トパーズ 1

 どこからか耳に入ることもあれば、知りたくともその手立てがなかったり、聞き出したくとも、例えばどういうきっかけで訊けばいいのか皆目見当もつかず、一体いつのまに俺はこんなに口下手な男になったのかと、サンジは本気で落ち込んでしまいそうだ。
 しかし我に返れば、その聞き出したい事柄というのが野郎の誕生日だったりするのだから、どうしようもないと結局のところ自嘲するだけだ。誰かに訊いてまわる気にもなれないでいる。
 ゾロとはまだ知り合って二ヶ月で、友人というにはちょっと足りない。それでいてこんなに生まれた日が気になるのは、先日偶然、ゾロの誕生日が今月だと小耳に挟んでしまったせいだった。ただ何日なのかがわからず、ここ二日ほどは特に気になってじりじりとしている。今も、休憩室で机を挟んで向かい合って座って、なんとかそういう方向に話を持っていけないものかと、サンジはそれで思案しているところなのだ。
 バイト仲間というのは微妙な関係だとサンジは思う。毎日顔を合わせていても口もきかないような奴もいるし、気付けばいなくなっていたり、こっちはそんな気もないのに友達づらする、関わり方が難しい奴もいる。
 二人のアルバイト先は駅から程近いディスカウントショップで、アルバイトはフリーターと比べて6対4くらいの割合で学生が多い。サンジもゾロも学生なのだが、サンジは調理師学校でゾロはこの店の学生バイトの大半を占める某大の学生だ。社交的で目立つサンジはまだアルバイトとしては新参者の部類に入るのだが、すぐにまわりに溶けこみ、サンジ自身、疎外感を感じたことなど一度もなかった。
 ゾロは大型家電製品を扱う第二カウンターで、サンジはカメラを置いている第三カウンターと配置は違っていたが、休憩に入る時間帯が大体似通っており、サンジが入った初日に声をかけたのが最初だった。それから二ヶ月間、ただそれだけの関係だ。たわいのない話をして笑って、軽く飯を食べて、それだけだ。
「あら、二人だけなの。ラッキーねー」
 ナミが白い箱を抱えて休憩室に入ってきた。ナミは二階の貴金属売り場にいるアルバイトで、ゾロとは大学は違うがバイトに入ったのがほぼ同時期らしく、仲がいい。ゾロはそんな風には思っていないだろうが、あんまり仲がいいので見ているほうが羨ましくなるほどだ。サンジとしてはどっちを羨んでいいのかわからず複雑な心境だ。付き合っているという話は聞いたことがないが、サンジは、ナミはゾロのことを好きなのだろうとはなんとなく思っていた。
「ナミさんと会えるなんてラッキーだ。ゾロと二人じゃ華がなくていけねえよ」
 顔に満面の笑みを浮かべて、半分は本気でサンジはそう言った。言いたいのに言い出せないもどかしさや、自分ひとりが重苦しい空気から逃れられたという点で、実際救われた気がした。
「お客様から差し入れもらっちゃった。食べる?ここのケーキ美味しいのよ」
「食う。見せろ」
 ゾロが言って、ナミはその声ににこりと笑って箱をテーブルに置いた。蓋を開けると生クリームの甘い香りが広がった。ゾロは人差し指で箱を引っ掛けて引き寄せ、覗きこんだ。
 どこから見ても体育会系の風体で柔らかい雰囲気などとは正反対の位置に存在するかのように思えるゾロが、実は甘いものが好きなのだと最近知ったサンジは、そんなゾロの様子を見ては目元を緩ませる。
(ああ、いつか俺の作ったメシをたらふく食わせてやりてえ)
「二個余るからあげるわ。あとはカウンターのみんな用だからね。サンジくんもどうぞ」
 ナミは斜めに顔を上げてサンジにも声をかける。
「あー、ありがと。ゾロ、俺のも選んで」
 灰皿の脇に立って煙草を咥えながら、ゾロを見ていた視線を慌ててそらして答えた。
「何が好きなんだ?」
 真剣な調子で聞いてくるのでサンジはますますゾロを見る目を和ませる。あれは自分の食べたいものとかち合うことを心配しているのだ。そう思うとこみあげるものを押さえ切れず、サンジはどうしても愛しげに笑ってしまう。
「あんたが選んだやつならそれでいいよ」
 そう言って自販機でコーヒーを買い、ゾロの分も、と思ったら隣のもうひとつの自販機でナミが買ってしまっていた。サンジは投入口に入れようとしていた百円玉を止めて、ナミの方を見る。目があって、その口元に浮かんだ笑いに様々なものを見透かされている気がして、冷や汗が出る思いだ。
 ゾロはといえば、まだ暢気にケーキを選んでいた。


 結局誕生日のことはその日も何一つ訊けずじまいだった。こんなにずっと訊けないでいるのは、最初のときに訊き損ねたからだ。
 一週間前のことだ。ゾロの大学の友人だそうな女の二人連れの客が、ゾロを隣の第二カウンターから引っ張ってきた。ゾロは「カメラが欲しいんだとよ」と客をサンジに押しつけようとしたのだが、なんだかんだとサンジはゾロを引きとめ、そうして四人でカメラを選んだことがあった。
 サンジは質問に答えてやりながら、この野郎さりげなくもてるよなあ、などと思っていたのだが、そこで片方の女が言ったのだ。「ねえ、そういえばゾロ、今月誕生日だよね?」。
 そこですかさず、日を訊ねられれば良かったのだろう。しかしもう片方の女が間髪入れずに、「そうじゃん!ねえ飲もうよ。私適当に声かけとくから!」などと言ったので、サンジはすっかりタイミングを逃してしまったのだ。
 その「適当」の中に無理やり入るという手もあったが、もたもたと躊躇ううちに結局その場ではすべて聞き流すことしかできず、ゾロに改めてその話を蒸し返すのも不必要に気にかけているようで気後れした。といって、実際気にかけているのだから、つまりこれはたいそう無意味なポーズでしかない。
 帰り間際、サンジはタイムカードを押すと、手近な椅子に腰掛け、煙草を一本だけ吸った。
 結局のところ、全部がポーズなのだ。なりふり構っているのだ。この気になり方はどう考えても普通じゃない。ゾロは男なのだから。何が誕生日だよと頭の隅ではサンジも思っている。でも知りたくてたまらないのだ。どうしようもない。
 知ってどうしようというのだ。相性を占ってみようとでも?
