オレンジスカイ 3
この家を離れたのは九つの時だ。親がいっぺんに事故で死んで、父方の祖父に引き取られた。母方の親戚がいたのだが、祖父が譲らなかったのだ。
以来何度遊びに来ていても、住もうと決めるまでここには一度も足を向けたことがなかった。
そのせいなのかな、と思う。ゾロのベッドで身じろぎをしながら、サンジは考える。
俺はひとりにはならないよ。そんなことを胸のうちで思ったら伝わらないだろうか。ゾロは大事なヤツなんだと、判ってくれても良さそうなものなのに。
明日も帰ってこなかったらどうしよう。そう思うと鼻の奥がつんとした。そういえば、この家に住み始めて、本当にひとりきりで夜を過ごすのは初めてだった。
朝、起きて朝食の支度をしていたら、かちりとドアが開いて、ゾロがのそりと入ってきた。決まり悪そうにふてくされている。朝帰りの子供の顔だ、とサンジは思う。
「おかえり」
「…ただいま」
ドアを閉めて室内を見渡す。しずくを探している目だ。
「夕べはお楽しみだったのかよ?」
サンジの声は揶揄するような調子だったので、ゾロは少し眉をひそめた。
「そんなんじゃねえ」
そう言って俯き、サンジの顔は見ないまま階段を上っていってしまった。サンジはしばらくそのゾロの消えた階段を眺めて、細く溜息をついた。
シャワーを浴びて下りてくると、カウンターの椅子を素通りしてソファに座った。しずくを呼んで、膝に据わらせる。
「お前が帰ってこないからずっと玄関で待ってたぜ。くんくん鳴いて」
見上げてくるしずくに、そうかごめんな、と言って、ゾロはそっと頭を撫でてやる。
「悪かった。まかせっきりで」
「そういうことじゃねえよ」
ゾロは答えず、暫くその姿勢のまましずくの頭を撫でていたが、メシ、とサンジに一言呟かれ、ゆっくりと立ち上がる。そこでふと、思い出したように言った。
「そういえば、エアコンどうなった?」
「ああ、やっぱり初期不良じゃないかって。交換してくれるってさ」
「いつだ?」
「んー、それがやっぱ混みあってるらしくてよ、来週頭になりそう」
「遅いな」
ゾロは溜息をつきながらカウンター席の椅子を引く。
「ま、しょうがねえな」
冷蔵庫を開けてジュースを出すサンジの背中を見て、ゾロは躊躇いながら声をかけた。
「なあ」
「何?」
ゾロは振り向いたサンジの顔を見て口篭もる。
「なあんだよ」
どすん、と隣に腰をおろして肩を寄せるとゾロは僅かに体を引き気味にして、避けるようなそぶりを見せた。サンジは目を見開いて、その顔をまじまじと見つめる。
「……今日も帰ってこねえつもりか?」
ゾロはコーヒーを口に含み、苦そうに一瞬顔をゆがめて、ごくん、と飲み込んだ。
「帰ってくる。九時半までバイトだから少し遅くなるけど」
「そうかよ。メシは」
「食う」
そっけない答えに、サンジはそれ以上何も言わなかった。
朝の宣言どおり、午後十時を回ったところでゾロは帰ってきた。サンジは準備しておいた食事を温めなおし、ゾロをカウンターに座らせる。
「なんか疲れてんな」
口を開かないゾロにそう言って、サンジは階段を上った。いないほうが、ゾロがゆっくり食事が出来るだろうと思ったからだ。
そう思うのは少し辛かったけれど、ゾロが自分から何か言ってくるまでは、待とうと決めていた。
先に風呂に入って下に行くと、ゾロは食べ終わって片付けも済ませていた。ソファでしずくを抱いてうとうとしている。
「またそこで寝ちまう気?」
背後に立って声をかけると、ゾロは閉じかけていた瞼を少しだけ開く。サンジは、横になっているゾロの狭くなっている手前に腰を下ろし、右手で背もたれを掴みながら体を倒して、ゾロの顔を覗き込むようにした。
「いや」
ゾロは顔を背けるように身を捩る。しずくもそれにあわせてむずがるような仕草を見せた。
「お前が全然家にいねえから、また淋しがってた」
そう言って、しずくの背を左手でくすぐる。
