夏に沈む/夏の中
(2014.8.16)



1.
 


 うつむいて、ぽたぽたと滴がおちる毛先をおさえ、額からざっとふきあげると、東堂は腰にバスタオルを巻いてシャワー室を後にした。出た先に立っていた男がくるりと振り返って言う。
「そういえば、巻島帰ってくるんだって?」
「は?」
 東堂は視界を塞いでいる眺めの前髪をかきあげたが、確認せずとも声の主が大学の自転車部でチームメイトとなった高校時代の対戦相手であることはわかってた。巻島のことを知っている人間は、部内にはそう多くはない。
同学年でインターハイを走ったものなら誰もが知っている巻島だったが、大学自転車界においての認知度はほとんどない。しかしクライマーであれば、学年が違ってもその姿を記憶にとどめているものは少なくなかった。だからだろう、二人のやり取りを聞きつけたらしく、視界の端の方で何人かがパラパラと振り返るのが見えた。
「巻島が……なんだ?」
 男はぽかんと口を開けて首をかしげる。
「え?お前なら知ってると思ったから聞いたんだが………あれ?」
 東堂は、体がふわっと宙に浮きあがったように心許ない気持ちになった。
いったい何の話だ。なぜ巻島が帰ってくるなどという重大なことを、こんな、当時彼とほとんど接点のなかった男から聞かされなければならないのだ。
「……なんで俺が知らんのだ」
 一瞬の自失のあと、じわじわと頭が煮え始めた。東堂は眉間を険しくして低く唸るようにそう言った。
 その顔つきに普段とはまるで違うものを感じ取ったのらしく、男は、別の大学の友人から昨日たまたま聞いたのだと慌てて捲し立てた。
大学名を聞けば、東堂にもなんとなく見当がついた。その大学の自転車部に在籍している、やはり高校時代に対戦した、あの男が話の出所に違いない。
 田所という名の、そのスプリンターと東堂に、直接の交流はない。連絡先も知らない。だが幸いなことに彼は東堂の高校時代からのチームメイトである新開と親しくしていて、何度か一緒に会ったこともある。きっとすぐに連絡がつくはずだ。
一刻も早く正確な情報を得なければならなかった。東堂ははやる気持ちを抑えきれず、最低限の身づくろいでバタバタとロッカールームを飛び出した。歩きながら携帯を取り出し、新開に電話する。
『なに?迅くん?』
 新開がいつものごとくのんびりとした口調で答える。
「どうにか捕まえてくれ! 今すぐ! それから、一番早く会えそうな時間と場所に段取りをつけてくれ。すぐに行くから」
『行くからって、おまえ……迅くんにだって都合があるだろうし』
「とにかく連絡を取ってみてくれ。オレが騒いでいたと言ってくれていい。きっとわかるはずだ」
 新開はさすがに長い付き合いなだけあって、それ以上深くは訊ねなかった。
 東堂は大学を出て、駅へと続く道を歩きはじめた。
 街路樹が舗道に濃い影を落とす午後の通りに人影はすくない。車の往来もめったになく、動くものの少ない郊外ののどかな田園風景のなか、蝉の声が遠く近く、あたりをかこむように響いている。
シャワーを浴びたばかりだというのにすぐに汗がにじみ、Tシャツの内側をぽろぽろと流れていく。
東堂はバス停で足を止め、こめかみから顎へしたたる汗をてのひらで拭いながら、時刻表を見上げた。次のバスが来るのは五分後。この暑い中待つのはきついが、炎天下を三十分近く歩くよりはマシだろう。緑を吹き渡る風が濡れた背中をさらりと撫でていく。
数人分の日陰をかろうじて作っている小さなシェルターの下でバーに腰をひっかけ、デイパックからボトルを取り出してひとくち飲んだ。ぬるい水が、すうっと喉を滑り落ちていく。
道の反対側のバス停では、制服を着た女子高生が二人並んで、アイスキャンディを齧っている。巻島が好んで食べたタイプのものだ。少しずつ齧るから終わり近くには下の方がとけて、棒をつたうべたついたしずくでよく指先を汚していた。そこを食む口許や、つめたくなった唇の赤味が、やけに鮮明なイメージで記憶に残っている。
大学に入ってから二度目の夏は今が盛りだ。体が夏休みのペースに慣れてきたせいか、ここ数日はなんとなく一日が長く感じる。
 視線を感じて目を上げると、女子高生たちと目があった。ふたりはパッと顔を見合わせ、小さく肩をすくめてうつむくと、クスクスと笑いはじめた。
