Lion Cavern

 言いたいセリフはいつだって胸にある。言い出せないのは勇気が足りないからというだけじゃあない。
 お前のためだと思うからだ。お前のそばから離れるわけにはいかないからだ。つまりそうだ、お前から、俺を奪わないためだ。
 そうして俺は、今日も結局何も言い出せず、今もってお前の隣にこの身を置くことは叶わず、鼻の頭を冷たくして、こうやって窓を見上げたりなんかしている。時計は午後十時をそろそろまわろうかというところだ。もう一時間近くもこうしている。
 あの明かりの向こうにいるお前に、せめて言葉だけでも届けたくて、だ。
 情けなくて泣けてきそうだが、これが現実だ。お前から俺を奪わないために俺が高じる手段の一つだ。
 何もかも言い訳だということは百も承知だが。
 当日である今日になっても結局ゾロに何も言い出せなかった俺は、この胸から溢れる他人に与えられるべき愛情のやり場を求めて、つい一時間ほど前まで、知り合ったばかりの女の子と遊んでいた。女の子は可愛くて良い子だった。一緒にいればそれなりに楽しかった。だけれども、ただ感情を消費させるためだけに為されるそれは、やはり代償行為以外の何物でもない。そうやって残るのはつまり、ああ、これが空しさというやつなんだ。もう幾度となく味わった、体中から力が抜け落ちて、自分自身が重くってしょうがない、そんな感覚。こんなことを何度繰り返せばいいんだろうと思うけれど、結局、俺にはこうやって持て余す感情を他に割り振る以外、術がない。
 一番与えたい相手に向けて、何一つ渡せない。そんな気持ちを抱えているのは何も俺だけじゃないだろう。これは、世界中にいくらでも転がっている、ごくありふれた片想いの一つに過ぎないのだ。
「ゾロ〜…好きだあ…」
 ゾロの家の向いにあるマンションの、植込みの影にしゃがみ込んで、俯きながらつぶやいた。寒さはなおさら身に染みた。
 口に出してみると、胸の痛みは弥増すばかり。ゾロは今、部屋で何をしているんだろう。俺はどうして、ここにいて何も行動を起こすことが出来ないでいるんだろう?おめでとうと、ひとこと言いたいだけなのに。受話器越しじゃなく、直接顔を見て。昼間学校で何度も顔をあわせておきながら言い出すチャンスがなかった。お互い必ず誰かといて、そんなときにどうやって自然に切り出せば良いんだ。
 そうはいってもやっぱり、何かのついでのように言うなんてのは嫌だったんだ。それだけのために、言葉を尽くしたかった。そんなのは俺一人の勝手な拘りで、ゾロには巻き込まれる義務なんか全然ないんだ。こんな風に寒空の下で待たれてあげく面と向って言われたりするより、「ああそっかおめでとうな」と、軽く言われる方が自然だよな、当然、オトモダチとしてはさ。
 やめよう、これ以上考えてたら落ち込む。そう思って立ちあがろうとしたら、植え込みの向こうに見なれたくたびれ気味のスニーカーが見えた。
「何してんだてめえは」
 続いて、聞きなれた声が頭上から降ってきた。俺はゆっくりと頭を上げる。ジーンズに半纏姿のゾロが、胸の前で腕を抱えるようにして立っていた。似合い過ぎだこの馬鹿、かわいいじゃねえか。ゾロは戸惑いを隠すことなく、訝しげな目で俺を見下ろしている。
「ストーキング」
「アホか」
「てめえこそ、なんてカッコだ。この半纏マリモめ」
 俺はゆっくりと時間をかけて立ちあがった。嬉しさのあまり思わず緩んじまった頬を引き締めなおすために必要な時間分。
「風呂上りなんだようるせえな。湯冷めするだろ」
 ゾロは平然と、当たり前の事のようにそう言う。
「また、なんて…」
