セクウェンティア

 サンジとそういう関係になって、もうどれくらいたったのだろう?ゾロは指折り数えながら考えてみる。
 5ヶ月…。
 知り合ってからだと、1年が経ったのだ。なんて遠くに来ちまった事かと、頭の隅で呆けたように思う。
 たとえば深夜にふたりで肩を並べて、たわいのない話をしているときにふと訪れる静寂や、眠っていて、一時的に意識を浮き上がらせた時に感じる活動の気配や、そういったものが胸をくすぐる感じには、ゾロはいつまでたっても慣れることができないでいる。そして、胸のあたりをぬめった黒いものが這い回るような感触は時折ゾロの内部に訪れ、自らの持つ穏やかならざる感情を垣間、見せつけるのだ。
 それを、不安という。
 ゾロは住み始めて1年が過ぎた自分の部屋をゆっくりと見まわす。いつのまにかサンジの私物が増えて、それは部屋中いたるところに見つけられる。買った覚えのないものも、いつの間にかゾロの持ち物として部屋の片隅に鎮座している。もともと物の少ない部屋だったのでスペースが余っていたこともあって、サンジが自分の部屋に置けなかったものや、使い勝手の良いものなどをどんどん持ち込んだせいだ。
 サンジがいる空間。サンジがいる風景。サンジが・・・。
 ゾロはごろん、とベッドに仰向けに横たわった。と、同時に、カチリと洗面所のドアが開いた。
「風呂、どうする?」
 サンジはテーブルの上のタバコに手を伸ばしながらゾロに問う。タオルを被せただけの頭からぽたぽたと滴がたれるのを見て、ゾロは少し顔をしかめた。
「ああ、入る」
「なんだあ。入ってくりゃ良かったのに」
「アホか」
 立ち上がったゾロの背中を眺め、ドアの向こうに消えるのを見届けると、サンジは目を細めて、ドアから視線を引き剥がす。それから、ゆっくりと最初の煙を吐き出した。
 ゾロを失うなんて絶対に耐えられない。
 姿が見えなくなった途端に衝動的に訪れる恐怖感をねじ伏せながら、サンジは胸を抱え、じっとうずくまる。ゾロがあんな目をしているせいだ。サンジはドアの向こうにあるその姿を思って息を詰まらせる。
 最近のゾロは、どこか儚げだ。こんな表現があの男に不似合いなのは百も承知だ。けれど、伏せた睫の先のかすかな震えや、さまよう視線や、小さく微笑む口元に、そう思わずにいられない。いつか全然手の届かないところに行ってしまって、二度と会えなくなったらどうしよう。そんなことを思わされて、考え始めるとたまらなく不安になるのだ。
 その「儚げ」な様子は、ゾロの抱いている恐れのようなものからうまれるのだということもサンジには容易く想像がついてしまう。
 一緒にいて不安だとか寂しいとか、まるで子供の恋愛のような感情をお互いが抱いていることに辟易しながらも、この覆い被さるような孤独から逃れるすべなど、年を重ねただけでは身につくものではないのだと溜息をつく。そんなことを繰り返す日々だ。サンジは煙草を灰皿に押し付けながら片手でがしがしと濡れた髪を拭い、そのままタオルを首にかけた。
(最初は良かったんだ)
 時間がたてば、自分たちがいかに不自然な間柄であるか、客観的に見つめることも出来るようになる。ゾロの不安もそこに起因するものだろうし、それ以外にはありえない。
 お互いの感情を疑うことなどありえない。けれど。
 そこで、サンジはいつも思考を停止する。そこから先を考えることはとてつもなく恐ろしいことだ。
 覚悟をしておくべきなのかもしれない、と考えてはすぐさま、絶対に耐えられない、と別の感情が異を唱える。どうどう巡りだ。そしてそれは多分、ゾロも迷い込んでいる迷路と同じ類のものであるに違いない。
 ビールを片手にテレビを見ながら、サンジはゾロが風呂から出てくるのを待つ間、止め処もなくそんなことを考えつづけた。痛みを感じることで現実を知り、その痛みの出処を知ろうと己の内面を探る作業は、ゾロを知ろうとすることにとても似ている。合わせ鏡の奥の奥を見つめつづけて、行き着く先を見出だせないような感覚だった。
 風呂からあがったゾロは、ドアを開けながら大き目のタオルで頭をさっと拭いて洗濯籠に放り投げ、冷蔵庫からビールを取り出した。そんなしぐさの一つ一つが、サンジには画面越しのスローモーションのように映る。手を伸ばしてもつかめない幻影のように。
「まだ呑むか?」
 ゾロがサンジを振り返ったので、サンジは瞬いて、それから表情をゆっくりと和らげ、首を左右に振った。
「ん、いい。ゾロ」
「なんだ」
「おいで」
 目を丸くして振り返るゾロに向かって、サンジは大きく手を広げた。
「何バカなこと考えてんだ?」
 片眉を吊り上げてそんなふうに言いながら、ゾロはサンジにだけわかる、ほんの少しだけ照れくさそうな顔で笑った。つられて、サンジも笑う。
「俺が考えることをなんでもバカなことにしちまうお前って、いったいなんなの?」
「バカだよてめえは。バカバカ」
 ゾロはゆっくりと、しかし確かな歩様でサンジのもとに歩み寄り、膝を折る。サンジはゾロの腕を取って引き寄せると、胸元をつかんでぐい、と仰向かせ、自分の膝にその体を横たえた。
「おい」
 ゾロは胡座をかいたサンジの足に頭を乗せたまま、上目づかいに問うような視線を送る。サンジは構わず、首筋に手のひらを這わせ、さらさらとした肌の感触を確かめる。
「あったけえなー、お前。ほかほか」
「当たり前だろ」
「髪、まだ濡れてるじゃねえか」
「すぐ乾く」
 サンジは自分の使っていたタオルをするりと首からはずして、ゾロの頭を軽く拭いた。ゾロは目を瞑ってされるままになっている。
「ねえ」
「あ?」
「俺に触られるの好き?」
「・・・・・・」
「好きって言えよ」
「知るか」
「かわいくねえなあ」
「可愛いわけがあるかよ」
 サンジはぐっと屈んで、ゾロの唇をふさいだ。お互い目を閉じずに、見つめ合ったままだ。サンジはゾロと唇を合わせたまま囁く。
「嘘、可愛い」
 ゾロは首を振ってサンジの唇から逃れようとするが、サンジは逃がさないように顎をつかんで、上から瞳を覗き込んだ。ゾロの目にも、強い光が宿る。
「気が狂ってるぜ」
「違いねえ」
 笑いながら、何度も角度を変えてキスをする。そのうちに昂ぶってくる体の熱に正直になりさえすればいい。出口など見つかるはずは無いのだから、せめて二人で思う存分迷っていればいい。


 幾度も幾度も、その揺らぎは訪れる。浅瀬に乗り上げては、必死で深みへと舳先を向ける。その繰り返しだ。行きつ戻りつしながら、迷っては確認しながら、前方の暗闇に向かって漕ぎ出したのは俺たちなのだ。
 それでいいと決めたはずだった。あの、夏の宵に。


「なあ」
「なあ、一緒にいよう。ずっと」
 その呟きはどちらから発せられたものだったのかすら、互いにわからないまま――――。  
アンケートお礼文。(2002/4/21)
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