海賊が死んだ島 7
***
海賊の友人はサウスブルーの生まれで、植物の研究をしていたんだそうだ。そいつに聞いたんだ、その光る花の話は。そして、それを求めて旅をする蝶の話も。
蝶が海を渡るなんて話はグランドラインならではの眉唾物だと思うけど、その海賊は信じたんだな。だから、海賊であることをやめて、それを始めた。その友人と海賊にしかわからない符牒みたいなもんだ。
島々に光る花を植えて、蝶の道を作る。海賊は信じたんだ。このグランドラインのどこかで友人がそれに出会うことを、そして、その島々すべてに自分の痕跡を残していけば、いつか友人がそれを見つけて、必ず自分にたどり着いてくれるって事を。
***
目が覚めると雨が降っていた。火は消えて、体の半分がびっしょり濡れていた。サンジは驚き、あわてて木の枝の下に深く体を引きずり込んだ。
「ついてねえ」
雨は大粒で、だんだん勢いを増してきている。荒々しく大地を叩き、湿地からわずかに流れを作っていた小川はいつのまにか倍以上の川幅を得ていた。
「まずいな」
サンジは手早く荷物をまとめると、雨がしのげる場所はないかと探した。太陽が見えないので、朝だというのにまるでこれから夜にいたるのかと思うような暗さだ。視界が悪い。空を見上げて大きく息を吐き、煙草に火をつけて、最初の煙を吸い込んだ。
「行くしかねえよなあ」
忌々しげにひと言呟いて、枝の下から体を躍らせた。雨がサンジの体を奪うように包む。
前方にやや張り出した岩陰を見つけ、そこへ飛び込んだ。乾いた枯れ木を何本か集めて火をおこす。指先がかじかんでうまく動かない。足に手を叩きつけて感覚を呼び戻し、ようやく起きた焚き火に手をかざした。
雨をためて、湯を沸かす。簡単なスープを作って飲むと、ようやく体が温まって人心地ついた。
髪を、水滴が滴り落ちてくる。乾いたタオルで軽くぬぐったが、そう簡単には乾かない
サンジは恨めしげに空を見上げた。こんなところで時間を食っている場合ではない。どうにかして、海賊の棲家を見つけなければならないというのに。
雨はまったく止む気配を見せない。足元の吸殻が六本を数えたところで、サンジはゆっくりと立ち上がった。荷物を肩に担ぎ上げ、岩陰から足を踏み出す。その姿はけぶる雨の中に、すぐに紛れて消えてしまった。
二日目はルフィの叫びで始まった。
「腹減った!」
キッチンを開けると、サンジが下ごしらえしていった材料でナミがシチューを作っていた。ルフィの目が一気に輝きを増す。大慌てで飛び掛りそうになったところを、ナミの手前でロビンの手が開いて塞き止めていた。ルフィは大人しく椅子に腰掛け、机に片頬を押し付けてぼやく。
「あーサンジ早く帰ってこねえかなあ。俺飢え死にしそうだぞ」
その台詞には皆納得だったので、誰も文句を言わなかった。
「サンジがいねえとこんなに食生活が貧しくなるんだなあ。俺としたことが気づかなかったぜ」
「サンジはすごいんだな!」
チョッパーとウソップはサラダにするのか、生野菜をぶちぶちとちぎってはガラスの器に放り込んでいる。
今日は朝から雨が降っている。夕べ、寝る前にはあんなにきれいに月が出ていたのに、いつのまに雲が出たのだろう。丸窓から空を眺めながらゾロは思う。
「コックさん、雨に濡れているでしょうね」
ロビンの落ち着いた声に、ウソップとチョッパーが「そうだな」と顔を見合わせた。
「やっぱ迎えに行ったほうがいいんじゃねえか?」
「そうだよ。嵐になったら大変だ」
「平気よ。雨はじきに上がるわ」
騒ぎ出したチョッパーとウソップに向かってナミが口を挟む。
「今晩か、明日には満月が綺麗に見えるはずよ。そうしたら、ロビンの言ってたちょうちょもひょっとして見られるんじゃない?少しくらい遠くても、相当明るいはずだもの」
