傾いだもの、その音

 ゾロが例によって例のごとく夕食前に食堂にやってこないので、サンジはいいかげん頭にきていた。
「だから待ってんの?ひょっとして。逆に」
「……」
「俺にそんなに迎えにきてほしいのかよ」
 ゾロは視線の方向ををサンジに固定させたまま、瞼をゆっくりとおろしていく。
「ゾーロ」
 サンジはゾロのあごを両手でつかんで、ぐいと上に向けさせた。
「眠い」
「どれくらい寝れば気が済むんだてめえは。寝っぱなしだろ、最近」
「……」
 ゾロの瞼がゆっくりと開く。
「…寝てねえんだよ、ここんとこ」
 そう言うとゾロはサンジの手を払って床に倒れこんだ。
「横になって、眠ろうとしても……全然眠れねえ。…夜も」
「…マジ?」
「夜になると眠いのに、体は寝てんのに、頭だけ妙に冴えてきて。…動けねえ。動きたくねえ。首から上が重くて死にそうだ」
 目を閉じたまま呟いて、ゾロはそのまま甲板に伏せた。
 
 ……やっと吐きやがった、この野郎。
 
 夜中に頻繁に繰り返す寝返りの音。にわかに立ち上がり、マストをのぼる気配。翌朝、必ず酒ビンが一本は消えていた。
 気づいてはいた。眠れてねえな、と思っていた。何も言わないゾロに腹立たしさを感じながら、けれども自分のほうから何かリアクションを起こすなんて考えられなかった。そんな関係じゃない。けれども、 ゾロがそれを吐き出した相手が自分だったことに少しほっとした。首から頬のあたりに、熱の波がふわっと押し寄せるのを感じた。
 優しくしたいという気持ちは、結局相手の笑顔が見たいといった単純な理由からわいてくる感情だと思うのだけれども、そしてそれはあえて言葉にして考えたりしないものだけれども、ナミやビビの笑顔を見る楽しさとは、ゾロへのそれは少し感情が異なる気がした。
 
 ……ゾロを気遣っているなんて。俺が気遣ってるなんて、知られたくなんかないんだよ。
 
 ゾロの傍らに立ったまま、根元近くまで吸った煙草を海に向かってほうった。風がゆらりと流れた。
 ゾロはごろんと仰向けになって、瞬間、沈んでいく太陽の赤さ、その強さに瞼をぎゅっとしぼった。輪郭のふちがオレンジの反射に侵されてその鋭角な彫を浮き立たせていた。
「眠らせてくれたらなんでもする」
 ふいにゾロがそんなことを言うのでこのまま犯してやろうかとサンジは思ったが、見上げてくるゾロの目を見ていたら、萎えた。あまりにも無防備なので。
 サンジはゆっくりしゃがみこんで、背中に手を入れてゾロの上半身を起こして膝に抱えた。
「子守唄でも歌うか?」
耳元でささやく。
「お前が?アホか」
「バーカ、俺のスウィートボイスに酔ってみやがれ。いいか…ねーむれー…」
「くっくっくっ…やめろ、眩暈がする」
「そのまま気絶しちまえ」
「あー、寝れねえ…」
 ゾロの唇が、薄く開いて、目の前に、あった。ので、思わず、自分の唇で触れた。子猫の柔らかい毛にキスするときみたいに、そっとなぜる。そのまま頬や鼻のあたりに唇を漂わせながら上から覆い被さるように、サンジはゾロの体を抱きしめた。
「母親かよ、てめえは」
 ゾロが呆れ声で言った。
「アンタが眠れるんならそれでもいいよ」
「は…ごめんだな」
 声はお互いの骨に響いて反響している。サンジに遮られて、ゾロのところまでクリアな音は届かない。それはくぐもった、熱と同化した音に変わっていた。
 これくらい、風の通らないところがいい。頬に触れる近さに熱があるくらいが丁度いい。隙間に流れるものに過剰に反応しないように、見えないように、きつくきつく抱いてくれる何かがあればいい。
 背後から抱きすくめるサンジの心臓の音をを聞きながら、ゾロはゆっくりと目を閉じた。
 かすかな寝息をサンジの耳が捉えたとき、太陽は傲然と海の中に落ちていった。
(2001/2/7)
[TOP]