レインドロップ ピチカート 2

 ウソップがいると知っても、サンジは何も言わなかった。幾分身構えていたゾロは拍子抜けしたほどだ。
 サンジの帰宅はゾロが思っていたよりも早く、しずくがドア前に陣取って尾をぴくぴくと振ったのは、ウソップを招き入れてから三十分ほど後の事だ。
 来客だと告げると、食事は要るのかとだけ訊いてきたので、いいのならよろしく頼む、と言って、ゾロは二階の自室にサンジが入れたコーヒーをふたつ運んだ。
 サンジは見るからに疲れた様子だった。一日外に出て歩き回っていたのなら当然だ。サンジ自身は口にはしないが、レストランめぐりだけでなく、開店に向けての準備や打ち合わせなどもあるのだろう。それくらいの想像はゾロだってしている。
 そして帰ってからは食事の支度だ。ゾロはさすがに申し訳ないような気持ちになり、ウソップにトレイを手渡すと、もう一度階下に戻った。しずくが階段の下で待っている。
「なあ、疲れてるんならいいぜ。俺らは近所で適当に済ますし」
 ゾロはカウンターのこちら側で、サンジの正面に立ってそう言った。サンジはキッチンで野菜を洗いながら、皮肉っぽい視線を僅かに上げて、べつに、とだけ言って黙った。声は低く掠れていた。風邪をひいたのかと思うような声だ。
「いいんなら疲れてるみてえな顔すんな」
「疲れてるもん」
「だから……!」
 ぱしん、とサンジの両手がゾロの頬をはさみこむ。そして目の中を覗こうかというように顔を近づけてきた。水に濡れた手でいきなり触れられてゾロは驚き、飛びのこうとしたのだが、サンジの腕は以外に力強く、容易に離れる事が出来なかった。頬から首筋へと水がつたうのが不快で、ゾロはてのひらで擦って拭った。
「いいから。すぐ出来るから、適当なとこで下りて来い」
 間近でそう言ってサンジは振り払うように手荒くゾロを離した。
 負けじと息を吸い込んでみたものの、言葉は出口を失ったまま飲み込まれて消えた。ここで怒って出て行くのはたやすいが、ウソップの手前である事と、サンジのいつにない苛立った様子がそれを躊躇わせた。
 ピークなのだ、と思う。
 暮らし始めてもうすぐ一ヶ月になろうとしていた。まもなく梅雨は明けるはずだ。そうすれば工事も順調に進むだろう。
 焦る事はない、と言ってやれればいいのかもしれないが、サンジがそれで素直にゾロの言に納得するはずがないことを、ゾロはすでに経験によって知っていた。たったひと月の間に、自分達がおこした諍いの数々を思い出せば、頭をかいて引き下がるのがこの場は無難だ。不本意ではあったが。
 ゾロは一度溜め込んだ息を思い切り吐き出し、サンジに背中を向けた。サンジの頬がピクリと動く。
「んだよ。不満か」
 ゾロはチ、と舌打ちし、奥歯をぎちりと鳴らす。
「作るんなら作れよ。腹減ってんだ」
「おいゾロ」
 二人同時に階段を見る。ウソップが降りてきて、階段の中ほどから、心配そうにゾロを見おろしている。
「いや、連絡もなしにいきなり他人が上がりこんでたら、そりゃ気分も悪いって。わかるぜ。俺なら帰るからよ、気にすんな」
「ウソップ…」
「鼻!」
 突然の強い声に、今度はゾロとウソップが二人そろってサンジを見た。
「悪かった、ちょっとイラついててよ。すぐ出来るからそこに座ってろ」
 気配が和らぎ、薄く笑ったその表情に、ゾロは少しホッとして、ウソップを振り返った。ウソップは眉を八の字にし、きょろきょろと二人を何度も見た。
「いいのか?大丈夫か?」
 サンジはさすがにバツが悪そうに笑って、もう一度、気にすんな、と言って、ウソップに謝った。  
[TOP/NEXT]