 人の視線には慣れている。見られることを積極的に楽しむことすら出来る。普段の東堂であればじっと見つめてニコリと笑い返しているところであったが、今の彼にその余裕はなかった。溜め息まじりに視線を転じる。アスファルトの熱がゆらめくむこうに、バスが近づいてくるのが見えた。
 バスは空いていた。東堂は真ん中あたりのひとりがけの席に腰をおろすと、窓の外に目をやった。バスは強い夏の日差しがいたるところに反射して眩しい街の中を縫うように、安全速度を守ってゆったりと走っていく。
 話が本当であれば、十八の夏にイギリスに旅立ったままの巻島が二年ぶりに帰ってくるということなのだ。いつなのだろう。なにかの用事だろうか。どれくらい滞在するのだろう。
なぜ、自分はそれを知らされていないのだろう。
胸の中に不安が充満していく。SNSに熱心でない巻島とはたまに時間を合わせてスカイプで通話するくらいで、最後に話したのはもう一か月以上も前のことだ。あとはほとんどメールでのやり取りであり、いずれも東堂の方からコンタクトを取ることが常だった。
(連絡不精にもほどがあるぞ巻ちゃん……)
 忘れていたなんて言ったら怒るからな、と心中で呟くのもなんとなく虚しい。こんな大事なことを他人から、それも巻島とほとんど接点のないチームメイトから聞かされたのいうのが何より不愉快だ。しかし実際に顔を見たらそんな気持ちは全部すっとんでしまいそうだし、そんなのもなんだか腹が立つよなあ、……などと取り留めなく考えていたところ、手の中の携帯がブルルと震えた。新開からの電話だ。声を押さえてバスの中であることを伝えて通話を切ると、すぐにメールが送られてきた。
『迅くんにきいた。帰ってくるらしい』
 これ以上ないほど簡潔に書かれた内容について訊ねたいことは山ほどあったが、東堂は、了解したことと、バスを降りたら電話する旨を書いて返信すると、携帯をデイパックにしまって目を閉じた。



2.



 もっと四の五の言ってごねるかと思っていたのに意外なほどあっさり了承が得られたおかげで、東堂は気が抜けていた。
 助手席の巻島は、高速道路の半ばあたりで寝ていいかと言ってきて、東堂が頷くと、それからずっとうとうとしている。
「なんだか新鮮だな」
「……なにが」
 起きていたらしいが、横目でうかがうと、目は閉じている。
「寝てたんじゃなかったのか」
「あたまは起きてる。新鮮てなんショ」
「なにって、オレが運転して隣に巻ちゃんがいて眠っているという、この状況のすべてがだよ」
「クハ、そりゃオレだって同じことショ。まさかお前の運転する車に乗るなんてなァ……クハハハ」
そう言いつつ肩を震わせる巻島は、まだ寝たりないのか、未練がましく目を閉じている。
 左側から海に弾かれた光が差し込んでくる。真夏だ。目の前に広がる深い山の緑と、稜線を際立たせる蒼穹、わきたつ雲と太陽。空はこれ以上ないというくらい晴れあがっている。
「高速じゃないショ」
 ようやく目をあけた巻島が目をしょぼつかせながら周囲を見渡して言う。三十分ほど前に料金所を出たところだったが、たった今気づいたらしい。東堂はふわりと笑顔を浮かべる。
「とっくにおりた。本当によく寝ていたのだな。時差ボケというやつか?」
「みてえだな。だから、あんまり寝てんのもよくねえショ」
 両手を上にあげてうーんと伸びをし、ぷるんと一度顔を左右に振ると、ごしごしと目を擦った。
「腹はへってないか?喉が渇いていれば水ならあるが」
「ちょっとへってる」
「どこか入る?まだもう少しかかる」
「お前は?」
「食おうと思えば食える」
「どっちだよ」
 また、クハハと笑う。
 車は渋滞もなくスムーズに進んでいる。先へ行った方がいい気もするが、と考えていると、前方に緑と赤の見慣れた看板が見えた。
「コンビニでいいか?」
「ああ、コーヒーがほしいショ」
「了解だ」
 東堂はウインカーをあげ、左にハンドルを切った。
 車を降りると、途端に強烈な日差しが首筋に降りかかる。海側からやってくる風が巻島の緑の髪にからみつき、ふわりと巻き上げて流れていく。
