15.笑おう

 遅番をあけて、少し遠回りして家に戻った。いつもより三十分ほど遅い帰宅だ。戻るとゾロがいた。リビングのテーブルの上にはビールの空き缶が三つ。溜息が出る。
「おかえり」
「ただいま…お前それ、片付けろよ」
「おう」
 飯は、と聞こうとして口を開きかけ、つぐんだ。そっと振り返り、ゾロの後頭部がじっとそのまま動かないのを眺めてから、寝室のドアを開ける。
 上着を脱ぎ、着替えを手に部屋を出ると、やはりソファの背からぽこんとゾロの丸い頭が飛び出しているのが目に入る。サンジは軽く舌打ちし、つかつかと歩み寄ると、背後から手を伸ばしてゾロから缶ビールを奪い、ごくごくと飲み干した。なぜかとても苛立っていた。ゾロがおい、と咎めるように言ったが、サンジは返事もせずに空になったテーブルに缶を放ると、まっすぐ風呂場に向かった。カランカランと缶がテーブルから転がり落ちた。ゾロの視線を背中に感じる。額の辺りに熱が集まってくる。サンジは眉根をぎゅっと寄せ、目を瞑った。今振り返ったら、この熱を、そのままぶつけてしまいそうだと思った。だから今度は、その姿を確かめようとはしなかった。
 サンジは今日、彼女と別れてきた。なんとなく言われて、丁度別れたばかりだったから頷いてしまった子だったが、いい子だった。サンジより4つ下の学生で、店にたびたび訪れる客だった。ちょっと大人びて見せようとする顔がいじらしく、可愛いと思った。
 でも、別れてしまった。しかも最悪なことに泣かせた。なんといっても一ヶ月と少しでダメになったのだから。
 頭から熱い湯を浴びながら、腹の真ん中あたりからじわじわと笑いがこみ上げてきた。
 彼女と別れたのを、ゾロのせいにしたいだなんて、笑うしかない。俺はどうかしちまったんじゃないのか。
 ゾロと過ごす時間があまりにも楽で、落ち着くからだ。今は、駆け引きや情熱よりも、そういうものを欲しているのだ。少し休めと、なにかが、たぶん。
 ゾロがいなかったら、彼女とそういう時間を過ごすようになっていたのかもしれないという可能性については、考えないようにした。いくら気が合っても、男と女じゃやっぱり違う。たぶん男友達ってのが…。いや。そもそも男友達と彼女を同列に考えたりするからおかしくなるのだ。
 なにを置いても女性優先だったはずの自分には目を瞑り、そうしない言い訳を必死になって探している。
 また付き合っている女がいると、ゾロには結局言わないままだったというのに。
「はは、」
 口を開けると、頭から流れてくる湯が丸く縁を辿り、ぼたぼたと垂れた。サンジは掌で顔を覆い、そのまましゃがみこんだ。
 考えないでいよう。とりあえず、しばらくはこのまま、自分が楽だと思える方に流されよう。
 そうやって傷ついた顔をしながらも、重い荷を下したように心が軽い。顔を覆った掌の指先が、濡れた前髪をくしゃりと掴む。
 リビングにいるゾロの存在に胸がじわりとあたたまるのを、サンジはそうやってずっと、感じ続けていた。