ゾロは顔を上げてナミを見る。テーブルに背中を向けたままゆっくりと鍋をかき混ぜている。
今の台詞は、自分に向けてのものか。それとも、ロビンに向けてのものだろうか。
話したのか、と控えめに意味を込めた視線をロビンに送る。気づいたロビンがにっこりとそれに笑い返した。ゾロは今ひとつその動作の意味を飲み込めず憮然として胸前で腕を組んだ。
相変わらず解りにくい女だ。
二時間ほど歩いたところで、サンジはやや開けた平原に出た。森が途切れ、ちょろちょろと流れる小さな川がその脇を通って、海へ向かって下っている。
雨はようやく上がりそうな気配を見せていた。上がればきっと、すぐに太陽が顔を出すだろう。濡れたせいで体はすっかり冷え切っている。
このあたりだ、とサンジは思った。疎らな木立、川があり、やや湿った地面。潮の香りがさっきよりもきつくなっている。海からはそれほど離れてはいないはずだ。
サンジは少し小高い崖に立って、周囲を見渡した。花を植えて根付かせるのに果たしてどれほどの年月が必要なのかはわからない。だが、一朝一夕のものではないはずだ。そしてそれは、今となっては彼の残した数少ない痕跡のひとつなのだった。
「あれか」
この場から少し森へ入った、木々の増え始める境界の辺りに、黒ずんだ木造の屋根らしきものを見つけた。
サンジは崖を飛び降りて駆け出した。濡れた服が肌に張り付いて体が重い。ぬかるんだ地面に足を取られて何度も転びそうになりながら、建物の見えた方角へ急いだ。それはおそらく海賊の暮らした家。いつまでいたのか、それとも、まだそこにいるのか。逸る気持ちに背中を押されるように、只管それを目指して走った。
だが、小屋にたどり着いたところで、それまで抱えていた希望は無残に打ち消された。
「こりゃあ…」
屋根は落ち、壁は腐って崩れかけている。人の住む小屋ではない。
「もう、いねえ、か」
かん、と軽く壁をけると、そこからガラガラと崩れる。土台も腐りかけている。
サンジはそっとドアらしきものを押し開けた。中はところどころ綻びて、そこから外の明かりが差し込んでいる。雨はいつのまにか上がって、勢いよく流れ出した雲の隙間に、太陽が顔を覗かせはじめていた。
そっとドアを閉めて中に入った。中は狭く、わずかな生活用具の残骸があちこちに転がっている。
真ん中に置かれたテーブルには、ペンとインクの瓶。中身は渇いてカラカラだ。サンジは背後の書棚に目をつけた。本やノートの類が少しだけ残っている。手にとって、パラパラと開いてみたが、数冊の物語と、一冊の植物図鑑、あとは意味不明の書付があるだけだ。
海賊はここに住んでいたんだろうか。いつからいつまでの間、ここにいたのだろうか。
花は植え終えたのか。植えて、次へ旅立ったのか。
旅はまだ途中なのか。
あんたの夢は、まだ途中なのか。
サンジは急に焦燥に駆られた胸をぎゅっと押し、苛立ちを吐き出すようにテーブル脇の椅子を思い切り蹴飛ばした。椅子は粉々に砕け、破片が埃とともに舞い上がった。
「げほ…っ」
埃がまっすぐに差し込む日の光を反射してきらきらと光っている。サンジは立ち尽くした。さわさわと、風のとおる音が聞こえる。そしてそれにかぶさるように微かな波音が聞こえた。
静かだった。まるでこの島だけ時間が止まってしまったみたいに。
やがて大きく息を吐き出し、もう一度、ぐるりと内部を見渡した。そして煙草に火をつけ、ゆっくりとその場で一本吸い終えた。
外に出ると、さっきまでの雨が嘘のような、雲ひとつない完璧な青空が広がっていた。今度は大きく息を吸い込み、雨混じりの緑の匂いを肺いっぱいに満たした。
「……まだ終わっちゃいねえ」
海賊の植えた花を見つけなければならない。
海賊の友人が見つけたかもしれない花。もし彼が見つけることが出来なかったなら、せめて、自分が、海賊の仕事を見届けたい。
