりが白いタイルを照らしている。
東堂は心のどこかで明日の雨を望んでいる自分に気づいていた。大会ならともかく、練習走行ならわざわざ土砂降りの中で行うこともない。そうすれば。
(メガネくんは楽しみにしているんだろうが…)
小野田はその気になればいつだって、巻島と山を登ることが出来るのに。
などと巻島に言うわけにはいかない。自分がいることに意味があるのはわかっているし、小野田にそんな素振りを見せるのも当然論外だ。
ぴちゃんと、湯の中にしずくの落ちる音がした。東堂はざばっと立ち上がってバスタブを跨ぐと、軽く反応した自身を忌々しい思いで見つめた。
「……いかんな。少し頭を冷やそう」
膝を突いてしゃがみこむと、バスタブのふちに左手をかけ、右手で握りこんだ。
思うようにいかない。ままならなさに雁字搦めになって、不自由で仕方がない。二人で山を駆け上がるときは羽が生えたように自由になった気がするのに、それとこれとは、いったい何が、どう違うのか。わからないまま、気ばかりが焦っている。
もっともっと近づきたいのに、全然時間が足りない。
ぽたぽたとタイルに吐き出された体液を眺めながら、東堂はひどく情けない思いにかられて、少し涙を零した。額を流れる汗と混ざって、染みた。
風呂から上がってリビングに向かうと、巻島は風呂に入る準備をすっかり終えてソファに座っていた。
無言で、ドアを開けた東堂をじっと見上げてくる。
「すまんな、遅くなった」
後ろめたい気持ち半分で言うと、巻島はいや、と小さく答え、立ち上がった。
「先に部屋行ってろ。棚に並んでるDVDとか、なんか見たいのあったら勝手に見てろショ」
巻島は二階を指差しながら言い、ミネラルウォーターのペットボトルを差し出した。東堂は礼を言って受け取り、バスルームに向かう巻島の背中をしばらく眺めてから、階段をのぼった。
巻島邸はとても広く、いちいち豪華だ。リビングとキッチンだけで、箱学の部室くらいはありそうだ。高い天井に玄関ホールの高級そうな石のタイル。すべてつるつると、鏡みたいに綺麗に磨かれている。
家族が出払ってこの家にひとりで残るということが、巻島にはそう珍しくもないようだった。「部活あっからなあ」とこぼしていたが、そうしているのが好きなようでもあった。
巻島の部屋に入り、手近な椅子に腰を下ろして、ペットボトルのキャップを捻った。
水を飲みながらつらつらと考える。
聞いたことは今までなかったが、たとえばそういうふうに家に人がいないときに女子が遊びに来たりというようなことは、巻島にはあったのだろうか。
彼女がいるとかいないとかいう話はしたことがなかったが、かつていたとしても驚きはしない。髪色の奇抜さが女子に対してどう作用するかは想像するしかないが、巻島がモテてもちっともおかしくないと思う。
たとえばこうしている今だって、どこかで巻島にメールを打とうとしている女子がいないとも限らない。と思うと、急に巻島の携帯が気になった。きょろきょろと室内を見渡してみたが当然見当たらなかった。リビングか、風呂場に持って入ったのだろう。
まだ少し濡れた前髪をタオルで拭い、ついと引っ張る。あとでドライヤーを借りよう、と思う。
近くにいないから、そういうことの一切がまるでわからない。巻島が自分を好きなことはわかるし、女子から告白されたとしても、きっと断ってくれるだろうとは思う、が。もしも今、などと考えれば、気持ちは簡単に乱れる。
つい最近自分の身に起きたことを考えながら、そんな経験などどれほどの慰めにもならないと思った。
顔を見ていれば忘れられた離れている間の煩悶が、嵐の前の暗雲のように勢いを増して、もくもくと胸を覆いはじめる。
階下で足音がした。静かに息を潜めていると、巻島がゆったりした足取りで階段を登る音が響いてきた。
「東堂?」
ドアを開けながら呼ばれ、なんだ巻ちゃん、と答える。巻島は白と水色のストライプ模様のパジャマを着て、濃い青のバスタオルを頭に半分引っ掛けた形で立っていた。
