The seventh month 1

 雨と光。
 緑。
 黒い子犬。
 黄色い男。
 白い太陽。
 
 夏だった。

 オレンジの空を見上げてキスをした。

 たしか夏。

 手のひらの熱。


 今も、たぶん。


 *


ゾロが残した熱を消し去るように、ガラスの向こうが白く曇り始めた。


 風呂は二階にある。階段を上って右手に風呂場へのドアがあり、その右隣がトイレのドア。その奥がゾロの部屋で、階段を上がった正面にあるサンジの部屋とは、水まわりのユニットをはさんで丁度向かい合う形だ。
 二つの部屋の間は広くスペースがとられている。壁側には大きな窓があり、サンジはよくこのスペースに椅子を置いて庭を眺めた。
 それが高じてある日、小さなティーテーブルと椅子を買ってきて据えたのを見て、ゾロは嬉しそうにしていた。なんで椅子がひとつしかねえんだと問うてくるので、サンジはにやけそうになる顔をおさめるのに苦労したものだ。今は寒いので、サンジの部屋に両方しまってある。
 洗面所のドアを開けると、湯気の名残がしっとりと肌を包んだ。タイルにはまだ熱が残っていた。
 湯は抜いてあった。初めの頃は勿体無いと言っていたけれど、サンジの主張に合わせて、いつしか何も言わなくなった。
 それらをいちいち確認しながら、サンジはだんだん表情を消していった。溜息がひとつ、唇から細くもれた。
 一緒に暮らし始めて半年。とくに関係に変化は無い。
 店は思っていた以上に順調で、ゾロも良く働いてくれている。時々、二人では回りきらないと思うときすらあるほどで、ゾロは折に触れて人を雇ったらどうかと言ってくるが、サンジにその気は無い。
 真っ白になったガラスのドアを開けて中に入る。バスタブに溜まった湯をひとすくいして流し、洗面所に戻って服を脱いだ。洗濯籠にはゾロの衣類も入っている。明日の朝洗うつもりだろうか。

 階下に下りタオルで髪を拭いながら、キッチンの後ろにあるドアの鍵を確認した。店に続くそのドアを利用するのはサンジとゾロだけだ。
 ドアの前に立って、サンジはリビングを眺めた。
 風呂から上がって寝る準備を済ませたゾロが、ソファに座って目を閉じていた。風邪をひくからよせと何度言ってもやめない。
 手には飲みさしのビール缶が握られている。サンジはそっと近づいて落ちそうになっているそれを取り上げた。
「ゾロ、寝るんなら上に行けっていつも言ってんだろ」
「ん」
 店の片づけを終えて家に入るのは、いつもゾロが先だ。そして、風呂を先に使ってここにいる姿を、サンジはいつも、自分の仕事が終わってドアから入ってきた瞬間に、目にすることになる。
 待っているのかと思ったりもする。夏の頃は、こんな光景は見たことがなかった。口に出して問う気にはならないけれど、その行動の裏にあるものについて知りたいと思う気持ちはあった。
 煙草に火をつけ、一度銜えて離し、もう一度頭上から呼びかける。
「ゾロ、起きろよ」
 首筋がゆるく左に折れている。パジャマがわりのTシャツの襟から、鎖骨の線が肩に向かって伸びているのが覗けた。サンジの視線は、そこをゆっくりと辿る。
「ゾロ」
 身動きひとつせず、寝息は深い。サンジはごくりと唾を呑み込み、手にした煙草を銜えなおした。
 右手をそっと、首筋に滑らせる。前の窪みから右へと鎖骨をなぞり、その下の膨らみまでゆっくり手のひらで覆うようにして下していく。温かい。中指に力を入れて胸の間を強めに押しながら、そのまま数度上下させる。
 ゾロはまったく気付かないのか、身じろぎひとつしない。
 サンジは溜息をついて、そっと手を戻した。わずかなぬくもりを惜しむように指先に唇を寄せ、体を駆け巡る衝動を抑えるように肩で大きく息をつく。
ゾロの頬に手を伸ばして軽く叩いてやった。
「ん」
「起きろ、部屋に行けよ」
 眩しそうに片目を開け、ゾロはあたたかな息を吐き出す。そして、それに合わせたかのようにふふん、という飼い犬の鼻息が聞こえた。犬はゾロの右側で丸くなって眠っている。サンジはそちらへ手を伸ばしながら言った。
「冷えるなあ。今日はしずく借りるぜ」
「あ、駄目だ」
 ソファを挟んでしずくを引っ張り合った。笑いながら、サンジはゾロの首をどさくさにまぎれて抱きこんだ。
「お前でもいいんだけどなあ。あったけえから」
 肩にゾロの頬の熱を感じられたのはほんの一瞬で、ゾロの手がすぐにサンジの肩をぐいと押して離れた。
「あほ、何言ってんだ」
「あ、やっぱ?」
 サンジが笑うと、合わせてゾロも同じ様に笑う。
 同じだと思っていた、何もかも。
 過ごした時間も、そこにある感情も。変わらないで過ごしていけると思っていた。

 まだ、そのときは。
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