ゆるやかに風は吹き乱す

 バレバレなのよ、ちょっとは遠慮して欲しいわ。
 
 ナミの科白はゾロの次の動きを封じるに十分なものだった。人気のない、深夜の甲板での事だ。
 正確には、真夜中を過ぎて明け方にかかる時間帯だった。ゾロは見張りに出ていて退屈もピークにきていたので、ナミの気まぐれな訪問はありがたいとさえ感じた。だが、まさか、こんな話になろうとは。

 あら、考えもしなかったの?おめでたいわね、バカ?あんた。

 ナミは、サンジにはあまりこういう口の利き方はしない。こういう、相手をやり込めて、傷つけてしまいたいかのような言い方をするのは、ゾロを相手にした時だけだ。ゾロはまたか、と思い、大きく息を吸い込んでひと呼吸置いた。
「……で?」
 ナミ相手に腹芸が出来るほど自分はこなれてはいないとゾロは十分過ぎるほど自覚していたので、そんなふうに切り返した。これがサンジ相手ならば、出方を伺って、ダメージの度合いまではかって繰り出すひとことで黙らせる事も出来るゾロだが、ナミ相手では最後には結局本音を晒す羽目になる。それが何故かはわからないが、だったら最初っから開き直る方がラクだ。だから、視線を揺らがせる事も無く、そう言った。
 
 正直に言えば良いってもんじゃないのよ。男なら一度くらい否定してみせたらどう?あんた、プライドないの?
 
ナミは少し顔を赤らめて肩を震わせていた。心為しか興奮している様子に、珍しいな、と思う。少しも動揺のない自分がかえって不思議なほどだ。
 サンジに抱かれていることがプライド云々に関わることかといえば、ゾロの気持ちの上ではNOだった。男同士、ということに引っ掛かりが無いわけではないが、自分が負けてサンジの相手をしているというわけでは決してない。そういうことではないのだ。では……?
「おめえはわかってねえよ」
 ゾロは背後の手すりにもたれて、首をゆったりと斜めに折る。それからそっと、湧きあがってきた感情を堪えるように口元を覆った。
 理屈ではない。言葉にしようとしても出来ない、胸の内側の、背中の裏側の、人知れず存在する小さな場所にある何か特殊な器官に、その気持ちは存在する。神経をつたって言葉にすることの出来ない、ただそこにあるということだけはわかる感情だ。
 ナミの言葉は飲み込んで、それ以上何かを言う必要があるとは思わなかったゾロは、ナミを背後において舳先に向かってすたすたと歩く。ナミがトト、と足音をたててついて来た。