「ドライヤーを貸してくれないか」
咄嗟に、それしか言葉が出なかった。
「ああ、そこ」
ドア脇のラックの下段を指差され、見るとボックスからコンセントが覗いている。
場所をかわり、東堂がドライヤーを使う背後で、巻島はパソコンを起動させた。ペットボトルにストローをさして飲みながら、ネットのニュースなどを眺めている。
「なんか面白い?」
「いや、べつに」
ほぼ乾いたと思ったところでスイッチを切った。すると室内はこわいくらい静かになった。住宅街だから外もしんと静まっている。
時計の針は十時半を指している。寝るには早い気もするが、明日のことを考えれば、寝てしまったっていい時間だ。
「使うか?」
「ああ」
ドライヤーを手渡しかけて、思いついてやめた。訝しげに首を傾げた巻島ににこりと笑って、「オレがかわかしてやろう」と言った。巻島は片眉をぴくりと動かしたが、軽く俯いて同意を伝えてきた。再度椅子を入れ替わり、東堂の膝の間に巻島が胡坐をかいて座る。
「いつも思っていたんだが」
「あァ?」
怒鳴るみたいに言い合う。風のふきだす音で聞き取りにくいので、自然と声を張ることになる。
「巻ちゃん、いい匂いだよな。シャンプーかと思ったけど、なんか違う気もする」
「自分の匂いなんかわからねえヨ」
「いいやいい匂いだ。気づいてるのはオレだけじゃないと思うぞ!実は評判だったりしてな!」
「べつになんもつけてねえし」
そう言って、パジャマの袖を鼻の下へ持っていく。
てっぺんをサラサラと指先でかき混ぜたり、下から梳きあげるように持ち上げたりしながら風をあてる。
「なあ巻ちゃん」
「んー」
「考えたんだがな」
カチ、とスイッチを切る。乾いてあたたまった巻島の緑の髪がふわふわとうねっている。
「なんだ?」
声が聞きたい。顔が見たい。自転車に乗りたい。
遠くへ行きたい。きれいな景色を見たい。笑いあいたい。泣き顔が見たい。抱きしめたい。
もっと強く、深く。
でもどこまで同じ気持ちなのかがわからない。巻島の思いの強さがわからないから、どこまで求めていいのか、その加減を見極めきれない。
「オレ、どんどん欲張りになってる気がするよ……」
巻島の髪に触れながらぽつりと言うと、ショ、とちいさな返事が聞こえた。
「当ててやろう。今のは、オレもだってことだな」
「さあな」
「ずるいぞ巻ちゃん。はぐらかす気か」
巻島は黙り、そっと息を吐いたのが、肩越しにわかった。
カチン、とガラス窓に何かがあたる音がして、巻島がそちらに顔を向けた。風が出てきたのだろうか。思っていると、巻島が言った。
「風が出てきたな」
窓に近づいてカーテンに手を伸ばし、隙間から外を窺う。
「大丈夫なのか、明日」
「夜にいきなり強まることはよくあんだよ。朝になればきっとやんでる」
そうか、と答えると、再び巻島がため息をついた。そして、
「もう寝る?」
と聞いてきた。
「……眠いか?」
「いや、眠くはないショ」
「明日何時起き?」
「八時半に学校だから、七時過ぎに起きれば十分だ」
「ならまだいいよな……なあ巻ちゃん、聞いていいか」
「なに」
巻島はちょうどオーディオの真下あたりで、棚に寄りかかってグラビア雑誌を捲っている。東堂は椅子を降りて、近づき、隣に座った。肩が少し触れる。正面には自転車のパーツが並べられ、その横には四角いスツールがあり、上に自転車雑誌が数冊重ねられていた。
「あのさ……、あ、でも言いたくなかったら答えなくていいからな」
「だから、なんショ?」
「巻ちゃんはオレのどこが好きだ?」
胡坐をかいた姿勢で手近なグラビア雑誌を捲り始めていた巻島は、ぴたりとその動きを止めて、ぱっと目を見開いた。
「いつからだ?前からそういうことを考えていたか?オレ、この間はいろいろ夢中だったし、自分でもわりとテンパってたというか……そこまで頭が回っていなかった」
「……あ――」
