いちごとソーダとメロン

 夏休みだった。たしかあれは、高校生活二度目の夏休みだ。
 サンジがその頃つきあっていた女とどこかに泊りがけで出かけたとかいう話を聞いた。
 それでゾロは、翌日の花火大会に一緒に行こうと言っていたのは気のせいだったのかと、別の友人に誘われたのをきっかけにして、それについては約束は、していなかったと思うことにしたのだ。
 改めて確認したわけでもなかったし、約束だと思っていたのが自分だけだとしたら、それはまあ、いいとしても、わりと切ない話だ。待っていて、ひとりで見そこなうのも面白くない。
 サンジと行く話をしてたんだけどな、とその友人に一応話すと、そんなの、普通女といくだろ?とあっさり返されて、ゾロはなるほどその通りだと思ったものだ。そうして、モテない野郎ばっかで集まって行くのかよ、と言って笑った。
 サンジはあまり女の切れ目がなかった。長かったり短かったりするけれど、たとえば別れる時に別の女を理由にするようなことがない。だから後腐れのないことの方が多くて、結果、女友達はゾロなど話にならないほど多かった。
 一度、過去にサンジと付き合っていた女とその話をしたことがあった。彼女がすこし遠い目をしながら「でもホントに好きなのかな?って良く思った」と言っているのを聞いて、その辺がつまり出入りの激しい理由なのかと、ゾロはなんとなく思ったりした。振られることがほとんどなのだ、サンジは。
 ゾロはそれで結局、その別の友人達に混ざって花火大会に出かけることを承諾し、サンジとの曖昧な約束はその時点で頭から切り離した。おそらくサンジもそのつもりだろうと、その時点では思っていた。
 なのに、花火大会の当日昼頃になってからだ。 サンジがゾロの家に電話をかけてきた。
 ゾロは友人との約束の時間までは昼寝を決め込んで、家の中で一番涼しい北側の部屋の窓をあけて風を入れ、座敷の襖を開け放し、真中でのびのびとなっていた。家人は皆出かけていた。傍らに置いた麦茶のグラスは氷が溶けて小さくなり、カランと音を立てて水の中に落ちた。午後の日差しは焼けつくようで、光の下、庭の緑は目に痛いほど鮮やかだ。縁側の朝顔の蔦が影で、くねったようなストライプの模様を畳の上に描いていた。
 

 サンジが当然の様に花火に行く話を切り出してきたので、ゾロは慌てた。
「待てよお前、彼女は?」
「は?だって、お前と行くって言ったじゃん」
「お前、はっきりいわねえから、他のやつと約束しちまったぜ」
「嘘!なんで?俺、行くからな、って言ったろ!?」
「だってお前、彼女と旅行に行ってたろ?今日はもういないのかと思った」
「勝手にいないとか言うな!俺が行くって言ったら絶対なのに、なんでそんなこと思うんだよ?」
「…悪い。でも、それはそれで、やっぱ彼女と行くべきなんじゃねえの?」
「別れた」
「は?」
「別れて、きた」
「なんで」
「なんでってそりゃお前…」
 そこまで言って、サンジは口篭もった。はっきりといわずに、まあ、そういうわけだよ…などと、もごもごと電話口で言っているのが聞こえる。ゾロは溜息をついた。なんだかんだと言って、自分はこの友人には甘い。
「わかったよ、あっちは多人数だし、やめるって言っとく。何時にどこだよ?」
「あ、ええと、あー…今からそっち行っていいか?お土産あるんだ」
「お前、もうちょっと振られた男らしく振舞ったら?」
「……なんで俺が振られたって思うんだよ」
「いつもだろ」
 サンジが黙った。なんとなく、苦笑しているふうな沈黙だ。
「ま、そういうことで、それはいいんですが」
 やはり声が笑っている。
「らしく振舞うなんてアホなことはしねえの。せっかくフリーになったんだし、お前と友情深めんのも悪くないだろ?」
「いらねえな」
「つれねえの」
 そう言って、ハハ、と笑った。そんなふうだから、「本当に好きかわからない」などと女が感じてしまうのだ。なるほどとゾロは思った。
「くるんならアイス買って来い。氷のやつ」
「何味?」
「なんでもいい」
「それお前、悪い癖だぜ。はっきり言えよ」
「まかせる。うまいやつ」
「わがまま。そうやってお前、俺にばっか考えさせんの」
「うるせえ」
「甘えやがって」
「どっちが」
 際限がないので、サンジは「すぐ行くよ」と言って電話を切った。ゾロはごろんとい草の座布団に寝転がり、四肢を力いっぱい伸ばす。縁側から見上げる空には筋張った雲が広がっていた。


