午 睡
夜が明けても薄暗いままの空のせいで、朝が来たのに気付かなかったゾロがようやくもそもそと起き出したのは午前11時にもなろうかというあたりで、寝すぎて重い体を起こして頭を振っても意識は靄がかかったようにはっきりとしない。上掛けをめくると、上半身裸だったゾロは少しだけ肌寒さを感じた。窓の外は昨夜からのしのつく雨で湿った空気が重く、まどろみを誘うその水の様をゾロは特に感慨も無く眺めた。
腹は減っていたが食べる気は起きず、薄暗がりの部屋を眺めていると何もかもが億劫で、そのまま夕方まで寝てしまおうかと思い、ゾロはベッドの中でもう一度横になって上掛けを引っ張りあげた。
「寝るのかよ」
自分一人しかいないはずの部屋の中で人の声がしたので、ゾロは驚いて飛び起きた。
「なんでいるんだ!?」
「こないだ鍵、預けたろ?そのまんまだよ。アンタ返せって言わなかったしな」
サンジが思いきり不機嫌そうに煙を吐き出してそう言ったのを聞いて思い出した。
先週の日曜、馬券を当てたゾロのおごりで二人で飲んだ日、サンジはゾロを部屋に放りこんで、そのまま寝ようとしていたゾロに向かって戸締りしろよ、と言ったのだが、ゾロは眠りに落ちる寸前のかすれた声で「かけてってくれ」とサンジに鍵を渡したのだ。翌朝目覚めて、鍵が無いのを不審に思いながらスペアキーを捜すのに引出しをひっくり返す羽目になった。
サンジはゾロと同じアパートの、ひとつ上の階に住んでいる。去年の終りにゾロが越してきてすぐに、ひょんな事から付き合いが始まった。ゾロが休みの日など、よくこんなふうに朝食を作って持ってくるのだ。キッチンのほうからいい匂いが漂ってきている。
「もらったつもりだったんだけど」
「……」
「返したほうがいいの」
ゾロはベッドに座ったまま前を見つめている。あまり考えられる状態ではなさそうだった。
「ゾーロ」
ぎしっと音を立てて、サンジがベッドに這い上がる。
「煙草」
「ああ…」
サンジは手を伸ばして灰皿に煙草を押し付けながら、正面からゾロの顔を覗きこむ。
「起きろよ。メシは?いらねえの?」
いきなり視界いっぱいにサンジの顔がひろがって、ゾロは思わず首を引いた。その引いた分のスペースに、サンジが身を乗り出してくる。ゾロは急に強く打ち始めた心臓の音に戸惑いながらも、それを表には出さない。
「なんだよ…」
「あんた、赤ん坊みたいな匂いがする」
そう言いながら、サンジはゾロの横にばふんと体を投げ出した。少し体温の高いゾロの肌の匂いをかぐように鼻を押し付ける。
「眠い眠いって言ってる匂い。それから腹が減ったよって」
ゾロはぽつんとあたった少し冷たいその部分を意識しすぎて、すっかり眠気は覚めてしまっていた。
「なあ」
サンジの手が伸びて、ゾロが体の横にだらりと下げている右手に絡んでくる。
「こういうのもいいね。なんかいい。寝てよっかなあ、俺、今日ここで」
仕事はどうするんだとゾロは聞こうとして、やめた。
雨はやみそうになく、今日はこれ以上明るくならないのだろう。気温もそれほど上がらないようだ。ゾロはぶるりと身を震わせた。昨日寝る前に脱いだTシャツがそのままになっていたのでそれに手を伸ばそうとサンジの手を解こうとしたのだが、サンジは離さない。
勘違いさせるな、と叫びたくなるのはこんなときだ。ゾロの男の友達でこんなことをする者は一人もいないし、そんな連中がこんな態度をとったならゾロはきっとおぞましく感じて部屋から叩き出すに違いない。その前に、きっと黙ってベッドにあげたりなんかはしないし、あがって来たりもしない。絶対に。
何故サンジならいいのだろうと思う。答えはわかっているような気もするが、あえて言葉にはしない。