 今日の巻島は、小花柄のピンクのシャツに細身の黒いジーンズという、彼にしてはまあまあシンプルなスタイルだ。緑の髪とよく合っている、と東堂は思う。なにがしかのフィルターがかかってのものかも知れないが。
 二年ぶりに会った巻島は、少し変わっていた。大人になったと言えばそうなのかもしれない。相変わらず嘘は下手だが、本音は巧妙に隠すようになった気がする。
 といっても、東堂のどちらかと言えば優秀な観察眼は、昔から巻島にはうまく働かないので、本当のところはどうかわからない。
 コンビニに並んではいり、商品棚を見て回る。巻島がドリンクの扉を開けたので、水ならあるともう一度言うと、お茶がほしいのだと言い、緑のパッケージのペットボトルをひとつ取った。それから弁当のコーナーでおにぎりを二つ。東堂はサンドイッチをひとつ取って、会計を済ませる。それからレジ脇のコーヒーマシンで二人分のコーヒーを淹れて、車に戻った。
 車内で飲むつもりかと思っていたが、巻島は買ったばかりのコーヒーを、熱い熱いと言いながら半分くらい飲んで捨ててしまった。本当に目を覚ますためだけのものだったようだ。
 二年前とはすこし変わったけれど、やっぱり巻ちゃんは巻ちゃんだなあ、と思う。なんというか、自由だ。周りの理解を必要とせずに自分を保つというのはある種の才能であり、そういう意味でこれほど自由な男を、東堂はほかに知らない。
巻島は、気持ちいいなァ、と言いながら駐車場の端にむかってフラフラと歩いていく。
 駐車場から海辺までは少し距離があるが、遮蔽物がないので、そこからは青い水平線が綺麗に見えた。
近づいて、隣に並ぶ。
「寝たらだいぶスッキリしたショ」
「そうか、よかったな」
「ん。悪かったナ」
海を見ながら一度大きく伸びをして、座りっぱなしで縮こまった体をほぐす。潮の香りをかぐと、本当に頭の中がスッキリする感じがした。
「渋滞がなければもう一時間もしないで着くぞ」
 車に戻って乗り込むと、ふたたび箱根へ向けて走らせる。巻島はぱりぱりとおにぎりの包みをあけ、ひとつめに齧りついた。
「巻ちゃん、オレのサンドイッチもあけて」
「ショ」
 細い指先から受け取ったサンドイッチを食べながらつらつらと考える。
 二年前、巻島が日本からいなくなったことを、東堂はすぐには実感出来なかった。
電話越しの会話はそれまでも普通のことだったし、なによりしばらくは普段の生活に変化がなかったせいだろう。気づいたのは、部活を引退して周囲の雰囲気ががらりと変わった、冬の初めのころだ。
いろいろなことが、急に寂しくなった。
表面的には、東堂に今までと変わるところはなかっただろう。一部の近しいもの以外は気づかない程度のものだったと思う。
今思えば、その頃は、感じるすべての変化に多少感傷的になっていたし、気力も萎えていた。原因などない。おそらくそういう時期だったのだ。
ただそのせいで、あらためて巻島の不在を思うことが多くなった。巻ちゃんがいたら何もかも忘れて山を登り、すっきりできるのに、と。
今になってみると、どちらが先だったのかは不明だ。冷たい水が体の奥に浸透していくような感覚で、東堂の自覚は静かにおとずれた。巻島が誰よりも特別だったあの頃の気持ちは、恋に近いものだったのかもしれないと。
今、隣に巻島がいて、その時感じていたものがまだ自分の内に眠っていたことに、東堂はかすかな動揺を覚えていた。
忘れていたのだ。ほんの昨日まで。
自分にとっての巻島の存在の大きさに竦みあがる一方、実際には考える間もなく行動していたことを思うと、本当のところ自分はいったいどうしたいのかがこうしていてさえわからず、いまだに考えあぐねている。
東堂の焦りや不安をよそに、車は着々と箱根へ近づいていく。



1.ブルー、ブルー、ソーブルー





午前十時になる頃には気温は三十度を超えていた。予想最高気温は何度だと、女性アナウンサーのころころとした声がテレビの中から告げていた気がするが思い出せない。熱中症に気をつけましょうと言っていた。まったく、人が出歩くのにふさわしい気温でないことは間違いない。
アスファルトから暴力的な熱がたちのぼり、視界の先はゆらめきに溶けて霞んでいる。噴き出した玉の汗が、Tシャツの裏側をぽろぽろと流れていく。
