ネットに流れてきたサンジについての二つのお話のことなんですけどね。
このての話ってループなのよな~。
キャラ第一で読んでるかたとは平行線になってしまうのであんまり表立って話したくない話題でもある。
私これねー、ペダルの三日目リアルタイムのころとてもしんどい思いをしてるんだよな~。
自分の好きなキャラが変わったと感じる、というのも、そう感じる自分はもう作品についていけてない、と思うのも普通のことだと思うのね。
キャラが変わったと感じるのは、描いてる人が変化してるってことだと思うんだよ。そして、それについていけないってことは、自分もまた変化しているという事だと思うのね。
ワンピに関して言えば、私はオダさんが年を取った、と思った。衰えたというのでは無いですよもちろんそんな失礼なことを言うつもりはなく……。ただ、私がワンピースを好きになったきっかけって、ルフィってキャラがまず新しいと感じたんですよ。私はもう当時すでにおばさんだったので、ワンピースを「新しいもの」として受け止めて、読み始めたの。キャラクターも世界観もとても新鮮だったし、そこには尾田さんの二十代の若者感が断然強く出ていると感じていた。怖いもの知らずで、世界を変えてやろうという野心も満々だった。
でも年をとるにつれ、尾田先生のキャラへの向き合い方にも変化が出てきたんじゃないかな~。初期のころはやっぱり、自分の作ったキャラがイキイキと動くのをひたすら楽しんでいる感覚がよりつよくあると思う。理屈に合う合わないは関係なく、格好いいと思うものを描いておられたきがするんですね。
でもやっぱり、格好いいと思うものや価値観は年を取ると旧弊のものに引きずられるというか、若い頃にはわかんなかったことが、まあ一理あるなとか、もっともだなとか、実感として身に染みる経験などをしてしまったりして、そうするとねえ、頭から否定したりは出来なくなるわけですよ。若い頃に出来ていたのと同じようにはね。
ワンピをはじめたころのおださんは、まだそういうのが出来たギリギリの年だったからね、変わるのはしょうがないとおもうんだ~。
そして、作者の考えが変わればキャラも多少は変化してしまうのは、もうしょうがないと思うんだ。
そういう時期を経てしまった作品にはどうしてもあらわれてしまうと思う。そしてワンピみたいなある意味前衛的だった作品は、そういうのが見えやすいんだと思う。
わたしがワンピから少し距離を置いた理由としては、そういうふうに変わってしまった尾田さんのこだわりなどを、面倒くさいなと感じるようになったっていうのが一番大きい。物語は相変わらず面白いし、キャラたちは大好きだけど、一時期のように細かく把握していくことに疲れてしまった。こんなのいいから先に進めて~って思うようになったのは、キャラがドカンと増え始めた……あのインペルダウンあたりだね。ルフィが倒す敵として、その力量をいちいち説明して、戦う前に強さを示して、それを倒す、というのが続いたあそこらへん。このキャラ覚えなきゃダメ?って思うようになった、あそこらへん。
戦争もずっと楽しく読んでいたのだけども……不在の二年はやっぱり長かった。
そしてその間に、私は巻島裕介と出会ってしまい……。
帰って来た彼らは年を取っており……。
結局のとこ理由は一個じゃないんです。複合的にいろいろ。でも私の心の変化などはここではどうでもよくって(そのわりに長い)。
あの話って結局、物語を楽しむうえでのスタンスの違いなんだよね、って思っている。もしくは距離感。
私はどっちかというと好きなキャラが住む物語の世界そのものを好きだと思って読んでいるので、キャラが出てこなくてもその中にキャラが生きているということでふつうに物語を読むことが出来るっていう、ついったで流れてきたほうでは後者のひとに近い読み方をしてます。その中でまれに強烈に好きなキャラに出会うことがあって、さらにそこに相手として最高で大好きでたまんないキャラが出てきたときにのみ、薄い本を作り始めてしまうタイプです。