サンジもきっと、同じだろうと思う。きっと同じように、戸惑ったり焦燥感にかられて泣きそうになったりしているのだ。それでいて、こうして一緒にいる自分達とは、一体何なのだろうとゾロは思う。
サンジはゾロの腕を指の甲で軽くなぞっている。そして聞いてきた。「寒いの?」
ゾロは体をずらして横になり、サンジの隣で丸くなった。
「寒ィ」
そのまま目を瞑った。これではまるで、サンジを促しているみたいだという思いはあったが、それならそれでいいとも思えた。
サンジは突然、望んでいたものが手に入ったような錯覚に陥り、普通以上には好かれている幸福を感じる。そして、同時に自制する。
ゾロがこんなに無防備なのは自分を信じているからだ。いつだってそれを裏切ることの出来るサンジであるのに、ゾロはこんなにも自分を曝して、踏み込ませる。どこまでも付け入ることはできる。けれど、付け入られていると思わせたら終ってしまう気がする。幾ばくかの恐怖に慄きながら、サンジは震える手をゾロの首に回して、そのまま胸元に顔を押し付ける。「あったかい?」と、安心の言葉を添えて。
「ん…」
腕の力がこもって、ゾロは抗えずに肺いっぱいにサンジの匂いを満たし、平静ではいられない。なのに、落ち着いている気がするのは、この部屋が夜みたいに暗いくせに今はまだ昼間だからだ。
「一緒に寝てよう、ゾロ。俺と寝てよ」
サンジはゾロの柔らかい髪と額の間あたりに唇を押し当てて囁く。そんなことをするのは恋人くらいだろうとゾロは思って、それは違うな、と更に思う。
ただ、やさしくしたいだけだ。サンジとこんなふうに過ごす時間のやさしさに参っているだけだ。そして、今が昼間だからだ。
「鍵、もらっとくけど」
サンジの言葉を夢うつつで聞いた。心地よいまどろみが、意識をさらう寸前で、またゾロはかすれた声で曖昧に「ああ」となんとか答えた。
「飯、冷めちまうなあ」
そう言いながら動こうとしないサンジをかすかに笑って、ゾロは小さく息を吐いた。
腹は減っていたが食べる気は起きず、薄暗がりの部屋を眺めていると何もかもが億劫で、そのまま夕方まで寝てしまおうかと思い、ゾロはベッドの中でもう一度横になって上掛けを引っ張りあげた。
「寝るのかよ」
自分一人しかいないはずの部屋の中で人の声がしたので、ゾロは驚いて飛び起きた。
「なんでいるんだ!?」
「こないだ鍵、預けたろ?そのまんまだよ。アンタ返せって言わなかったしな」
サンジが思いきり不機嫌そうに煙を吐き出してそう言ったのを聞いて思い出した。
先週の日曜、馬券を当てたゾロのおごりで二人で飲んだ日、サンジはゾロを部屋に放りこんで、そのまま寝ようとしていたゾロに向かって戸締りしろよ、と言ったのだが、ゾロは眠りに落ちる寸前のかすれた声で「かけてってくれ」とサンジに鍵を渡したのだ。翌朝目覚めて、鍵が無いのを不審に思いながらスペアキーを捜すのに引出しをひっくり返す羽目になった。
サンジはゾロと同じアパートの、ひとつ上の階に住んでいる。去年の終りにゾロが越してきてすぐに、ひょんな事から付き合いが始まった。ゾロが休みの日など、よくこんなふうに朝食を作って持ってくるのだ。キッチンのほうからいい匂いが漂ってきている。
「もらったつもりだったんだけど」
「……」
「返したほうがいいの」
ゾロはベッドに座ったまま前を見つめている。あまり考えられる状態ではなさそうだった。
「ゾーロ」
ぎしっと音を立てて、サンジがベッドに這い上がる。
「煙草」
「ああ…」
サンジは手を伸ばして灰皿に煙草を押し付けながら、正面からゾロの顔を覗きこむ。
「起きろよ。メシは?いらねえの?」
