アクアマリン 2
その居酒屋はナミの家から歩いて五分ほどで、ゾロが料理のボリューム感が良いと気に入っている店だ。店の連中ともたまに利用するが、三人だけで来る事も多い。味は家庭的で、オープンキッチンで活気があり、学生やサラリーマン、OLでいつも賑わっている。
「そっか、イベントごとねえ。なるほど。あ、これ、おかわりください」
ナミはグラスを空けるペースがサンジの比ではない。なのにまったく酔わずけろりとしていて、これにゾロも居合せた日には、二人と張れるほど酒に強くないサンジはくだらない疎外感を味わうことになる。
「こっちから自分の誕生日の事なんて切り出せるわけ無いよ。ゾロが俺の誕生日を知っているかどうかもはっきりしねえし」
「馬っ鹿ねえ、何遠慮してんの?言えばいいのよ。この日は俺の誕生日なんだから何がなんでも空けておくこと、って。それくらいは特権だわ」
「……それでそっけなくされたら、俺、立ち直れねえ」
サンジは言いながらぐずぐずとテーブルにへたり込む。
「サンジくん?ゾロはそんな奴じゃないわよ。馬鹿だけど」
ナミの口調がキリリと変わって、サンジはハッとする。
「大事に思っている人との大切な約束事はちゃんと守るわ。そんなことわかってるでしょう?」
大事に思われている自信があれば、こんなことをくよくよ考えたりはしないのだ。サンジは煙草を咥えた口元を小さく歪める。
ナミであれば、こんな心配などする必要は無い。なぜならナミは女だからだ。女であるというだけで、自分の感じているような引け目などとは一切縁が無い。
「そうなんだけど。やっぱ、そこまで強気にはなれないって言うか。たかだか誕生日程度で大袈裟だとは思うんだけど」
「大袈裟なんて思ってないくせに。ゾロが大袈裟だと思ってると思うからそんな言い方になるんだわ」
ばさりと斬って捨てられてサンジは本気で上半身を突っ伏した。
「んじゃあ、俺はどうしたらいいの?我慢したいと、俺だって思ってるわけじゃないんだよ」
絞り出すような声に、ナミは一瞬、本気でサンジが泣いているのかと思う。本心を見せたくない時ほど言葉とアクションが派手なサンジは、実際複雑な内面の持ち主だとナミは理解していたので、そんなサンジを見て大きく溜息をつく。
「ちゃんと言うしかないんじゃない?やっぱり。一緒に過ごしたいならそう言わないと、あの馬鹿には伝わらないわよ」
「向こうから言って欲しいってのは、我侭なのかな」
「…諦めるのね。言っとくけど、私は手を貸さないわよ。あんた達の問題に口を挟む気は無いの。あ、メニュー下さい」
脇を通る店員に声をかけるナミは、いたって平常心で、サンジはなんだか置いてけぼりを食らったような気分だ。
ゾロの鷹揚なところが好ましいと思うのだが、一歩間違えるとそれは単に鈍いだけだ。けれどそれに助けられている部分もあって、そういうことの一切をわかっているからこそ、サンジは思い悩むのだ。
ナミはサンジとゾロが付き合うようになっても、ゾロとの関係を改めるつもりは無いようだった。ゾロの方もそんな必要をまったく感じていない様で、サンジはわかっていながら身が焼けるような思いを味わったりもした。部屋に泊めたり泊まったりも日常茶飯事で、知らぬふりで気にしていては参るばかりなので、サンジもいつしかそれに加わるようになった。ナミは何も言わず受け入れた。
ナミに弱音を吐いてみたら、少しすっきりしていた。美味しい、と言いながら煮物をつまむナミと「そういえばゾロはこれが好きだよね」などと言って、ここにゾロが居ないことを少し寂しいと思うサンジだった。ナミも同様だったようで、
「ゾロ、呼ぶ?きっと家に居るわよ。サンジくん、私と飲むって言ったの?」
と言って来た。
「言うわけないじゃん。言ったら来るに決まってる」
「そっか、そうよね。来たら何話してたんだとか言うかしら?」
「あいつが?まさか。妬いたりすらしないと思うぜ?興味が無いんだ」
