Interlude 2

 ぐらりと頭が傾いだのに驚き、反射的に体勢を立て直しながら、落ちかけた瞼に力をこめる。
 携帯の液晶を見れば、時間はすでに午前零時になろうとしていた。着信の形跡は無い。リモコンに手を伸ばして、つけっぱなしになっていたテレビを消した。室内に静寂が戻る。
 この時間にここにしずくと二人でいるのも、そういえば初めてだ。いつもはソファに座るサンジの背中におやすみと言って部屋に引き上げるのに、今日はそのサンジがいない。
「しずく」
 ゾロの声に、まだ起きていたしずくは立ち上がって、自分用のベッドをぴょんと飛び降りた。
 足元にやってきたしずくの腹の下に手をさし入れ、片手ですくい上げて膝に置いた。この体温はさらなる眠りを誘発するのに余りあるあたたかさだが、ゾロはもう、なんとなく眠ってしまいたかった。
 遅くなると言っていたが、何時になるとは聞いていない。
「まあ、でも、出かける場所はあるにこした事はねえな」
 この家に越してくる寸前まで、基本的には九才からずっと父親の祖国で生活していたのだから、知り合いといえるのは工事関係者か、この先世話になる取引先あたりか。
 しかし、他にも知り合いの出来る可能性はあった。あれだけ外に出ていれば、あの男ならいくらでも顔見知りが増えそうだ。
 サンジは女が放っておかないタイプらしい。外見が人目を引くし、口もうまい。恋愛となるとゾロにはまったくわからないけれど。
 奢るから付き合えといわれて、この前の休みに、少し遠い街まで二人で出かけた。ナミに何度かつきあわされたが、どちらかといえばゾロにはあまり縁の無い、ファッショナブルな街だ。
 通りを歩く時、店に立ち寄っている時でも、サンジを見て振り向く女は多かった。声をかけられ、軽いやり取りも何度かあった。そのうちの女の誰かと連絡を取り合っていても別段驚きはしない。
 サンジの雰囲気はこの家で料理をしている時のそれとは随分違っていた。はじめのうちは少し居心地が悪かったが、すぐに慣れ、しまいには忌々しく思ったほどだ。
「なあ」
 ぺろぺろと右手の指をなめているしずくに、そっと話し掛ける。もう一方の手で小さな頭部を包むように触れた。柔らかな毛の上を滑らせ、首から背へとゆっくり撫で下ろす。
「お前、あいつ好きか?」
 エサをくれる人間だと認識してか、しずくはこの家に暮らし始めてすぐにサンジに懐いていた。ゾロが時々苦情をいわねばならないほど、サンジはしずくを甘やかしがちだ。しずくに言葉が話せたとしてもおそらく、訊くまでもないだろう。
「お前、俺とあいつと、どっちに飼われてるつもりなんだろうなあ?」
 まあ俺だよな当然、と、まっすぐに見上げてくる黒瞳に眉をやわらげ、目と目の間に唇を落とし、そのまま息を吸い込む。小さな獣の匂いだ。あたたかな生き物の息遣い。
 ゾロは体をずらしてソファに体を横たえた。腹の上にしずくを乗せて、ゆったりと深い呼吸を繰り返す。再び瞼が重くなってきた。
 待っているわけじゃない。ただ、しずくをひとりで置いてここを暗くするのは気が進まないだけだ。
 いささか苦しい気もするが、別に言い訳ではない。いや、もうなんだっていい。眠くて仕方が無い。
 目を閉じると、窓越しにさくさくと草を踏み鳴ならす音が聞こえた。サンジが帰ってくる足音だと思ったが、ドアの開く音を聞く前に、ゾロは誘われるまま、意識を手放した。
2003.8.15発行(文庫再録/2008.8.15)
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