08.カラフル

 仕事から帰ると、サンジは強かに酔っ払っていた。珍しい事もあるものだと思いながら、それを横目に、ゾロは勝手に自分の部屋と決めている和室に入ると、ネクタイをはずし、ズボンをハンガーにかける。
 酔っ払いの手が足元に伸びるのをあっさり交わして、ゾロはその体をまたぐと風呂に向かった。
「無視かよ」
「休みだからって、よくまあひとりでそんなに飲みやがって」
「うるせえ。あんまり美味えつまみが出来たからてめえと飲もうと思って待ってたのに、てめえ遅えんだよ」
 遅いといってもまだ十時をまわったところだ。ゾロは溜息をつき、床に腰を下ろしてソファに寄りかかっているサンジの前にしゃがんで目を合わせた。
「ちっと待ってろ。起きてろよ?」
 サンジは酒に濡れた目をかすかに反応させ、へらりと笑った。片手を挙げて、ん、とかすかに答える。
 あの男がひとりで酔うのは良くない兆候だ。何かあったのかと、多少は気になる。仕事で?または女か。そういえばサンジは隠している様子だったが、付き合っている女がいたはずだ。その彼女と何かあったんだろうか。
 サンジは最近何かにつけて、ゾロがたまに食事をしている取引先の女の事を聞きたがる。つきあっているのかとやたらと訊いてきてしつこい。そういうんじゃない、というと、じゃあ何で会うんだと煩い。たしかにそのとおりだ。相手の気持ちを知っていて、その気もないのに気を持たせるような事をしている。
 しょうがないだろう、とゾロは思う。何がしょうがないのかはあまり考えたくない。
 Tシャツに短パン姿で、タオルを頭に載せたままリビングに戻ると、サンジは胡乱な目をあげて、ゾロの顔をじっと見た。ゾロは缶ビールを冷蔵庫から出して、プルタブを引く。サンジの斜め前に座り、箸を手につまみに手を伸ばした。
「なんでって聞かねえの?」
「なにがだ」
 つまみを口に運びながら隣の気配をうかがう。サンジはよくこういう主語のハッキリしない問いかけをする。世話になっている手前もあってなるべく根気よく聞こうとするが、ゾロも気の長いほうではないので、出来ればさっさと本題に入ってもらいたいと思う。
「俺がこんなに酔っ払うの珍しい、とか?」
「そうだな」
「なんでって思わねえのかなあって」
「思ってるが」
 そうか、だから付き合ってくれてんのか、とサンジは溜息をつきながら呟いた。安堵の混じった響きだ。
「なんかあったんだろ?仕事じゃねえだろうな…やっぱ女か?」
 ははは、気の抜けたような笑い声を立ててサンジは俯いた。その金色の丸い頭。ゾロは目をそらしてビールを飲み干し、次のビールを取りに立ち上ろうと床に手をついた。
 その手を引っ張られ、床に転がりそうになって咄嗟に肘をつく。先端が当たってごつんと打ち付ける音がして、痺れた。
「いて!」
 正面に視線を戻すと、急に影が被さってくる。斜めの不安定な姿勢のままで、その影がサンジだと思った瞬間、ゾロは、咄嗟に頭が真っ白になって、動けなくなった。
 左手を床に押さえつけられたままで。
 それは避けられなかった言い訳にはならない。
 やわらかい。そう思ったら、真っ白だった頭の中はいきなり濃密で鮮やかな色彩に彩られた。閉じた瞼の裏側がチカチカして、頭がくらくらする。缶ビール一本で酔っ払ったみたいだ。
 ぼうっとかすみがかった視界に瞬くと、再びやわらかい感触がして、唇の隙間を少し辿るように濡れたものが触れた。
 肘を立てていられなくなり、肩を床について寝転んだところへ、サンジの笑い声が降ってきた。大きな掌が、ゾロの額をタオルごと撫で上げる。
「なんて顔してんの」
 目を開けると、酔った顔でとろんとした目を優しく細めるサンジの顔が至近にあった。
 ああもう、このまま眠っちまいたい。
 どうでもよくなって、頭の隅でそんな事を思いながら、ゾロは、どんな顔だよ、と決められたとおりに答えてやった。
 それでお前が安心するんなら。
 お互いにそう思っていることは明白だった。