 望んでいるのはそんなことではない。誕生日を知りたいと思うのも、本心は別のところにあって、そこから生まれる気持ちなのだ。
 ゾロはまだあがってこない。溜め息をついて煙をすべて吐き出すと、真中あたりまで吸った煙草を灰皿に押しつけ、手早く帰り支度をしてロッカーを後にした。
 エレベーターに向かうまでの間、途中すれ違った何人かに「帰るのか?」と訊かれた。見りゃわかるだろ、と思いながら「おつかれー」と繰り返し、エレベーターのボタンを押して待つ。階数をしめす数字が順番に点滅していくのを眺めながら「来たかな」と思う。扉が開いて、案の定ゾロが出てきた。ナミも一緒だ。
「おつかれ」
 サンジは努めて平静に言った。ナミの顔は見ないようにした。
「帰るのか?」
 ゾロがそう訊いてきて、なんなのだろうと思わなくはなかったが、サンジはなるべくそっけなく聞こえる様に「帰るよ」と言った。でないと、感情がこもりすぎてしまいそうだった。
「なんか用かよ?」
「いや。……別に」
 眉のあたりに言いたいことをため込んだような顔でゾロがそう言って、隣のナミはにこやかにサンジを見る。
「おつかれ様、サンジくん」
「おつかれナミさん、また明日」
「明日は入ってないの。次は火曜日」
「んじゃ、火曜日に」
 ゾロが振り返って見ているのがわかって、尚更サンジは振り向けなかった。エレベーターに入り、一階のボタンを力いっぱい押した。
 胸の中はずっともやもやして落ち着かない。もっと近づきたいと思うのに、何故かそうできないでいるのは、自分自身の気持ちの疚しさゆえだ。
(仕方ねえ。あいつが悪い)
 きっかけは確かにあった。けれどもそれは、どうしてそんなことでと改めて考えてみれば思うような、たとえるならパイ生地の薄っぺらな一枚みたいに頼りないものだ。なのに、こんなにも手放しがたい感情にまで育ってしまって、サンジはゾロを恨みたいような気持ちすら自分の中に感じる。
 あわよくば、せめてもう少し信頼される友人になりたい。願うくらいは良いだろう。けれども、それくらいならおそらく難しいことではないはずなのにもうひとつの気持ちが邪魔をする。
 友達でいいのかよ?もっと、違うふうにゾロに見て欲しいとは思わないのかよ?そういう感情が頭をもたげてくる。堂々巡りだ。
 エレベーターが一階に到着し、扉が開いた。目の前に第二カウンターの主任が立っていた。
「おつかれ様でーす」と呟きながら脇を擦りぬけようとすると、主任が少し驚いたような顔でサンジに声をかけた。
「あれ、サンジ帰るのか?」
「?はあ」
「用事でもあるのかー?今日、ゾロの誕生パーティーだろう?」
 その言葉は最後まで確かに聞こえていただろうか?
 頭をハンマーで殴られたみたいだった。顔に出ていたかどうかはわからないけれど。
「あー。ああ…うん」
 そんなふうに声を出すのがやっとで、曖昧な笑いで目の前の何も知らない無関係な男にぶつけてしまいそうな敵意を中和し、とにかく先を促すようにサンジは黙った。早くその先を言えよ、どういう状況なんだ。気は急いているのに足元はふわふわと浮いているかのように心もとない。ショックだった。
「バイトはみんな行くのかと思ってたよ。社員も、けっこう行くみたいだけど。俺も行くぜ?」
 主任は無邪気にそう言った。  
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