海賊が死んだ島 6
***
蝶の、あのひらひらした羽で、はたしてどれほどの距離を渡ることが可能なものだろうか。
ロビンは島で一番大きな図書館で文献をあたっていた。二年前の目撃談を詳細に書いた新聞なども閲覧が可能だった。
西から来たと書かれたものや、南からだというもの。どれもあてにならない情報のように思われた。
「標本があれば見たいのだけど」
問うと、愛想の良い司書が収集家を幾人か教えてくれたので、ロビンは伝電虫を借りて連絡を取ってみたのだったが、色よい返事は得られなかった。しかしひとりだけ、「この島の上は通らなかった」と言った。しかしそれも満月の夜で非常に明るかったから、通っていれば見落としてなどいない、というのが根拠だったので、どれほど有益なものかどうか、今の状況では判断は難しい。
図書館で得られた情報はどれもここでなければ得られないというものではなかった。ロビンは落胆し、軽く食事をしてから船へ戻ろうと、図書館を出て港へ向かう大通りに戻ると、手近な店のドアを押した。
暗めの店内に静かな音楽が流れている。丸テーブルが数個と、カウンターだけの小さな店だ。客は二人いて、港で働く男だろうか、すこし埃っぽいにおいがした。それぞれひとりづつ丸テーブルに陣取って、ビールを飲みながら腸詰をフォークでつついていた。
スパイスを揉みこんで焼いた鳥と新鮮な野菜の料理は、見てくれも味も今ひとつだった。とはいえ、ゴーイングメリー号で旅するようになってからは、食事に関して以前よりも関心が深まっているから、この程度なら悪いということはないのかもしれない。ロビンはそんな自分をおかしく思う。
サンジの黄色い頭がくるくる回る様を思い出して、くすりと笑いを洩らした。彼の味に慣れてしまったあの船の全員が、今朝から非常に物足りない思いを味わってどことなくいつもの元気がない。
サンジはいったい何を求めて海賊の島へ向かったのだろう。
あの島に例の光る花があるのだとしたら、それはいったいなぜか。
元から?…それは考えにくい。
「誰かが、運び入れた」
なぜなら、ヒメツキヒカリはサウスブルーのとある島が原産で、熱帯に近いごくわずかな地域でのみ見られる品種だからだ。この島は夏島だけれど、熱帯というほどつねに暑い島ではない。そのことはすでに確認済みだ。だから、亜種ということをまずロビンは考えたのだったが。
「自然ではなく。人工的なもの?」
そもそも、あれは花と呼ばれているけれど、実際には蜜を蓄えるような花ではない。光る種子の部分にそれに近い成分が含まれているのだろうか。
ロビンは急にサンジのことが気になりだした。ひとりであんな島に入って、何事もなく済むだろうか。せめて剣士さんだけでもついていってあげればよかったのに。
「ごちそうさま、これ、お勘定ね」
ロビンは席を立つと、やや早足に店を後にした。空を見上げると、すでに星が瞬いていた。
「島へ行こうと思うのだけど」
戻ってくるなりそう言ったロビンに、メリー号の面々は複雑な顔をして見せた。
「でも、サンジくんがわざわざひとりで出かけていったところよ?」
「私達にくるなとは言ってないわ」
それはそうだけど、とナミは珍しく歯切れが悪い。おそらく、サンジの心情をうっすらと理解しているせいだろうとゾロは思った。
「船を出して欲しいとは言わないわ。私も自分の船を用意して一人で行くから」
「ちょっと待てよ、それじゃめちゃくちゃじゃねえか」
個別に船を出すなんてことをいちいちしていたら形が保てねえ、とウソップは情けない声を上げた。その心情は理解できる。ロビンはもともと個人行動が多い。それがたとえ仲間のためを思ってのものであろうと、度を越せばややこしい事になる。
「ルフィ」
ナミが困ったように後ろを振り返った。ルフィは興味があるのかないのか、輪には加わらずに、じっとサンジの消えた方角を見つめている。