 どうせわかんないわよ。男同士で何考えてるかなんて知らないわ。でもムカツクの。嫌なのよ。イライラするわ。

 嫌だと。なんでお前がそう感じる必要があるんだ。男同士だからか。そんなタマかよ。
「好きなのか?」
「え?」
「アホコックか、おれが」
「なに?」
 ナミは目玉が落ちるんじゃないかとゾロが危惧するほど大きく目を見開いて、立ち止まった。
「私があんたを?サンジくんを?馬鹿言わないで」
「じゃあいいだろ、ほっとけよ。だいたいお前、そんなこと面と向かって言うかよ普通」
「だって言ってみたかったんだもの。でも期待どおりのものが見られなくって残念」
 これだ。ゾロは盛大に溜息をつく。ナミは目を伏せ、すました顔で口元には笑みさえ浮かべていた。先ほどの、頬を染めてまで声を荒げた姿の面影は微塵も感じさせない。
「本気で気付いたのは最近よ。カマかけてみようと思っただけなのにあっさり白状するんだもの。つまらないわ」
 早まったか、と頭の片隅で思い、ナミにはわからないようにそっと舌打ちした。だがナミの科白にもどこか取り繕ったものを感じて、ゾロはぽりぽりと頬の辺りをかいた。掴めない女だが、たまに底が見え透いている。
「つまらないわ」
 ナミがもう一度言って、隣のゾロを見上げる。それほど大きく身長は変わらない。ほんの少し、目線を上げ下げすれば、二人の距離は狭まる。
「サンジくんを好きだって言いなさい」
「は?」
「そしたら許してあげるわ。好きだから、抱かれているんだって言って」
 ゾロは怯んで、ごくりと唾を飲み込んだ。口元は絶対に開くものかという意志の元に、固く引き締められている。
「『なんでてめえの許しがいるんだ』」
 頭の中に描いた科白をナミの口が語った。ゾロは目を細めて、剣呑な表情をあらわにする。ナミは悪びれたふうでもなくフフフと笑って、すたすたとゾロを追い越し、前に回り込んだ。
「あんたが好きな男に抱かれたい男だなんて思わないわ。でも、好きでもない男に抱かれるなんてもっと思えないから、だから、わからないのよ…ねえ、好きなの?」
 自分にさえわからないことを答えられるはずもない。コックは最中に「好きだ好きだ」とうわごとのように言ったりもするが、そんなことを自分が口走るなど、考えただけでも寒気がする。ゾロは黙って、じっとナミを見つめた。ナミの問いかける視線が痛くて、真正面から見るのは少々きつかった。
「……わからねえよ。わからねえけど、…嫌じゃねえんだ。それだけだ」
 早口でそれだけ言って、背中を斜めに逸らした。転じた視線の先の空は、明けるべく夜の闇を下方に溶かしだしている。コックが起きてくるまで、あと一時間かそこらだと踏んで、ゾロはナミの横をすりぬけた。
「ゾロ?」
 振り返ると、風に煽られた髪を抑えてナミは笑っていた。ゾロは足を止める。
「そういうのはね、女の分野よ。辛かったらちゃんと、助けてって言いなさいよ。私は……」
 ゾロはその姿を見て、ココヤシ村でのナミを思い出していた。血を流し、涙で顔をぐしゃぐしゃにして、全身から搾り出す様にして呟いた声を、表情を。
「私は言ったわ。あんたたちがどんな目にあうか知ってて、…言ったわ」
 何故かは知らない。そうするべきだと思い、ゾロはひとつため息をつくとナミに近づき、片手を首に回して抱き寄せた。頬を髪にすり寄せ、耳元で「心配すんな」とささやくように言った。
 ナミは瞬間息を飲んだが、ゆっくりと吐きだし、そろりとゾロの体の脇あたりに手を這わせた。泣きたくはなかったので、鼻の奥にぐっと力を入れて、瞼を閉じてゾロの胸にこつりと額をあずけた。
「好きなの?」
 もう一度聞いた。
 ゾロは答えず、もう一度ナミを抱く腕に力をこめ、それからゆっくりと離した。
「もう少し寝とけ。天気はどうだ?」
「晴れるわ。快晴よ」
「昼寝日和だな」
「あんたは毎日、おかまいなしじゃないの」
 笑いながら答えるナミにゾロもつられて笑い、ぐいと首を伸ばすとひとつ、大きな欠伸をした。
「寝るわ」
 そう言ってナミを離すと、くるりと背中を向けてゾロは男部屋へと戻っていった。ナミは風の吹くほうに体を向けて、空を仰ぐ。
「晴れるわ」
 もう一度口に出すと、なんだか力が抜けてしまった。瞼が重い。眠ったら寝過ごしてしまうかもしれないが、今は柔らかいベッドが恋しかった。寝過ごしたって、あのやさしいコックは自分のためだけに美味しい朝食を作ってくれるのだろう。そう思うと胸がきゅうと痛んだ。
 目覚めれば、快晴の朝が待っている。こんなにも優しい気持ちになって胸が痛むのは悪くない、とナミは思った。風になびく髪をふわりと翻し、部屋のドアへと向かう。夜の風が背中を優しく撫でていった。
(2002/6/13)
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