「つきあおうと言って、うんと言ってもらったのはわかっているんだが、だんだんそういうことが気になってきてな……この一ヶ月、実はけっこうしんどかった」
巻島は無言で、一度グラビアに目を戻すと、パラリとページをめくった。
「で?」
「いや、で、って」
「オレの気持ちより、お前ショ」
「どういう意味だ?」
「おめーこそ、オレのなにをショ。あんなに女好きでもてるのが自慢で、ファンクラブまであるような奴が、なんでいきなりオレだよ。そっちのがおかしいっショ」
「巻ちゃ……」
「だから、お前がやめたいって言ってもべつに驚かねえし。夏休みのも、今日だって、まだインハイの昂ぶった熱みてえのが残ってたんだってことにしたって、かまわねえショ」
「え、ちょ、なんでそうなる?!」
つい声を荒げた東堂を、巻島は静かなまなざしで見つめていた。どんな答えが戻ってきても飲み込んで、いつものようにうまくない笑顔を浮かべて、それでいいと納得してしまうような。
東堂は夏の箱根を思い出していた。
一緒に飛び出そうとどれだけ煽っても、巻島は自分には本音を晒さなかった。あの時点でも、巻島だけは小野田が上がってくるのを待っていたのだという話は、後になって荒北に聞いた。
あのときと同じだと思った。同じ目じゃないかと思った。自分にだけ、時に巻島は嘘をつく。つくのかもしれない。そう思う。
「そんなことは許さんよ、巻ちゃん」
巻島は優しげに遠くを見るような目つきをして、それからクハ、と笑った。
「悪い。そういうつもりじゃねえショ。ただ、オレもたまに、よくわからねえのよ。勢いだけじゃないとも言い切れねえ。そこまで気持ちに自信もねえしな……」
巻島は首を横に倒して東堂の肩にこつんと頭をあて、一瞬甘えるようなしぐさを見せたが、すぐに離れていった。上半身を前に倒して立てた膝に額をおしあてる。長い髪が項の真ん中でわかれて、首の左右に流れた。
「けどまァ、わかれなんてほうが無理っショ。どちかっていえば勢いで流されてるだけかもしれねえショ、お前もオレも。だからってそれが悪いとも思ってねえ」
「巻ちゃん……」
「いつまで続くかも」
「巻ちゃん!」
前に折った首をかすかに左に向け、覗き込むような目が見上げて来る。
「いつからお前を好きかってコトなら、たぶんけっこう前からなんじゃねえの?」
「え?」
「それだってまあ、わからねえけど。だけど、おめえだけいつも、他の奴とは違ったからナ。闘う相手だったし当然だけど、けどもうオレらずっとお互いに、それだけじゃなかっただろ」
「ああ」
東堂は見上げる巻島の目を見ていられなくて、顔を隠すように、その左肩に顔を伏せた。
「それがなんでこうなるのかって言われても説明できねえよ。でもオレはお前に反応するショ。電話で喋ってるだけでおかしくなりそうなときだってあるしな」
肩が震えだしたので頭を跳ね上げると、巻島は俯いたまま、額に手をあててクハハと笑っている。
「……オレだって」
「ああ。声聞くだけでそれだ。顔見たり、触ったりしたら、それこそまともな思考なんかできねえよ。流されて当然じゃねえ?」
「それは……まあ、気持ちいいもんな」
「ショ……けどまあ、それは好きとか嫌いとか以前の問題ショ」
「ま、巻ちゃんそれはさすがに、どうかと思うぞ」
巻島は顔を上げてニヤァ、と笑い、どうだか、と言った。
「言っとくがオレはめちゃめちゃノーマルだぞ」
東堂が焦って言うと、巻島は少し照れくさそうに目を眇めて、
「オレもだよ、バカ」
と言った。
少しばかりの無念と安堵を胸に、東堂はひとり風呂に浸かりながら、夕方の薄暗いリビングで見た巻島の肌の色を思い出していた。
舌を這わせると不思議に甘く、浮き上がった骨をなぞるように動かすと喉をひくつかせて声を飲み込み、ぎゅっと抱きしめると小刻みに体を震わせる。そらせた首筋や、宙に惑う視線や、赤く染まった頬、や。
片方だけ薄く開いて、されていることを確認するような、茫洋とした目つき、とか。
(あーーー、く、っそ…足りん!全然足りんぞ!)
