海賊が死んだ島 3

***


 ジジイのところに手紙が届いたのは、俺が十三になった頃だ。海賊はもうお終いだと書かれたその手紙を、ジジイは客がひけた後の店でひとり、酒を呷りながら読んでいた。
 死ぬまでにどうしてもやらなければならないことが出来た。
 俺はその意味の半分もわからないまま、グランドラインでもそれなりに名を馳せた海賊がなんのためにすべてを擲つなんてことになったのか、そのことに興味が湧いたし、かすかに憧れめいたものも感じた。
 あいつもヤキがまわったもんだとその時ジジイは苦笑交じりに言ったが、そこにはその後の、おそらくもう会うことはないだろう友人への気遣いが見え隠れしていた。だいたいあのクソジジイが他人のことを言えた義理じゃねえ。
 手紙の本当の内容について聞かされたのはそれからずっと後のことだ。それを聞いて俺は、そんな生き方を選んだ男と、選ばせた相手に、一度会ってみたいと思うようになっていた。ジジイに言った事はないけれど。ジジイの友人だということも、癪に障るが、その気持ちを強く後押しする要因ではあった。
 目指す島に名前はない。港では「海賊の島」と呼ばれていた。それ以前の名前は、誰も覚えていないといっていた。もともと無人だった島だからだ。
 海賊がすべてを片付けて移り住んだらしいその島が今現在どんな状況にあるのかはわからなかった。誰も訪れていないからだ。海賊の顔を正確に知っているものも、最早いないようだった。


***


 ただ待つのも芸がないと、ナミは船を下りて個別に過ごす事をルフィに提案した。ルフィはかまわねえぞ、と軽く答え、でも俺はここにいる、と言った。
 ルフィが船にいるのに、他のクルーが降りて勝手にするわけにもいかない、と、ナミは不貞腐れたように言ったが、そういうものでもないとゾロは思う。
 つくづく、この船はルフィがいるから成り立っている。多分、個々人で勝手に行動すれば、瞬く間にバラバラになって、すぐに誰の行方もわからなくなるだろう。
 サンジは、ルフィがいるから、この船に「帰る」と言う。
 そういう事なのだ。
「私はちょっと下りようかしら」
 ロビンがキッチンから出てきて、階段を降りながら言った。
 サンジがいないと、クルー達は食事以外でキッチンには集まらないので、ひとりになるにはかえって都合のいい場所だった。
「何ロビン、行きたいところがあるの?」
「少しね。昨日一度下りた時に、気になる話を聞いたものだから」
「海賊の島のこと?」
「いいえ」
 首をかしげて、沖のほうに目を馳せたロビンの、その視線の先は何かを探しているようだった。昨日沖に消えたサンジの船。何を探してか、結局最後まで誰にも告げずに行ってしまった。
「蝶が飛ぶんですって」
「は?」
 チョッパーが調合の手を休め、ウソップが傾けた試験管をぴたりと止める。ゾロは船べりに寄りかかってあぐらをかいたまま、視線だけそちらへ向けた。
「なかなか見られない蝶なのよ。二年前に飛んだ事があるんですって。その蝶が飛ぶのには周期があって、二年というのは周期パターンのひとつといわれている。興味があるわ」
 そう言って右手を肩の高さに上げて、手にした分厚い本を示す。植物図鑑だった。ナミは訝しげに眉根を寄せた。
「蝶でしょ?」
「ええ」
 ロビンはゆっくりと階段を降りながら、ぱらぱらとページをめくる。「ここよ」
 クルー達はそれぞれの作業を一時中断して、ロビンのそばに集まった。ロビンは樽に腰をおろし、図鑑を広げてみんなの前に差し出す。
 ゾロはゆっくりと立ち上がり、図鑑を覗き込むチョッパーの上から、それを横目に見下ろした。蝶になど興味はないが、なかなか見られないというなら多少は気にかかる。
「これよ」
 ロビンの指先が示した先には、不思議なかたちの花の写真があった。茎は太く、花びらはあるのかないのか良くわからない。真ん中の種子の部分がぼんやりと光っている。
「ヒメツキヒカリというのだけど、もしかしたらこれの亜種があるのかもしれない」
「ロビン、話が見えないんだけど。これと蝶にどういう関係があるの?」
 ロビンはふふ、と笑って、斜めにナミの顔を覗き込んだ。真っ直ぐ伸びた黒髪がさらりと肩にかかる。
「海を渡る蝶がいるという話を昔聞いたことがあったの。二年前の蝶の飛来はすごい規模だったらしいわ。沖の方に薄暗い影がかかって、雲が湧き出したみたいだったそうよ。夜になって、沖の水平線がぼんやりと光って、それは綺麗だったと聞いたわ」
「誰に聞いたの?」
「港で網を繕っていたおばさんたちに聞いたの。この辺でなにか面白かった出来事を聞かせてほしいと言ってみただけなんだけど」
 ナミはわからない、というように首を振った。
「亜種って?」
「何故海を渡るのかもよくわかっていない珍しい蝶なの。だから、実際にはわからない。ただ、光っていたというのなら。光る花というのはそう多く種類があるわけじゃないけれど、無いわけじゃない」
「なるほどね」
 納得いったのか、ナミは肩をすくめて、ロビンの横に軽く腰を下した。
「その光る花を目指して海を渡る蝶なのかもしれない、ということよね」
「そうね」
 ロビンが顔を上げたのでナミはにっこり笑いかける。その後ろで「不思議花か!」とルフィは目を見開いている。その視線に笑いかけながらロビンは右手を真っ直ぐに上げた。その差ししめす方角は、昨日サンジの乗った船の消えた沖だ。
「コックさんが目指した島がそうなんじゃないかしら」
 みんなが黙ってロビンを見た。
「追うのか?」
 そしてみんなが抱いた疑問を、ウソップが声にした。ロビンは首を横に振り、いいえ、と言った。
「でも、せっかくだからしばらく下りてこれについて調べてみたいの。もしかしたら島に宿を取るかもしれないから先に言っておこうと思って」
 ロビンはルフィの回答を待たずに女部屋へ入っていった。ナミはしばらくその背を目で追っていたが、すぐに興味を無くしたようで、それまでかけていたデッキチェアに再び腰をおろした。
「おめえはどうすんだ?行くのか」
 ゾロは傍らに立つルフィに問うた。
「んんー、どっちでもいいなあ」
 空を見ながら、特に何も考えていない風情で生返事を返すルフィに、ゾロもどうでもよくなってその場を離れようと背を向けた。こんなふうにそれぞれがバラバラに自分の興味の赴くままに行動する事などいつもの事だ。
「どうせ一週間はここにいるんだし、下りたきゃ下りればいいじゃねえか。俺だって行きたくなったらそうするぞ」
 背中にそんな声が飛んできた。ゾロは少し瞼を落として細く息を吐き出した。
 どうしてこんなに苛々するのだろう。
 コックが、サンジがいないことに、一番違和感をもっているのが自分だということを、ゾロはたった一日でいやというほど思い知っていた。
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