「いちごとソーダとメロン。どれがいい?」
 サンジがコンビニのビニール袋を目の高さに掲げて言った。ゾロはきょとんとして、サンジの顔を見ている。
「どうした?」
 その言葉に我に帰り、ゾロはビニール袋の中をのぞいて、いちご味のアイスを選んで、サンジを見て言った。
「お前、さりげなくいつもこの味な」
「あ?」
「いつも、お前に買ってこさせるとこれ」
 大学生になったゾロのひとり暮らしの部屋に、サンジはヒマさえあればやってくる。今日も、また連絡もなくいきなりだ。しかもそれは、全く珍しくもないことだ。そして、それはあの夏の頃から比べても、あまり変わらない。変わらず、ずっと、そばにいる。
「そうだっけ?アイスなんてめったに買わねえもん。忘れる」
 そう言いながらサンジは少しだけむくれたような顔をして、それから、「そんなことをいちいち覚えてるなんてお前もたいそう俺を好きだね」などと悪びれずに言った。ゾロは残ったアイスをフリーザーにいれているサンジの背中に向けて軽く足を振って、腿のあたりに蹴りを入れた。サンジは「痛い」と呟いた。
「花火、どっかでやらねえかな」
 ぽつりと言ったゾロの声に、サンジが振り向く。ゾロは寝そべって、いちご味の棒つきアイスを頬張っていた。
「そういや、行ったなァ、昔」
 サンジが思い出すような目をしてそれに答える。
「お前、女と別れて、…あー、そういえば」
 ふいに口調を変えたゾロを、サンジは首を傾げて見やった。ゾロは体を起こして座りなおし、サンジを見上げて何気ない顔で続ける。
「あんとき、はっきり言わなかったじゃねえか。彼女と別れた理由」
「…ん?」
「別に今更だけどよ」
「ああ、あれね。なんだよ、気になるか?」
「ならねえよ。今更だって言ったろ」
 サンジは口元をにやつかせて、それから畳を這ってゾロに近づき、額をぱちんと叩いた。
「いてえ、なんだよ?」
「あれな、あれ、お前が原因」
「は?」
「花火にさ、帰ったら行こうって彼女が言って、でも俺はお前と行くつもりだったし、そう言ったら言われたんだよ、『ゾロとあたしとどっちが好きなの』って。お前に決まってんじゃん」
 ゾロはあんぐりと口を開いて、それと同じように目も見開く。
「ひでえ奴」
「言うなよ」
 サンジは情けなく笑って、許しを請うような目をしてゾロを仰ぐ様に見た。
「アイスたれちまうぜ」
 にやりと笑ってゾロの手を取り、少し溶けてたれてきた雫に唇をよせて、じゅる、と啜る。
「考えもしなかったろ、お前あの頃。俺はずっとそうなんだけど?」
 そう言って、上のほうをかり、とかじり取り、目線を下げたゾロにゆっくりと顔を近づけた。合わさった唇のすきまから差し入れられ、口の中に広がった新たないちごの味を、ゾロはいたたまれない思いで味わう。
「お前、そういうのやめろ」
「なんで。照れてんの?それこそ今更」
「照れてねえよ。お前があんまり恥ずかしいヤツだから時々嫌になんだよ」
「俺が恥ずかしいくらいでないと、俺らちっとも甘くねえの。お前、わかってないね、相変わらず」
 そう言ってサンジが笑みを深めるので、ゾロはますますいたたまれない。
 あの頃からそんなふうに、そんな目で、お前は。そう思って俯くしかない。
 サンジは唇を離して、俺はソーダのやつにしよう、と言って、また笑った
 
(2002/7/22)
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