レインドロップ ピチカート 1

 雨が降るせいで外装工事がなかなかはかどらず、サンジは傍目にもいらついている。
 店のオープン予定日にはまだ間があるようなのだが、ゾロはその辺の事は相変わらずはっきりとは知らないままだ。問えば答えてくれるとわかっても、他人と暮らすなど初めてのことで、今度はどこまで踏み込んでいいものか、考えてはみるものの、すぐに面倒になってしまい、そのままだ。
 一方、サンジの方は慣れてきたせいか、あまり事細かに考えてもいないようで、何かにつけて話してくるようになっていた。たわいもない事ばかりだが、ゾロが無関心でいると、時々話したそうにじっと見ていることがある。例えば夜、テレビを見ながら少し酒を飲んで、ゾロが眠ると言って階段に脚をかけたときなどに、そういう気持ちを強く感じる。けれども振り返ってサンジの語りかけるような目をみれば、その意味するものがわからずに戸惑うばかりだった。しずくが二匹いるようなものかとゾロは思っているのだが、サンジに対してはまだ応えた事はない。
 だから今、ゾロがサンジについて知っていることといえばせいぜい、最近はちょくちょく昼間に外出しているということくらいなのだった。
 最初は気晴らしかと思っていたのだが、それについては訊ねてみて、近隣からわりと遠い人気スポットまで足を伸ばして、有名なレストランを食べ歩いているのだと知った。おそらくは予定の行動なのだろうと、ゾロは勝手に納得している。
 庭の掃除はあらかたすんでしまっていた。その後、掃除や些細な家事仕事を言いつかって手伝う事はあったが、今の状態をさしてこれを居候と呼ばずになんというのかと、ゾロは時々溜息混じりに思う。
 だらだらと雨が降り続くなか、サンジは今日も朝早くから出かけていった。日本のこの梅雨って奴は最悪だよなと、出掛けしなに空に向かってぼやいていた。
 タイミングが悪いのだとゾロは思うのだが、サンジは判断を誤ったなどと認める気はないらしい。そう思うそばから、サンジがいなければ今自分はどうなっているのだろうとまた考えて、頭をかきむしりたいような気持ちにさせられた。
 ゾロは午後からバイトだ。ゾロのバイト先は電車で三駅の、このあたりで一番大きな街にあるとあるチェーンのカラオケボックスだった。平日も、朝から主婦や老人などがやってくる。通っている大学の最寄り駅であるのと、店が駅から近いので決めた。時給もまあまあ良いので気に入っている。
「お、ゾロ。なに難しい顔してんだよ?」
 夕方の休憩時間、ゾロが事務所に一人でいるところへ、ひょろひょろと頼りなげな体躯の男が覗き込んで声をかけた。開け放った瞬間、高校生らしき集団の通りすぎる声がガヤガヤと響いたが、ドアを閉じれば事務所内はわりに静かだ。
 くせっ毛なのか、男はゆるくウェーブのかかった黒髪をうしろでひとつにまとめている。鼻は高いというより長いといった方が正確だ。男の顔を認め、ゾロは表情を僅かに緩ませ、名を呼んだ。
「ウソップ」
 ウソップとはこのバイト先で知り合った。二部の学生で、通う大学は違っていたが、ゾロにとっては数少ない、気の置けない友人のひとりだ。
「ナミに聞いたぜ。幽霊屋敷の真相」
 ガガガと音を立てながら椅子をひいてどっかりと座り込むと、ウソップは深刻な表情を浮かべて腕を組み、重々しい調子で口を開いた。
「なんかよ、そんな事だろうとは思ってたんだが、近所のガキどもが幽霊だっつってきかねえんだよな。夏休みになったら探検に忍び込むとまで言ってたくれえだ。いやーよかったよかった、解決して」
「どうせお前が先頭に立って言いふらしたんだろうが」
 ゾロは苦笑してそう答え、手にもっていたグラスのジュースを飲み干した。
「なわけねえだろ?いくら俺が子供に人気者だからってな…ところで、その家、住み心地はどうだよ?」
「まあまあだ」
 言いながらゾロは立ち上がる。ウソップは頭の後ろ手腕を組み、仰け反るような格好で座っている。
「そうかー。いやな、工房に行く途中で通るんだが、あの様子じゃあそういう話があってもおかしくねえと思ってたんだよなあ…人が住むとはなあ…住めるのかよ。あれ、もう休憩終りか?」
 ドアノブに手をかけたところでそう問われ、見上げるウソップに頷いた。
「今日学校ねえんだ。たまには飯でも食って帰らねえか?」
 ゾロは承諾しかけたが、少し考えて、だめだ、と答えた。サンジが何時に戻るかわからない。しずくがずっと家でひとりだ。
「犬にエサやらねえと」
「ああそうか、そうだよな」
 ウソップの残念そうな笑い顔に、ゾロはすまない気持ちになる。ここのところ、なんのかんのと忙しない事が立て続けで、のんびり友人と食事をすることも、そういえばなかった。
「サンジが戻ってればいいんだが」
「なんだ。なら電話してみればいいだろ?」
 ゾロは斜め上を向いて思案顔だ。そうすると自然に眉間にしわが寄るのですぐにわかる。ナミあたりが見ていたなら、その上をぺちりと叩いて、痕がつくからよしなさい、などと小言を言うのだろう。ウソップはそう考えて、ぷぷぷ、と噴出すような笑いを洩らした。ゾロはそのウソップの様子に気付き、さらにしわを深くする。
「番号知らねえんだ。そもそも、あいつ携帯持ってねえかも」
「なら仕方ねえか」
 ゾロはぱち、と目を見開いて、ああ、と間延びした声で言った。
「お前、うちに来るか?」
「あ?いや、いいのかよ?お前ン家の大家は」
 サンジは何時に戻るかわからないが、夕飯の時間帯をはずすことはない。遅くとも八時くらいには戻るはずだ。
「かまわねえよ」  確認してくるウソップの顔が嬉しそうに綻ぶのを見て、ゾロは笑って頷き、そう答えたのだった。  
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