ゼフの分も。
海賊の友人はサウスブルーの生まれで、植物の研究をしていたんだそうだ。そいつに聞いたんだ、その光る花の話は。そして、それを求めて旅をする蝶の話も。
蝶が海を渡るなんて話はグランドラインならではの眉唾物だと思うけど、その海賊は信じたんだな。だから、海賊であることをやめて、それを始めた。その友人と海賊にしかわからない符牒みたいなもんだ。
島々に光る花を植えて、蝶の道を作る。海賊は信じたんだ。このグランドラインのどこかで友人がそれに出会うことを、そして、その島々すべてに自分の痕跡を残していけば、いつか友人がそれを見つけて、必ず自分にたどり着いてくれるって事を。
***
目が覚めると雨が降っていた。火は消えて、体の半分がびっしょり濡れていた。サンジは驚き、あわてて木の枝の下に深く体を引きずり込んだ。
「ついてねえ」
雨は大粒で、だんだん勢いを増してきている。荒々しく大地を叩き、湿地からわずかに流れを作っていた小川はいつのまにか倍以上の川幅を得ていた。
「まずいな」
サンジは手早く荷物をまとめると、雨がしのげる場所はないかと探した。太陽が見えないので、朝だというのにまるでこれから夜にいたるのかと思うような暗さだ。視界が悪い。空を見上げて大きく息を吐き、煙草に火をつけて、最初の煙を吸い込んだ。
「行くしかねえよなあ」
忌々しげにひと言呟いて、枝の下から体を躍らせた。雨がサンジの体を奪うように包む。
前方にやや張り出した岩陰を見つけ、そこへ飛び込んだ。乾いた枯れ木を何本か集めて火をおこす。指先がかじかんでうまく動かない。足に手を叩きつけて感覚を呼び戻し、ようやく起きた焚き火に手をかざした。
雨をためて、湯を沸かす。簡単なスープを作って飲むと、ようやく体が温まって人心地ついた。
髪を、水滴が滴り落ちてくる。乾いたタオルで軽くぬぐったが、そう簡単には乾かない
サンジは恨めしげに空を見上げた。こんなところで時間を食っている場合ではない。どうにかして、海賊の棲家を見つけなければならないというのに。
雨はまったく止む気配を見せない。足元の吸殻が六本を数えたところで、サンジはゆっくりと立ち上がった。荷物を肩に担ぎ上げ、岩陰から足を踏み出す。その姿はけぶる雨の中に、すぐに紛れて消えてしまった。
二日目はルフィの叫びで始まった。
「腹減った!」
キッチンを開けると、サンジが下ごしらえしていった材料でナミがシチューを作っていた。ルフィの目が一気に輝きを増す。大慌てで飛び掛りそうになったところを、ナミの手前でロビンの手が開いて塞き止めていた。ルフィは大人しく椅子に腰掛け、机に片頬を押し付けてぼやく。
「あーサンジ早く帰ってこねえかなあ。俺飢え死にしそうだぞ」
その台詞には皆納得だったので、誰も文句を言わなかった。
「サンジがいねえとこんなに食生活が貧しくなるんだなあ。俺としたことが気づかなかったぜ」
「サンジはすごいんだな!」
チョッパーとウソップはサラダにするのか、生野菜をぶちぶちとちぎってはガラスの器に放り込んでいる。
今日は朝から雨が降っている。夕べ、寝る前にはあんなにきれいに月が出ていたのに、いつのまに雲が出たのだろう。丸窓から空を眺めながらゾロは思う。
「コックさん、雨に濡れているでしょうね」
ロビンの落ち着いた声に、ウソップとチョッパーが「そうだな」と顔を見合わせた。
「やっぱ迎えに行ったほうがいいんじゃねえか?」
「そうだよ。嵐になったら大変だ」
「平気よ。雨はじきに上がるわ」
騒ぎ出したチョッパーとウソップに向かってナミが口を挟む。
「今晩か、明日には満月が綺麗に見えるはずよ。そうしたら、ロビンの言ってたちょうちょもひょっとして見られるんじゃない?少しくらい遠くても、相当明るいはずだもの」