ゾロは目を合わせないように逸らしたが、距離が近いので上手くいかないようだった。逸らした目をもう一度サンジに戻して下から見上げた。サンジの前髪が揺れて、頬の辺りに影が落ちている。
「明日は早めに帰る」
サンジは倒していた体を戻し、テーブルの上の煙草を取って火をつけた。そのまま、ゾロの立てた膝にむけて背中を倒す。
サンジの着ている薄い生地のパジャマが、ゾロの素足をこする。布越しにサンジのごつごつした背中の骨があたった。前にも一度、こんなふうにここで、サンジが近くにいたことがあったことを、ゾロは思い出していた。
「どけ。風呂入って寝る」
そう言って、ぽん、とサンジの背中を叩くと、サンジは体を起こす。
「俺ももう寝る」
階段を上るゾロについて、サンジも二階に上がった。洗面所にはいるゾロの背中を見て、ゾロの部屋に入った。
深夜、憚るようにそっと軋ませたドアの音に、サンジは目を覚ました。瞬間的に、ああやっぱり、と思い、無意識にドアの方を向いた。
時計は午前二時を回ったところを指している。普段のゾロなら、一度眠ったら絶対に目覚めない時間帯だ。
「どうした」
「もうちょっとそっち詰めろよ」
ゾロは答えずに、サンジを壁側に押しやって、タオルケットを捲ると開いたスペースにもぐりこむ。
「どうしたんだよ?」
「お前の部屋、なんか変だ」
押しつぶしたような声で小さく言うので、サンジは声を立てずに笑って、ゾロの方に向き直った。
「で、俺にあっちに戻れって?」
「別に…ここにいりゃいいだろ」
サンジはそれを聞き、俯いて枕に頭を擦りつけるようにして、暫く臥せっていたが、やがて立ち上がって、部屋の入り口にあるスイッチを入れた。部屋がぱっと明るくなる。
ゾロの顔は少し強張っていて、その緊張で大体の事は想像がついた。
「やっぱりダメか。お前にも見えたかよ?」
「見えたかよって……なんなんだよ、あれ」
「多分、俺の親だろうなあ」
額に指を当てて顰め面を作り、重々しい調子で言う。そしてすぐに切り替え、出るんだよね、俺の部屋、と、へらりと笑ったサンジに、ゾロはガツンと一発ぶちこんだ。
以来何度遊びに来ていても、住もうと決めるまでここには一度も足を向けたことがなかった。
そのせいなのかな、と思う。ゾロのベッドで身じろぎをしながら、サンジは考える。
俺はひとりにはならないよ。そんなことを胸のうちで思ったら伝わらないだろうか。ゾロは大事なヤツなんだと、判ってくれても良さそうなものなのに。
明日も帰ってこなかったらどうしよう。そう思うと鼻の奥がつんとした。そういえば、この家に住み始めて、本当にひとりきりで夜を過ごすのは初めてだった。
朝、起きて朝食の支度をしていたら、かちりとドアが開いて、ゾロがのそりと入ってきた。決まり悪そうにふてくされている。朝帰りの子供の顔だ、とサンジは思う。
「おかえり」
「…ただいま」
ドアを閉めて室内を見渡す。しずくを探している目だ。
「夕べはお楽しみだったのかよ?」
サンジの声は揶揄するような調子だったので、ゾロは少し眉をひそめた。
「そんなんじゃねえ」
そう言って俯き、サンジの顔は見ないまま階段を上っていってしまった。サンジはしばらくそのゾロの消えた階段を眺めて、細く溜息をついた。
シャワーを浴びて下りてくると、カウンターの椅子を素通りしてソファに座った。しずくを呼んで、膝に据わらせる。
「お前が帰ってこないからずっと玄関で待ってたぜ。くんくん鳴いて」
見上げてくるしずくに、そうかごめんな、と言って、ゾロはそっと頭を撫でてやる。
「悪かった。まかせっきりで」
「そういうことじゃねえよ」
ゾロは答えず、暫くその姿勢のまましずくの頭を撫でていたが、メシ、とサンジに一言呟かれ、ゆっくりと立ち上がる。そこでふと、思い出したように言った。
「そういえば、エアコンどうなった?」
「ああ、やっぱり初期不良じゃないかって。交換してくれるってさ」
「いつだ?」
「んー、それがやっぱ混みあってるらしくてよ、来週頭になりそう」
