ふれているもの 1

 最初の夜の、数度。皮膚の裏側を捲って全部暴いて、互いの鬱積した感情を引きずりだそうとして、とにかくふたりともが必死だった。
 出会ってから十九年間のすべての感情分。ゾロが痛がってもサンジは手加減する気など無かったし、離れようと体を起こすたび、ゾロはサンジの肩を掴んで引き戻した。
 ゾロの体は熱かった。冷たい室内にわだかまるわずかな熱は全部ベッドの周囲を包むように集まって、そこだけが発火しているみたいだった。サンジはその熱の中でただ震えて、乾上りそうな肺の痛みを堪え続けた。先の事なんか考えなかった。真っ白な意識の中で、高まるゾロの吐息だけを聞いて、只管その幸福の深みに潜り続けた。


 クリスマスは二人で、ゾロの家で過ごした。彼女に別れを告げたことを伝えると、よりによってこの日ってのはねえんじゃねえかとゾロは表情を曇らせた。キスをしたら、ゾロの目は少し潤んでいた。
 サンジが作ったケーキを二人で食べて、シャンパンで酔っ払って、手を繋いだまま、幸せな心地で眠りについた。セックスはしなかった。
 その後、なんやかやと年末の忙しさに紛れてあまり一緒に過ごせないまま、新たな年を迎えた。
 正月、ゼフのレストランはディナーのみで、二日から営業を始めていた。サンジは当然ながら勤務シフトに組み込まれていて、ゾロの事を気にかけてはいたものの、年始の挨拶以上の会話は交わせていなかった。会えるのは夜だけだったし、ゾロの方も大学や部活の友人と集まって新年を祝っていたらしく、三が日のうち二日は家にいなかった。
 一月四日の朝、ゾロの家を訪ねたサンジの視界にまず飛び込んできたのは、累々と横たわる妙にガタイのいい男達の姿だった。
 テーブルにはビールや一升瓶の空き瓶とともにグラスが数個、それから、コンビニで買ってきたらしいかわきものの袋が散乱している。暖房はつけっぱなしで、酒の匂いと体臭のまざりあった蒸れた空気が室内には満ちていた。サンジは開いた場所を探りながらそろりと足を踏み入れ、うっと顔をしかめる。
 ゾロはソファの上に窮屈そうに眠っていた。その横でゾロを背もたれ側に押しつけるような格好で眠っている黒髪の男を見た瞬間、無言で足早に近づいてその男の脇腹を蹴りあげた。男はぐう、と喉を鳴らし、ぐらりと傾いで転がり落ち、テーブルの足に額をぶつけた。ごん、という鈍い音に、鼾やその他の周囲の雑音にすぐさま被さってくる。男は目覚めない。ゾロもだ。
 サンジはその様子をしばらく見下ろし、それから窓際まで進んでカーテンを勢いよくジャッと開けた。空は曇っている。水滴を大量にはりつけた不透明な窓を掌でひと撫でし、手首を振って水を払う。ぼやけたガラスの向うに松の緑が滲んで見えた。窓を開けると、冬の朝の清浄な空気がそっと忍び入って室内を吹き渡り、澱みをはらっていく。
「サンジか?」
「…よお、なんだよこれ」
 ゾロは目だけで室内を見渡し、ああ、と言いながら溜息をついた。
「部活の先輩。昨日新年会やって、そのままなだれこんで」
 欠伸交じりにそう言って、眠い目を擦りながら体を起こした。無理やりあけようとして目の周りにしわが寄っていたので、サンジは近づいて、やめろと親指で目じりのあたりを擦ってやる。
「こいつら起こせよ。そんで叩きだせ。今日は一日いられっから」
 軽く唇を合わせると、ゾロは寝ぼけ眼のまま、ん、と小さく息を洩らして答えた。サンジは胸がじんとして、顔が赤く染まるのを感じる。
 ふいに腕が上がって、胸を押された。サンジはとすん、と尻餅をついた。
「何」
「いや、ごめん」
 目を逸らすゾロを見て、心臓がどきんと跳ねた。たった数日会わないだけで、ゾロはもうなんだか遠い目をしていた。覗き込むようなゾロの視線にサンジはすばやく表情を消した。
「メシ、食うか?」
「…ああ」
「んじゃ、とりあえずこいつら起こせよ。朝から相当食いそうだよな、餅いくつ焼こうか」
 大げさに溜息をついて見せてから笑いかけると、ゾロが安心したような顔で笑い返してきた。
「悪ィ」
「何を」
 何食わぬ顔で男どもを起こすゾロを横目に見ながら、サンジははじめて、この先にあるものの事を少しだけ考えた。考えると動けないことはこれまでの経験でわかりすぎるほどわかっていたので、少しだけですぐにやめておいた。
 結局何も変わらないのかもしれないと思いながら、そんな胸の中に芽生えた暗闇に目を瞑ることなど、これまでのことを思えば容易いことだった。
[TOP/NEXT]