ラルゴ

 空を割る一文字の白い雲がのびやかに高く、気流にのって海鳥が滑空するさまは夏の青の中にあってひときわ涼やかだ。船は太陽のあるに方角に向かって進んでいた。
 素振りをしようと船尾に向かう階段を昇った。そしてふと足元に視線を落とし、陰からにょっきりと足が二本、日向に向かって伸びているのを見つけた。蜜柑畑にかかる階段の向こうを、ゾロはひょいと覗き込む。
「……珍しいな」
 サンジが昼寝をしていた。風がそよ、と横から吹いて、背中を壁にもたれ、少し首を前に折って俯き加減のサンジの髪を波立たせた。上半身を日陰に隠して気持ちよさそうに寝息を立てている。
 4時間も寝れば問題無いと以前聞いた記憶があるが、疲れがたまっているのだろうか?ゾロはこの船で一番労働時間の長いコックの斜め前に立ち、真上から見下ろした。影が浮き上がってサンジの足元までを覆う。
 頭上からその顔を覗き込んでいると、ずるりとサンジの上半身が向こう側に傾いだ。
「(うわ)!」
 あわてて、右足を出した。倒れかけた体を支え、そのまま受け止めた。サンジの首だけがだらんとゾロの脛越しに垂れた。本気で寝入っている。
(…くそ、動けねえ)
 そのままの姿勢で数秒固まる。この足を外して甲板に倒れさせれば起きるだろう。そしてこの男は間違いなくおかしな言いがかりをつけてくるだろう。いつも通り無意味な喧嘩の始まりだ。
 ゾロはひとつ溜息をつくとそっと屈んで腕を伸ばし、体を入れ替えて自分の右肩でサンジの左半身を支えるように、壁に背をつけて座りこんだ。これで午前中の鍛錬分、素振り2000回は午後の分に加算だ。
 肩越しに、サンジの寝顔にじっくりと見入った。蜜柑の木は柔らかく日差しを受け止め、葉陰はサンジの目元に濃い影をつくっている。ゆるく降り注ぐ日差しに金の髪がなめらかに輝いていた。薄く開いた口元を見ては首筋を軋ませ、無理やりに目をそらす。
 視線を転じると大海原はどこまでも青く、ゆったりと風景は止まって見えた。

 サンジはゾロを目で追っては時々辛そうに笑う。ゾロは自分が何もサンジに与えたことなどないのだと自覚している。
 午前中、ゾロがこの場所で素振りをすることを知っていてここで寝ていたのだ、サンジは。
 何か伝えたいことがあったのか。あったなら、それはなんなのか。サンジの体温を感じて少しだけ胸に痛みを覚える。肩にある頭部の、骨に伝わるじんわりとした重みに耐えきれず、ゾロはそっと首を傾けてその頭に頬を寄せた。頬をくすぐる髪のやわらかさに、ぬくもりの切なさに、ゾロは目を閉じ眉根を寄せる。
 寄せた頬をずらして鼻先を髪にうずめた。一度触れれば堰を切ったように感情は溢れ、その奔放さに身を委ねてもいいような気持ちになる。サンジが望むなら、くれてやるのもいいかと。その己の考えの浅ましさには唾を吐きかけてしまいたいほどだ。
 サンジの瞼が揺らいで開いた。日陰はその距離を縮めていた。
 見開いた目はまっすぐにゾロを見つめ、それが合図の様にふたりで口を開き、交わした。
 遠くで海鳥の鳴き声がした。空に吸い込まれて残る余韻は耳の中でこだまする。島が近い。お互いの表情を日差しから隠しあいかばいあい、その隙間を縫う様にして白い光は間に割り込んでくる。
 自分の方が望んでそばにいるのだとわかっていて尚認めたがらないのはただの悪あがきなのだと、瞼の裏の明るみを見ながら思った。
 サンジがわずかに唇を離して囁く。
「見てたろ?」
 その声に背筋を粟立たせ、ゾロの肺は苦しげに酸素を求めた。頬が熱い。
「起きてたのか?」
「いや、寝てた。起きたらあんたがいて嬉しかった」
 そう言って目を伏せてひっそりと笑う。そんなことをさらりと言ってのけるサンジに、ゾロはただ無表情で水平線を見つめるしかない。
「気持ち良かった。あったかくて」
 サンジはゾロの肩に額を押し当て俯いた。
「素振りしそこなった」
「はは。ワリぃ」
 胸にわだかまるいくつかの説明のしにくい感情はゾロ自身にさえ掴めないものばかりだが、サンジの呟く声や乾いた笑いなどに響くそれは明らかに艶めいたもので、間違いなく今このとき、自分はおかしくなっているのだと思う。
「島に着いたら一緒に買出しに行こうぜ。どうせ一泊くらいはすんだろ」
 サンジは体を離して懐から煙草を取り出し、火をつけながら言う。
「さあ」
「するって」
 そう言って企みを含んだように笑うサンジを見返し、ゾロは「かもな」と呟いた。
(2001/8/21)
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