そう言ってグラスをあおる。ほんとうはそれが一番寂しい。人一倍構ってほしいサンジが、素通りする感情に幾度となく耐え、ゾロという人間を理解しようとつとめているのに、ゾロの方からはそんな気持ちが一切伺えなくて、それでサンジは苛立ったり悲しんだりしている。
「それって、つまりサンジくんに甘えて、信頼しきっているからだって思わない?…なんて、自分で言ってなんだか、うわって思うけど…」
「…お、俺だって…」
やれやれ、とナミは額に手を当て、俯いた。これ以上はサンジが自分で折り合いをつけていかなくてはならないことだ。
ナミのスタンスは、最初にゾロにサンジの部屋を訪ねさせたところから決まっていて、今現在も揺ぎが無い。
ゾロが泣いたり悔いたりするようなことだけは絶対にいやだ。
それだけなのだった。
ナミがゾロを呼ぼうと携帯を取り出すと、サンジはそれを制した。
「こんな気分じゃ俺、無理。呼ぶんならこれで帰るから」
ナミは携帯を胸のあたりで止めたままサンジを見る。
こんな状態で大丈夫だろうか。ゾロはサンジの事が好きなのに、どうしてこんなにもお互い伝わっていないんだろう?
しかし、それはナミにはどうすることも出来ない。二人で話して、何とかするしかないことだ。
結局店を出ることにして、もちろん支払いは全部サンジ持ちで、それでいて「大サービスで負けとくわ」とナミはにっこりと笑って言った。
春を目前に、夜の闇の尖った冴えは幾分なりを潜め、漂う空気がわずかに色味を帯びているように感じる。とはいえ吐き出す息はまだ薄白い。ナミはマフラーをふわりと巻きなおした。
サンジは自分の誕生日が好きだった。徐々に春を感じられるようになるこの季節が好きなのだ。見上げるとまだ冬の澄んだ空気が空を覆う、この季節が。 ナミを部屋の前まで送って、サンジは家に向かって歩き始めた。何故だかとてもゾロの顔を見たいと思ったが、いざ見たらひどいことを言ってしまいそうで、ゾロの影を振り切るように歩くスピードはどんどん速まった。明日はゾロはバイトに入っていただろうか、と思いながら。
「そっか、イベントごとねえ。なるほど。あ、これ、おかわりください」
ナミはグラスを空けるペースがサンジの比ではない。なのにまったく酔わずけろりとしていて、これにゾロも居合せた日には、二人と張れるほど酒に強くないサンジはくだらない疎外感を味わうことになる。
「こっちから自分の誕生日の事なんて切り出せるわけ無いよ。ゾロが俺の誕生日を知っているかどうかもはっきりしねえし」
「馬っ鹿ねえ、何遠慮してんの?言えばいいのよ。この日は俺の誕生日なんだから何がなんでも空けておくこと、って。それくらいは特権だわ」
「……それでそっけなくされたら、俺、立ち直れねえ」
サンジは言いながらぐずぐずとテーブルにへたり込む。
「サンジくん?ゾロはそんな奴じゃないわよ。馬鹿だけど」
ナミの口調がキリリと変わって、サンジはハッとする。
「大事に思っている人との大切な約束事はちゃんと守るわ。そんなことわかってるでしょう?」
大事に思われている自信があれば、こんなことをくよくよ考えたりはしないのだ。サンジは煙草を咥えた口元を小さく歪める。
ナミであれば、こんな心配などする必要は無い。なぜならナミは女だからだ。女であるというだけで、自分の感じているような引け目などとは一切縁が無い。
「そうなんだけど。やっぱ、そこまで強気にはなれないって言うか。たかだか誕生日程度で大袈裟だとは思うんだけど」
「大袈裟なんて思ってないくせに。ゾロが大袈裟だと思ってると思うからそんな言い方になるんだわ」
ばさりと斬って捨てられてサンジは本気で上半身を突っ伏した。
「んじゃあ、俺はどうしたらいいの?我慢したいと、俺だって思ってるわけじゃないんだよ」
