きみをおもう

 冬枯れの木立の中を思いっきり走りぬけて、五分。勝負がつかないのは相変わらずだが、東堂の胸は達成感のようなもので満たされていた。
 前回走ったときから増やした練習量の分、速くなっていることは自負していたし、それは実際にここ数日のタイムにもあらわれていた。
 なのに、巻島はすこしも遅れることなく競ってきた。会わない間の、巻島が過ごした時間、その中身の濃さを思い起こさせるのには、それで十分だった。
 お前もやってきたんだなあ、という言葉を、わざわざ口に出すつもりはない。けれど不意に向けられる視線の鋭さが、巻島も似たような心境にあることを思わせる。東堂が口に出さないと思っていることならば、なおさら巻島が口に出すはずがない。
 登ったぶんだけ、風を切り裂きながら下っていく。前を行く巻島の髪がぱたぱたと千切れんばかりに揺れている。出会った頃よりもだいぶ長くなっている。


 伸ばしているのかと聞くと、べつにそういうんじゃねえ、とつまらなそうに答える。
 巻島には、本音をはぐらかす癖がある。言うか言わないかの境目。そういうことを、最近ではわかるようになった。それは東堂が口の悪いチームメイトに、思った事をそのまま口に出すんじゃねえ、などと言われるのとはおそらく、まるきり正反対の性質だ。
 巻島のようなタイプと身近に接するのは初めてのことで、本来相手の性分など意に介さないタイプである東堂にしてみると、すべてにおいて新鮮だった。どこまでが相手に許せるラインなのか、などと、ほかの連中に対しては考えたこともないことを、初めて考えている。
 といっても考えたところでわかるものではないし、探りながら距離をはかるようなやり方はもともと好みじゃない。
 だから東堂はいつだって結局、直球なのだった。鬱陶しげに目を眇めて唇を尖らせる巻島の顔など何度見たかわからない。それでも山へ行こうと誘って応じなかったことはなく、そのことがいつしか、東堂に自信のようなものを抱かせていた。
 自分が巻島を気にかける程度には、巻島も自分を気にしている、という、根拠のよくわからない自信だ。


 気づくと巻島のことを考えている、ということがよくある。
 今何をしているだろう、今日は山に登っているだろうか、テスト期間はいつだろう、次はいつ誘おうか、といったふうに。
 離れているからだ。今手の届くところにあるこの背中が、毎日見えるようなところにあったならば、こんなにも考えたりはしない。


 山が途切れ、木々の様子が変わり、平地が近づいてくるにつれて交通量が増えはじめる。東堂はスピードを上げて巻島を追い越し、先頭を変わった。しばらく走って、最初に見えたコンビニで自転車を止める。話し合ったことはないけれど、ふたりで走るときはそういうふうにするのが決まりみたいになっている。
 カップヌードルとレジ脇に置いてあるホットスナックを買った。巻島はから揚げ棒で、東堂はメンチカツだ。お湯を注いで、イートインのスペースがあったので、腰を下ろした。大きく開いた窓の正面に、ついさっきまで走っていた山が見える。
「おめえ、速くなってたショ」
 巻島が麺をすすりながら言った。東堂は驚きつつ、口の中をいっぱいにしながら、おう、と不明瞭な声で答える。そしてもぐもぐと口を動かして急いで飲み込むと、
「巻ちゃんもな」
 と言った。
「初めて走った頃から考えれば、そりゃな」
 クハ、と息を漏らす。
「そりゃそうだ。むしろ速くなってあたりまえだ」
 メンチカツにかじりつくと、さくっとした衣の歯ごたえとともに、口の中にじわりと旨みが広がった。指先が温まる感じがして、体が冷えていたことを自覚する。
 下りの間、巻島の頭にどんなことが浮かんでは消えていったのか判るような気がして、東堂は口許をかすかに緩めた。
 巻島の頭の中にすむ自分の姿を想像してみようとしたけれどうまくいかなかった。ただ、巻島しか見たことのない自分がそこには存在していて、昼となく夜となく巻島を自転車に駆り立てているのだろうということは手に取るようにわかった。
「巻ちゃん」
「んー」
 カップヌードルから立ち上る湯気が鼻のあたまをくすぐる。ずるずる、と啜る音。
「もっと速くなろうな」
「……おめーに言われるまでもねえショ」
 そう言った横顔が照れくさそうに笑っていて、東堂は一瞬呆けたように見入った。簡単に同意してみせないところが巻島らしく、そんな巻島だからこんなにいろいろ気になってしまうんだろうと思った。
 この頃の東堂は、自分の頭を占めつづける存在について、まだその程度の認識しかしていなかった。
 巻島の不器用な笑顔がなぜこんなにも胸をしめつけるのか、そのわけに気づくまでには、もう少し時間が必要だった。
ツイッタでコンビニ寄り道っていうリクをもらったのでした。(11.11.13)
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