fraise - 夏の夜の回想 -

 幼馴染みと一口に言ってもいろいろあるだろうとサンジは思うのだが、自分とゾロのそれについて考えると、はたしてそのいずれかの定義にあてはまるものは、いったいあるのだろうかと首を傾げたくなる。
 いっそ家族よりも親密な関係だ。お互いの何を決めるときにも、どこか頭の隅で相手の事を気にしている。親に対するような我侭めいた気持ちはそこにはなく、兄弟がいたらこんな感じなのかと想像してはみるものの、ゾロもサンジも一人っ子だから、あまり考えが及ばない。
 中学生の頃のことを思い出す。
 中学入学で、大きく環境は変わった。サンジは新たな出会いや、これから育まれるであろう人間関係などに弾むような期待を抱いていた。だから、今まで生きてきて、一番ゾロと縁遠かったのが、五〜七年前の今頃。お互いに新しい友人達と楽しく過ごして、それで終わった中一の夏休みから始まったように思う。
 ゾロは剣道部に入り、サンジは陸上部で、遊び以外にもお互いそれぞれ忙しかった。家に行ったり来たりは何度かあったが、前年の夏までは、毎日のように一緒にプールに行ったのに、この年は一度も行かなかった。
 中二の夏になると部活は最も忙しく、遊びに行った記憶といえば祖父のゼフとお盆に田舎に行ったことと、花火にクラスメイト達と出かけたことくらいだ。ゾロとの事となると、この年もあまり、記憶がない。中三の頃は、サンジは彼女と遊ぶのに忙しく、ゾロは剣道で全国に行ったので忙しかったはずだ。やはり、あまり一緒にいた記憶はない。


 ゾロは海外にいる父親のところへ十日の予定で出かけた。別に十日間離れていることなど珍しくもないのだが、胸の中がすかすかして、とても物憂く、空虚な感じだ。何もやる気がしない。
 つまり、長く一緒にいすぎたんだとサンジは思う。でも、過去にそうやって、まったくお互いを気にしないでいた時期もあったのだ。
 とてもとても、緩やかな束縛。お互いを縛り、縛られ、それで得られる安堵感は、やはり家族のそれだろうとサンジは思う。
 だったら、別に普通だ。旅に出かけた家族を「今頃どうしているだろうか」と気にかけることなど、家族ならごく普通のことだ。そう思って気を紛らわせてみるが、サンジは自分が、実はそういった感性の持ち主ではないことを良くわかっていた。例えば唯一の家族である祖父が二、三日出掛けて家を空けたって、別になんとも思わないからだ。
 サンジは溜息をついて、テーブルの上の食器を片付け始めた。一人の夕食は味気なくて、それだからこんなに感傷的になるのだ。出かければ良かったのだが、昨日も一昨日も無かったから、出掛けられなかった。今日こそきっと、何か。そう思ってリビングヘ続く扉のすぐ脇に置かれている電話を見たが、鳴る気配は一向になく、サンジはぱちぱちと瞬いて視線をはずし、溜息をつく。
 深夜十一時をまわった頃、風呂からあがって湯を抜き、脱衣所を出てきたところで、ゼフが帰宅した。玄関の引き戸がカラカラと閉まる音が聞こえた。
 ゼフが三十年前に建てたこの家は純和風の建築だ。
 ゼフは近隣地域にもわりと名の知られたレストランを経営しているコックだ。固定ファンも多く、噂を聞いて遠方からわざわざやってくる客もいるほどである。おそらく、一流、と形容して間違いはない。だが、この家を見て、イタリアンレストランの外国人オーナーが住んでいる家などとは誰も思わないだろうとサンジは思う。工務店や建築会社がパンフレットを置いていったり送ってきたりは日常茶飯事で、サンジも建替えようと何度か進言しているのだが「お前が自分でやれ」と言って、ゼフは全く耳を貸そうとしない。せめて内装だけでも、とサンジは思っている。特に、風呂。それからキッチン。つまり、水まわりだ。
「おかえり」
 サンジはバスタオルを肩にかけて、居間に戻る前に玄関をのぞきこんだ。
「なんだおめえ、いたのかよ」
「いちゃ悪いかよ」
「せっかくの土曜の夜に遊んでくれる友達の一人もいねえとはなァ」
 揶揄する様にそう言って片眉を上げるゼフに向かって唇を突き出して見せると、サンジは居間に入っていく。
「隣の小僧にくっついて行きゃあよかったんだ。誘われたんだろうが」
「うるせえな。久々に親子で会うってのに、俺が混ざってどうすんだよ」
 その言葉を聞いたゼフはサンジの黄色い頭にポン、と手を置き、「ばかめ」と言った。
 リリリリ。
 これまた、最近ではついぞ見かけない時代がかった黒電話が、時代がかった音をたてた。この家にはFAXも無い。サンジは一瞬顔を強張らせ、すぐさま電話に飛びついた。
「はい!もしもし」
『オレ』
「おう、なんだよ、遅いじゃねえかよ連絡が。なんで着いたらすぐよこさねえんだ、このマリモ」
『うるせえな、てめえは小言ばばあか』
「親父さんは元気か?」
『……』
 ゼフは嬉々として電話の向こうの相手と話す孫の背中をじっと眺めた。いつのまにか身長は自分を越え、繰り出す言葉は生意気を通り越して時に憎々しくさえある。けれど、ゼフにとってサンジは、九歳のときに両親を一度に亡くし、葬式で自分の礼服の裾を握り締めながらじっと我慢していた、あの頃と同じままだ。その横でサンジの手を握って、唇を真一文字に引き締めて一緒に立っていた、電話の向こうにいる相手も。
 しばらくそうしていたが、ゼフはゆっくりと風呂に向かった。サンジはそれをちらっと横目で見、「お湯、抜いちまったぜ」と声をかける。ゼフが片手を上げて居間を出ていった。
 十分ほど話して、また、と言って電話は切れた。あっけない。けれど、一度声を聞けばなんとなく安心した。
(そうか、オレはただ心配していただけだ)
 離れて寂しいとか、そういうことではなく。


 現在のように再び行き来が活発になったのは、高校に入ってからだ。ゾロの父が海外に赴任することになり、ゾロも行くかどうかという話になったときに、ゼフが日本での身元引き受け人になる、と言った、あのときからだ。
 父親が発った夜、ゾロは数年振りにこの家に泊まった。サンジは客間に布団を敷きながら「オレの部屋にするか?」と訊いたが、ゾロは黙って横に首を振った。その首筋の細さが、何故か記憶に鮮明だ。ゾロは平均以上の体格で、華奢なんて言葉とは縁遠い。なのに、そのときは違った。サンジはそのときに、なるべくゾロといよう、となんとなく思ったことを覚えている。以来今日まで、その気持ちはずっと続いている。
 その首筋を思い出すときに疼く胸の痛みには、ずっと、目を瞑ったまま。
(2002/9/12)
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