がしがしがしと頭をかき回し、そのままぶくぶくと口許まで沈んだ。もうもうとたちこめる湯気の向こうに、オレンジの濃い明かりが白いタイルを照らしている。
東堂は心のどこかで明日の雨を望んでいる自分に気づいていた。大会ならともかく、練習走行ならわざわざ土砂降りの中で行うこともない。そうすれば。
(メガネくんは楽しみにしているんだろうが…)
小野田はその気になればいつだって、巻島と山を登ることが出来るのに。
などと巻島に言うわけにはいかない。自分がいることに意味があるのはわかっているし、小野田にそんな素振りを見せるのも当然論外だ。
ぴちゃんと、湯の中にしずくの落ちる音がした。東堂はざばっと立ち上がってバスタブを跨ぐと、軽く反応した自身を忌々しい思いで見つめた。
「……いかんな。少し頭を冷やそう」
膝を突いてしゃがみこむと、バスタブのふちに左手をかけ、右手で握りこんだ。
思うようにいかない。ままならなさに雁字搦めになって、不自由で仕方がない。二人で山を駆け上がるときは羽が生えたように自由になった気がするのに、それとこれとは、いったい何が、どう違うのか。わからないまま、気ばかりが焦っている。
もっともっと近づきたいのに、全然時間が足りない。
ぽたぽたとタイルに吐き出された体液を眺めながら、東堂はひどく情けない思いにかられて、少し涙を零した。額を流れる汗と混ざって、染みた。
風呂から上がってリビングに向かうと、巻島は風呂に入る準備をすっかり終えてソファに座っていた。
無言で、ドアを開けた東堂をじっと見上げてくる。
「すまんな、遅くなった」
後ろめたい気持ち半分で言うと、巻島はいや、と小さく答え、立ち上がった。
「先に部屋行ってろ。棚に並んでるDVDとか、なんか見たいのあったら勝手に見てろショ」
巻島は二階を指差しながら言い、ミネラルウォーターのペットボトルを差し出した。東堂は礼を言って受け取り、バスルームに向かう巻島の背中をしばらく眺めてから、階段をのぼった。
巻島邸はとても広く、いちいち豪華だ。リビングとキッチンだけで、箱学の部室くらいはありそうだ。高い天井に玄関ホールの高級そうな石のタイル。すべてつるつると、鏡みたいに綺麗に磨かれている。
家族が出払ってこの家にひとりで残るということが、巻島にはそう珍しくもないようだった。「部活あっからなあ」とこぼしていたが、そうしているのが好きなようでもあった。
巻島の部屋に入り、手近な椅子に腰を下ろして、ペットボトルのキャップを捻った。
水を飲みながらつらつらと考える。
聞いたことは今までなかったが、たとえばそういうふうに家に人がいないときに女子が遊びに来たりというようなことは、巻島にはあったのだろうか。
彼女がいるとかいないとかいう話はしたことがなかったが、かつていたとしても驚きはしない。髪色の奇抜さが女子に対してどう作用するかは想像するしかないが、巻島がモテてもちっともおかしくないと思う。
たとえばこうしている今だって、どこかで巻島にメールを打とうとしている女子がいないとも限らない。と思うと、急に巻島の携帯が気になった。きょろきょろと室内を見渡してみたが当然見当たらなかった。リビングか、風呂場に持って入ったのだろう。
まだ少し濡れた前髪をタオルで拭い、ついと引っ張る。あとでドライヤーを借りよう、と思う。
近くにいないから、そういうことの一切がまるでわからない。巻島が自分を好きなことはわかるし、女子から告白されたとしても、きっと断ってくれるだろうとは思う、が。もしも今、などと考えれば、気持ちは簡単に乱れる。
つい最近自分の身に起きたことを考えながら、そんな経験などどれほどの慰めにもならないと思った。
顔を見ていれば忘れられた離れている間の煩悶が、嵐の前の暗雲のように勢いを増して、もくもくと胸を覆いはじめる。