バスを降りたあと、巻島は炎天下の坂道を登り続けていた。足元に揺れる小さな影をぼんやりと眺めながら惰性で手足を動かしている。
等間隔で植えられた街路樹の茂みがわずかな木陰を作る舗道は、白い舗装が反射して眩しい。道のわきには乾いた畑が広がり、この暑さの中で立ち働く人の姿がある。夏野菜の収穫だろうか。土埃のなかに、草をすりつぶしたような青い匂いが爽やかに混じっている。風はかすかにそよぎ、汗ばんだ肌を思い出したように冷やしていく。
容赦なく地表に注ぐきつい日差しに焼かれ続けて、巻島はうんざりと笑った。
(日本の夏ってこうだったよなァ……)
 雲ひとつない青空はかすかににごり、蝉は狂ったように鳴き、大気は膨張して厚ぼったく、常に雨の予兆をはらんでいる。
耳慣れた音が遠くから響いてくるのに気づき、巻島は首を巡らせた。どこだろう。畑の周囲をかこむ植え込みむこうに近づいてくる、途切れることのないいくつもの回転音。集団走行の音だ。
 金属に弾かれた光が緑の隙間にきらめいた。音が一段と大きくなり、やがて集団が姿を現す。色とりどりのジャージ、自転車、ヘルメット。人と金属の作る塊が一つの風になって砂塵を巻き上げ、目の前を通り過ぎていく。
巻島は目を細めて流れていく景色を見送った。ざわつく肌を押さえこむように二の腕をそっと掴む。僅かに遅れた風が後を追うように、Tシャツのすそをぱさりと揺らして通り過ぎた。
 何人かが巻島を振り返ったが、巻島の目が捉えたのは一人だけだ。表情に変化はなかった。けれどたしかに、そのアイウェアの奥の瞳は巻島の立ち姿を確認していた。
 腕時計に目をやると十一時を過ぎている。練習終わりのラストスパートというあたりだろうか。
 道の先に小さくなった集団の姿を見つめる。
 最後にあの空気を嗅ぎながら走ったのはいつだっただろう。
あの、集団の中の空気。ひとかたまりになって風を切り裂いて進むあの感覚は、こうして眺めてみるとずいぶん遠い記憶になってしまっている。
懐かしさのなかにほんのりと寂しさがとけている、この感じを、巻島は久しぶりの日本ですでに幾度も味わっていた。
そうするとついつい、叶わなかったもうひとつの未来の姿を思い描いてしまう。諦めたという言葉を使うのには違和感があるし、惜しんでいるわけでは決してないけれど、永遠に手にすることのない時間を夢想してしまう。この寂しさにはそういったものを内側から引きずり出す力があった。
手に入らなかったものに焦がれる気持ちは後悔の有無とは無関係に存在するものなのだということを、巻島は今さら身に染みて感じていた。もしも今が暗ければなおさらきっと光り輝いて見えるだろう、もうひとつの世界だ。巻島にはその気持ちはないけれど、それがどうしようもなく眩しく見えることだけは疑いない。
 東堂や総北の仲間たちと走り続けている未来は、ある時点では確かに存在していた。それを手放したのはほかならぬ巻島自身であり、彼らからその未来を奪ったのも、そうだ。
(まァ、そこまで惜しまれてるかどうかは疑問だけどナ)
 坂の上のキャンパスをじっと見上げ、そっと踵を返すと、巻島はゆっくりと来た道を戻った。



3.ウォーター





 目が覚めたらセックスして、朝ごはんを食べてベッドにダイブ。セックスして、セックスして、へとへとになって汗まみれの体を絡めあって墜落するように眠り、目が覚めると太陽はとっくに中点を越えていた。
(暑い……)
 そう思って傍らを見れば、巻島がぴったりと体を寄せていた。エアコンの温度は低めに設定していたので寒くなったのだろう。足と腕を巻きつけ、腕に頬を摺り寄せた格好で眠っている。薄い瞼が時々ぴくぴく動く。夢を見ているのかもしれない。
 東堂は肘枕で頭を支えて上から見下ろし、もう片方の手でその体を抱え込む。
 長い睫毛や神経質な鼻筋や、黒子や、薄い唇からのぞく前歯をじっと、穴が開くほど見つめる。いつまでだって見ていられる気がする。全然飽きない。まだまだずっと見ていたい。
夢中だ。
(かわいいな……)
 思いながらまじまじ見ているとなんだか照れてしまって、顔が赤くなった。どういうわけだろうと思いつつ口許を押さえて俯く。
 なにしろこういうことで恥らった経験がない。その一事だけでも驚きだ。
