The island of oblivion

 草の匂いを肺いっぱいに吸いこむと、ゾロはうつ伏せのまま背中で青空を流れゆく雲の動きを感じていた。自分の上にかかるそのわずかばかりの影がなければ時間さえ止まったような気がする。地面は丸いのだと意味もなく思った。
 ずっとこうしていて孤独感は増すばかりだ。船を取り囲む仲間たちから離れてひとりでこんな島のはずれに来てしまった理由は自分自身にさえ良くわからない。ただこの静かさを気に入って、ぼんやりと雲を追って来ただけのことだった。
 さく、と草が鳴った。サンジの気配がした。どうしてここに、とゾロは思う。
「いい昼寝場所じゃねえか。さすがだなあ」
 いささか皮肉めいた口調でサンジが言った。ゾロは寝たふりを決めこんで動かない。ゾロのたぬき寝入りはサンジにはいつもばれてしまうのできっと気付いているだろうと思いながら。
「それともまた迷子か?…ほら」
 サンジがゾロの肩のあたりを靴の先でつついたので、観念した様にごろんと仰向いた。柔らかい日差しがゾロの体の表面に降り注ぎ、瞼の裏が赤く染まる。ゾロは、ああ、と小さく声を出した。
 急な嵐に遭い、船の破損が少々酷かったので緊急に近くの島に停泊した。小さな島だった。方々から風を受け、吹き飛ばされるものも最早残っていないほどに枯れ果てていた。港の周辺にぽつぽつと立ち並ぶ建物がかろうじて町らしき体裁を整えていたが生活雑貨をそろえるのがやっとという程度の規模でしかなく、港の正面に小高い丘がだらだらと連なり、あちこちに小さな風車が立ち並んでいるのが印象的だった。いずれにしてもくたびれかけた終焉の島だ。こんなところに立ち寄ろうなどという海賊はまずいないだろう。定期船以外の船が来たのは何年振りだろうかと島でたった一軒の宿の老婆が感慨深げに呟いていた。
「なんでわかったんだよ、ここ」
 目を開いてサンジを見上げる。逆光で表情は見えないが微笑んでいることだけは解る。
「んん、愛?」
「は!」
 笑い声まで乾いていた。サンジの咥えている煙草の先がちりちりと赤く焼けている。胸の中のその衝動に気付いて、ゾロは笑い顔を凍らせ瞼を強く塞いだ。
 影になったサンジがゾロに笑いかけている。手を伸ばせばきっとその長い背を屈めて「なんだよ?」と声を降らせてくるだろう。引き寄せれば膝をついて、その顔を寄せて。ゾロはそう考えながらサンジを見上げた。光を受ける金髪が透明に輝いていた。
「材料、何とか揃いそうだってウソップが言ってたぜ。簡単な修理を明日すませて、早ければ明後日には出航だ」
 その声が胸の中に染み渡る感じに、ゾロはむずがるように身を捩る。サンジを視界から消してしまえと思うのに、目はその唇の動きに吸い寄せられ、ゾロはただぼんやりと見つめた。
「応急処置じゃ、また嵐にあえば同じことなんじゃねえか?」
 息を吐き出しながらそう言うとそれは睦みあうときの囁きのように響き、ゾロは何を考えているのかと焦ったように顔を顰める。
「隣の島まで行ければいいんだと。そこの町はなかなか大きいらしいし、本格的な補給もそこでってナミさんが言ってたからな」
 サンジはそう言いながらゾロの横にゆっくりと腰をおろした。下草が柔らかくしなる。
「いい風吹くなー、ここ」
 サンジは遠く海を眺めて、目を細めた。風がその髪の表面をなぜる様にすべりゆく姿さえ見えるようだ。
「…んな目で見んなよ。なんだよ、どうした?」
 どんな目で、今自分はこの男を見ているというのだろう?とゾロは思う。サンジは苦笑しながらそっと手を伸ばしてゾロの目元を指で軽く擦った。ゾロは目を瞑る。目を瞑って、その感覚を追う。サンジの柔らかい笑みが見えるようで、切なくなって唇を噛んだ。
 これは、つまり、欲情なのだ。この男の声や、視線や、滲み出るすべての気配に自分はどうしようもなく急き立てられている。
「なんでこんなところにいたんだよ?探したぜマジ」
 サンジは横になったままのゾロの、その目を覆う腕をじっと見つめる。
「誰もいなかったからだよ」
 ゾロは身動き一つせずそう言った。サンジに突き刺されと思った。サンジの声にいちいちざわつく皮膚に舌打ちしたい気分だ。
「……ひょっとして邪魔したかよ?」
「なんか用か?」
 声に苛立ちが混ざる。腕をおろして、サンジと視線を合わせた。
 じっと見つめるとサンジはその青い瞳を翳らせて辛そうに表情をゆがめた。そして急に脱力してゾロの上に覆い被さり、無言でその唇を塞ぐ。のしかかるようにして、ゾロのすべてを貪るようなキスをした。
 ゾロはその茫洋としたぬくもりに安堵し、あわさる唇の柔らかさに胸をしんとさせてゆっくり目を閉じた。息苦しさを感じ始めた頃、ようやく離れたサンジが搾り出す様に呟いた。
「用なんかねえよ。てめえの姿がないのが嫌だっただけだよ。なんなんだよ、勝手にいなくなるなよ。俺から離れるんじゃねえよ」
 そう言ってゾロの体を掻き抱く。頬に熱い息がかかって、ゾロはぞくりと背筋を奮わせた。
 こんな寂しい島でお互いを見失ったら呑みこまれてしまいそうだ。寂寥が束になって折り重なり、不確かな感情はすぐさま押し流されてゆく。
 ゾロは下から腕を回してサンジを抱きしめた。力をこめて、すきまを怖れるかのように、強く。サンジの腕がゾロの頭を縋る様に抱えた。
「こんな場所の方があったけえよ、てめえの体。なんでだか」
 そう言ってゾロはサンジの首筋に頬を擦りつけ、肩に熱い息を吐いた。サンジが答えるようにゾロの額に唇を這わせる。
「なあ」
 天上から光を受けた低い雲が流れてゆくのをサンジの肩越しに見ながら、その高く果てない空と地上にはりついた自分を相対させ、ゾロは苦く笑う。
 ごう、と風が唸りながら海から吹きつけ、ゾロの耳もとの下草をざわつかせながら駆け抜けてゆく。遠くに回る風車の音はカラカラと空しさだけを響かせていた。時間さえも置き去りに、何もかもが緩慢に朽ちてゆくのが目に見えるようだ。
「なあ、抱いてくれよ」
 この何も無い土地で風化していく風景に混ざってみるのも一興だ。サンジがほのかに笑ってゾロの胸元に唇を落とした。何もかも心得ている笑顔だと思った。

 ゾロは少しだけ、寂しかったのだ。
(10000HITリクエスト「してほしいな、という気持ちをロロなりにアピールするサンゾロ」
2001/10/3)
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