階下で足音がした。静かに息を潜めていると、巻島がゆったりした足取りで階段を登る音が響いてきた。
「東堂?」
ドアを開けながら呼ばれ、なんだ巻ちゃん、と答える。巻島は白と水色のストライプ模様のパジャマを着て、濃い青のバスタオルを頭に半分引っ掛けた形で立っていた。
「ドライヤーを貸してくれないか」
咄嗟に、それしか言葉が出なかった。
「ああ、そこ」
ドア脇のラックの下段を指差され、見るとボックスからコンセントが覗いている。
場所をかわり、東堂がドライヤーを使う背後で、巻島はパソコンを起動させた。ペットボトルにストローをさして飲みながら、ネットのニュースなどを眺めている。
「なんか面白い?」
「いや、べつに」
ほぼ乾いたと思ったところでスイッチを切った。すると室内はこわいくらい静かになった。住宅街だから外もしんと静まっている。
時計の針は十時半を指している。寝るには早い気もするが、明日のことを考えれば、寝てしまったっていい時間だ。
「使うか?」
「ああ」
ドライヤーを手渡しかけて、思いついてやめた。訝しげに首を傾げた巻島ににこりと笑って、「オレがかわかしてやろう」と言った。巻島は片眉をぴくりと動かしたが、軽く俯いて同意を伝えてきた。再度椅子を入れ替わり、東堂の膝の間に巻島が胡坐をかいて座る。
「いつも思っていたんだが」
「あァ?」
怒鳴るみたいに言い合う。風のふきだす音で聞き取りにくいので、自然と声を張ることになる。
「巻ちゃん、いい匂いだよな。シャンプーかと思ったけど、なんか違う気もする」
「自分の匂いなんかわからねえヨ」
「いいやいい匂いだ。気づいてるのはオレだけじゃないと思うぞ!実は評判だったりしてな!」
「べつになんもつけてねえし」
そう言って、パジャマの袖を鼻の下へ持っていく。
てっぺんをサラサラと指先でかき混ぜたり、下から梳きあげるように持ち上げたりしながら風をあてる。
「なあ巻ちゃん」
「んー」
「考えたんだがな」
カチ、とスイッチを切る。乾いてあたたまった巻島の緑の髪がふわふわとうねっている。
「なんだ?」
声が聞きたい。顔が見たい。自転車に乗りたい。
遠くへ行きたい。きれいな景色を見たい。笑いあいたい。泣き顔が見たい。抱きしめたい。
もっと強く、深く。
でもどこまで同じ気持ちなのかがわからない。巻島の思いの強さがわからないから、どこまで求めていいのか、その加減を見極めきれない。
「オレ、どんどん欲張りになってる気がするよ……」
巻島の髪に触れながらぽつりと言うと、ショ、とちいさな返事が聞こえた。
「当ててやろう。今のは、オレもだってことだな」
「さあな」
「ずるいぞ巻ちゃん。はぐらかす気か」
巻島は黙り、そっと息を吐いたのが、肩越しにわかった。
カチン、とガラス窓に何かがあたる音がして、巻島がそちらに顔を向けた。風が出てきたのだろうか。思っていると、巻島が言った。
「風が出てきたな」
窓に近づいてカーテンに手を伸ばし、隙間から外を窺う。
「大丈夫なのか、明日」
「夜にいきなり強まることはよくあんだよ。朝になればきっとやんでる」
そうか、と答えると、再び巻島がため息をついた。そして、
「もう寝る?」
と聞いてきた。
「……眠いか?」
「いや、眠くはないショ」
「明日何時起き?」
「八時半に学校だから、七時過ぎに起きれば十分だ」
「ならまだいいよな……なあ巻ちゃん、聞いていいか」
「なに」
巻島はちょうどオーディオの真下あたりで、棚に寄りかかってグラビア雑誌を捲っている。東堂は椅子を降りて、近づき、隣に座った。肩が少し触れる。正面には自転車のパーツが並べられ、その横には四角いスツールがあり、上に自転車雑誌が数冊重ねられていた。
「あのさ……、あ、でも言いたくなかったら答えなくていいからな」
「だから、なんショ?」
「巻ちゃんはオレのどこが好きだ?」
