昨日は新宿でクレミアをはじめて食べたよ。あれは本当においしいものですね。
いつも横目で見ていてじりじりしていたのでフォロワーさんを無理やりお誘いしてしまい……すみませんでした。
なんとなく新宿行きやすいかたかなって思っていたのだけど違ったようで返す返すも……もうしわけなく。
新宿を主に使ってる人とか、中央線沿線付近の人って、まわりに意外といない。
今日は府中に競馬を見に行こうかなってふらっと思いついて、そうしたらついでに、府中住まいの友人が最近こいぬを飼いだしたのを思い出して、子犬見に行きたいってなったら競馬に行く気がなくなった笑。
なので薄い本を読んでいます。
読んでて思ったんだけど、結局のところはそれを用いて何を描きたいかなのだよなあって。
このキャラのこういうところを私は書きたい、と思った時点で、ディテールやシチュエーションはこれを描き出すための手段にかわるんだよね。
でも必ずしもそれを使わなければ描き出せないというものではないかもしれないから、そこには多少性癖も作用しているだろうし、それが苦手だと思ったら読めなくなったりもするんだろうけど、幸いにして私は、それを好むわけでなくとも気にせずにいられるほうなので。
逆に、自分の愛するものものでキャラを囲みたいと思ったら、それはキャラを描きたいのか自分の好きな世界を描きたいのかどっちだってなるので、シチュエーションに拘るのってわりと怖い感じはする。だから両方をきれいに描き出せる人は本当にすごいなって思う。
その人の描きたい、そのキャラの(または作品や、そのカプや、などの)その部分、というのが伝わってくるものが好きなの。っていうようなことは前にも書いたと思うけど、それは実際のところすべてが意図したものとは限らないよなって思うし。
なんかね、よくキャラ崩壊とかいうけど、たとえばその人が自分なりの解釈(この言葉苦手なんですが)で言ったんばらして組み上げた東堂なり巻ちゃんなりがいたとして、でも、その人がそのキャラのその部分を強烈にいとおしんでいる、ということが伝わってきたら、それはすごいことだし、さらにそこに共感出来たらとても楽しいなって思うんだよね。
いい加減で不真面目ってことなのだろうけど、そう言うのを感じ取れたらわりとさまざまなことは気にならなくなる。
ということは、逆説的にですけど、私は人様の薄い本を読むときには、こういうのを求めて読んでる部分が大きいんだろな、と、何となく思ったわけなのでした。
さて、次の本。