海賊が死んだ島 8
***
海賊がどうしてその男の為に何もかも捨てる気になったのか、最近わかるような気がするんだよ。
ああ、おめえにはわからないだろうな。わからなくていいよ、てめえはよ。
俺だって確かじゃない。そういう気がするってだけだ。
そんな風に生きるのもいいかもしれないな、ってよ。
***
風向きが変わったのに気付いたのは、もう日が暮れかけた頃だった。
サンジは光る花の姿を知らない。その事に気付いて、自分の迂闊さに歯軋りした。
夜になれば光るはずだ。きっと見られるだろう。サンジは浜辺に丁度いい高さの木を見つけて、その下に荷物をおろし、例の如く火を起こして食事の準備をした。
今ごろ、連中はどうしているだろう。不思議な事に、島に入ってから初めて、サンジはメリー号の事を思い出していた。
ちゃんと食べているだろうか。三日分くらいは適当に下拵えをしておいてきたけれど。あの量でルフィが満足してくれればいいが。考え出すと心配が募り始める。ナミさんの手を煩わせて申し訳ないだとか、ウソップやチョッパーが手伝ってくれているだろう、とか。
ゾロはどうしているだろう。
水平線はだんだんその境を失って、空の中に入り込む。天頂には星が生まれ始めた。島に入って二回目の夜が訪れている。
ゾロと話をした夜には、まさか実際に島を訪れる日が来るなど、サンジは想像もしていなかった。
一週間前の夜だ。見張り台の上で、普通に話した夜。
普通のことだ。特別に親しくしたわけでもない。酒の肴にちょっとくらい身の上話を吐露するような、そういう普通さで、二人は会話を交わした。
話しながらサンジは、もしもこの船の連中がそれぞれの夢をかなえてバラバラになる日がきたら、いったいこの目の前の男は自分にどんな言葉をくれるだろうと考えた。
自分の言葉に時折笑い顔を見せて、そっと俯いて目を閉じたり、口許を嘲るように歪めたり。そんなふうに変化するゾロの表情を見ているうちにサンジは、朧げながら、ゾロに対して望んでいるものの形が浮かび上がってくるような気がしたのだった。
***
だって俺はたぶん、おめえがいなくなって、二度と顔も見られないってことになったら、そりゃやっぱ寂しいような気がすんだ。
お前が俺の作った飯を美味そうに食ってんのを見るのは楽しいし、お前と無意味な喧嘩してる時だって、たぶん、それが無くなったらつまらねえと思うくらいにはまあ、たぶん楽しんでるしな。
おめえだって、少しくらいはそういう気持ち無えかよ?
無えなんて言っても信じねえけど。
それを嘘だと思えるくらいには、お前の事を知ってるよ。俺は。
こういうこと言うと、また喧嘩になりそうだけどな。
***
サンジがおかしな事を言い始めたせいで、ゾロはだんだんとどんな顔をしていいかわからなくなった。
これはいつものコックの軽口とはちょっと違う。このままこの男のペースで話を進めるのはまずい。そう思った。
ゾロはたじろいだ。いつもより距離が近い。殴りあったり蹴りあったり、そんな直接の接触があるわけでもないのに、この近さはどうした事だろうと思った。
「てめえ、酔っ払ってんのか」
「この程度で言ってる事がわかんなくなったりはしねえな」
「口が滑ってねえか」
「そりゃあるかも知れねえなあ」
サンジはそう言って、ひゃひゃひゃとおかしな笑い声を立てた。箍が外れている。しかし、外れているだけなら、この普段からは考えられない言動の数々は、この男の本心の、一部であるに違いない。
サンジはグラスを頭の高さに掲げて項垂れて、うう、と潰れた蛙みたいな声を漏らした。その旋毛を晒した黄色い頭のてっぺんを見下ろして、ゾロはふん、と鼻息をひとつ吐き出し、ぱしん、と叩いた。
「いってえ。何すんだクソマリモ」
「そうだ。そうやってろ、この阿呆。変な事言い出すんじゃねえ、調子狂う」
「狂ってみればいいんじゃね?」
「はあ?」
片目を見開いて呆れて見せるゾロに、サンジはふわりと笑って、煙草をはさんだ右手をゾロの左頬に伸ばした。
呆然とするゾロにゆっくりと顔を寄せ、目を合わせてじっと覗き込む。。
その瞬間のことは余り記憶に無い。ゾロはただバカになったみたいに、ぼうっと、サンジの頭の後ろに広がる真っ暗な空を見ていた。サンジの目を同じように覗いた事もあったかもしれない。見張り中になにやってんだとか、グラスにもう酒が無いから注ぎ足さないといけないとか、そんなどうでもいいことばかり頭に浮かんだけれど、実際に行動を起こすための感情は、どこからも生まれてこなかった。
「目、瞑れよ」
口許に触れた声は、いつものサンジの声と違っていた。しっとりと重い、濡れたような声。いつもこんな声で静かに話せばいいのに、ナミやロビンに対する猫撫で声はいったいどこから出しているのかと思った。