胡坐をかいた姿勢で手近なグラビア雑誌を捲り始めていた巻島は、ぴたりとその動きを止めて、ぱっと目を見開いた。
「いつからだ?前からそういうことを考えていたか?オレ、この間はいろいろ夢中だったし、自分でもわりとテンパってたというか……そこまで頭が回っていなかった」
「……あ――」
「つきあおうと言って、うんと言ってもらったのはわかっているんだが、だんだんそういうことが気になってきてな……この一ヶ月、実はけっこうしんどかった」
巻島は無言で、一度グラビアに目を戻すと、パラリとページをめくった。
「で?」
「いや、で、って」
「オレの気持ちより、お前ショ」
「どういう意味だ?」
「おめーこそ、オレのなにをショ。あんなに女好きでもてるのが自慢で、ファンクラブまであるような奴が、なんでいきなりオレだよ。そっちのがおかしいっショ」
「巻ちゃ……」
「だから、お前がやめたいって言ってもべつに驚かねえし。夏休みのも、今日だって、まだインハイの昂ぶった熱みてえのが残ってたんだってことにしたって、かまわねえショ」
「え、ちょ、なんでそうなる?!」
つい声を荒げた東堂を、巻島は静かなまなざしで見つめていた。どんな答えが戻ってきても飲み込んで、いつものようにうまくない笑顔を浮かべて、それでいいと納得してしまうような。
東堂は夏の箱根を思い出していた。
一緒に飛び出そうとどれだけ煽っても、巻島は自分には本音を晒さなかった。あの時点でも、巻島だけは小野田が上がってくるのを待っていたのだという話は、後になって荒北に聞いた。
あのときと同じだと思った。同じ目じゃないかと思った。自分にだけ、時に巻島は嘘をつく。つくのかもしれない。そう思う。
「そんなことは許さんよ、巻ちゃん」
巻島は優しげに遠くを見るような目つきをして、それからクハ、と笑った。
「悪い。そういうつもりじゃねえショ。ただ、オレもたまに、よくわからねえのよ。勢いだけじゃないとも言い切れねえ。そこまで気持ちに自信もねえしな……」
巻島は首を横に倒して東堂の肩にこつんと頭をあて、一瞬甘えるようなしぐさを見せたが、すぐに離れていった。上半身を前に倒して立てた膝に額をおしあてる。長い髪が項の真ん中でわかれて、首の左右に流れた。
「けどまァ、わかれなんてほうが無理っショ。どちかっていえば勢いで流されてるだけかもしれねえショ、お前もオレも。だからってそれが悪いとも思ってねえ」
「巻ちゃん……」
「いつまで続くかも」
「巻ちゃん!」
前に折った首をかすかに左に向け、覗き込むような目が見上げて来る。
「いつからお前を好きかってコトなら、たぶんけっこう前からなんじゃねえの?」
「え?」
「それだってまあ、わからねえけど。だけど、おめえだけいつも、他の奴とは違ったからナ。闘う相手だったし当然だけど、けどもうオレらずっとお互いに、それだけじゃなかっただろ」
「ああ」
東堂は見上げる巻島の目を見ていられなくて、顔を隠すように、その左肩に顔を伏せた。
「それがなんでこうなるのかって言われても説明できねえよ。でもオレはお前に反応するショ。電話で喋ってるだけでおかしくなりそうなときだってあるしな」
肩が震えだしたので頭を跳ね上げると、巻島は俯いたまま、額に手をあててクハハと笑っている。
「……オレだって」
「ああ。声聞くだけでそれだ。顔見たり、触ったりしたら、それこそまともな思考なんかできねえよ。流されて当然じゃねえ?」
「それは……まあ、気持ちいいもんな」
「ショ……けどまあ、それは好きとか嫌いとか以前の問題ショ」
「ま、巻ちゃんそれはさすがに、どうかと思うぞ」
巻島は顔を上げてニヤァ、と笑い、どうだか、と言った。
「言っとくがオレはめちゃめちゃノーマルだぞ」
東堂が焦って言うと、巻島は少し照れくさそうに目を眇めて、
「オレもだよ、バカ」
と言った。