「けどまあ、サンジは待てと言ったからなあ。だから俺はいかねえし、当然、船もいかねえ」
静かな声に硬さはない。ゾロは腹の中に溜め込んだ空気を静かに吐いた。知らず、力が入っていた。
サンジはひとりで行ったのだ。誰にも何も言わず、今はどうなっているのかもよくわからない島へ、ひとりでだ。
「剣士さんに聞きたいのだけど」
顎に軽く指先を添えて、ロビンは静かに話す。あまり口を大きく動かさないが、その声はよく通って聞き取りやすい。ゾロは目許を険しくして、なんだ、と呟いた。クルーの視線がゾロに集まる。
「あのこ、何を探しに行ったの?」
ゾロはぐっと口許を引き締める。その仕草に最初に反応したのはナミだ。
「え?あんた知ってるの?」
「サンジに聞いたのかよ」
続けてウソップが勢い込んでそう言った。
はっきりと聞いたわけではなかった。ただ、心当たりがあっただけだ。内湾の穏やかな波とともにささやくような声で聞いた昔話。それとこれは同じか否か、その答えまでは持たない。
知っているなら教えて欲しい、とロビンは言ったが、ゾロは知らない、と首を振った。
「俺が知るわけねえだろ、コックの事なんか」
そう言って笑うと、全員が納得したように笑ったので、それでその話は終わった。ロビンはゾロの答えを聞くとすんなり引き下がり、それならいいわ、と言って、キッチンへと消えてしまった。
やがて夜はますます深まり、船から見える島の明かりも港の常夜灯を除いて全て消えた。月光の降り注ぐ音が聞こえそうなほど静かな深夜の甲板で、ゾロはひとり、酒を飲んだ。
サンジがいればなんやかやと言ってくるに違いないクラスの酒を持ち出して、こうしてひとり夜風に吹かれているのはとても良い気分だったが、今にもあの男が酒を取り上げに来そうな感覚が不意に胸に去来し、ゾロはそっと顔をしかめた。
「どんな約束をしたの?」
物音ひとつ立てずに背後に忍び寄るのは暗殺者の常套手段であろうが、彼女のそれは長年の習い性以外の何ものでもない。気配はこの夜の空気と溶け合って、恰も彼女自身が夜を纏っているかのように自然だ。隠す必要など無く、またそのつもりも無いのだと、考えずともわかる。
「んなもん、ねえよ」
「じゃあどうして」
「てめえはなんでそんなことに興味がある」
ロビンはゾロの指を咲かせた手で剥がしてボトルを奪い取ると、持参のグラスに注いだ。透明な液体がグラスの中で月光を反射する。ゾロはその様を慌てることもなく見据えた。足元に戻されたボトルの首にそっと手をかける。
「私は蝶が見たいだけ」
ロビンの大きな黒い瞳は虚空を見つめている。ゾロはしばらくその顔を眺めて、そっと視線をはずした。ロビンは少し残念そうに、その外れた視線の行方を追った。ゾロはボトルを抱えあげ、ぐび、と呷る。
「コックさんは知らないんじゃないかしら。花を植えた人が蝶を呼ぶのを目的としていたのなら、それはもう二年も前に完遂されていることになるわ」
ゾロがぎこちなく振り向くと、ロビンは口許に微かな笑みを湛え、どうかしら、ともう一度聞いた。
月の光が波の輪郭を白く縁取って、ゆらゆらと風の形まで映し出す。それは、ゆっくりと沖へ向かってさざめいていた。そして、沖の方でぼんやりと白い光が浮いたり沈んだりしているのを、ゾロは酒を飲みながら見ていたのだ。
「それでもあいつは、自分で答えを見つけることを選ぶんじゃねえのか」
「……そう」
ロビンは言うだけ言ってしまうと、又来たときと同じように音を立てずにその場を離れた。かすかに、おやすみなさい、というささやきが聞こえた。
ゾロはその姿を追わずに、ボトルに残った酒を一息に飲み干した。あお向けた額に大きな月が落ちてきそうだ。今夜はもう誰にも会いたくないとゾロは思った。口を開けば何か言い訳じみた台詞以外出てこないような気がしてならなかった。