「遅いな」
ゾロは溜息をつきながらカウンター席の椅子を引く。
「ま、しょうがねえな」
冷蔵庫を開けてジュースを出すサンジの背中を見て、ゾロは躊躇いながら声をかけた。
「なあ」
「何?」
ゾロは振り向いたサンジの顔を見て口篭もる。
「なあんだよ」
どすん、と隣に腰をおろして肩を寄せるとゾロは僅かに体を引き気味にして、避けるようなそぶりを見せた。サンジは目を見開いて、その顔をまじまじと見つめる。
「……今日も帰ってこねえつもりか?」
ゾロはコーヒーを口に含み、苦そうに一瞬顔をゆがめて、ごくん、と飲み込んだ。
「帰ってくる。九時半までバイトだから少し遅くなるけど」
「そうかよ。メシは」
「食う」
そっけない答えに、サンジはそれ以上何も言わなかった。
朝の宣言どおり、午後十時を回ったところでゾロは帰ってきた。サンジは準備しておいた食事を温めなおし、ゾロをカウンターに座らせる。
「なんか疲れてんな」
口を開かないゾロにそう言って、サンジは階段を上った。いないほうが、ゾロがゆっくり食事が出来るだろうと思ったからだ。
そう思うのは少し辛かったけれど、ゾロが自分から何か言ってくるまでは、待とうと決めていた。
先に風呂に入って下に行くと、ゾロは食べ終わって片付けも済ませていた。ソファでしずくを抱いてうとうとしている。
「またそこで寝ちまう気?」
背後に立って声をかけると、ゾロは閉じかけていた瞼を少しだけ開く。サンジは、横になっているゾロの狭くなっている手前に腰を下ろし、右手で背もたれを掴みながら体を倒して、ゾロの顔を覗き込むようにした。
「いや」
ゾロは顔を背けるように身を捩る。しずくもそれにあわせてむずがるような仕草を見せた。
「お前が全然家にいねえから、また淋しがってた」
そう言って、しずくの背を左手でくすぐる。
ゾロは目を合わせないように逸らしたが、距離が近いので上手くいかないようだった。逸らした目をもう一度サンジに戻して下から見上げた。サンジの前髪が揺れて、頬の辺りに影が落ちている。
「明日は早めに帰る」
サンジは倒していた体を戻し、テーブルの上の煙草を取って火をつけた。そのまま、ゾロの立てた膝にむけて背中を倒す。
サンジの着ている薄い生地のパジャマが、ゾロの素足をこする。布越しにサンジのごつごつした背中の骨があたった。前にも一度、こんなふうにここで、サンジが近くにいたことがあったことを、ゾロは思い出していた。
「どけ。風呂入って寝る」
そう言って、ぽん、とサンジの背中を叩くと、サンジは体を起こす。
「俺ももう寝る」
階段を上るゾロについて、サンジも二階に上がった。洗面所にはいるゾロの背中を見て、ゾロの部屋に入った。
深夜、憚るようにそっと軋ませたドアの音に、サンジは目を覚ました。瞬間的に、ああやっぱり、と思い、無意識にドアの方を向いた。
時計は午前二時を回ったところを指している。普段のゾロなら、一度眠ったら絶対に目覚めない時間帯だ。
「どうした」
「もうちょっとそっち詰めろよ」
ゾロは答えずに、サンジを壁側に押しやって、タオルケットを捲ると開いたスペースにもぐりこむ。
「どうしたんだよ?」
「お前の部屋、なんか変だ」
押しつぶしたような声で小さく言うので、サンジは声を立てずに笑って、ゾロの方に向き直った。
「で、俺にあっちに戻れって?」
「別に…ここにいりゃいいだろ」
サンジはそれを聞き、俯いて枕に頭を擦りつけるようにして、暫く臥せっていたが、やがて立ち上がって、部屋の入り口にあるスイッチを入れた。部屋がぱっと明るくなる。
ゾロの顔は少し強張っていて、その緊張で大体の事は想像がついた。
「やっぱりダメか。お前にも見えたかよ?」
「見えたかよって……なんなんだよ、あれ」
「多分、俺の親だろうなあ」
額に指を当てて顰め面を作り、重々しい調子で言う。そしてすぐに切り替え、出るんだよね、俺の部屋、と、へらりと笑ったサンジに、ゾロはガツンと一発ぶちこんだ。