告白するのはお前の勝手

「あんたが好きだよ」
 そんな唐突な脅しのような告白に、ゾロはすぐに反応を返す事は出来なかった。
「あんたの顔が好き。声も、姿も、馬鹿でどうしようもないとこも、仕草も行動も、全部。俺、今あんたで出来てる感じ。あんたでいっぱいなんだよ」
 ゾロは口元に手を持っていき、そろっと覆う。吐く息が掌に熱い。嫌な汗が額に浮く。
 午後八時、年末という事もあり、あたりにはまだ人影も多い。うらぶれた繁華街の奥の奥、サンジが最近通っているという小さな居酒屋は、たしかに味にうるさい人間が認めているだけあって、古く煤けた構えからは想像もつかないほど繊細で品のある料理を出す店だった。が、ゾロは元来あまりそういったことには拘らない。そこそこうまい酒があって、適当につまめる物があれば満足できる男だ。
 サンジの告白は店の一番奥の四人掛けの席に向かい合って座り、ひと品ふた品と料理が運ばれてきたところで始まった。ごく自然な会話の流れの中でお互い箸を止める事すらせず、そんな会話が展開されているとは周囲の人間は全く想像もしないことだろう。
「て事をな、ここんとこずっと考えて考えて、頭がおかしくなりそうだったから、もう良いかと思って口に出してみたわけだが」
「待てよ」
「クリスマスにさ、大勢で飲んだ時、よっぽど言おうかと思ったんだけどさ、なんか、それも特別な意味を込めてるみたいで嫌だったし。でも、考え始めたきっかけはクリスマスだったから、まあ、なんていうか無意味なあがきだったわけだけど」
「サンジ」
「ああ、あんたが名前呼んでくれるだけで、俺、スゲェ幸せ」
 サンジはそう言って胸を押さえてぎゅっと目を瞑り、前かがみにテーブルに向かって顔を伏せた。
 信じられない男だ。馬鹿だ馬鹿だと思ってはいたが、ここまでだとは呆れた奴だ。よくもまあ、こんな科白を立て板に水のごとくまくし立てることが出来ると、ゾロは全く見当違いなところで感心していた。しかしそれは、正面から受け止めることを拒否した心がさせたことで、一方では、自分にとってそれなりに大事な友人であるサンジを傷つけないためには何をどう言えば良いのかと、あまり優秀とは云えないゾロの言語中枢が混乱を極めつつフル回転していた。なのに結局捻り出した言葉は、
「男に向かって言うせりふじゃねえ」
などというそっけないものだった。それを聞いたサンジの表情は、諦めと絶望と題したくなるようなそれで、ゾロの胸を痛ませるのに充分な重みを持っていた。
「そうなんだけどさ…だけど、好きなんだから仕方ねえじゃねえか。俺だってもう、どうしたらいいのかわかんねえんだよ。なんであんたなのかなんて、もうわかんねえ」
「俺が何したんだよ」
「なにって…知らねえ。わかるかよ、そんなの」
 ゾロは深く溜め息をつく。本当に厄介な男だ。
「それを言ったからって、どうなるんだよ」
 ゾロは卑怯だとサンジは思った。唇を強く結んでこみ上げる怒りを飲み込む。こんな思いをして、ここまですべてさらけ出しているのに、ゾロはまだ本気で気付こうとしない。決定権を行使することなく、サンジに引かせようとしている。その手には乗るものか。
 サンジはゆっくりと顔をあげて、ゾロを正面から見据えた。オレンジ色の暗い明かりがゾロの薄い肌を覆って、そのやわらかさがゾロらしい、とサンジは思う。剣呑な穏やかさだ。
 カラリと表の引き戸が開いて、「毎度」という店主の声が聞こえた。サンジはその声で急に現実に立ち返った様にぐい、とグラスを煽った。
「もしも、あんたが俺を好きになってくれるなら」
 サンジはそこで言葉を切って、ふいとカウンターの方に目を向けた。ゾロには目の隠れた左側を見せてそのまま動かない。
「キスしたりセックスしたりしたいよ」
