09.封筒

 休みの晩だし、いないかもしれないとは思った。ゾロはいっこうに繋がらない携帯をポケットにしまうと、サンジのマンションを後にした。
 来るとは伝えていなかったから、サンジがいないのは当然なのだ。仕事が予定より長引いて、雨が降って、腹も減っていた。終電にはまだ間があるが、これから一時間かけて家に帰れば眠るのは深夜を大きく過ぎてしまうしなんだか億劫だ。そう思ったら自然に足が向いてしまったのだったが、べつに約束はしていない。
 仕事帰り、帰宅時間に合わせて行くと、サンジは文句を言いながらもゾロに美味い夕飯を用意してくれる。本気で嫌な顔をされた事が無かったから、ゾロは気付かない振りをしていた。迷惑だなどと考えた事も無いという顔をして振舞った。たかが、大学時代の友人というだけの男と、そうしょっちゅう顔をつき合わせて楽しい事など無いだろう。サンジは昔から女にはからきし弱く、男には当たりのきつい奴だった。なんで忘れていたんだろう。


「ゾロ?俺」
 昼間にかかった電話は慌しいもので、ゾロは仕事の傍らで声を潜めた。
「おう」
「悪かったな、こないだは」
「あ?いや、いいよ。俺も別に言ってなかったし」
「ああ…それより、お前、外に出ねえ?仕事忙しいか?」
 午後は少し外回りの予定があると言うと、サンジは店に寄れと言った。
 店には一度だけ行ったことがあった。サンジに会うためではなく、友人と数人で食事に行ったのだ。異動になるずっと前の事で、ゾロはその店をサンジの勤め先だと最初は気付かなかった。サービスだとグラスで運ばれてきたワインにそれを知って、友人の視線に尻のあたりがむず痒くなった。  友人のうちの一人は女で、その日をきっかけにして以降少しつきあったが、自然消滅のような感じでじきに別れた。
(だから足が遠のいたのか?)
 誰にとも無く問い掛けてみる。店の赤い屋根が見えて来たので、ゾロはサンジの携帯にメールを送った。


 ゾロからのメールを、サンジは尻ポケットの振動で知った。昼の忙しい時間帯を終えて、コックたちは遅い休憩時間だ。サンジは裏口に近い通路に椅子を出して煙草を吸っていた。
 メールの中身は見ないまま、サンジはゆっくりと背を伸ばして椅子から立ち上がった。どこか気だるそうな緩慢な動作だ。
 少し重い、エプロンの右のポケット。そこにある、封筒と、その中身。
 頃合だった。ちょうど良かった。最近会う回数が減っていたし、そういう話をしようと思っていた。お互いがだ。あの雨の月曜日。あれがいいきっかけになった。ゾロのせいじゃない。別に、ゾロがきっかけなんじゃない。サンジは胸の中でそう繰り返し、息を吸って、吐く。ポケットの中に手を入れる。少し鼓動が早まっている。
 鍵を渡すというのは、この場合どういう意味をもっているのかな、と考える。何か特別なようだけれど、男同士で、まあまあ気心の知れた間柄だ。ゾロに見られて困るものは別に無いから、緊急の宿代わりにでも使えばいい。それくらいは全然たいした事じゃない。

「鍵が余っちまって」

 笑って言うと、ゾロは変な顔をした。眉はいつもどおりの険しい感じだったが、目が困っていた。サンジは何を言えばいいのかわからなくなって、お前が彼女になるか?とかなんとか冗談交じりに言ってしまったせいで、夜は左頬を貼らして厨房に立つ羽目になった。夜、マンションにやって来たゾロは左眉上にバンソウコウを貼っていたからお互い様だ。
 マンションに入るなり、ゾロはサンジに向けて封筒を投げつけた。会社の名前の入った使い古しだ。角が折れて、あちこち皺になっている。サンジが不思議そうに見つめ返すと、
「あいこだ」
 と怒ったように言った。開けて中身を見て、サンジは笑わずにはいられなかった。どうしようもない馬鹿だと思った。ゾロは空の一転を睨むような顔でソファにふんぞり返っている。
「なにこれ」
「いつでも来い」
「おめえがここに居るのにか?」
 独身寮の合鍵なんか、いらねえっつーの。そう言うと、ゾロは気分の問題だ、と言って、スーツを脱いで、サンジのクローゼットから勝手にハンガーを取り出した。