絞り出すような声に、ナミは一瞬、本気でサンジが泣いているのかと思う。本心を見せたくない時ほど言葉とアクションが派手なサンジは、実際複雑な内面の持ち主だとナミは理解していたので、そんなサンジを見て大きく溜息をつく。
「ちゃんと言うしかないんじゃない?やっぱり。一緒に過ごしたいならそう言わないと、あの馬鹿には伝わらないわよ」
「向こうから言って欲しいってのは、我侭なのかな」
「…諦めるのね。言っとくけど、私は手を貸さないわよ。あんた達の問題に口を挟む気は無いの。あ、メニュー下さい」
脇を通る店員に声をかけるナミは、いたって平常心で、サンジはなんだか置いてけぼりを食らったような気分だ。
ゾロの鷹揚なところが好ましいと思うのだが、一歩間違えるとそれは単に鈍いだけだ。けれどそれに助けられている部分もあって、そういうことの一切をわかっているからこそ、サンジは思い悩むのだ。
ナミはサンジとゾロが付き合うようになっても、ゾロとの関係を改めるつもりは無いようだった。ゾロの方もそんな必要をまったく感じていない様で、サンジはわかっていながら身が焼けるような思いを味わったりもした。部屋に泊めたり泊まったりも日常茶飯事で、知らぬふりで気にしていては参るばかりなので、サンジもいつしかそれに加わるようになった。ナミは何も言わず受け入れた。
ナミに弱音を吐いてみたら、少しすっきりしていた。美味しい、と言いながら煮物をつまむナミと「そういえばゾロはこれが好きだよね」などと言って、ここにゾロが居ないことを少し寂しいと思うサンジだった。ナミも同様だったようで、
「ゾロ、呼ぶ?きっと家に居るわよ。サンジくん、私と飲むって言ったの?」
と言って来た。
「言うわけないじゃん。言ったら来るに決まってる」
「そっか、そうよね。来たら何話してたんだとか言うかしら?」
「あいつが?まさか。妬いたりすらしないと思うぜ?興味が無いんだ」
そう言ってグラスをあおる。ほんとうはそれが一番寂しい。人一倍構ってほしいサンジが、素通りする感情に幾度となく耐え、ゾロという人間を理解しようとつとめているのに、ゾロの方からはそんな気持ちが一切伺えなくて、それでサンジは苛立ったり悲しんだりしている。
「それって、つまりサンジくんに甘えて、信頼しきっているからだって思わない?…なんて、自分で言ってなんだか、うわって思うけど…」
「…お、俺だって…」
やれやれ、とナミは額に手を当て、俯いた。これ以上はサンジが自分で折り合いをつけていかなくてはならないことだ。
ナミのスタンスは、最初にゾロにサンジの部屋を訪ねさせたところから決まっていて、今現在も揺ぎが無い。
ゾロが泣いたり悔いたりするようなことだけは絶対にいやだ。
それだけなのだった。
ナミがゾロを呼ぼうと携帯を取り出すと、サンジはそれを制した。
「こんな気分じゃ俺、無理。呼ぶんならこれで帰るから」
ナミは携帯を胸のあたりで止めたままサンジを見る。
こんな状態で大丈夫だろうか。ゾロはサンジの事が好きなのに、どうしてこんなにもお互い伝わっていないんだろう?
しかし、それはナミにはどうすることも出来ない。二人で話して、何とかするしかないことだ。
結局店を出ることにして、もちろん支払いは全部サンジ持ちで、それでいて「大サービスで負けとくわ」とナミはにっこりと笑って言った。
春を目前に、夜の闇の尖った冴えは幾分なりを潜め、漂う空気がわずかに色味を帯びているように感じる。とはいえ吐き出す息はまだ薄白い。ナミはマフラーをふわりと巻きなおした。
サンジは自分の誕生日が好きだった。徐々に春を感じられるようになるこの季節が好きなのだ。見上げるとまだ冬の澄んだ空気が空を覆う、この季節が。 ナミを部屋の前まで送って、サンジは家に向かって歩き始めた。何故だかとてもゾロの顔を見たいと思ったが、いざ見たらひどいことを言ってしまいそうで、ゾロの影を振り切るように歩くスピードはどんどん速まった。明日はゾロはバイトに入っていただろうか、と思いながら。