蝶の、あのひらひらした羽で、はたしてどれほどの距離を渡ることが可能なものだろうか。
ロビンは島で一番大きな図書館で文献をあたっていた。二年前の目撃談を詳細に書いた新聞なども閲覧が可能だった。
西から来たと書かれたものや、南からだというもの。どれもあてにならない情報のように思われた。
「標本があれば見たいのだけど」
問うと、愛想の良い司書が収集家を幾人か教えてくれたので、ロビンは伝電虫を借りて連絡を取ってみたのだったが、色よい返事は得られなかった。しかしひとりだけ、「この島の上は通らなかった」と言った。しかしそれも満月の夜で非常に明るかったから、通っていれば見落としてなどいない、というのが根拠だったので、どれほど有益なものかどうか、今の状況では判断は難しい。
図書館で得られた情報はどれもここでなければ得られないというものではなかった。ロビンは落胆し、軽く食事をしてから船へ戻ろうと、図書館を出て港へ向かう大通りに戻ると、手近な店のドアを押した。
暗めの店内に静かな音楽が流れている。丸テーブルが数個と、カウンターだけの小さな店だ。客は二人いて、港で働く男だろうか、すこし埃っぽいにおいがした。それぞれひとりづつ丸テーブルに陣取って、ビールを飲みながら腸詰をフォークでつついていた。
スパイスを揉みこんで焼いた鳥と新鮮な野菜の料理は、見てくれも味も今ひとつだった。とはいえ、ゴーイングメリー号で旅するようになってからは、食事に関して以前よりも関心が深まっているから、この程度なら悪いということはないのかもしれない。ロビンはそんな自分をおかしく思う。
サンジの黄色い頭がくるくる回る様を思い出して、くすりと笑いを洩らした。彼の味に慣れてしまったあの船の全員が、今朝から非常に物足りない思いを味わってどことなくいつもの元気がない。
サンジはいったい何を求めて海賊の島へ向かったのだろう。
あの島に例の光る花があるのだとしたら、それはいったいなぜか。
元から?…それは考えにくい。
「誰かが、運び入れた」
なぜなら、ヒメツキヒカリはサウスブルーのとある島が原産で、熱帯に近いごくわずかな地域でのみ見られる品種だからだ。この島は夏島だけれど、熱帯というほどつねに暑い島ではない。そのことはすでに確認済みだ。だから、亜種ということをまずロビンは考えたのだったが。
「自然ではなく。人工的なもの?」
そもそも、あれは花と呼ばれているけれど、実際には蜜を蓄えるような花ではない。光る種子の部分にそれに近い成分が含まれているのだろうか。
ロビンは急にサンジのことが気になりだした。ひとりであんな島に入って、何事もなく済むだろうか。せめて剣士さんだけでもついていってあげればよかったのに。
「ごちそうさま、これ、お勘定ね」
ロビンは席を立つと、やや早足に店を後にした。空を見上げると、すでに星が瞬いていた。
「島へ行こうと思うのだけど」
戻ってくるなりそう言ったロビンに、メリー号の面々は複雑な顔をして見せた。
「でも、サンジくんがわざわざひとりで出かけていったところよ?」
「私達にくるなとは言ってないわ」
それはそうだけど、とナミは珍しく歯切れが悪い。おそらく、サンジの心情をうっすらと理解しているせいだろうとゾロは思った。
「船を出して欲しいとは言わないわ。私も自分の船を用意して一人で行くから」
「ちょっと待てよ、それじゃめちゃくちゃじゃねえか」
個別に船を出すなんてことをいちいちしていたら形が保てねえ、とウソップは情けない声を上げた。その心情は理解できる。ロビンはもともと個人行動が多い。それがたとえ仲間のためを思ってのものであろうと、度を越せばややこしい事になる。
「ルフィ」
ナミが困ったように後ろを振り返った。ルフィは興味があるのかないのか、輪には加わらずに、じっとサンジの消えた方角を見つめている。