(時間がたつにつれてどんどん恥ずかしくなっている気がする)
 帰国直後の箱根では、最終的にはとにかく手に入れることだけに集中していたから、あまり細かいことは考えていなかった。
 これからどうなるんだろう。
 巻島はどうしたいだろう。
 東堂はまだ、どうしようとかどうしたいとか、うまく考えることが出来ないでいる。
 手のひらで支えた頭をさらに向こうへ倒しこむと、前髪が流れて目をふさいだ。マットがかすかに軋む。かきあげて視線を戻すと、巻島の瞼が開きかけていた。
東堂は巻島越しに手を伸ばし、下ろしていたロールカーテンを半分あげた。差し込む光で壁が輝くような白に塗り替えられる。眩しさに顔を顰めながら、巻島が覚醒する。
「ううー……」
「巻ちゃん?」
「……ん」
 眉根を寄せて目を伏せたままで片手をあげ、たしかめるように、東堂の肩や胸にペタペタと触れる。
「どうした?」
「んー」
続いて頬や顎を撫でまわすと、半分眠った顔を近づけて唇に吸いついた。おはようのキス、と思って、また照れくささが込み上げる。なんだこれ、と思った瞬間、体全体がぶわっと熱を発し、肌が赤く染まる。どれだけ赤くなれば気がすむのだ、自分のことながらと少々忌ま忌ましく思う。
「クハ……まっか」
 いつの間にか半分だけ目を開けることに成功していた巻島が、ふんわりと蕩けるような笑顔を浮かべている。
(ああ、好きだ)
 気持ちが体の中から溢れてくる。
(どうしよう。すごく、好きだ……巻ちゃんが)
 こんなに誰かを好きになったことなんかない。側にいるだけでこんなに幸せをくれる存在を、東堂は他に知らない。
巻島が自分を好きでいてくれることが死ぬほどうれしい。うれしい、と思うと、またかあーっと顔が熱くなった。いったいどうしたことだろうと思いつつ、頭にはある言葉が閃いていた。二度惚れ。これか。これがそうなのか。自覚すれば恥ずかしいことこの上ない。
「なんで赤くなってんの……」
巻島の笑い声は甘く掠れている。たくさん喘いだからな。疲れているだろうな。巻島の中の柔らかいところを何度も何度も突いた感覚がよみがえり、腰の奥に不穏な気配が蠢くのを感じた。東堂はまた顔を赤らめる。どうしよう。本当に止まらない。
「あ、あのさ、巻ちゃん」
「ん」
「あのな…あの、」
 巻島は、ショ、と小さく答えながら、ふたたびうっとり目を閉じて眠りを捕まえにいこうとしていた。そのゆるんだ頬に手のひらを添え、そっと撫でる。
「その……どうもオレ、すぐ夢中になってしまうよな。今度こそゆっくり優しくと思っているんだがうまくいかない……。つらくないか? 無理をさせてはいないだろうか」
 頬を撫でていた手は髪をまさぐって耳の縁をなぞり、耳たぶを擦って離れた。巻島は少し顔を赤くし、普段から困ったような形の眉をさらに下げて、こくんと頷いた。
「う、やっぱりか。すまんね」
「あー……けど、なんか、」
 巻島はそこまで言いかけて、くるんと寝返りを打つと東堂に背をむけた。
「な、何?」
東堂は焦ってその背中に手を伸ばした。後ろから抱きすくめてうなじに鼻をくっつける。腕を強く引き付けると、巻島は抱き寄せられるまま東堂の胸に凭れかかった。
 目の前にあらわれた耳が赤く染まっているのにふと気づき、おや、と思う。
「巻ちゃん?」
「けど……夢中になってるお前、なんかかわいいし、すげえエロいショ……そういうの見てんのは悪くねえから」
 だから気にするな、と言って、巻島は胸の前にまわった東堂の腕をぽんぽんと叩いた。
「……かわいい?」
 訊くと、またこくんと頷く。
(いやいやいやわからんよ巻ちゃん、巻ちゃんこそめちゃくちゃかわいいしそもそもこんな巻ちゃん全然知らなかったし甘えられるとすげえ燃えるし、だからいつもわけがわからなくなって……)
 結果、思いやる気持ちを放り出して貪ってしまう。自分の求めるものを目指して、その光に手を伸ばして、いろんなものを置き去りにしてしまう。してしまったのじゃないかと、終わるといつも、思う。
(けど、そっか……いいのか、これで)
やさしくするって難しいなあ、と思いながらうなじに唇を押しあてて舐めた。汗の味がする。そのまま髪に鼻先をうずめる。