それほど強くつかまれているわけではないのに、ゾロの首はサンジの手によってすっかり固定されてしまっていた。引き剥がす事などいくらも出来たけれど、ゾロはそうしなかった。
触れた時、これで何が変わるんだろうと思った。サンジは一体、何を変えたいのだろうと。
酒くさい息を吸い込んでゾロが顔を顰めると、サンジは照れたように声をたてずに笑った。
「おめえ、何マジメに受けてんだよ」
「てめえこそ、何考えてんだ、マジでアホだなこの眉毛」
「気持ちよかったですか?サボテン君」
「この程度でか」
ゾロが笑う。サンジも笑って、ゾロの胸元に手を伸ばし、ぐい、と捻るように掴んだ。ゾロはサンジの髪を掴んで、くしゃりとかき混ぜた。
「は、もっとすげえのお見舞いしてやろうか、クソ剣士」
「てめえじゃタカが知れてんな」
「へえ〜。そりゃさぞ経験豊富なんでしょうなあ、このミドリハゲ」
それからはそんないつもの罵りあいが続いた。昼間なら止めるであろうナミやチョッパーがいなかったこともあり、しまいにはお互い疲れて黙ってしまった。
「だから、意味ねえんだって。わかったろ?」
「……そうだな」
「そう素直なのも気持ち悪ィけど」
つまりはお互い様なのだが、サンジは苦笑気味にそれだけ言って、邪魔したなと立ち上がった。持ってきたトレイをゾロから受け取り、マストを下り始める。その姿を、ゾロは黙って見ていた。
そのあと、サンジの心境にどんな変化があったのか、ゾロは知っているわけではない。海賊の島に何を探しに行ったのかも、本当のところは良くわからない。
わかりたいと思っているわけでもない。だが、仮にも同じ船の仲間なのだし、気持ちを慮ってやるくらいの余裕はある。まわりが思うほどゾロは鈍くは無い。ましてや、根っこを支える部分が近似しているコックであるならば尚更だ。
こういうことを、あの時コックは言っていたんだろうか。あの男は、自分を理解したいと思っていただけのことなんだろうか。
「だとしたら、まわりくどいこったな」
光はしだいに収縮していく。一面に広がった漆黒を見上げて、ゾロは一週間前のサンジの姿を思い浮かべた。
視界の真上には丸い月が黄色く輝いている。そしてその末端に、ゾロは淡くともる白い光を見つけた。
海賊がどうしてその男の為に何もかも捨てる気になったのか、最近わかるような気がするんだよ。
ああ、おめえにはわからないだろうな。わからなくていいよ、てめえはよ。
俺だって確かじゃない。そういう気がするってだけだ。
そんな風に生きるのもいいかもしれないな、ってよ。
***
風向きが変わったのに気付いたのは、もう日が暮れかけた頃だった。
サンジは光る花の姿を知らない。その事に気付いて、自分の迂闊さに歯軋りした。
夜になれば光るはずだ。きっと見られるだろう。サンジは浜辺に丁度いい高さの木を見つけて、その下に荷物をおろし、例の如く火を起こして食事の準備をした。
今ごろ、連中はどうしているだろう。不思議な事に、島に入ってから初めて、サンジはメリー号の事を思い出していた。
ちゃんと食べているだろうか。三日分くらいは適当に下拵えをしておいてきたけれど。あの量でルフィが満足してくれればいいが。考え出すと心配が募り始める。ナミさんの手を煩わせて申し訳ないだとか、ウソップやチョッパーが手伝ってくれているだろう、とか。
ゾロはどうしているだろう。
水平線はだんだんその境を失って、空の中に入り込む。天頂には星が生まれ始めた。島に入って二回目の夜が訪れている。
ゾロと話をした夜には、まさか実際に島を訪れる日が来るなど、サンジは想像もしていなかった。
一週間前の夜だ。見張り台の上で、普通に話した夜。
普通のことだ。特別に親しくしたわけでもない。酒の肴にちょっとくらい身の上話を吐露するような、そういう普通さで、二人は会話を交わした。
話しながらサンジは、もしもこの船の連中がそれぞれの夢をかなえてバラバラになる日がきたら、いったいこの目の前の男は自分にどんな言葉をくれるだろうと考えた。
自分の言葉に時折笑い顔を見せて、そっと俯いて目を閉じたり、口許を嘲るように歪めたり。そんなふうに変化するゾロの表情を見ているうちにサンジは、朧げながら、ゾロに対して望んでいるものの形が浮かび上がってくるような気がしたのだった。
***
だって俺はたぶん、おめえがいなくなって、二度と顔も見られないってことになったら、そりゃやっぱ寂しいような気がすんだ。
お前が俺の作った飯を美味そうに食ってんのを見るのは楽しいし、お前と無意味な喧嘩してる時だって、たぶん、それが無くなったらつまらねえと思うくらいにはまあ、たぶん楽しんでるしな。
おめえだって、少しくらいはそういう気持ち無えかよ?