「けどまあ、サンジは待てと言ったからなあ。だから俺はいかねえし、当然、船もいかねえ」
静かな声に硬さはない。ゾロは腹の中に溜め込んだ空気を静かに吐いた。知らず、力が入っていた。
サンジはひとりで行ったのだ。誰にも何も言わず、今はどうなっているのかもよくわからない島へ、ひとりでだ。
「剣士さんに聞きたいのだけど」
顎に軽く指先を添えて、ロビンは静かに話す。あまり口を大きく動かさないが、その声はよく通って聞き取りやすい。ゾロは目許を険しくして、なんだ、と呟いた。クルーの視線がゾロに集まる。
「あのこ、何を探しに行ったの?」
ゾロはぐっと口許を引き締める。その仕草に最初に反応したのはナミだ。
「え?あんた知ってるの?」
「サンジに聞いたのかよ」
続けてウソップが勢い込んでそう言った。
はっきりと聞いたわけではなかった。ただ、心当たりがあっただけだ。内湾の穏やかな波とともにささやくような声で聞いた昔話。それとこれは同じか否か、その答えまでは持たない。
知っているなら教えて欲しい、とロビンは言ったが、ゾロは知らない、と首を振った。
「俺が知るわけねえだろ、コックの事なんか」
そう言って笑うと、全員が納得したように笑ったので、それでその話は終わった。ロビンはゾロの答えを聞くとすんなり引き下がり、それならいいわ、と言って、キッチンへと消えてしまった。
やがて夜はますます深まり、船から見える島の明かりも港の常夜灯を除いて全て消えた。月光の降り注ぐ音が聞こえそうなほど静かな深夜の甲板で、ゾロはひとり、酒を飲んだ。
サンジがいればなんやかやと言ってくるに違いないクラスの酒を持ち出して、こうしてひとり夜風に吹かれているのはとても良い気分だったが、今にもあの男が酒を取り上げに来そうな感覚が不意に胸に去来し、ゾロはそっと顔をしかめた。
「どんな約束をしたの?」
物音ひとつ立てずに背後に忍び寄るのは暗殺者の常套手段であろうが、彼女のそれは長年の習い性以外の何ものでもない。気配はこの夜の空気と溶け合って、恰も彼女自身が夜を纏っているかのように自然だ。隠す必要など無く、またそのつもりも無いのだと、考えずともわかる。
「んなもん、ねえよ」
「じゃあどうして」
「てめえはなんでそんなことに興味がある」
ロビンはゾロの指を咲かせた手で剥がしてボトルを奪い取ると、持参のグラスに注いだ。透明な液体がグラスの中で月光を反射する。ゾロはその様を慌てることもなく見据えた。足元に戻されたボトルの首にそっと手をかける。
「私は蝶が見たいだけ」
ロビンの大きな黒い瞳は虚空を見つめている。ゾロはしばらくその顔を眺めて、そっと視線をはずした。ロビンは少し残念そうに、その外れた視線の行方を追った。ゾロはボトルを抱えあげ、ぐび、と呷る。
「コックさんは知らないんじゃないかしら。花を植えた人が蝶を呼ぶのを目的としていたのなら、それはもう二年も前に完遂されていることになるわ」
ゾロがぎこちなく振り向くと、ロビンは口許に微かな笑みを湛え、どうかしら、ともう一度聞いた。
月の光が波の輪郭を白く縁取って、ゆらゆらと風の形まで映し出す。それは、ゆっくりと沖へ向かってさざめいていた。そして、沖の方でぼんやりと白い光が浮いたり沈んだりしているのを、ゾロは酒を飲みながら見ていたのだ。
「それでもあいつは、自分で答えを見つけることを選ぶんじゃねえのか」
「……そう」
ロビンは言うだけ言ってしまうと、又来たときと同じように音を立てずにその場を離れた。かすかに、おやすみなさい、というささやきが聞こえた。
ゾロはその姿を追わずに、ボトルに残った酒を一息に飲み干した。あお向けた額に大きな月が落ちてきそうだ。今夜はもう誰にも会いたくないとゾロは思った。口を開けば何か言い訳じみた台詞以外出てこないような気がしてならなかった。