いきなり視界いっぱいにサンジの顔がひろがって、ゾロは思わず首を引いた。その引いた分のスペースに、サンジが身を乗り出してくる。ゾロは急に強く打ち始めた心臓の音に戸惑いながらも、それを表には出さない。
「なんだよ…」
「あんた、赤ん坊みたいな匂いがする」
そう言いながら、サンジはゾロの横にばふんと体を投げ出した。少し体温の高いゾロの肌の匂いをかぐように鼻を押し付ける。
「眠い眠いって言ってる匂い。それから腹が減ったよって」
ゾロはぽつんとあたった少し冷たいその部分を意識しすぎて、すっかり眠気は覚めてしまっていた。
「なあ」
サンジの手が伸びて、ゾロが体の横にだらりと下げている右手に絡んでくる。
「こういうのもいいね。なんかいい。寝てよっかなあ、俺、今日ここで」
仕事はどうするんだとゾロは聞こうとして、やめた。
雨はやみそうになく、今日はこれ以上明るくならないのだろう。気温もそれほど上がらないようだ。ゾロはぶるりと身を震わせた。昨日寝る前に脱いだTシャツがそのままになっていたのでそれに手を伸ばそうとサンジの手を解こうとしたのだが、サンジは離さない。
勘違いさせるな、と叫びたくなるのはこんなときだ。ゾロの男の友達でこんなことをする者は一人もいないし、そんな連中がこんな態度をとったならゾロはきっとおぞましく感じて部屋から叩き出すに違いない。その前に、きっと黙ってベッドにあげたりなんかはしないし、あがって来たりもしない。絶対に。
何故サンジならいいのだろうと思う。答えはわかっているような気もするが、あえて言葉にはしない。
サンジもきっと、同じだろうと思う。きっと同じように、戸惑ったり焦燥感にかられて泣きそうになったりしているのだ。それでいて、こうして一緒にいる自分達とは、一体何なのだろうとゾロは思う。
サンジはゾロの腕を指の甲で軽くなぞっている。そして聞いてきた。「寒いの?」
ゾロは体をずらして横になり、サンジの隣で丸くなった。
「寒ィ」
そのまま目を瞑った。これではまるで、サンジを促しているみたいだという思いはあったが、それならそれでいいとも思えた。
サンジは突然、望んでいたものが手に入ったような錯覚に陥り、普通以上には好かれている幸福を感じる。そして、同時に自制する。
ゾロがこんなに無防備なのは自分を信じているからだ。いつだってそれを裏切ることの出来るサンジであるのに、ゾロはこんなにも自分を曝して、踏み込ませる。どこまでも付け入ることはできる。けれど、付け入られていると思わせたら終ってしまう気がする。幾ばくかの恐怖に慄きながら、サンジは震える手をゾロの首に回して、そのまま胸元に顔を押し付ける。「あったかい?」と、安心の言葉を添えて。
「ん…」
腕の力がこもって、ゾロは抗えずに肺いっぱいにサンジの匂いを満たし、平静ではいられない。なのに、落ち着いている気がするのは、この部屋が夜みたいに暗いくせに今はまだ昼間だからだ。
「一緒に寝てよう、ゾロ。俺と寝てよ」
サンジはゾロの柔らかい髪と額の間あたりに唇を押し当てて囁く。そんなことをするのは恋人くらいだろうとゾロは思って、それは違うな、と更に思う。
ただ、やさしくしたいだけだ。サンジとこんなふうに過ごす時間のやさしさに参っているだけだ。そして、今が昼間だからだ。
「鍵、もらっとくけど」
サンジの言葉を夢うつつで聞いた。心地よいまどろみが、意識をさらう寸前で、またゾロはかすれた声で曖昧に「ああ」となんとか答えた。
「飯、冷めちまうなあ」
そう言いながら動こうとしないサンジをかすかに笑って、ゾロは小さく息を吐いた。
アパートシリーズ2(2001/6/6)
2001.9.23発行(文庫版/2003.5.3)
2001.9.23発行(文庫版/2003.5.3)
[TOP]