ゾロは顔を上げてナミを見る。テーブルに背中を向けたままゆっくりと鍋をかき混ぜている。
今の台詞は、自分に向けてのものか。それとも、ロビンに向けてのものだろうか。
話したのか、と控えめに意味を込めた視線をロビンに送る。気づいたロビンがにっこりとそれに笑い返した。ゾロは今ひとつその動作の意味を飲み込めず憮然として胸前で腕を組んだ。
相変わらず解りにくい女だ。
二時間ほど歩いたところで、サンジはやや開けた平原に出た。森が途切れ、ちょろちょろと流れる小さな川がその脇を通って、海へ向かって下っている。
雨はようやく上がりそうな気配を見せていた。上がればきっと、すぐに太陽が顔を出すだろう。濡れたせいで体はすっかり冷え切っている。
このあたりだ、とサンジは思った。疎らな木立、川があり、やや湿った地面。潮の香りがさっきよりもきつくなっている。海からはそれほど離れてはいないはずだ。
サンジは少し小高い崖に立って、周囲を見渡した。花を植えて根付かせるのに果たしてどれほどの年月が必要なのかはわからない。だが、一朝一夕のものではないはずだ。そしてそれは、今となっては彼の残した数少ない痕跡のひとつなのだった。
「あれか」
この場から少し森へ入った、木々の増え始める境界の辺りに、黒ずんだ木造の屋根らしきものを見つけた。
サンジは崖を飛び降りて駆け出した。濡れた服が肌に張り付いて体が重い。ぬかるんだ地面に足を取られて何度も転びそうになりながら、建物の見えた方角へ急いだ。それはおそらく海賊の暮らした家。いつまでいたのか、それとも、まだそこにいるのか。逸る気持ちに背中を押されるように、只管それを目指して走った。
だが、小屋にたどり着いたところで、それまで抱えていた希望は無残に打ち消された。
「こりゃあ…」
屋根は落ち、壁は腐って崩れかけている。人の住む小屋ではない。
「もう、いねえ、か」
かん、と軽く壁をけると、そこからガラガラと崩れる。土台も腐りかけている。
サンジはそっとドアらしきものを押し開けた。中はところどころ綻びて、そこから外の明かりが差し込んでいる。雨はいつのまにか上がって、勢いよく流れ出した雲の隙間に、太陽が顔を覗かせはじめていた。
そっとドアを閉めて中に入った。中は狭く、わずかな生活用具の残骸があちこちに転がっている。
真ん中に置かれたテーブルには、ペンとインクの瓶。中身は渇いてカラカラだ。サンジは背後の書棚に目をつけた。本やノートの類が少しだけ残っている。手にとって、パラパラと開いてみたが、数冊の物語と、一冊の植物図鑑、あとは意味不明の書付があるだけだ。
海賊はここに住んでいたんだろうか。いつからいつまでの間、ここにいたのだろうか。
花は植え終えたのか。植えて、次へ旅立ったのか。
旅はまだ途中なのか。
あんたの夢は、まだ途中なのか。
サンジは急に焦燥に駆られた胸をぎゅっと押し、苛立ちを吐き出すようにテーブル脇の椅子を思い切り蹴飛ばした。椅子は粉々に砕け、破片が埃とともに舞い上がった。
「げほ…っ」
埃がまっすぐに差し込む日の光を反射してきらきらと光っている。サンジは立ち尽くした。さわさわと、風のとおる音が聞こえる。そしてそれにかぶさるように微かな波音が聞こえた。
静かだった。まるでこの島だけ時間が止まってしまったみたいに。
やがて大きく息を吐き出し、もう一度、ぐるりと内部を見渡した。そして煙草に火をつけ、ゆっくりとその場で一本吸い終えた。
外に出ると、さっきまでの雨が嘘のような、雲ひとつない完璧な青空が広がっていた。今度は大きく息を吸い込み、雨混じりの緑の匂いを肺いっぱいに満たした。
「……まだ終わっちゃいねえ」
海賊の植えた花を見つけなければならない。
海賊の友人が見つけたかもしれない花。もし彼が見つけることが出来なかったなら、せめて、自分が、海賊の仕事を見届けたい。
ゼフの分も。