 だめだこの馬鹿は。そう思いながら、俺はほかほかしたゾロの手を取った。ゾロは少し驚いた素振りを見せたが、俺の手の冷たさを知って、そのまま握り返してきた。
「冷え切ってんじゃねえか。上がってけよ。何やってたんだよ馬鹿が」
 怒ったようにそう言い放つゾロを見て、俺はゾロを抱きしめたい衝動に駆られるが、寸前で立ち止まる。
  ああ、やさしいねお前は。
  ゾロのそういった態度さえも、俺っていうオトモダチに対する、当たり前のいたわりの域を決して出ない。その程度なら、おそらくお前の友人の誰もがお前から与えられる感情だ。俺が溢れんばかりに胸に抱えているこの想いとはまったく別のものだ。
 悲しいな。悲しみによっても、胸の中ってのはこんなに澄んじまうものなんだな。俺はゾロの顔を見つめながらしみじみと思う。内側はだんだん透明になっていって、そして、その真ん中にあるこの悲しみの端緒を俺は見出す。全部お前が好きなせいだ。お前に惚れちまっているせい。
「いや、帰る。もう行こうと思ってたんだよ」
 笑って言うと、ゾロの顔はますます疑問符でうめ尽くされる。そりゃそうだよな。だからせめて、最初の目的くらいは果たしておこうかと、俺は吸いさしの煙草を足元に落として、にじった。
「誕生日おめでとう」
 顔はあげられなかったし、少し、早口になった。
 ゾロは俺の顔をまじまじと見てそれから目元を少し緩めて、「ああ、サンキュ」と小さく言った。それから、「覚えてたかよ」と。
 たったこれだけのことで、俺は全部帳消しに出来ちまう。どんなに切ない思いをしても、それでもお前を好きでいることが幸せなんだって思えるんだよ。
「忘れるかよ。お前は、俺のなんか思い出しもしねえだろうけどなあ」
「馬鹿にすんな、そんくれえ覚えてる。三月二日だ」
 充分、それだけで。嬉しくて眩暈がしそうだった。(覚え安さはお互い様だ)
「は、はは…。あー。ごめん、誕生日なのに、なんも無いんだけど…」
 もちろん俺だって考えた。ゾロの欲しがるようなもので、さり気なく俺があげてもおかしくないような何か。でも、何も浮かばなくて。
「ばーか」
 ゾロは笑う。やさしく、気にするなと表情で言うのだ。
 だめだもう、胸が痛い。どうしよう。ゾロは笑顔のまま、左手を懐に収め、右手を丸めて俺の胸をトンと突いた。懐の中には、ゾロの左手と一緒に俺の右手も入ってる。これだから天然は困る。あったかくって幸せで、俺はもう死んでしまいそうだ。
「ま、マジで、そろそろ帰る。お前、出てきてくれて助かった」
「なんか用だったのかよ?電話すりゃ良かったのに」
 そう、そしてそう落とす。用が『誕生日おめでとう』を言うことだなんてこれっぽっちも思わないのな、お前。まあ、そりゃそうだろうな。でもなんだか悔しかった。そして、それだけ言うために電話で呼び出すなんてことも出来ない俺自身にも腹が立った。
 だけど、その言葉に対して俺に出来るのはにやりと笑って無意味な虚勢を張ることくらいだ。ああ、もう、本当にどうしようもない。そうして片手を上げて、ゾロに背中を向けた。
「サンジ」
 呼びとめる声に躊躇いながら振りかえった。俺は今、どんな顔をしているだろう?ゾロの表情は静かだった。
「なんかあったのか?」
 ああ、あれは心配の顔だ。なんて奴だろう、本当に。どれだけ俺を打ちのめせば気がすむんだろう。俺は、足を止めてゆっくりと向き直った。
「あんたの顔を見に来たんだよ」
 だけどやっぱり、これだけ言うのが精一杯だったよ。
 
2002年ゾロ誕。(2002/11/9)
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