おだっちはゾロとは違うベクトルでサンジのことを好きだと思うし、それが仲間的な愛というのにも同意している。あと男に対してあたりが強いのに男にへんなふうにモテるサンジを格好いいと思ってるし(私はこの辺がサンジと東堂の共通項だと思ってる)、なんだかんだ面倒見てやる兄貴肌なのも格好いい。おかまたちを女として愛してやれないサンジというのじゃなくて、あのおかまたちから逃げていたのはドレスを着せて化粧をさせようとしていたからで、ジェンダー的な云々という見方をしはじめたら、いろいろときりがないよマンガなんだし、とか思ってしまう。尾田さんのそういうとこが残念と思うなら、それもそうですよね、と思うし。
でもまあ、ワンピとかペダルとかにかぎらず、だいたいすべてそう。よほど好きな子が理不尽な目に合ったりしたら作者に怒りがわいたりもするかもしれないけれど、幸いなことに今までそういうめにあったことがない。
3日目にしんどかったのは、坂道を嫌いって人が周りに多かったことだった。
坂道が優勝するのおかしい、という意見。ぽっと出で勝てるほど自転車は甘くない、とかね。自転車に詳しい人ほどそういうこと言う。そんなこと言いだすくらいなら私詳しくなりたくないわあって思った。
私がいつも通りのスタンスでマンガを読む場合、坂道が勝つならそれは坂道がロードに乗る前の一連の自転車とのかかわりの中でそういう実力が培われていたのだとして読むから、そういうとこに全然引っかからないんだよね。だってちゃんと描かれてるしって思ってしまう。でもそこに引っかかる人は、そんなもんじゃないっていう。そんなくらいでは勝てないっていう。
でも引っかからない私は、そんなこと言っても実際走って勝ってるのなあって思ってしまう。
平行線です。
これは航先生のまんがを描く上でのリミットの話かもしれない。せんせいはこれでOKと思っていることに、違う、と言ってしまうのは、先生とそのひととのまんがに対するなんらかのライン引きが食い違っているということなんかなーと思う。ちょっと年寄りぶるけど、やっぱりね、まんがの読み方も描き方も時代時代で変わって来てると思うから、わりと同時代の漫画を読んでいた、というのはそういう面では強みかなって気がするのね。読むうえでのお約束みたいな、無意識のうちに感覚を共有できるような。
あと、うーーーんそれを言い出したらそれはもう物語を楽しめないし、そしたらじゃあ、もうあなたはこの作品を好きじゃないよねって思った言葉なんだけど、「私の好きな(巻ちゃんを含む)三年生たちをそんなふうに扱ってほしくない。坂道に負けるような三年であってほしくない」っていう感じのやつだった。
ね、同じでしょ。
物語にこうであってほしくない、と思うのは人それぞれ自由だけど、私みたいな人に同意を求めるのは違うのだ。だって私は物語はこうなのであり、私の好きな巻ちゃんは東堂と戦って今泉や坂道に道を開いたことをとてもすてきだと思っているし、金城が足をいためたのは心底残念だったけれど、だからこそ現れた彼のほころびや若さを、それを垣間見ることが出来たというのをとても貴重なことに思ったし、とにかくあそこで起きたすべてを「こういう物語なのだ」というひとことで受容していたからです。
でもそれを言ってくる人は、このくやしさを、つらさを、わかってほしいし、同意が欲しいわけですよ。それだけならまだしも、私が面白いと思って読んでいる物語のことを、つまらない、このまんがはもうダメだ、と、言葉は悪いですが、disってくる。
求める相手を間違っておる、と思いましたよね。
とにかく、このことに関しては「読み方が違うんだから絶対わかりあえないしわかる必要もないしわかろうとしても無駄だな」ということです。私はこれを、このことで学んだのだった。
友達でも、仲良くても、ありますよ、こういうの。そういうもんだと思えばいいんだ。
そしてサンジについてですけど、じつのとこ、私の周りにいた人たちに限って言えば、サンジファンて圧倒的に前者タイプが多いと感じていた。そして、その人たちの言っていることが、私はいつも、よくわからなかったのだ……。
サンジについて語られるいろんなことを「なんで?」って思ってた。こういうの変わんないよね、ほんと笑。
長い日記を書いてしまった。
ごく個人的な感想なのです。嫌な思いをした方がいたらごめんなさい。他意はないです。
拍手ありがとうございます。