 心臓が止まるかと思うほど大きくどくんと鳴った。ゾロはさすがに、表情を保てず、額を押さえて顔を隠した。耳が熱い。
 傷つけないで、などと甘い事を考えている場合ではない。サンジは一体どんな顔をして云っているのかと思ったが、とても見られなかった。テーブルに伏せた右手が震えて困ったので、固く握り込んだ。
「色変わってんぜ?」
 その言葉と同時に、サンジの指がゾロの手に触れた。瞬間、びくりとゾロのその手が震えて、サンジは口元だけでくすりと笑った。
「おびえんなよ。だって、俺じゃねえかよ」
 高校の頃からずっと友達で、卒業して進路はまったく違っても変わらないペースで過ごして、今年も終わろうとしている。朝の弱いゾロを起こして、飯を食わせて、そうしてもう一年近くになるのだ。毎日ではないにせよ、ゾロがサンジに預けているものが決して少なくはないということをサンジは良くわかっている。
「お前、ずるい。俺に考えさせようとしやがって」
「ずるいのはてめえだ。たまには考えろ。俺のことを考えろよ」
 どうして自分のそばにいるのか、面倒を嫌がらないのか、いつだってサンジは求めればそこにいるから、ゾロはその気はなくても甘える結果になってしまう。
「てめえが俺を甘やかすから」
「甘やかすさ。俺なしでいられないようにしてやりてえよ。いつだって、俺のこと頼りにして、あてにして、当然って顔しやがって。好きでやってたけど…けど、いいかげん辛ぇ」
 そんなつもりはなくても利用していたのかもしれない。そうゾロは思った。握り締めたこぶしを、サンジはいとおしげになぜている。でっぱった骨のあたりを丹念に辿り、指の股にそってすべらせ、徐々にその面積を増やす。
「サンジ」
「なんだよ?」
 ゾロはぶん、と頭を振って、首を前にかくりと折った。
「頼む」
 搾り出されたような声は随分と切迫していて、サンジは少しだけ怯む。ゾロはもう片方の手で目から額の部分を覆った。
「逃げねえよ。けど、ここじゃ何も言えねえよ」
「で、出るか?」
「くそ、お前、唐突すぎんだよ。今考えろなんていうんじゃねえよ」
「だって……」
 席は奥まった角を折れたところの、一番奥だ。カウンターは角の向こう。店内は、ちらほらと客はいるが、満席ではない。
 ゾロはぱっと握っていた右手を開いて、逆にサンジの左手をつかんで引き寄せた。
「え?」
 前に並んだ皿やグラスをよけて勢いづいたまま引き寄せられ、同時に唇の端に左側から、やわらかいものが触れた。少し顔をかしげたゾロの伏せた睫。離れ際には、あまつさえ舌まで這わせて。
サンジは固まったまま、首から上を真っ赤に染めている。今目をそらしたらゾロが消えていなくなってしまいそうで、顔を隠すこともできない。
「ゾ、」
「あらたまる気なんてねぇぞ。変わりようがねえ」
「ゾロ」
「てめえが悪い。もう知らねえぞ」
「うん。なあ、もう出よう」
「あ?」
「ふたりっきりになりたい」
「……まだ全部食ってねえ」
「そんなの、俺がまた作ってやるから」
 がたがたと性急な音を立てて、サンジは立ち上がった。ゾロはグラスに残った酒を全部飲み干し、それを追った。追う事が、次の何かに繋がっているとわかっていても、ゾロは追うのだ。それが答えだった。
 じきに、年が明ける。朝日を見る約束を、そういえばしていた、とゾロは思い出した。まんまとのせられたことに気付いたが、それに気付かないふりをすることはたいしたことではないと思い、店を出て差し出された手を握ることにも、躊躇いはなかった。
「好きだぜ?」
「いわねえよ、バカ」
「ケチ」
 代わりにサンジのがさついた冷たい手を、ゾロはぎゅっと握った。
 
(2002/1/1)
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