周期的な振動 1

(過去)




「卒業旅行に行くんだ」
 笑顔で言い放ったその顔があんまり明るかったので、ゾロは毒気を抜かれて、ふうん、と気の抜けた相槌を申し訳程度に打ち、呆けたように聞き流した。
 サンジの視線は明後日のほうを向いていて、まるで来る日の光景が目の前に広がっているかのように爛々としていた。実際に目の前にいるゾロの姿など、まるで見えていないふうだった。
 二階の自室で、ベッドの上に仰向けで寝転んでいると、玄関のドアが乱暴に開く音と同時に、大声で自分の名を呼ぶサンジの浮ついた声が聞こえた。そして、どん、どん、と大きく足音を響かせながら階段を上ってき、部屋の入り口に立つと、開口一番そう言ったのだった。
 サンジは能天気に続ける。
「近場だけどさ。彼女行きたいって言うしさあ」
 声には渋るような調子が混ざっていたが、取り繕っているのが見えすいていて滑稽さすら感じる。ゾロはドア口に立ったままの浮かれ男を斜めに見上げながら、今度はへえ、とつぶやいた。
「お土産買ってくるからさ。つか、お前もせっかくだから何処か行って来ればいいんじゃねえ?」
 ふん、と鼻から息を短く吐き出し、サンジに背を向けるように寝返りを打つ。
 海外に単身赴任している父親が、大学受験を突破した一人息子に、休みの間に一度来るようにと言ってきたのは、つい昨日のことだった。これからまた忙しくなるだろうからなどとつけたして、何かのついでのような誘い方だったが、自分の進学を喜んで、顔を見て祝いたい思ってくれているのだという事くらいはゾロにもわかったし、素直に嬉しいと思った。父親にはしばらく会っていない。誘いには、乗るつもりでいた。
 サンジも誘えばいいという父親の言葉には、サンジが望めば連れて行くと答えた。それを告げようとした矢先に、これだ。完全に出鼻をくじかれた。
「俺は、べつに」
 卒業式を終えた翌日に、付き合っている彼女と、ディズニーランドへ泊りがけで行くのだそうだ。へらへらとした口調で、向こうから先にそう告げられてしまえば、ゾロとしては口をつぐむしかない。
「飯は用意してってやるよ。ちゃんとさ」
 ベッドの脇に回りこみ、サンジはしゃがんでゾロの顔を覗きこんだ。
「ん」
「お、素直」
 ゾロの顔を見下ろしてにこりと笑い、立ち上がり際、するりと額を掌で撫でていく。サンジはそのまま窓際に寄り、ゾロに背を向け、煙草をくわえた。
 卒業式まであと少しという、日曜の午後だった。進路もすでに決まってあとはその日を待つばかりで、当日のことやその後の事について、友人連中とはこのところ、何かにつけて話題に上る。
 サンジが一緒に旅行に行こうとしている彼女は、クリスマス前くらいから付き合っている別の学校の女で、付き合うと聞いたとき、この切羽詰った時期に物好きな事だと思ったものだ。
 だいたいサンジは女に甘い。たいていの我儘はきいてやるし、我儘を言われる事を楽しんでいるし、そんな自分を好きな男だ。
 窓辺に立つサンジを見る。すっきりと細身で、親譲りの明るい金髪に、日本人にはないような色の瞳。子供の頃から、一緒に連れ立って歩くのを望む人間は、男でも女でも多かった。
「やっぱ、いい」
「あ?」
「飯くらい自分でやるし、気にすんな」
 背を向けるようにもう一度寝返りを打ち、目を閉じた。
「んだよ。ほっとくと酒飲んで寝ちまうだろうが、お前は」
 声を避けるように、ゾロは目をぎゅっと強くと閉じる。
 父親の提案はうれしかった。サンジと一緒に旅行に行くのは楽しそうだとも思った。だが、すぐに別の思いが胸に広がった。
 実際どちらを選ぶかはわからないけれど、サンジは誘えば、きっと行きたいと言っただろう。だが今、サンジの話を聞かなかったとして、はたして本当に自分は言い出しただろうか。
 父親の話はこのまま黙っていようと思った。
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