無えなんて言っても信じねえけど。
それを嘘だと思えるくらいには、お前の事を知ってるよ。俺は。
こういうこと言うと、また喧嘩になりそうだけどな。
***
サンジがおかしな事を言い始めたせいで、ゾロはだんだんとどんな顔をしていいかわからなくなった。
これはいつものコックの軽口とはちょっと違う。このままこの男のペースで話を進めるのはまずい。そう思った。
ゾロはたじろいだ。いつもより距離が近い。殴りあったり蹴りあったり、そんな直接の接触があるわけでもないのに、この近さはどうした事だろうと思った。
「てめえ、酔っ払ってんのか」
「この程度で言ってる事がわかんなくなったりはしねえな」
「口が滑ってねえか」
「そりゃあるかも知れねえなあ」
サンジはそう言って、ひゃひゃひゃとおかしな笑い声を立てた。箍が外れている。しかし、外れているだけなら、この普段からは考えられない言動の数々は、この男の本心の、一部であるに違いない。
サンジはグラスを頭の高さに掲げて項垂れて、うう、と潰れた蛙みたいな声を漏らした。その旋毛を晒した黄色い頭のてっぺんを見下ろして、ゾロはふん、と鼻息をひとつ吐き出し、ぱしん、と叩いた。
「いってえ。何すんだクソマリモ」
「そうだ。そうやってろ、この阿呆。変な事言い出すんじゃねえ、調子狂う」
「狂ってみればいいんじゃね?」
「はあ?」
片目を見開いて呆れて見せるゾロに、サンジはふわりと笑って、煙草をはさんだ右手をゾロの左頬に伸ばした。
呆然とするゾロにゆっくりと顔を寄せ、目を合わせてじっと覗き込む。。
その瞬間のことは余り記憶に無い。ゾロはただバカになったみたいに、ぼうっと、サンジの頭の後ろに広がる真っ暗な空を見ていた。サンジの目を同じように覗いた事もあったかもしれない。見張り中になにやってんだとか、グラスにもう酒が無いから注ぎ足さないといけないとか、そんなどうでもいいことばかり頭に浮かんだけれど、実際に行動を起こすための感情は、どこからも生まれてこなかった。
「目、瞑れよ」
口許に触れた声は、いつものサンジの声と違っていた。しっとりと重い、濡れたような声。いつもこんな声で静かに話せばいいのに、ナミやロビンに対する猫撫で声はいったいどこから出しているのかと思った。
それほど強くつかまれているわけではないのに、ゾロの首はサンジの手によってすっかり固定されてしまっていた。引き剥がす事などいくらも出来たけれど、ゾロはそうしなかった。
触れた時、これで何が変わるんだろうと思った。サンジは一体、何を変えたいのだろうと。
酒くさい息を吸い込んでゾロが顔を顰めると、サンジは照れたように声をたてずに笑った。
「おめえ、何マジメに受けてんだよ」
「てめえこそ、何考えてんだ、マジでアホだなこの眉毛」
「気持ちよかったですか?サボテン君」
「この程度でか」
ゾロが笑う。サンジも笑って、ゾロの胸元に手を伸ばし、ぐい、と捻るように掴んだ。ゾロはサンジの髪を掴んで、くしゃりとかき混ぜた。
「は、もっとすげえのお見舞いしてやろうか、クソ剣士」
「てめえじゃタカが知れてんな」
「へえ〜。そりゃさぞ経験豊富なんでしょうなあ、このミドリハゲ」
それからはそんないつもの罵りあいが続いた。昼間なら止めるであろうナミやチョッパーがいなかったこともあり、しまいにはお互い疲れて黙ってしまった。
「だから、意味ねえんだって。わかったろ?」
「……そうだな」
「そう素直なのも気持ち悪ィけど」
つまりはお互い様なのだが、サンジは苦笑気味にそれだけ言って、邪魔したなと立ち上がった。持ってきたトレイをゾロから受け取り、マストを下り始める。その姿を、ゾロは黙って見ていた。
そのあと、サンジの心境にどんな変化があったのか、ゾロは知っているわけではない。海賊の島に何を探しに行ったのかも、本当のところは良くわからない。
わかりたいと思っているわけでもない。だが、仮にも同じ船の仲間なのだし、気持ちを慮ってやるくらいの余裕はある。まわりが思うほどゾロは鈍くは無い。ましてや、根っこを支える部分が近似しているコックであるならば尚更だ。
こういうことを、あの時コックは言っていたんだろうか。あの男は、自分を理解したいと思っていただけのことなんだろうか。
「だとしたら、まわりくどいこったな」
光はしだいに収縮していく。一面に広がった漆黒を見上げて、ゾロは一週間前のサンジの姿を思い浮かべた。
視界の真上には丸い月が黄色く輝いている。そしてその末端に、ゾロは淡くともる白い光を見つけた。