オレンジスカイ 1

 八月の風は乾いている。とろりとした昼間の熱風や、日の落ちたあとのやや涼やかな夜風もそれぞれ良いが、朝日の昇る前に漂う、緩やかで少し冷たい空気の流れが一番好きだ。
 ゾロの部屋の窓からは、朝になるとそんな風が入り込んでくる。一度起きて、窓を開けて再び眠るのが気持ちいいので気に入っている。
 なのに今日は、なぜか寒さで意識が浮きあがった。いつもより部屋がひんやりとしている。おかしいと思いながら、目を閉じたままタオルケットを引き上げる。肩が冷たい。
 ところが引き上げたタオルケットはなぜか反対側にひっぱられて、肩はまた露になる。ゾロは無意識にもう一度引いた。すると生暖かい空気がゾロの腕にかかった。
 目を開いて驚愕する。サンジの金髪が視界いっぱいに飛び込んできたからだ。
「うわ!」
 ゾロは思わず声を上げて身を引いた。サンジは急に失われた体温に眠ったまま眉をひそめて、それの消えた方向に腕を伸ばす。
「おい、サンジ…お前何…」
「ん…」
 サンジはゾロの声に反応して、辛そうに薄目を開いた。ゾロの顔を見て、うんそう、とよくわからない返事を返し、もう一度自分の方にタオルケットを引く。
 ゾロは体を起こして、うやむやに再び眠ろうとしていたサンジの頭をぱしんと叩いた。
「う〜〜〜」
 サンジはそこに手をあてて髪をくしゃっと掴み、もう一度、今度はちゃんと目を開ける。
「何?」
「それは俺のせりふだ。お前なんでここにいんだよ」
「ここ…」
 サンジは天井を見つめ、斜め上の窓を見上げて、ああ、そうそう、とようやく思い出したかのように呟いた。
「俺の部屋のエアコン、なんか止まっちまったんだよ。もう暑くって寝れなくってさ」
「いつからいたんだ」
「えー、俺がベッドに入ったの、十二時前くらいだったから、そのちょっとあと。お前はもう高いびきだった」
 ではほぼ一晩だ。サンジはゾロの部屋に入ったあと、勝手にエアコンをつけ、設定温度を低くして、隣にもぐりこんだのだ。
「お前は暑かろうが寒かろうが平気だろ?俺は暑いとダメなんだよ。寝れねえの」
 そう言って再び瞼を閉じる。ゾロは時計を見た。まだ四時だ。起きるには早い。かといって、再びこの状態で眠るのも納得がいかない。少し考えて口を開いた。
「わかった。じゃあしばらく俺があっちで寝ればいいだろ。借りるぞ」
 そう言ってベッドを降りて立ち上がる。サンジは目を開けてそれを見上げ、何か言いたそうな顔をしていたが、悪い、と言って笑った。
「で、どうすんだ?」
 マーマレードをたっぷり塗ったパンをかじる。さく、と良い音がした。
 朝のキッチンにコーヒーの芳香が漂う。この香りに包まれながらゆっくりと目を覚ましていくのも、ゾロが気に入っているもののひとつだった。この家に暮らすようになって、初めて覚えた感覚だ。オレンジジュースのパックに手を伸ばし、グラスに注ぐ。ごくごくと飲み干すと、頭の中がしゃんとしてくる。
 しずくは今日も元気だ。朝ご飯を食べ終え、ゾロの隣の椅子に登って、そこに伏せている。時折ふりふりと尾を動かしながら見上げて、ゾロの関心をひこうと装う。見え見えなのがおかしくて、手を伸ばして顎の下をくすぐってやった。
「多分、初期不良だろ。販売店に文句言って取り替えてもらう。まだつけて二ヶ月もたってないんだぜ?」
 立腹した口調だ。カンカンとフライパンのふちでターナーを叩き、ゴトンと流しに置いた。そんな仕草もいつもより少し乱暴に思える。
 窓の外は快晴の空。今日も暑くなりそうだ。土曜日なので、ゾロは午前からバイトだ。サンジも、今日は用があって、午後から出かけるという。
「そうだな。まあでも、この時期じゃそれも時間がかかるし、暫くはお前、俺の方で寝ればいいだろ。俺はお前の部屋で寝るから」
「うーん…」
 サンジは浮かない表情で、簡単に了承しようとしない。
「なんか問題あんのか?」
「お前、大丈夫かな」
「何?」
「まあいいや。とりあえず今晩はベッド交換てことで」
 カウンターを回ってゾロの前にオムレツの乗ったプレートを置き、自分の前にも置いて椅子を引く。ゾロはサーバーを取り上げ、サンジのマグカップにコーヒーを注いでやった
 夏になり、そうやって肩を並べて朝食をとる光景は、すでにゾロにとってごく当たり前の、日常の景色になっていた。
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